「薬物」を知り、上手につきあう――『身近な薬物のはなし』著者、松本俊彦氏インタビュー
ビールやストロング系チューハイ、コーヒー・お茶にエナジードリンク、タバコ、市販薬に処方薬……我々の身近にある嗜好品や医薬品としての「薬物」に焦点をあて、人類と薬物との関わり、現代の身近な薬物の広がりや問題について掘り下げた好評連載「身近な薬物のはなし」が、書籍として刊行されます。
今回、執筆にあたっての思いや、本書では言及しなかった薬物をめぐるさまざまな考えも含め、精神科医・依存症研究者の松本俊彦さんにお話を伺いました。(聞き手:岩波書店 編集部)
コーヒーも酒もタバコも、みんな「薬物」
――松本さんご自身は、本書でいう「身近な薬物」をどのように嗜んでいますか。
特に言わなきゃいけないのはタバコでしょうね。毎日お酒も飲んでますし、コーヒーがないと体が動きません。依存症研究の第一人者であるデイヴィッド・コートライトは、いわゆる違法薬物以上に大きな健康被害をもたらしてきた三大薬物として、アルコール・カフェイン・タバコを「ビッグスリー」と呼んでいますが、僕は全部大好きです。
市販薬や処方薬に関しては、医師として処方薬を処方するという点ではもちろん関わりがあります。市販薬についていうと、実はあまり薬というものが好きではなくて、風邪薬もあまり飲まないですね。ただ、随分前に、高校で薬物乱用防止について講演をする前に、咳が止まらなくてどうしようもないので、咳止め薬のブロンを買って、オーバードーズ(過剰服用)したことがあります。「こんなんじゃ『市販薬も危ない』なんて子どもたちに言えないよな」なんて思いながら。
――普通「薬物」というと、いわゆる違法薬物を思い浮かべます。しかし本書での「カフェインやアルコールも薬物である」という捉え方を、多くの人は意外なものと受け取りそうです。
たとえばカフェインでいうと、コーヒーやお茶がないと仕事にならないという人は多いです。昼間のルーティンをこなすために必要な薬物として、「ゆるやかな依存」といえるのではないでしょうか。
カフェインはある種、比較的安全な依存性薬物です。もちろん、一定の濃度を超えると心臓が止まったりする危険性はあるし、救命救急センターでは緊張感を持って対応しています。でも普通の生活レベルであれば、コーヒーをがぶがぶ飲んでも少々胃を悪くするくらいです。
ただ、気になるのは子どもの問題です。小学生頃の子どもが中学受験を目指して勉強するために、カフェインが添加されたエナジードリンクを飲んだりする状況があります。こうした身近にある薬物の影響について、本書ではさまざまに取り上げています。
依存症専門医だからこそ見える薬物の歴史
――本書は当初、2020年前後のストロング系チューハイの大流行を契機に、現代のアルコールの問題を中心とする構想でした。しかしそこから広がり、身近にある薬物の性質、歴史、そして現代の問題と極めて幅広く、かつ掘り下げたものになっています。
実は本書の構想中にコロナ禍が生じ、感染症の歴史を勉強し始めたんです。そのなかで、感染症と身近な薬物の関係が無視できないことに気づきました。人類が定住して穀物の栽培や家畜の飼育を始めたとき、アルコール飲料が感染症拡大にある程度寄与したこともわかってきた。それからコロンブス・エクスチェンジ(1492年以降、動植物や病原菌などが東半球・西半球で交流するようになった)での梅毒などの感染症の広がり、カフェインやカカオのアメリカ大陸での拡散などを知るにつれ、身近な薬物の歴史のことを勉強せざるを得なくなってきたんです。
かねてより、「合法薬物と違法薬物のどちらが危険ということはないのではないか」と、臨床実践を通じて考えており、いつかきっちり論じなきゃいけないと思っていました。そこで、ストロング系チューハイのことを起点に、いろいろな身近な薬物の歴史が絡みついてきた、というところがありますね。
――精神科医・依存症研究者としてのご専門とは別に、本書には歴史学や社会学など、他の領域の知見が非常に多く盛り込まれています。膨大な資料を読む中で、そうした領域を包みこんでまとめていったということですね。
そうです。医者がやる仕事じゃないし、専門分野外のことでそそっかしいことになるリスクもありました。でも、歴史を抜きにすることはできない。そして、依存症の専門医だからこそ見えてくる歴史もあるかもしれないと思い、取り組みました。
問題なのはむしろ合法薬物
――たとえばアルコールについては、一昔前に比べて社会的に厳しい目を向けられていると思いますし、未成年の飲酒にも厳しくなりました。それでも、依然としてアルコールには問題が多いのでしょうか。
たしかに、この2、30年の間に飲酒運転は劇的に減りましたし、お酒に対するマナーなんかもよくなったと思います。
でも、海外の方が忘年会の季節の日本に来て、町中の様子を見ると、びっくりするんですよ、「日本人はみんなアルコール依存症なのか?」と。多くの先進国では、酩酊して千鳥足で高歌放吟の状態で歩いてると、トラ箱に入れられちゃうんですよ。また、たとえばアメリカだと、定められた以外の場所で飲むことは禁じられています。路上で飲むっていう形はあまりない。そういう意味では、日本はすごくお酒に緩いんです。
もっというと、芸能人が違法薬物で捕まると、朝のワイドショーで出演するタレントが舌鋒鋭く非難しますよね。ですがそのタレントは昔、飲酒運転で警察とカーチェイスを繰り広げて捕まったりしている。それをみていると、「どんな立場でそれを言ってるの?」と思ってしまいます。少なくない日本人は「お酒だから」と許容しているんじゃないかと思うんですね。
――その線引きは、やはり合法な薬物か、違法な薬物か、という点に尽きるのでしょうか。
そう思います。違法薬物の場合だと、周りがすごく深刻視するんです。大麻でも覚醒剤でも、「たまに嗜む」程度の使い方であっても、ひとたび逮捕されると「薬物依存症だ」と言われます。でも、医師として診察でその人に会って話すと、普段はきちんと仕事をして、週末にちょっと楽しんだり、息抜きをするために使っている。逮捕されたことで家族や周りに迷惑がかかるんだけど、使うことそのものでは迷惑をかけていない。
一方、アルコールで毎晩晩酌をして、酩酊しては家族に暴言を吐いたり、暴力を振るったりする方たちもいます。それは依存症とは言われない。
そもそもアルコールは、肝臓や膵臓、あるいは心臓・血管系、中枢神経系への医学的障害という軸で見てみると、違法な薬物以上に「最悪の薬物」といえるものです。そうした心身への影響を考えると、違法・合法というだけでなく、もっとニュートラルに薬物のことを考えてほしいというのがあります。
薬物政策は苦しむ人たちを救えない
薬物の合法・違法の線引は、非常に恣意的に決められている面があるんです。ある程度民主的な政権の場合、アルコールを禁じると政権が倒れてしまう。それは、みんなが好きなものだからです。規制に成功するのは、マイノリティが愛している薬物になってしまう。そして、その薬物に対する厳罰政策を行うことによって、マジョリティとマイノリティの間の格差と分断が広がっていく。アメリカは、まさにそういう状況になっていると思うんです。
さらに言えば、今はアメリカをはじめオピオイド・クライシス(アヘンから生成・合成した鎮痛剤の過剰摂取の広がり)が問題になっていますよね。あれは違法薬物ではなくて、医療機関で処方された合法薬物の乱用が発端なのです。それを考えると、薬物対策の観点からも、合法・違法という区切りを一旦外して考えることが必要なのではないかと思います。
――でも、現在の薬物政策はその逆を行っていますよね。
本当にそうです。大麻で捕まる人はすごく増えているけれども、病院に来る人は増えてないんです。要するに、警察がムキになって捕まえているんです。そして、いま依存症の専門外来でどんな薬物が一番深刻かというと、何といっても市販薬なんですよ。
本書では、私たちが行っている全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査をもとに、近年の市販薬乱用の広がりを示しています。ただ、本書脱稿後に出揃ってきた2024年度の調査結果をみると、市販薬の広がりはさらに著しく、10代の薬物依存症患者が前回の2022年調査の3倍に増えているのです。これは危険ドラッグ・脱法ハーブの流行ピーク時である2014年と比べても6倍で、10代の患者さんの乱用薬物の約72%が市販薬という状況です。この数年間いろいろなところで警鐘を鳴らしてきたつもりですが、その勢いが止まりません。そうした市販薬を乱用する子たちの多くが依存症になり、内臓障害などを起こしてきている状況がある。
ある薬を違法にすることによって、規制のための様々な人員、セクション、予算がつく。そして一方、合法の処方薬や市販薬もまた別のいろんな利権が生じていて、それぞれの利権や組織・セクションの維持のために、「悪い」薬物に関しては厳しく、「よい」薬物、つまり医薬品に関しては、相当に問題があってもブロックをせずに推進していく……。こうした現状は、薬物対策としておかしいと以前からずっと思っています。
松本俊彦氏
「飲みやすくする」ことの弊害
――身近にある薬物の乱用の背景に、カフェインやアルコールを短時間で一気に摂取しやすくする商品の問題を指摘しています。
たとえばストロング系チューハイでいうと、比較的アルコール度数が高いことに加えて、甘味と柑橘系などの風味が添加され、清涼飲料のように一気に飲めてしまう。結果、アルコールを短時間で大量に摂取しやすいのです。
カフェインについても、コーヒーやお茶は苦みがありますよね。だから、子どもは好んで飲まないし、大人であれば「穏やかな依存」で好きにやっていけばいいと思うんです。ところが、この10年あまり若者向けとしても広がっているエナジードリンクは、カフェイン入で甘くて飲みやすい。結果、受験を控えて塾通いをする子どもたちがエナジードリンクを飲んで頑張る、というようなことが起こってしまっています。
子どもへの影響は大人よりも大きいですし、カフェインへの耐性がついて、エナジードリンクだけでは効かなくなってくると、あくまで私の推測ですが、次のステップへいってしまう。つまり、カフェイン錠剤のエスタロンモカ錠、さらには、カフェインに加えて覚醒剤原料も入っている、咳止め市販薬のブロンなどにも手を伸ばしてしまう。
正直、本来大人じゃないと味覚的に難しいものを、成分を抽出して、子ども向きの味覚にすることの問題も大きいと思うんですよね。商業主義にあまり走らずに、子どもたちを依存性薬物にあまり早くから触れさせないための政策も必要ではないかと思うんです。
――関連して、かつては紙巻きタバコを吸いやすくするために砂糖を使っていた、ということを本書で紹介されており、とても興味深く思いました。
媒介としての砂糖の話って面白いですよね。アルコール・カフェイン・タバコの「ビッグスリー」の裏で、一番重要なのが砂糖であるという可能性もあるんじゃないでしょうか。実のところ、砂糖は依存性という点においても侮れないですしね。
そして、砂糖あるところには、必ず奴隷制があります。もっと言えば、今の薬物問題では、かつての植民地時代の宗主国と植民地の関係がそのまま、薬物を生産する国と消費する国、あるいは取り締まる国という関係になっています。だから、薬物問題の背後には政治的な問題が横たわっているとも言えるんですよ。本書でも、違法薬物にはマイノリティのイメージが結びついており、それ故に差別の眼差しが注がれ、規制の対象となるといった側面について言及しています。
取り締まるだけでは逆効果
――「なぜ薬物に頼らざるを得ないのか、その背景に目を向けるべき」というのは、これまで松本さんがずっと主張してきた点で、本書でも強調されています。
たとえば、睡眠薬・抗不安薬の処方薬を乱用するのは30代40代の女性が中心です。そうした患者さんの背後にはいつも、ワンオペの育児に苦しむ、職場で能力がありながらも不遇に耐えなければいけない、様々なハラスメントに遭っている、といった事情があります。他方、市販薬の乱用は10代・20代が中心ですが、虐待やいじめなどの問題がある。そうした背景を変えずに、単に薬物使用を犯罪として取り締まっても、困ってる人を余計苦しめるだけになりかねません。
昨年の5月、薬物依存症当事者のための民間回復施設であるダルクに入寮中の方が、薬物使用で逮捕され、実名報道されました。大物政治家や有名芸能人が薬物で捕まったら、実名報道しないわけにはいかないのはまだわかる。でも、治療プログラム参加中の方をなぜ実名報道するのでしょうか。多くの一般市民は違法薬物で捕まっても、ほとんど実名報道されないし、メディアも関心をもたない。やっぱりそこに何らかの付加価値が付くと実名報道される。我々も自分たちの仲間と一緒に、報道したメディアに「なぜ実名報道をしたのか」と質問状を送ったんです。いくつかは無視されたんですけど、返事をしてくれたメディアからの答えは、「国民の知る権利に応える」「公益性を考えての実名報道」というものだったんです。
でも、それをみて「国民は本当にそれを知りたがっているのか?」とまず思いました。公益性というのも疑わしいですよね。つまり国民に「誰がやばいぞ」と教えるためなのではないかと思ってしまいます。多くの依存症当事者のご家族は、当事者ご本人がダルクに行きたがらないことに困っている。そのなかであんな報道されたら、「ダルクに行っても使ってるじゃん」と、本人から反論されるだけになってしまう。
多くの方に知ってもらいたいことが2つあります。1つは、薬物依存症からの回復プロセスにおいて再発は最初から織り込み済みの現象である、ということです。というのも、治療につながった薬物依存症の方が安定した持続的な断薬に至るまでには、平均7、8回の再発を繰り返すことがわかっているからです。つまり、治療中の再発なしに依存症からの回復はないといっても過言ではないのです。事実、ダルクでも薬物依存症の専門病院でも再発はあたりまえに起こっていて、自らの再発を正直に援助者に告白することから、回復はより高い水準へと向かっていくものなのです。
もう1つは、薬物依存症からの回復のために最も重要なのは、社会での居場所と人とのつながりである、ということです。居場所やつながりは治療以上に重要であり、どれだけすばらしい治療を受けても、社会で孤立した状態では、依存症からの回復は不可能です。それが「依存症は孤立の病」と呼ばれるゆえんですが、薬物事犯者の実名報道は、その人から将来の居場所やつながりを奪ってしまう可能性があるのです。
その一方で、2年ほど前、島根県警の若い警察官が大麻取締法で捕まったんですよ。そのときの島根県警の記者発表が興味深く、「警察官で、本来は実名報道すべきところなのかもしれないけれども、まだ若く将来ある身なので、実名をここで公表することは避けさせていただきたい」という趣旨だったのです。僕は、そのことは英断だったと思います。でも、同じことをダルクのほうにも配慮すべきだったんじゃないでしょうか。
違法薬物で捕まって実名報道されると、アパートも駐車場もレンタルオフィスも借りられず、銀行から融資も受けられません。仕事を探そうにも、履歴書を正直に書いたら、「こんな立派な経歴なのに、なぜうちにアプライするの?」と、ネット検索されたらばれてしまう。ハローワークには前科のある方用の窓口もあるんですが、そこで紹介されるのは土木・建設・配管塗装・解体といった仕事です。僕の患者の中には、企業勤めや公務員、あるいは医師の方もいらっしゃるのですが、そうした方たちに「土木で働いてください」といっても、実際には年齢などもあり体力的になかなか厳しいですし、少なくともその人がこれまで得てきたスキルや知識は生かせない。やっぱり再犯防止のために一番必要なのは、社会に居場所があることなんですよね。
相談ではなく雑談を
――人が薬物に頼らざるを得ないような状況に、まず目を向けないといけない。そのうえで、そうしたつらい気持ちにどう向き合うといいのでしょうか。
実は、それこそが大事だと思うんです。よく、「つらいときには相談しましょう」なんて言われますよね。でも、相談なんてなかなかできないですよ。自分の弱みをさらすわけで、うっかり相談したがために、不利になることもあることもある。
一つ言えるのは、我々を救っているのは相談ではなくて、雑談なんじゃないか。すべてをコロナに収斂させて議論するのは馬鹿げていますが、コロナが奪ったのは、我々が雑談する場だと思うんです。研究者でも臨床や実験をしない人は、みんなテレワークでできてしまう。そして雑談がなくなると行き詰まるし、新しいアイディアも湧いてこない。
ストロング系チューハイを飲みすぎてしまう人たちも、いろいろな事情で、安心して雑談できる場所が少ないんじゃないかなと思うんです。「ストロング系チューハイを飲みながら雑談したい」と言われたらどうしようかと思いますが(笑)。それでもいいけど、最後は喧嘩になりそうですが。
――本書でも、アルコールが歴史的に人々のつながりをつくってきたことを指摘していますね。
それこそ、メソポタミア文明のシュメール人は、同じ1つの壺にストローを挿し、2人でビールを飲んだりしていたんですね(図)。そのように、人類は酒に酔って連帯してきたところもあるし、アルコールには小異を超えてうやむやに連帯する、という効用もある(笑)。時にはそういうことも大事ですよね。
図 1 つの壺からストローでビールを分け合い飲むシュメール人(CDLI Seals 008800 [physical] artifact entry [2023] Cuneiform Digital Library Initiative)
本書では、身近にある嗜好品に含まれる薬物や医薬品についていろいろと取り上げましたが、僕はそれらをこの世からなくせ、とはまったく思っていません。僕自身が愛好家でもあるし、やっぱり必要だと思っています。薬物とうまく付き合うためには、我々も勉強したり知ったりして、身近にある薬物との関わり方の、リテラシーのようなものを身につけることが必要なんじゃないかなと思うんです。