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図書 2022年6月号 【巻頭エッセイ】井波陵一

◇目次◇
 
読む人・書く人・作る人 残されたノートに寄せて  井波陵一  
「ひまわり」を観よう  原田宗典
〈対談〉戦争文学で反戦を伝えるには  逢坂冬馬×奈倉有里
歴史の終わった後に  高田珠樹
森鷗外の転換点  澤田瞳子
小澤征爾の世界と「ふれる」  大西 穣
モハマッド・ハッタの夢  弘末雅士
人と物について  桐谷美香
醒めたマルスについて  神谷幹夫
大西祝と因明  師 茂樹
ジュリー・ロンドンを作っていく  片岡義男
その世  谷川俊太郎
ずっと詩を読むのが好きだった  金原瑞人
六月、雨の匂いを感じつつ  円満字二郎
輪郭線  岡村幸宣
はじける虚病姫  中川 裕
こぼればなし
六月の新刊案内
(表紙=杉本博司)

 

◇読む人・書く人・作る人◇

残されたノートに寄せて
井波陵一
 
 新しい仕事を始める時、井波律子はいつも新しいキャンパスノートを用意した。連載であれば全体の構成を考えた上で各章にふさわしい詩文を書き写してポイントを絞り、長篇小説の翻訳や解説に取り組む際にはあらかじめ各回のあらすじやキーワードを記しておいて論旨の展開の支えとした。当然手書きだが、本年二月刊行の『ラスト・ワルツ 胸躍る中国文学とともに』に収めた絶筆「わたしの水滸伝」に至るまで、そのスタイルを貫いている。
 
 残されたノートを遡っていくと学生時代のものにたどり着く。吉川幸次郎先生の崩し字に似せたわけのわからぬ字をせっせと書きつけたノート、卒業論文作成のために『文心雕龍(ぶんしんちょうりゅう)』の各篇を手書きしたノート、世の中にはこんな難解な文章もあるのかと驚いたという『春秋公羊伝注疏(しゅんじゅうようでんちゅうそ)』の原文を手書きしたノートなどから、学部・大学院時代の学びの過程が垣間見える。桑原武夫先生の『論語』執筆をお手伝いするために用意したノートの表紙には大きなパンダのワッペンが貼ってあり、本人曰く「我ながら幼稚で、ほんとうに恥ずかしい」。

 細かい字でこまめに記されたノートを眺めていると、大きなペンだこをこしらえた右手を「工人的手(労働者の手)」、対する左手を「小姐的手(お嬢さんの手)」と呼んで笑っていた姿が目に浮かぶ。残念なのは、吉川先生に漢詩や漢文の作り方を教わり、宝物となった「詩文作法(さくほう)」の授業の提出原稿が見つかっていないこと。どこを朱筆で直され、どこに大きなマルをつけてもらったのだろうか。
(いなみ りょういち・中国文学)
 
 
◇こぼればなし◇
 
◎エーリヒ・ケストナーとヴァルター・トリアーの名コンビが生んだ絵本『どうぶつ会議』(岩波の子どもの本、光吉夏弥訳、一九五四年刊)/『動物会議』(大型絵本、池田香代子訳、一九九九年刊)が刷を重ねています。第二次世界大戦終結から四年後に生まれた名作は、ご存知のように、戦争を始めとする災禍から人間の子どもたちを救うためにはどうしたらよいか、もはや人間には任せておけんと、世界中から動物の代表が集結して大会議を開く物語です。

◎ウクライナで今日も流れているおびただしい血を思うと、絵本のなかで「かんにんぶくろの緒」が切れた動物たちの秘策により、人間の「おえらいさん」たちが応じた条約は何だったのか、途方に暮れます。元々、最初で最後のはずの動物会議。その発端は、ライオンのアーロイスが、象のオスカルとキリンのレーオポルトと一杯やるために、北アフリカのチャド湖のほとりでおちあう、ある金曜の夜でした(表記は大型絵本版)。

◎「動物たちは、今日も業を煮やしていることでしょう。でも、いやにならずに踏みとどまる心の力が、私たちにはあることを、この絵本に出てくる動物たちといっしょに確かめたいと思います」。大型絵本版の訳者あとがきでそう書く池田さんに倣うなら、動物たちにまた先を越される前に、人間社会の各々の小さな現場で、倦まず諦めず、アーロイスやオスカルやレーオポルトとなっておちあう時間が大事になってきそうです。

◎そんな「チャド湖のほとり」のような空間として強く印象に残ったのが、東京・立川のPLAY! MUSEUMで二月から四月にかけて開かれた「どうぶつかいぎ展」でした。現代日本の八人のアーティストが、絵、立体、音、映像、インスタレーションといった多彩な表現で、絵本の普遍的なパワーを自在に解放し、子どもも大人も、観る者を作品の一部として取り込みながら、うんうん考えさせる展覧会だったように思います。

◎もう一つ、この展覧会では、表現のもつユーモアの力を存分に体感しました。それは絵本自身がまさにそうだからでしょう。「どうぶつかいぎ展」図録掲載の絵本作家ヨシタケシンスケさんの次の指摘に共感します。(作家ケストナーと画家トリアーという)「何もかも違う二人の共通点は「子どもを想う気持ち」や「ユーモアのセンス」だったのだろうな、とも。「ユーモアの力を信じる」ことにおいて、二人はずっとつながっていたのではないでしょうか」。

◎ケストナーが第三帝国末期から終戦直後にかけての日々を綴った『終戦日記一九四五』(岩波文庫、酒寄進一訳)も六月に出ますので、ぜひお手に取ってみていただければと思います。

◎受賞報告です。第三〇回やまなし文学賞の研究・評論部門を十重田裕一さんの『横光利一と近代メディア』が、第三七回(二〇二一年度)電気通信普及財団賞 テレコム人文学・社会科学賞 奨励賞を松田雄馬さんの『人工知能に未来を託せますか?』が受けました。
 

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