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岸政彦 「調査する人生」

齋藤直子 x 岸政彦 生活そのものを聞き取り続けて見えてくること


今回お話しするのは、大阪教育大学の齋藤直子さんです(対談当時の所属は大阪市立大学)。被差別部落出身者との恋愛や結婚に反対する「結婚差別」について、20年にわたり聞き取り調査を行い分析した著書『結婚差別の社会学』(勁草書房)は大きな反響を呼びました。お二人の対談から、研究の出発点、調査者としての方法論や立ち位置、戸惑いなど、齋藤さんの「調査する人生」を聞きます。
 2020年に入って、大学もコロナ対策でzoom授業になりました。この対談は、岸政彦さんが所属する立命館大学の先端研の院生さん向けに、授業用の資料として作成した動画がもとになっています。


社会学との出会い

 えー、自分の家でこういうのやるとすごい変な感じ。いろんな方と対談をしたいなと思っていたんですけど、2020年5月現在、密になってはいけない、人に会えないということで、いま唯一会える社会学者、たまたま同居している齋藤直子先生にお越しいただきました。

齋藤 お招きありがとうございます。

 というかここ、キミの家やろ、という話ですけど。

齋藤 さっき掃除しました。

 しました。

 改まってこういう話をすることもないので、部落問題や調査の方法論についていろいろと聞いていきたいと思います。

 まずは齋藤直子先生の紹介から。被差別部落の生活史の聞き取りを長年やっておられまして、2017年に、それまでの20年に渡る調査の集大成である『結婚差別の社会学』(勁草書房)という本を出された社会学者です。

齋藤 はい。

 どういうきっかけで、この世界に入ったんですか。まずなぜ社会学を選んだんですか? 社会学部を受験したの?

齋藤 私は身体が弱かったので、推薦で大学に行こうと高校1年生の頃から決めてたんですよね。3年生になって、学校の推薦枠が文学部と工学部と社会学部から選べるみたいで、社会学ってなんかわからんし文学部かなと思ってたんだけど、友達から「文学部行きたいからちょっと譲って」と言われて。

 枠を譲ってくれと。

齋藤 そう。だから社会学を選んだんですよ。推薦で早めに決まったから、大学からの課題図書として、社会学の本を読むことになって。5冊から2冊選んだんですけど、めちゃくちゃ面白くて、「あ、私は学科選びに成功した」って思ったんです。

 なにを読んだの?

齋藤 小川博司の『音楽する社会』(勁草書房)と上野千鶴子の『〈私〉私探しゲーム』(筑摩書房)。『音楽する社会』はバンドをずっとやってたので面白かったし。『〈私〉探しゲーム』の詳しい内容は覚えてないですが、他者とのかかわりの中で自分は出来上がっていくものだから、内面を探しても絶対見つからない、というのをメッセージとして受け取った。面白いなと。

 「あなたのパーソナリティはこうです」「こんなコミュニケーション上の問題があるから、こうするといいですよ」と言われたほうが面白がる人の方が多いですよね。そっちの方が役に立つ感じがするから。でも逆だったんですね。

齋藤 逆だった。たしかに、この人と喋っているとき、あの人と喋っているとき、自分は違うなと思っていたので。他者とのかかわりから何かを見ていく社会学ってめちゃめちゃ面白いんじゃないかなと思ったんですね。

複数の「しんどさ」がつながったとき

 社会学には、自分の本質を「外に出して考える」部分がありますよね。本当の自分が自分の内側にいるわけではなく、コミュニケーションは相対的なもので、関係性ごとに異なる自分がいるんですよと。それが解放的だったのかな。

齋藤 そうそう。あと、小さいころからずっと差別の勉強をしたかったんですけど、進路の先生も、そういう勉強をどこでやっていいのか全然教えてくれなくて。たまたま選んだ社会学部で、差別の勉強ができた。私がやりたかったんは、これだ! と。

 身分差別やジェンダー差別みたいなものにはずっと興味があった?

齋藤 そうですね。今(2020年5月)、地方ではコロナ感染者の身元が特定されるという話が出ていますよね。私も子どものころから田舎の社会にいたから、知っている話だなと思う。そういうのって、ずっとなんなんだろうと思ってきた。

 女がしんどいこともあるし、階級や、お金持ちかそうじゃないかでどうやら人は人を判断している。学校の授業で貧富の差については習うし、『ドラえもん』でもスネ夫の話が出てきたりした。でも地域社会では貧富だけじゃなくてジェンダーや身分、家柄などがメカニズムとして強く働いていて、そこがしんどいのに誰も教えてくれへん! って感覚がすごく強かったんですよ。でも大学に入ったら、ジェンダー論も差別論もあって、やっぱりそうやったんや! って。

 被差別部落の問題に接近していったのは、自分の子どものときから抱えてたモヤモヤと直接つながってるんですか?

齋藤 つながっている。私たちの地域では、部落問題の授業があったのですが、「ものすごく重要な社会問題なんやぞ」と言われるわりに、年に一回しか教えてもらえないし、もっと知りたいと思っても新聞やテレビではほとんど報道されていない。でも噂ではコソコソ言ってるし……。

 私は小学校1年生から部落問題にめっちゃ関心があって、毎年授業を楽しみにしていた。毎年人権作文を書かされるんだけど、賞を取ったり。

 市で表彰されるような作文を書いた。

齋藤 そうそう。絶対におかしいと思ってました。そして、この問題が田舎のしんどさと絶対につながっているはずや、地域社会で女がしんどいのとも似ていると思ったんですよ。「世の中そんなもんやからしょうがない」んじゃなくて、ジェンダーと部落問題が、田舎がなぜしんどいのかを解明する糸口に絶対なると思って。

 部落問題が。

齋藤 部落問題が。子どもの頃からそう思ってました。

 (わたしたち)二人ともすごく世話になった個人的な師匠である青木秀男先生が、「部落問題には日本のすべてがある」と言っていた。地域社会やしがらみ、身分や家柄の話は、学校教育だけでなく、社会学者でもそこまで正面から大々的にしてこなかった。共同体の良いところについては描いてきたけど、地域社会のつながりは抑圧や排除とも結びついてもいるわけで、齋藤さんはその部分にすごく興味があったと。

齋藤 そうそう。

 齋藤さんが部落問題に関心を持ったきっかけとして、自分の実存的な問題があった。でも出身は三重県のそんな田舎ではないですよね。

齋藤 そんな田舎じゃない。

 どっちかというと、駅前の都会ですよね。そこでもそういうことがあったと。僕の地元でもありました。都市部の工業地帯なんですが、言われてみればそうだなと。あそこ部落だから行ったらあかんとか、そういう話は子どものころに聞いたことがあります。

生活史の第一人者たちから学ぶ

 被差別部落や日本の地域社会について考えようとなった時に、生活史という今のスタイルになったのはどの辺からだったのでしょうか? 人に直接会って、一対一で2、3時間聞きますよね。

齋藤 うん。

 考えてみると生活史は特殊な調査です。普通の人って、自分の一生の生い立ちとかをそんなに全部最初から最後まで人にしゃべる経験はない。聞き手にとっても、普通に生きていたら、人生の物語を最初から最後まで聞く経験がないまま生きていく。でも僕らはそれをするわけですよね。考えてみたら、聞き取りの場というのはとても特殊なセッティングです。

 でもその時、聞いているのは人生そのものでは全然ないわけですよね。なんかすごい特殊な、変なことをしてるな、といつも思う。インタビュー中になんでこんなこと聞くの? と言われることもありますからね。脱線しても、関係ない話になってもひたすら聞いていく。そういうスタイルになったのはどこからですかね。

齋藤 聞き取りをはじめたのは、学部の卒論からです。

 学部の卒論からすでに聞き取りをしてた。

齋藤 聞き取りをしていた。学部のときは葬儀屋さんなどに聞き取りをしていました。自分の地元の地域のおばあちゃんたちに、お葬式ってどうやってやってたんですか? という聞き取りも。

 部落じゃなくてお葬式やったんですね。

齋藤 ケガレ意識みたいなものをテーマにしました。学部の指導教員は、部落問題の専門である石元清英先生だったんですが、部落問題をにわかでやるのは難しいから、おススメしないという方針だったんですよね。

 学部の卒論でインタビューは初めてですか? まったくの他人に電話でアポ取って?

齋藤 初めて。めちゃくちゃ緊張しました。知り合いのツテで、紹介してもらいました。

 インタビューについての指導は?

齋藤 あ、受けてない。当時は社会調査士の資格もなかった頃だし。

 とりあえず行って来いと。

齋藤 そう。学部でも、聞き取りで卒論を書く人はほとんどいませんでした。文献を読んでまとめるとか、たとえば紳士録みたいなのを見て、2世がどれだけいるか調べましたとか、そういうのが卒論だと思われてた。フィールドワークに行って卒論を書くのがゼミの中でもすごく少なかったんですよ。

 実は今(2020年当時)、修士のときにいた(大阪市立大学の)研究室で働いているんですけど、掃除しようとしてキャビネットの引き出しを開けたら、自分の学部と修士の時の調査メモが出てきて。

 自分だったら見たくないです(笑)。

齋藤 20年間そこに置きっぱなしになっていたみたい。なんで家にもって帰ってないのか……。学部の時ってテープレコーダーを使っていないんですよ。聞いたものをメモしている。素朴な驚きがいっぱい書いてあるんですが、今見ても、けっこうセンスがあるなと自分でも思うんですよ(笑)。

 なるほど、そうやと思います(笑)。

齋藤 それで、本格的に部落問題の調査をするようになったのは、学部と修士のあいだの浪人中です。もうなくなってしまったんですが、「反差別国際連帯解放研究所しが」という団体のプロジェクトに参加したんです。

 社会学で部落問題の第一人者である野口道彦先生に、大学院に行きたいと相談しようと思って電話をかけたら、「今こういう調査やってるからこない?」と言われて、その調査の場で初めて野口先生にお会いしたんです。

 いきなり調査の場に呼ばれた、滋賀の。

齋藤 新しい調査メンバー来た! って感じで、即戦力(笑)。

 おおざっぱですね、いきなり現場に(笑)。

齋藤 近江八幡と滋賀県の野洲町(今の野洲市)で調査をしてた桜井厚先生のチームで、そこで初めて生活史調査というのを勉強させてもらったんです。

 桜井さんは滋賀の被差別部落で長いこと調査されてましたよね。実はぼくも1年間だけ手伝ったことがある。

 桜井さんがいて僕らがいるというか、社会学で生活史調査がこんなにメジャーになったのは桜井さんの影響がでかかった。聞き書きは文学に近いと言われていたんだけど、彼がたったひとりの生活史でも論文を書いていいんだ、ということを切り開いたんです。90年代といえば、桜井さんもまだそんなに著作が出ていなかった時期で、構築主義やフェミニズムやフーコーを取り入れて、これから理論をつくろうとしていた時期でしょう。

齋藤 最先端でやっていた調査にいきなり飛び込んだ感じになりましたね。生活史って、ここまで徹底して聞くんだなとすごく勉強になった。聞きたいことだけピンポイントで聞かずに、生まれから今までのことを本当に広く見るという聞き方なんですよ。意識を広く持って聞いていた。

 あと実は同時に、在日コリアンの生活史調査の第一人者である谷富夫先生のところにももぐっていました。その時は、いわゆる「谷-桜井論争」のようなものがあるのもまったく知らずに、両方のところに勉強をさせてもらってるという立場だったんです。

 谷富夫さんは僕の形式上の指導教員なんですよね。谷と桜井が、実証主義対構築主義の立場で論争をしていた。まあそんなにガチの論争でもないですが。ちょこっと言及して批判するぐらいです。でもそういう方法論上の対立はたしかにありました。それぞれ立場は違いますが、当時の生活史調査を牽引していた二人です。齋藤さんは両方が身近にいて、研究者人生としてのスタートがそこだったのは非常にラッキーですよね。

齋藤 ラッキー。

 両方から勉強した人って、ほとんどいないんじゃないかな。

齋藤 谷先生は、大阪市の生野区で、在日コリアンがたくさん住んでいる地域の日本人に調査をしていた。ものすごく勉強になりました。マイノリティだけではなく、マジョリティの話も聞かないといけないという感覚は、谷先生から学んだのかなと思います。

 結婚差別はまさにマジョリティとマイノリティが交わるところですよね。どちらかが部落出身者で、どちらかが部落でない人であり、本人が忌避したり、家族の反対にあったりしていく。

 谷さんは事実や社会構造に対する非常に誠実な態度がありますよね。愚直に実直に地べたを這う……「地べた」いうと対象者の方に失礼かもしれないですが、とにかく路上の社会学を独自にやってた人。齋藤さんは両方の影響を受けているんですね。

部落問題の調査でなにを聞くのか

 そうやって、被差別部落の現場に入っていくと。修士論文から本格的に調査を始めたんですか。

齋藤 そうですね。当時は97年で、69年に施行された同和対策事業特別措置法が、延長や後継の法を経て、2002年に失効することが決まっていました。あと5年で同和対策が終わる、部落問題が終わりだと言われていた時代でした。

 私は奈良で調査をしていました。水平社発祥の地である奈良だから、部落問題がすごく進んでいるイメージがあると思うんですけど、奈良に同和対策をやっていなかった地域があって。

 それが驚きなんですよね。90年代の終わり、もう21世紀になるというときに、まだ同和対策をやってなかった地域があった。

齋藤 本で読むような、道が細くて軒が重なってて、傘をさして通れないような状態を実際に目で見たのがはじめてで。

 非常に劣悪な住宅環境だったわけですね。

齋藤 火事が起きたときに、自分たちの村から隣の公共施設のほうへは扉が開かなくなってて、逆に公共施設のほうから村の中へは逃げれるようになっていた。火事が起こった時に、村に完全に閉じ込められる状況がまだあったんです。そこで住環境整備をしようと立ち上がった女性たちに聞き取り調査をしました。

 齋藤さんの修士論文は、運動論とまちづくり論の交差するところにジェンダーの問題を入れた、わりと実践的な論文ですよね。でも実際にやってた調査は生活史の方法で、問題に関係ないことも聞いていましたよね。

齋藤 修論では、運動を立ち上げた女性3人を中心に書きましたが、そこで使ってはいないけれども、生活史の聞き取りはしていましたね。靴職人さんの靴づくりの話とか、進駐軍のハウスメイドをしてたおばあちゃんの話とか。あと北海道のキツネ牧場で働いてた人の話とか……。

 まさに「戦後史」って感じですね……。その方法に、違和感はなかったですか? こんなこと悠長に聞いている場合なのかなと?

 例えばぼくは、高校の時に、市井の人びとの聞き書きの本をたくさん書いたスタッズ・ターケルという作家にはまっていたのもあって、社会学や生活史をやる前からもともと、聞き書きをしたいなと思っていました。でも齋藤さんは被差別部落という具体的な問題から入って、現場に行くわけですよね。

 そうすると普通は、運動や街づくりに役に立つ研究をすることを考える人が多いと思います。でも運動や街づくりには直接関係ない生い立ちの話もたくさん聞いているわけです。そこには桜井厚と谷富夫の影響もあったとは思うんですが。

齋藤 そうした問題意識が芽生えるのはもうちょっと後なんですよ。結婚差別の話をたくさん聞くようになってから、差別問題に焦点を当てて聞くようになった。

生い立ちを肯定するための「自分史」運動

齋藤 実は私が修論を書いていたころ、奈良ではこんな本が出ていまして。じゃじゃん。『被差別の文化・反差別の生きざま』(福岡安則・好井裕明・桜井厚・江嶋修作・鐘ケ江晴彦・野口道彦 編著、明石書店)

 おお。まるであらかじめ用意していたかのようだ。

齋藤 阿修羅像が表紙の。しかも家に2冊ありました。

 なぜ阿修羅像なのか。しかも1冊は俺のやろ?

齋藤 奈良の被差別部落の80年代を調査した本です。当時は、同和対策事業で部落のかつての姿が消え、部落の文化が消えようとしていました。だから解放社会学会の人たちが、生活史をまるごと聞いていた。

 この『被差別の文化・反差別の生きざま』からもそうだし、同じく桜井さんたちがつくった『語りのちから』(反差別国際連帯解放研究所しが 編、弘文堂)にもすごく影響を受けていました。だから部落問題を扱う時には、生活史をまるごと聞くのが当たり前だったというのもあります。

 なるほど。識字運動との関係もあるの?

齋藤 そうですね。識字などで、自分の生い立ちを書くことを通じて解放を目指すという実践があった。だから聞き取りをしていても、「そういうことを聞くの?」ではなく、「ああ、生い立ちね」とすぐにわかってもらえたんです。

 大事なポイントですね。被差別部落は、そこで生まれたことによって差別される。だからそこに生まれたことをどう肯定していくのかが、ひとつのアイデンティティの運動の目標になった。あと識字率が低くて字も読めない人が多かったので、識字運動や綴り方運動があったと。自分の生まれや生い立ちを肯定するために、自分史を書くことがもともと運動として根付いていたんですね。

 それは今から考えるとすごい作文っぽい、整形された、編集された自分史ではあるんだけど、自分の生い立ちを肯定的に語るということが、運動であり研究であることがもともと部落の解放運動の中にあった。

 あと多くの社会学者からすると、桜井厚は構築主義やナラティブ論のイメージがあるけれど、彼は被差別部落の研究の中から出てきたんですね、本来はね。

齋藤 そうそう。そうした影響を受けていたから、部落の生活を描くことをまずやらないと、と思っていたんです。

テーマだけを聞くのはもったいない

 部落の中にもいろんな方がいて、政治的に保守的な方もいます。齋藤さんの修士論文では、「村ボス」と言われるような、わりと裕福で地域のボス的存在なんだけど、解放運動を忌避しがちな人に話を聞いていますよね。で、最近、20年ぶりに、修論のときにおこなった保守的な村ボスに対する聞き取りのテープを聞き直した。そうしたら、当時思ってたことと違うことを思った、と言ってましたね(齋藤直子「一九年前の調査を読み直す」岸政彦編集協力『atプラス 28』(太田出版))。

齋藤 私は当時22〜3歳で、地域をまとめてきた80代の人に何を聞いたらいいのかわからなくて。

 そのくらいだとまだ、こっちも「小娘」というか、若造なんですよね。

齋藤 そう。さすがにそこは私の指導教員がけっこう聞いてたんですね。当時の私は地域の運動をはじめた女性3人の方にシンパシーを持っていて、このおじいちゃんのせいで運動が抑圧された面もあるなと思っていた。

 かつての被差別部落では、産業構造的に外でなかなか就職が見つからない。なので部落産業を親方子方で(つまり、親分と子分のような雇用関係の中で)やるところがあったし、親戚関係が濃密なこともあって、地域の中でかなり階層構造がはっきりしていた。今そんなことはあまりないですけど、仕事を分け与えてるような地域のボス的な人たちが言ったことを覆していくのは難しかった面もあったんですよね。

でも、最近テープを聞きなおして、その方の生き方を聞いていたら、そういう意見になるかもなぁと納得できる部分もあったんですよ。能力の高い人が個人で乗り越える話ではあるので、それ以外の人がどうしたらいいのかは疑問としては残ったんですけど、ただその人の生き方としては、そういう意見になるのかもしれないなと。

 えーと、「差別なんか関係ない。個人の努力で差別を乗り越えるべき」みたいな意見を持ってたということですね。同和対策なんか要らん、ということかな。あくまでも個人の力量で差別を乗り越えろって言ってたんですね。

 それは確かに、若くて研究に入って調査をやっていたら「保守的な村ボス」に見えたけど、20年経って当時のテープを聞き直して、文字起こしを読み直してみると解釈が変わってきて、彼の中には彼なりの言い分があったんだなと。

齋藤 20年後に読み返しても何か学びがあるのって、当時のインタビューが、街づくりの話だけでなく、生活史としてトータルで聞いてるからだと思います。

 なるほどな。多くの論文や本や研究プロジェクトには具体的なテーマがありますよね。「当事者のトラウマからの回復」「自助グループをどうするか」「社会運動をどうしていくべきか」「沖縄の基地問題をどうするべきか」と個々の関心に基づいて研究をやっている。でもその時に、やっぱり同時に、関係ないように見えても、生活史そのものを聞いとくもんだなと素朴に思う。テーマだけを聞いちゃうのはもったいないですよね。

齋藤 もったいない。そう。

 それで論文は書けるかもしれないけど、なんとなく僕らはそういうことをしない。

齋藤 しないですね。

 ぼくらは何かを教えてもらいたくて、何かの問題に興味があって現場へ行く。何か問題が先にあって、その問題について知りたくて、現場に入って、人に会って聞くわけじゃないですか。でも、そのときにいらん話をいっぱい聞くと。ほとんど使わないわけですけど、いらん話を聞いていくだけで、ものすごく面白いことが出てくるのは経験的にわかっている。

齋藤 そうそう。最近思うんですけど、ピンポイントな質問って全体的な知識がないとできないんですよ。いま私は生活史全体を聞くことにそれほどこだわらなくなってきているんですけど、自分で言うのもなんですけど、いい質問をするんですよ(笑)。

 ははは。

齋藤 それは20年生活史を聞いてきて、ポイントがわかって来たからだと思う。

 さっきの村ボスのお話でも、その人の人生を聞くとそうなる必然性みたいなものがわかってきたりする。たとえば自分のところの学部生とか院生が「結婚差別のことをやりたいです」と言ったときに、結婚差別のことだけ聞け、とは言いませんよね。

齋藤 言わない、言わない。

 やっぱり生活史を聞いてみたら、と言います。

 齋藤さんは、最初に生活史から研究をはじめて、20年同じテーマで調査をやっていくうちに、だんだんピンポイントに聞くようになっていったと言いますよね。最初は人生まるごと聞いていたのが、だんだん絞るようになってきたけど、聞くべきところは聞けていると。

 多くの場合は逆にやってしまうんじゃないかな。問題だけ聞きに行って、応用問題的に生活史を聞く。でも最初は生活史から聞いたほうがいいですよね。特定の問題から聞いていくよりは。

齋藤 うん。

「何をされたか?」ではなく「どう思ったか?」からの広がり

 具体的なことについて聞いていきたいんですけど、どうやって話を聞いていますか。質問項目とか共通のフェイスシート(年齢、性別、家族構成などの属性を聞く質問)とか……フェイスシートつくる?

齋藤 つくらない。けっこう聞き忘れます。下の名前を聞き忘れる。あとからメールで聞けるし、まあいいかと思ったりして。

 ははは。僕も沖縄の高齢者に聞いてるんですが、生年月日をいつも聞けないんですよね。「終戦時に新制小学校の6年生でした」という話から逆算して、だいたいこのへんだと。細かい事実関係よりも、もっと「どう思ってましたか」という話を聞きますよね。質問項目をつくらないですよね。

齋藤 つくらない。慣れないうちは、「絶対忘れるなメモ」のようなものをこっそりつくってあって、最後こう(手元をちらちら見る)みたいなのはやってたけど、今はあんまり。ただ、私はその時々とか相手によって、「この人にはこれ絶対聞いとかなあかん」というのを忘れないようにしている。調査に行くときは、行きの電車がその世界に入っていく前段階になるので、その電車の中で、「これ聞かな、あれ聞かな」と浮かんでくるのはメモしてます。

 なんか日常的にずっと考えてる感じですかね。次これ聞こうみたいに。

齋藤 そうですね。

 文字起こしも、最近はさすがに自分ではできなくなってきて、外部に委託して謝礼をお支払いして文字起こししてもらってますけど、やっぱり起こされたものをよく読みますよね。

齋藤 よくあるのは、十数年前の調査でお話ししていただいた方にお会いした時、「あのとき、○○とおっしゃってましたよね」と言ったら「私そんなこと言いましたっけ?」とめっちゃ言われる。その人はそのときに喋っただけなので忘れている。けど、私はその人のテープ起こしを何回も読んでるから、覚えてるんですよね。

 ああ。やっぱりよく読みますよね。

齋藤 私が経験的にわかってきたのは、体験だけを聞くのではなく、どう思ったのかまで聞いた方がいいということ。

 例えば、「こういう差別的な発言をされて」という話になったとき、「そのときにどう思いました?」と聞く。「こう思った」からまた展開していくことは多いんですよね。そう思った背景には、昔こういう体験があったからだ、とか。いわゆるフェイスシート的なものと、経験的にここは聞いた方がいいと思うことはちょっと違う。

 違うんですよね。意外性みたいなものにいかに身を委ねて、通り過ぎていくものにパクっと食いつけるかどうか、アドリブ的なところ、反射神経みたいなものが必要。僕もこのあいだあるところで、ある院生と一緒に沖縄戦の話を聞いたんですが、「先生、うなってるだけですね」と言われて。

齋藤 ははは。

 たしかに僕あんまり質問もしないんですよね。そもそも、沖縄の高齢者なのでいっぱいしゃべってくれる、親切なので。「ああー」「へえー」って低音でうなってるだけ。要所要所で面白いなと思ったことを聞いているんです。

質的調査も量が大事

 事実だけ聞いても書けない、と齋藤さんはおっしゃっていますが、すごく良く分かるなと思います。特に当事者性があったりして、最初にテーマの対象が決まっていて、真面目にテーマに取り組もうとしているタイプの学生さんは、いっぱい資料を集めて、真面目に聞き取りをしているんだけど、そのことだけしか聞かないから、やっぱりあんまり書けないんですよ。

齋藤 書けないかもなぁ。

 たとえばある難病に関心があったとして、当事者や家族会に行くわけです。そこで症状や飲んでいる薬、治療法について聞いてくる。でも、これで論文を書こうと思っても書けない。治療法のマニュアルみたいな感じになってきてしまう。

齋藤 たしかに、病気の症状だけ聞いても書けない。「症状があることで日常生活の何がしんどいですか」とか、「症状を持ってしまったことで自分だけ損してるとか、そういう気持ちはないですか」とか、「他人から何か言われたことはありませんか」とか、たぶんそれに付随する生活を聞かないとダメなのかな……。

 難しいですよね。そうすると、「この病気をしてる人はこういうところでしんどい」という知識をあらかじめ持ってないと、なにを聞いていいかわからない。

齋藤 結局のところ、今までやってきた調査の経験があって、あの人がこう言ってたから、あなたにもそういうのはありませんか? と聞いているところがある。今までやってきた生活史調査の中から、質問項目のストックができてきている感じがします。

 現場と研究室の往復というか、やたらと調査だけしててもダメやろうし、自分で論文を書いていって自分なりに問題をつくっていくのも大事ですよね。ここにはこんな問題があるというのに自分なりに気づいていくと、聞き取りのほうも質問項目なしで面白いことが聞けるようになってくる。質的調査も量が大事なんですよね。とりあえずたくさんの人に……今まで何人に聞きました?

齋藤 わからない。たぶん200人くらいには会ってるんじゃないかな。やっぱり20年やってきて、勘所というか、聞いたときに相手の人も面白がって一生懸命考えて答えてくれるような質問があるんだなと。

 最近は完全に聞き取り調査の枠すら外してるので、飲み会のときに「ちょっとテープ回していいかな?」と言って、出身についてうちあけるときの話をいろいろと聞いていました。

 自分の出自をうちあけるのは人生で大事なこと、重いことだというのは長年の経験から知ってるんですけど、最近あらためてもう一回聞くと、実はすごい広がりがあって。「部落出身です」とうちあけた時に、「関係ないよ」と言われて傷ついたという話がある種のストーリーとしてあるんですよ。でも「『関係ないよ』と言われたけど、僕は傷つきませんでした」という人もけっこういるし。

 LGBTQのカミングアウトでもよく言われる問題というか、パターンですよね。「俺ゲイやねん」と言った時に、「そんなこと関係ないよ、君は人として好きだから、人としてこれまで通り変わらない友達だよ」と良心的な人が言っちゃう。それは実はタブーで、それ言われるとせっかくカミングアウトしたのにそれを無にされた感じがして、傷ついてしまう、と……。

齋藤 と、言われている。だから人権啓発とかでは、「話してくれてありがとう」みたいなことを言おう、となっていて、実際にそういわれると嬉しい人もいるんですけど、「サムいやんそれ?」と思う人もいる。

 あと驚いたのが、(うちあけに対して)「関係ないよ」みたいな返事がくるのはせいぜい30代まで。それより若い子たちは同和教育をほとんど受けてないので、「実は部落やねん」「何それ?」という反応が一番多いということもわかってきた。

 本当にいろいろ。一概に言えない。

齋藤 私の中で思い込みがあったというのは、すごく反省した点です。部落の当事者の子でも世代が違うと考え方がまったく違っているんですよね。

 そういえば、部落では「うちあけ」という言葉を使いますよね。齋藤さんは「カミングアウト」とは言わない。

齋藤 言わない。「カミングアウトオブクローゼット」という言葉が出てきた歴史があるので、ゲイやレズビアンの活動の人からすると、言葉が拡散しすぎてて嫌だと思われるだろうな、という気持ちもあって。部落問題は伝統的に「うちあけ」という言葉を使ってきてるので、それを使ってるのもあるかな。「うちあけ」にはネガティブな響きがあるとして好まない人もいますが。研究をしていてしばしば感じることは「適切な言葉がまだない」という事象というのはたくさんあるなということです。

詳しくなるのはストーリーやインタビューの技術ではない

 さきほど質的調査でも量が大事だという話になりましたけど、聞き方がうまくなっているわけじゃないですよね。ぼくはインタビューに上手も下手もないと思ってる。正解がないので人それぞれのやり方でやるしかない。

 語り手からこう言われたらこう返すとか、手をこう組みましょうとか、相手の目を見るとか、そういうのではない(笑)。どちらかといえば、聞き取りがどんどんラフになっていきますよね。生活の一部になっていくでしょう。齋藤さんはもう、一緒に部落の子らと飲んでて、面白いなと思ったらぱっとレコーダー出す感じになってるでしょう。沖縄のヤンキーや建築労働者たちの社会に入り込んで素晴らしいエスノグラフィを書いている 打越正行さんもそうですよね。そういうやり方もある。

 確かに、量を重ねているとわかることがある。でも、その時にわかっているのは、いったいなんなのか? こういうことをよく考えます。そのときに僕らが詳しくなっていくのって、人の語りとかストーリーとかインタビューの技術じゃない。問題そのものに詳しくなっているんじゃないかと思うんですよ。

齋藤 うん。

 たとえばさっき齋藤さんは、うちあけに対して「そんなこと関係ないよ」と答えるのがタブーかどうか、30代以下の子だとそもそも部落のことを知らないという話をしていました。でもそれって、ある世代までは同和教育が大阪では盛んだったけど、ある世代から下では急に消えて、今の若い子はそういう教育を受けていないという背景知識があるからわかることですよね。そういう背景を知らないとわからないことです。だから社会問題自体に詳しくなっていかないと、調査自体もできないと思うんです。

齋藤 あと同時に、出身を人に伝えるという話は、LGBTQとか障害学とか、他の問題で行われている議論も同時に見て行く必要があると思います。

 「関係ないよ」で傷つくという話も、もともとLGBTQのカミングアウトでよく言われてきた話です。同じようなことが部落の問題でもあると。でも沖縄だと180度ずれて、逆に羨ましがられることがある。「いいじゃん、俺も沖縄大好きだよ」って。そういうことを僕も若いときうっかり言っちゃったことがあるんですけど。

 そうすると逆に、今度はものすごくもてはやされることの違和感が出てくる。沖縄が日本の中で占めている位置、リゾートでもあり、同時にある意味で「植民地」なのだ、というベタな知識がないと、そこまでわからないわけですよね。聞き手がベタに社会問題をわからないといけない。

 カミングアウトしたときに「関係ないよ、個人として好きだよ」って言われて傷つくひともいれば、でも別にそれでいいやんっていう当事者もいる。沖縄だと逆に、内地に出稼ぎに来てるのに「沖縄出身ですか、うらやましいです!」って言われる。そういう無責任な、いいとこだけ見てる視線そのものが植民地主義なわけですが、でも実際にそう言われて嬉しい気持ちになるときもあるだろう。まずは、そういう、背景にあるマクロな歴史や構造について詳しく知らないといけないし、さらに、そういう歴史や構造のもとで人びとはどのようにして生きているのかについても、たくさん調査して経験を積まないといけない。実際に調査する上で必要なのは「調査法」じゃなくて、社会問題と、そこで生きる人びとの人生についての知識なんです。

 それで、ぼくたち二人でよく話すのは、別に「ストーリー」とか「ナラティブ」みたいなものを聞き取りしているわけじゃないということ。例えば、桜井厚さんのライフストーリーは、もともとは当事者に寄り添うところが出発点だったはずですよね。

 でも桜井さんは、語りを事実に結びつける実証主義を、ある種の暴力だ、としてしまった。だから、実証主義的な決めつけ、切り取りはしないのだと。人の語りをまるごと聞いて、それを傾聴するんだ、というところからはじまっている。そうすることで、一見すると当事者に寄り添っているように見えながらも、実は現実の社会問題や人びとの人生そのものについて考える回路を閉ざしてしまった。すべてはナラティブだ、というわけです。僕らはそこに違和感がありますよね。

齋藤 私のバイブルとなっている『語りのちから』もけっこうベタな社会問題の調査です。あれは本当にストーリーなのかなと思います。

(飼い猫のおはぎが『語りのちから』をなめる)

齋藤 おはぎ、なんかこの本好きやな。

 好きやな。カドのとこが。

 最初は当事者に寄り添うところからはじまったライフストーリーは、現在では論文を書くときの「テクニック」に変わっていて、調査倫理委員会に通しやすいとか、それを論文で引用しとくと調査の暴力性はクリアできるという感じで、ちょっときつい言い方かもしれませんが、免罪符のような形になっています。使いやすい枠組みのパッケージ、あるいは「看板」として流通してたところが、すごくあるんじゃないかと。さいきん引用するひとも減ってきましたが。

齋藤 問題や関心によって手法も変わってくると思うし、ライフストーリーがフィットする分野とフィットしない分野がある。そこを見極めるのが研究者の仕事でしょう。調査をはじめた最初の方でやってみるのはいいけど、どこかでそれを超えないといけないところが出てきて、自分なりの調査法が決まってくるのだと思います。パッケージになってるところだけ見てしまうと見誤ると思っていて。だって桜井厚さんって、めちゃくちゃ聞き取りしてるもん。

 そうだよね。あと現場に詳しいはずよね。

齋藤 そう。そこを知らずに、この手続き踏んだらライフストーリーできるんやなと思ってしまう。

当事者と当事者でないところの接点

 でも難しいんだよね。それに代わる枠組みが今あるわけでもないし。僕は、たとえば「実証主義生活史法」みたいな、そういうわかりやすい言葉は意図的につくらないようにしているんですけど。そうすると方法論って、結局、禅問答みたいになっていく。

 院生さんから「どういうインタビューをしたらいいデータが取れて、いい論文が書けますか」って質問を受けても、「とりあえずその問題に詳しくなりなさい」って言うしかない。直接的に答えられないですよね。「強くなりたい!」と言うやつに、お師匠さんが「まず掃除をしなさい」と言うやつみたい(笑)。院生さんや若手が具体的に調査をやる時に、こうしたらいいよ、「○○主義生活史法」だとデータ取れるよと簡単に言えないのは歯がゆいところでもある。悩んでいるところでもあるというか。
 
 でもやっぱり、「今日は "ストーリー" を聞きに行くぞ!」みたいに(笑)、抽象的なものを聞きに行かないよね。「今日は "ナラティブ" 聞くぞ!」とか。基本的には、何かについて知りたくて、教えてもらいたくて行くわけでしょう。「沖縄戦がどういう経験だったか教えてください」って聞く。「語り手と一緒に "リアリティ" を構築しよう!」と思って行くわけじゃない。でもライフストーリー派のひとたちは、聞き取りというものを「リアリティの相互構築過程である」とか何とか言っちゃうんですよ。でもそんなもの目的にして行くわけじゃないんですよ。
 
齋藤 行くわけじゃない。今日もいろんな人に会って、いろんな会話ができると思ってるかな。教えてもらう一方だとも思ってなくて。例えばうちあけの問題って、自分の子どもに部落問題をどうやって教えるかにもつながっています。今、実際悩んでる人が多い問題をやってるので、「この前聞いた人はこういうことおっしゃってましたよ」と、意見交換になってるんです。
 
 その問題についてしゃべりに行く。なるほどね。
 
齋藤 私も新しいことを教えてもらえるし。だから調査は役に立てばいいものではない、という考え方もあるんですけど、問題が定まっていくうちに、当事者の人が「私もそれ知りたい」というところに行き着くところがある。
 
 まず、ストーリーとかリアリティとかナラティブとかじゃなくて、特定の問題について聞きにいく。あるいはそのひとの「実際の」生い立ちや人生の経験について聞きにいく。そして、その場で、そういう具体的な問題についてやりとりをしていくなかで、聞き手である私たちの「居場所」みたいなものもできてくるということですね。
 
 じゃあ、役立つってどういうことなのかなと思うんですよね。齋藤さんは役に立っている実感はありますか?
 
齋藤 修士や博士のころまでは、「何者でもないのに私が研究していいのか」とずっと思っていた。でもやっぱりある程度論文が積み重なって、当事者の方から反応が返って来たりして行く中で、なんとなく居場所みたいなのが見つかってくる。
 
 そうすると、そのこと(当事者かどうか、役に立てるかどうか)自体にあまり悩まなくなってくるかな。でも私は当事者ではないとも思う。「これだけ詳しいんだから私も一員だよ」とは全然思わないし、むしろ意識的に境界に立っている。当事者と当事者でないところの接点にいるという自覚がすごく強いかな。
 
 特にぼくらが研究を始めた90年代は、ポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズの全盛期で、当事者か非当事者で分けるような議論があった。ぼくはそれにすごく影響を受けていて、正しい議論であり、大事なことだと思います。でも一方で、研究を続けていくと、当事者じゃないとわからないことが、だんだん関係なくなっていくというか。
 
 言い方がすごく難しいんだけど、ぼくらも「何しにきたんや」「お前に何がわかるねん」と言われて、なんもわからへんから、わかりたいから教えてもらいにきたんですって言って、20年、25年ずっとやってきて論文を書いて蓄積していった感覚がある。少なくとも蓄積はできるんだなと思いますよね。
 
齋藤 部落の運動は、当事者でない学生活動家がたくさん入ってきた時期があって、まさに「何しに来たんや」が問われてきた。でもある種の懐の深さがあって、外からくる人にも役割を与えてくれたところがある。あと私がやり始めた時代は、もう部落問題は終わりだと言われていて、むしろ「若い子きたわ」という感じ。逆に歓迎されたところはあったかなと思います。
 
 ただ、当事者で研究者という人がけっこういる時代でもあったので、これでいいのかな? 本当にわかってるかな? と当事者研究者の子に聞いていました。部落解放・人権研究所で働いてる子たちに論文を読んでもらったり。
 
 当事者の方と対話を重ねながら調査をすすめていく、というのはすごい大事ですよね。当事者にしかわからへんと言われたら、その通りやと。でも、それに対して、どうせ俺たちにはわからへんねんと開き直って、「わからないことの他者性をどうのこうの」と哲学的になっちゃうよりは、自分に何ができるのかなと、愚直に真面目に考える。少なくともベタな調査をして、そのままやったら消えてっちゃうような物語を記録して保存して蓄積することはできるわけですよね。
 
齋藤 そうそう。
 
 できる立場にあるわけだし、聞き取りの技術はあるのかどうかわからないけど、とりあえずレコーダーの使い方は慣れている(笑)。なので、何ができるのかベタに考えたときに、たくさん聞き取りをしようと思ったんですよね。
 
齋藤 結婚差別の場合は、聞き取りを続けていくと、言われたことのパターンが収斂していくんですよ。社会構造の中で起こっていることなので。『結婚差別の社会学』を読んだ当事者の方が、「私も同じことを言われたけど、私だけじゃなかったんだな」と読んでくれたらいいなと思う。それにさっきのうちあけ話のように、当事者だからといって年齢も考え方も違うわけで、意見が一緒とは限らない。だから他の人の意見を知ることができて面白かったと言ってもらえることもあります。
 

「社会問題が実在する」とは

 ライフストーリー論は、実証主義批判をしました。今もそうですけど、「調査を疑う」みたいなところがあって、調査で得られるデータは人工の建築物で、その場でつくられたものに過ぎないと。

 最近はそういう粗雑な議論も減っているように思うのですが、90年代には、調査の出発点で自分の立場性にすごく悩んじゃって、結局こんがらがって何もできなくなった人がけっこういたんです。あるいは調査をやめて、政治性批判をやる。それはそれで大事な作業ではあるんですけど、やっぱりベタな調査も大事やと思うんですよね。
 
齋藤 私が滋賀でやっていたのはベタな調査でした。ちょうど同じ頃ですが、2000年に大阪府が行政として、被差別体験のある人びとに対して、被差別体験調査をやりました。その時から「ストーリー」が流行っていたんですけど、これは「ストーリー」じゃない、事実だって思ったんですよね。村のおばあちゃんたちの生活史や、消えゆく部落の聞き取りをするのも大事だけど、そもそもこんなに差別がある状態なのに、2002年で部落問題は店じまいというふうに言われていた。店じまいしたらあかんやん。差別問題に特化した調査もやらなあかん。両方やらなあかんわって思ったんです。
 
 実在するものってなんなんでしょうね。社会問題が実在する、差別が実在すると簡単に言っちゃうけど、もうちょっと考えないといけないことがある。
 
 例えば『はじめての沖縄』(新曜社)という本で書いたのですが、ある女子大に非常勤に行ったとき、その大学の前に大きな公園があって、ちょうど紅葉の季節だったから、あの公園でベンチで一人で本読んだら気持ちいいだろうなぁ、君らも授業サボってそんなことしておいで、みたいなことを言ったら、反応がすごく鈍かった。それを家に帰って齋藤先生に言ったら、めちゃくちゃ叱られた(笑)。女の子が一人で公園におったら、どんなに面倒くさいことになるかと。
 
 それで、叱られたときに、「立場交換」ができなくなる地点があるなと思ったんですよ。あれから20年近く経って、社会の本質はどっちかというと、つながってない、交換できない、ものすごい分断されてるところにあるんじゃないかと思って。
 
 経済というか、市場では私たちは交換可能ですよね。ぼくが大学でやってる仕事は、ぼくが辞めても誰か代わりがいる。誰でもできるとは言わないけれど、交換可能です。どんな作業でも、仕事でも、市場経済的なところでは交換可能。でも社会的なところを見ると、人は交換できないし、その人の立場には立てないし、その人の気持ちはわからない。たとえば、ぼくは長年沖縄に関わってはいるけど、いつでもぼくはそれを止めることができる。選択肢があるんです。でも沖縄で生まれ育って、基地の側で暮らしている人びとは、その暮らしを「降りる」ことがとても難しい。そこにすごく「実在的なもの」を感じるんですよね。
 
齋藤 ああ。感じる。
 
 目に見えない壁にドンと当たる時がある。目には見えないけれども、この壁は実在していると思うんです。
 
 それで、社会問題は実在するぞ、とぼくらも簡単に言っちゃうんだけど、違う言葉で言ったほうがいいのかなと思うときもある。ぼくらが社会問題や差別が「実在する」と言う時に、具体的にそれが何を指しているのか、自分でも不思議なんです。
 
 たとえば、結婚差別の話を聞いて行った時に、これはストーリーではなく、リアルな実感だと思うわけです。ものとしては確かに存在しないんだけど、たしかに実在していると言いたい。ストーリーには還元したくないものがそこにある。
 
 ぼくの場合、沖縄戦の聞き取りのディティールで感じることがあります。死体が埋まっているところには必ず赤いトマトがなっていて、沖縄戦直後で食べ物が何もないときでも、誰もそのトマトは食べなかったという。同じような話が糸満や、伊江島、各地で残っている。小さなお話ですが、とても生々しい語りだと思います。こういう話を、ただのストーリーとかナラティブに還元したくないなと強烈に思う。
 
齋藤 そういえば、初期のライフストーリーでは、定型化されたものを批判していましたよね。
 
 いわゆる「モデルストーリー」というものですね。構築主義的な発想からいくと、語りは本来バラバラだけれども、それを社会運動のようなものがひとつにまとめてしまっているのではないかと。
 
 同じ経験を実際にしているのではなく、バラバラの経験をしているバラバラの個人がいるはずなのに、出てくる語りは社会的に再編成されている。それをやっているのが社会運動や、解放運動、あるいは沖縄の復帰運動でもいいんですけど、社会運動が語りを正解の型にはめていってるんだ、というのが構築主義的な発想ですよね。
 
齋藤 それで昔、聞き取りの中で定型的な語りが出て来た時に、解放運動的な正解の語りだなぁと思っちゃったことがあって、あとでめっちゃ反省したんです。
 
 それは、モデルストーリーをみんなが語っているのではなく、社会構造の中で同じことが起こるから、同じ形のように見えているだけなんじゃないか。結婚差別だって、社会構造の中で同じような差別発言をするやつがいるから、同じように傷つく人がでてきて、同じような形の語りが出てくる。社会問題が実在しているからだと私は思います。
 

差別する側のパターン化

 『結婚差別の社会学』では、結婚差別についてたくさんのケースの聞き取りをして、類型化していますよね。結婚差別を乗り越えたかどうかの基準を、結婚できたかどうかだけにおいてない。「結婚前差別」と「結婚後差別」という概念をそれぞれつくって、範囲を広げて見ている。これは生活史も含めて、前後の相互行為をていねいに集めていったから、出てきた理論ですよね。
 
 ダニエル・ベルトーは、複数人のライフヒストリーの収集を続けていくことによって、その共通するところから一般的な理論ができていくことを「飽和」という言葉で表現しましたが、まあ「飽和」とは誰も思わんと思うけど(笑)、それでも齋藤さんも見えてくるものがあったわけね。

齋藤 あった。
 
 それは解放運動の型にはめたわけじゃなくて。
 
齋藤 うん、そうじゃない。特に差別はするほうの問題で、するほうは同じ形で差別をします。
 
 なるほど。当事者の側の折り合いの付け方や戦略については多様だけれども、差別する側は特にパターン化されていると。
 
齋藤 部落差別は、表だって言わずにこそこそとおこなわれます。そこで使われる陰湿な言説は個人が発明するのではなく、世間で流通しているものです。社会構造の中で練られたものを、個人が使うから同じ形になる。
 
 ひとつの社会問題や差別が実在するときに、差別する側も実在していると。植民地主義でもパターン化されたものが世界各地で共通して見つかりますもんね。
 
齋藤 かといって、単純に対象を比較するのも違うと思っています。岸さんが、筒井淳也さんとした対談(「質的調査と量的調査は対話可能か」岸政彦・北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣))の中に、在日を部落と比較するのは違うという話が出ていますよね。
 
 ちょっと補足すると、特定の社会問題を特定の場所でやっていると、理論や計量の人から「比較しないの?」とよく言われてしまいます。僕も沖縄の出稼ぎをやっているんだったら、東北の出稼ぎもやってみたらと言われたことがあります。齋藤さんも被差別部落の結婚差別の報告をしたときに、偉い先生から「在日もやればいい」と言われたことがある。
 
齋藤 質疑応答が、「やらないの?」「やりません!」「やらないの?」「やりません!」で終わった。
 
 ははは。できないんだよね、比較なんか。少なくとも簡単にはできない。僕がいつも院生に言うのは、ケースの中の多様性を丁寧に書いたほうがいい、ということ。ケースとケースを単純に比較すると、なぜこれを比較したのか、というツッコミが逆に入る。恣意的な並列になってしまうんです。あと端的に失礼ですよね、「部落やっているんだから、在日もやれば」と言うのは。すごく粗雑。
 
齋藤 たぶん、言っている人は、「同じように差別されている人たちなんでしょう」くらいにしか思っていない。私が具体的に知っている人たちのことを一緒くたに「差別されている人たち」としか見ていないことに、私も当事者じゃないけど、傷ついた感覚がありました。
 
 でもそこで、じゃあ差別に還元できないような多様な生活戦略や文化があるんでしょう! と言われても、それはそれで違和感がありますよね。
 
齋藤 あるなぁ。
 

部落問題と結婚・家制度

 やっぱり、実在するものは差別なんだと思うよね。「差別といえば、部落と在日だから比較しろ」という粗雑な議論も傷つく。でも一方で「差別問題に還元できないような、地域社会の日常生活を豊かに描きましょう」と言われても、そこにも違和感がある。ポジティブな面だけを書くこともできなくて、差別が存在することに、引っかかりがある。
 
齋藤 「部落の豊かな生活」を言いすぎると、部落にロマンを感じるところにつながります。たしかに、差別があったゆえの部落産業や、助け合いの文化がある。でもそれに対して「近代社会が失ったものをここはまだ持っている」みたいなことを言うのも、違和感ありますよね。
 
 沖縄で本当によく言われることだ……。部落でもそういう言い方がありますよね。たとえば、いろんな人々を受け入れてきた、祝祭的なアジール(避難所)だ、といった言い方。なんか違うなぁと。
 
齋藤 そうそう。
 
 結局のところ、ぼくたちは「極端な議論」をしたくないんだと思います。
 
齋藤 日常を暮らす中で、差別だけでもないし、かといって差別がないとも言えない。どちらかだけをやるのは、ものすごくバランスの悪い感じがする。
 
 「差別されてかわいそうだけど、同時に差別に抵抗するたくましさもある」という話もしたくない。ぼくらはどちらかというと、そのあいだにあるリアルな生活についての、穏当な議論をしているんだと思います。普通の話をしている。だから政治的にはぬるいと言われるかもしれないんですよね。
 
 たとえば、齋藤さんがテーマにしている被差別部落の結婚差別についても、政治的に保守的な議論だとも読まれかねないですよね。結婚差別を題材にすること自体が、結婚を望ましいとする前提があるのではないか? あるいは、ヘテロセクシュアルによる一対一のカップリングの在り方を無条件に肯定しているのではないか? と。
 
齋藤 部落問題は、戸籍や天皇制とつながりのある問題なので、広い視点で見れば結婚制度や家制度そのものを問うていく必要は確実にあると思います。
 
 ただ、ひとりの個人が結婚したいと思う時に……なんでしょうね、「当事者以外の人がやればいいじゃん、それ」って思うんですよ。選択以前に結婚自体を否定されている人に対して、「そんなに苦しんでいるなら、結婚制度に乗らなきゃいいじゃないか」というのは、違うんじゃないか。
 
 大多数の人がそのことを問われずに結婚しているのに、なぜマイノリティだけが結婚差別もされた上に、結婚制度に乗るか乗らないかみたいな悩みまで押し付けられるのか。今しんどい人に対して、さらに判断を迫るようなことをするのではなく、まずはマジョリティの世界で普段からそのことを考えるべきだと思う。苦しんでいる人だけにそれを言うのではなく。
 
 ラディカルな人が、逆に「結婚に囚われているから差別になるんだ」という主張をすることがありますよね。「結婚制度を否定すれば、差別でもなんでもないじゃん」と。でも難しいですよね。確かに、結婚制度は結婚制度で、それは批判すべきですし。
 
齋藤 マイノリティの側から結婚制度を問うような活動をして、そこからラディカルな議論が出てくることもあります。それは当然のことだと思います。でもどのような行動を取るのかを決めるのは本人であり、結婚制度に反対するかどうかを決めるのは本人なので、制度批判をマイノリティだけに求めるのはすごく酷なことだと思います。
 
 『結婚差別の社会学』では、差別が結婚させない方向で働くことを膨大なケースから描きだしていますよね。世の中に起こっていることを調べ、蓄積し、事実として差別がこういう現れ方をするということを報告する。ベタな社会問題のベタな調査って大事だなって思うんです。
 
齋藤 議論のベースになりますからね。私の仕事は議論のベースをつくることで、私がすべてを語る必要はないと思っています。親の反対が面倒だから一生同棲でいいと選択する人たちもいるのですが、その前段階の議論として、結婚差別についての整理も必要だと思うんです。
 
 あとこの本を書いてから、障害者の場合はこう、在日コリアンの場合はこう、といろんな結婚差別の話を教えてもらうことが増えました。その時に、議論のベースになるんだなと。これは比較とは少し違っていて、プラットホームのようになれるというか。
 
 差別は選択肢が少なくなるように作用している。だから選択肢を保障しようという運動になっていく。そこで、選択肢自体を肯定することは僕らのジレンマかなと思います。そこらへんは開き直らずに考えたいなと思いますけど。
 
齋藤 でも選択の余地がない人に「選択しろ」というのは変な話なので、まず選べる状態をつくってから次かな。
 
 そうやなあ。じゃあ、ぼくたちはなんの仕事をしていると言えるんだろうか。現場でベタに調査をしていると、そんなにラディカルなことが言えなくなってくる。
 
 このあいだ、沖縄戦のガマの集団自決の生き残りの男性に聞き取りをしました。インタビューの始まりで、「岸先生は保守ですか、革新ですか?」といきなり聞かれたのね。「ぼくは沖縄の基地賛成なんですよ」とその人は言った。ああなるほどと思って。ぼくは「個人的には革新だし、基地反対だけど、基地労働や軍作業で飯を食ってきた沖縄の人の意見を否定したくないんです」と言ったの。それで納得して喋ってもらいました。
 
 語りをいっぱい聞いていくと、部落の村ボスの話もそうですし、いろんな人がいるわけです。差別のような力が働いている時に、いろんな人が、いろんな方法で生きてきた。そのことを聞いていくと、机上の空論というか、あまりにも理想的なことは言えなくなってくる。それこそ、結婚差別が嫌だったら、結婚制度自体がなくなればいいんじゃないか、と一発で解決できるようなことが。限りなく普通の話を、普通に集めていくことになるんですよ。
 
齋藤 結婚差別されたら、諦めるか、強行突破かしかないようなイメージがあるかもしれませんが、その間でひとまずの落としどころを見つけている人もいるんですよね。その事実を知るだけで、安心する人もいる。だから、ほどほどの人がこんなふうにしているよ、とたくさん例を示していくことも大事な仕事だと思うんです。
 
 齋藤さんが相談員をしているKakekomi寺は、部落の結婚差別で悩んでいる人の相談を聞く活動を続けています。そこでは、基本的に話を聞くこと自体が目的なんだよね。本人が納得できることを一番にしている。「結婚させる」とか「結婚制度を乗り越えさせる」みたいなことをゴールにしてない。まずは話を聞く、という支援のあり方です。
 
齋藤 あと、部落問題の知識がないことで、「部落が怖い」と思っている人がいるので、正確な知識を知ったうえで今の迷いについても判断してくださいとは話しています。知識の提供と、本人の判断の背中を押すのと両方やっている感じかな。
 
 それはベタな知識ですよね。事実関係について伝えて、あとは話を聞く。
 
齋藤 そうそう。
 
 ぼくらがふだんやってることそのものですよね。もしかしたら社会運動そのものもそういうふうになってきているのかもしれない。
 
 前に矢澤修次郎先生と話した時に、社会学ってリカバリーでいいんだ、サルベージでもいいんだとおっしゃっていた。要するに答えを出すのが社会学ではないと。なぜならば、社会学なんかなくても人々はすでに社会生活を営んでいる。社会学者は人々が社会をどうやって営んでいるのかを聞けばいい、聞いて蓄積するのが仕事なんだ、と矢澤先生は言うわけです。
 
 その話を聞いてから、いろいろと考えているんだけど、何が解決かは人々が考えますよね。ぼくらはベタな事実を集めて、そのサポートをすることはできる。でも何が解決なのかを出さない。何が解決なのかを考えるのは当事者だから。
 
 ただ、この話を突き詰めていくと、差別されている人がいたとして、それが差別されているかどうかも当事者が考えて、こっちが聞くだけというところに持っていけるのか。これはけっこう難しい。ある経験をして、それが差別かどうなのかも、その人の解釈によることにすると、足元を全部掘り崩してしまう感じがある。当事者の解釈に委ねるのも、実は限界がどこかにあるんですよ。
 
 しかしまた、それこそが語りの地平線というか、壁というか、限界だ、ということもできる。解釈にまかせて僕らはやってるんだけど、どこかで「透明な実在の壁」に当たるわけ。これは解釈の問題じゃないぞというのが出てくるのね。その向こうは実在しているとしか言えないというか。差別問題だと特にこれははっきりと見えてくると思います。
 

「結婚には反対だが差別ではない」の疑わしさ

齋藤 ちょっとずれてるかもしれないんですけど、私は結婚差別は差別なのか? と一度も疑ったことないんですよ。
 
 ただ博士論文の審査のときに、「家族だったら反対するんじゃないの? 家族社会学的には差別かどうか言えないよね」と言われたんです。そこですごく頑張って、家族社会学的に差別かどうかを検証した上で、ここでは差別と定義しましょう、ここから差別の話をしますよと博論は二段階で書いたんですよ。私はその時、結婚差別の問題を差別問題と思わない人がいることに、めちゃくちゃびっくりした。
 
 でも『結婚差別の社会学』を書いてから、ラジオやテレビに出ることもあって、そしたら感想に「親だったら反対するでしょう」と書く人もいて。もしかして「結婚差別は差別」って、私は強い主張を実はしているんじゃないかなと思う時がある。
 
 このことについて、齋藤さんに書いてほしいなと思っています。実は結婚初期の時によくわれわれで論争していたことがあって、それはリスクと差別はなにが違うのか、ということです。リスクに還元することを、中途半端に賢い人はやってしまうじゃないですか。
 
 たとえば仕事をまったくしない人、暴力をふるう人、お酒に溺れている人がいて、そういう人との結婚はリスクが上がると判断して結婚をやめたり、家族が反対したりしても、それは差別とは言われないことが多いでしょう。
 
 そこで、もし部落の人と結婚するとする。そうすると、自分も部落差別を受けるリスクが生じるかもしれないわけですよね。そのとき、そのリスクを考えた上で結婚を反対しているだけで、部落の人を差別しているわけじゃない、という議論が成り立つと言えば成り立ちますよね。
 
齋藤 うん、成り立つといえば成り立つ。でも、リスクとかではなく、もっと素で拒絶感を持っている人がいるんじゃないかと私は思う。
 
 そこらへんはもうちょっと議論を重ねるべきで、「素の拒絶感」というか、偏見や差別意識みたいなものに還元するのも不十分かなと思うとこもあります。
 
 部落差別の場合は、リスクが無根拠に過大評価されてるところがあると思うんです。たとえば「DV癖のある男」と部落の人とを比べるとする。実際に暴力をふるわれることと、もしかしたら差別されるかもしれないことは、リスクが全然違うでしょう。「差別されるかもしれない」と思う時、誰にされるかわかっていないし、そもそも差別されるかもわからない。外見上のロジックが似ているからといって、同じだとするのは合理的ではない。前者の男性を避けることは合理的でも、後者を忌避することは不合理で理不尽で、もっといえばそれこそが差別です。
 
 部落の場合は、そうした合理的ではない話が出てくるわけですよ。それって差別と言っていいんじゃないか。でも不思議ですよね。そうすると、ものすごく非合理的な、ロジックに還元できないものがやっぱり残るわけ。それをたぶん「差別」と言う、ということだと思います。でも他方でそれは、古典的な、前近代的なケガレ意識ではない。
 
齋藤 ないない。
 
 ないと思うし、なんか生理的な嫌悪感でもないし。今のところ名前がついてない。ここに名前をつけたほうがいいと前から思ってるんだけど。かといってリスクのほうにも還元できないし。それはロジックとして外見的に似てるだけで。
 
齋藤 似てるだけ。やっぱりリスクじゃないような気がする……。
 
 たぶんこういうのを「差別」っていうんだ、という、簡単な話のような気もしますが……。
 

差別する側の非合理的で過剰な拒否感

 差別するときには、合理的な計算の上では考えてないだろうという感じがある。じゃあ、合理的な結婚反対と、非合理的な結婚差別との差はどこにあるんだろう。そこは社会学的にまだ名前がついていないんですよ。そのあたりは理論とかの頭のいい人にやってほしい(笑)。
 
齋藤 ずっとすごく不思議なんですよ。ヘイトスピーチを見ていても、なぜあんなに外国籍の人を怖がるのか。そして部落問題になぜ拒否感をもつのか。生理的嫌悪でもないし、リスクという言葉では片づけられない。何かあるなと私も思っていて、ここは差別論の大きな問題なのに、語られていない感じがします。
 
 語られていない。名前がついていない。でもそれは透明な壁としてぶち当たって、なんかここにあるぞ、と実感としてあるわけですよね。で、それを他者に伝えるとき、例えば理論系や計量系、あるいは社会学以外の人に対して、「社会問題や差別は実在する」という言い方をぼくたちはとりあえずしちゃう。
 
齋藤 ああ、そうそう。
 
 そうすると、研究者より社会運動家のようなことをやってる、みたいな感じで言われるんだけど、ベタな生活史の聞き取りを、現場で20年、25年やってて、そういう「差別の実在性」みたいなものを実感として持つようになった。聞き取りでは、当面の問題関心とは関係ないところまで全部聞いて、飲み会にも行くし、意味なく沖縄に通って酒だけ飲んで帰ってくることを何回も繰り返してるうちに何度もぶち当たるんですよね。なんかあるぞ、と。超えられない壁というか、差別というものの実在性にあらためて気づく。何度も何度もそこにぶち当たる。
 
齋藤 そうですよね。新型コロナが流行り出したときに、感染者や医療従事者などへの差別が問題になりましたが、それって感染リスクでは説明できないんだと思うんですよ。絶対やりすぎているでしょう。
 
 やりすぎ。やっぱり、「合理的な忌避」とかでは説明できない過剰な部分がある。露骨な差別意識が「実在する」んだ、と。
 
齋藤 私の出身地の三重でも、いかにもありそうだなと思ったんですけど、やっぱりそういうことがあった。他府県の知人も自分のところでありそうと言っていた。だから、どこでもあることで、やっぱりなんかあるのはみんなわかっている。
 あと、結婚差別を見ていると、自分の子どもがマイノリティの人と結婚するとなったときに、マジョリティの親はなんとなく被害者感覚を持っているような感じがするんです。
 
 ああ、そうそう。被害者だよね。身を守っているだけという感じ。感染者を叩いている人もきっと、自分と自分の家族を守っているつもりなんですよね。完全に攻撃的には、人間はなれないと思うんです。なんらかの被害者性がないと攻撃できない。
 
齋藤 「あそこの店でコロナがうつった」とデマが流れたりね。なんとなく狐憑きの話とも繋がってくるなと思っています。

やればやるほど離れられなくなる

 じゃあ最後に、これから質的調査をする人にアドバイスがあれば。
 
齋藤 「好きこそものの上手なれ」は本当に大切な言葉だと思います。関心をすごく持つと自動的に回っていくところはあると思う。好きとか面白いだけじゃなくて、嫌い、怒りでもいいと思うんですけど、やればやるほど離れられなくなる。コミットが深まっていくので責任も出てくるし。そういうのも含めて好きと言ってるんですけど。
 
 ほんまにそうやなあ。
 
齋藤 一生懸命考えざるをえなくなると、どんどん一生懸命やるようになる。最初はおそるおそるなんですけど、一生懸命考えなあかん大切な相手になる。それは当事者であってもなくてもそういう気持ちにたぶんなってくるので。最初は「自分がこんなことやっていいんだろうか? やる資格があるのか?」と思うかもしれないけど、やっているうちに責任が生まれてくると思います。
 
 役に立つこと書かなきゃと思うのも、もともとは「私がこれやっていいんだろうか」みたいなところから生まれるというか。
 
齋藤 そうそう。裏返しになっていると思う。
 
 どれくらいコミットできるかですよね、ひとつのことに。まあ、別に途中で研究テーマ変えてもいいんだけどね(笑)。
 
齋藤 変えるのもありだと思います。1年や2年ではなかなかわからないところもあるので。周りでテーマを変えてる人も多かったし、テーマを変えることでわかることもありますから。離婚とかと一緒やと思う。離婚してよかった人はたくさんいるじゃないですか。
 
 急に「離婚」って言うから、 びっくりした(笑)。
 
齋藤 ははは。テーマを変えたことで道がひらける人もいるので、テーマを変えてみるのもひとつだと思います。
 
 まああれだな、コミットしてやっていきましょうと。若い人は査読やら学振やら公募やらなんやらも大変ですけど。
 
齋藤 部落問題なんて就職ないとか、部落問題のゼミなんか行ってたら一般企業の就職ないと言われ続けていたし、科研もそんなんで通るのかとか言われてたけど、部落問題で通ってる人はいっぱいいるんです。オールドで伝統的な問題を、今時のグローバルな文脈に位置づけ直して新しい議論を展開していくとか。まぁ、こうやって一生懸命やってるのも、好きだからこそできるところがあるので。
 
 あと、テーマだけじゃなくて、そもそも社会学自体が好きだよね。
 
齋藤 社会学好き、大好き。
 
 よく読んでるしね。俺よりよっぽど読んでる。
 
齋藤 やっぱり社会学に救われたなと思ってる部分があるので好きですね。
 
 あといつも思うけど、学生や院生に優しいよね……。ウチの院生さんも何か悩みがあるときは優しい齋藤先生に個人的に相談を。今日は齋藤直子先生でした、どうもありがとうございました。
 

 

(構成:山本ぽてと)


*本稿は立命館大学大学院先端総合学術研究科の2020年度授業動画「リサーチマネジメント」をもとにまとめたものです。

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著者略歴

  1. 岸 政彦

    岸政彦(きし・まさひこ)

    1967年生まれ。社会学者・作家。京都大学教授。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『ビニール傘』(新潮社、2017年)、『図書室』(新潮社、2019年)、『地元を生きる──沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版、2020年)、『大阪』(柴崎友香と共著、河出書房新社、2021年)、『リリアン』(新潮社、2021年、第38回織田作之助賞受賞)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房、2021年、紀伊國屋じんぶん大賞2022、毎日出版文化賞受賞)、『生活史論集』(編著、ナカニシヤ出版、2022年)、『沖縄の生活史』(石原昌家・岸政彦監修、沖縄タイムス社編、2023年)、『にがにが日記』(新潮社、2023年)、『大阪の生活史』(編著、筑摩書房、2023年)など。

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