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岸政彦 「調査する人生」

上間陽子 x 岸政彦 調査する人生と支援する人生


今回お話しするのは、琉球大学の上間陽子さんです。沖縄の夜の街ではたらく女性たちの苦しみを描いた『裸足で逃げる』(太田出版、2017年)は大きな話題を呼びました。上間さん自身の経験を交え沖縄の現実を語った『海をあげる』(筑摩書房、2020年)はYahoo!ニュース│本屋大賞2021 ノンフィクション本大賞ほか、数々の賞を受賞。現在は若年女性の出産・子育ての応援シェルター「おにわ」での支援に力を入れている上間陽子さんの「調査する人生」を聞きます。


沖縄の女性たちの調査をはじめる

上間 昨日、お食い初めの日だったので。

 「おにわ」(上間が代表理事をしている若年ママの出産・子育ての応援シェルター)で?

上間 そうです。おにわで。昨日私は、ずっと大学で仕事だったので、写真だけでしか見てないんだけど、赤ちゃんの百日記念で、地元の写真館で写真を撮ったんです。支援をしている子、家族写真を撮るのは、生まれてはじめてだったんだって。いい一日だったみたい。

 あー、いいなぁ。

上間 すごい綺麗だった。

 今日は社会学を研究する院生さんたちにも来てもらってるので、みんなでいろいろとお話をお聞きできたらと思っています。まずは上間さんがどうやって調査に入ったのか、から聞いていければと。すでにいろんなところでお話しされてると思いますが。

上間 風俗業界で仕事をする沖縄の女性たちの調査をはじめようと思ったのが2011年でした。2010年に、沖縄で集団レイプの被害者の中学生が自死してしまう事件がありました。そのお母さんが記者会見を開いたら、ひどいバッシングにあって、その子が通ってた中学校も特定され、小学校の卒業アルバムの写真も流出した。沖縄で中学生が狙われて集団レイプをされることは残念ながらある。それで生き残った子たちが、この状況を見ているんだと思ったら、がまんできないというか、しんどいなと思いました。

 そのちょっと前に、辻(沖縄の歓楽街)で火災があったときにも、10代の子が亡くなっています。その子はシングルの家庭で、家族のお金をぜんぶ払っているくらいの稼ぎ頭で、生活のために性風俗をやっていたということでした。

 こういう話ってぽつぽつあるんですよね。学校から性風俗をやっている子がいるのですが、どうしましょうというような相談が入ってきて、なかには働いている子のあっせんを実の親がやっているようですと。 私は琉球大学の生徒指導の教員で、教職の免許をとるための基幹科目の先生をしています。心身性の不登校であれば、心理系の先生に相談が来る。非行系は私のところにきていましたね。

 そういう話を聞いているうちに、未成年のうちから早くから家を出ている女の子たちや、夜の街で働く女の子たちの調査をしたいと思いました。その時期に、打越正行さんと居酒屋で飲む機会がありました。打越さんの調査はずっと好きで、彼が暴走族の調査をしだしたときに面白いなぁと思っていたんです。

 あ、打越さんが調査を始めたばっかりのころにもう知ってたんですね。

上間 ずっと知っている。ずっと変で面白い人だなぁって思っていました(笑)。それで、2010年の事件があったとき、当時の打越さんは、「ギャラリー」と呼ばれる、暴走族ではないけれど、暴走行為を見に来ている女の子にインタビューをしていました。調査をするなら打越さんと組みたいと思っていて、その日居酒屋で話を切り出したら、向こうも同じことを考えていたということで、同時に話をしたんです。

 調査をはじめたのが、2011年から。最初に会ったのは、打越さんの友人や知り合いの、風俗やキャバクラのオーナーの男性たちです。風俗のオーナーにはいろいろと試されました。まず電話をかけて、アポをとろうとすると「上間さん、怖かったら学生とか、新聞記者と来てもいいよ」と言われて。

 沖縄の吉原と言われる新町は、私の地元近くにあるんですよ。だから私も試されているんだなあと思いながら、「ああ、お店の場所、知ってるよ、車どこ停めたらいい? あの辺だったらあそこに停めるとこあるよね?」と。「なんで知ってるんですか?」「地元、地元。だから一人で行けるよ」。本当はそんなに知らないけど、そう言うと「気をつけて来てください」って敬語になりました。

 女性一人では行きづらいとこが待ち合わせ場所だった。わざとそういう場所を指定して、どれくらい覚悟があるか試してるんですね。

上間 そうですね。行ったらやっぱり試されて、例えば「仕事が終わらないから、夜の11時でもいいか?」と言われたり。いざお会いできたらその人の運転する車に乗るように言われて、「後ろ乗って」と。乗ったら、なかなか本題に入らずに1時間半ドライブしたり。話を聞いたら、実は地元の中学の後輩だったんですね。次会ったときもドライブして、たしか3回目で「ものすごく体調が悪いから手料理を食べたい」と言われたの。いいよ、とにんじんシリシリーとかの入ったお弁当つくって。そうやって、言われたことをやる。それで彼の中で何かを通過したらしい。そこから風俗嬢の紹介が始まりました。

 もしかしたらたまたま作った手羽餃子がすごい美味しかったというのもよかったかもしれないです(笑)。美味しい食べ物を渡して、私と会ったら、また美味しいの食べれるよって。それは半分冗談だけど、会う理由がほしいなと思っていました。

 「上間陽子の手羽餃子」できっかけ作ったんですね(笑)。

上間 でも本当にちゃんと食べてなかったんだと思う。焼肉とラーメンとコンビニが主食っていってたので。うむ。やっぱり手羽餃子が良かったんじゃないかな。肉肉しい感じがよかったのかもしれないです。……こんな話でいいの?

 めっちゃ面白いですよ。

インタビューって面白いな、と思った

上間 そうやって、キャバクラや風俗で働く10代、20代の女の子たちに話を聞き始めることができてわかったのは、たいていは、子どもがいて、パートナーと別れて、一人で育てるために夜の仕事をしていました。

 最初に会った子が『裸足で逃げる』にも書いてあった美羽(みう)です。彼女は沖縄のキャバ嬢としては珍しいんだけど、お父さんとお母さんがいて、大阪の専門学校に進学していた。ところがそこでつまずいて、人間関係がうまくいかない。言葉も違うしね。綺麗な子で、大阪で夜の仕事を始めたら、お酒がすごく強くて、10リットルくらい飲めたとのことで、彼女がつくと店が儲かる。そんな感じで大阪で働いていました。

 そしていろいろあって沖縄に帰って来たんだけど、地元でも浮いていて、なんとなく夜、働いたそうです。そこで中学時代にバスケ部だった美羽と翼が同じビルの姉妹店で働いて出会っているんです。それからふたりで、一緒にご飯を食べたり、お買い物に行って、美羽はとにかく翼にすごく助けられたという話をしていたんです。それで翼に会わせてと言ったら、紹介してもらって会うことになりました。

 そうして翼に会って「美羽があなたにすごく助けられたって言ってたよ」と言ったら、急に翼が泣き出したんです。「自分の方が美羽に助けてもらったのに」って。同席していた打越さんが慌てふためいて、自分の首に巻いていた手ぬぐいを差し出して(笑)。

 ははは(笑)。おっさんの首に巻いてる手ぬぐい、使わないですよねえ……。

上間 それでは拭かないでしょうと思って、私のハンカチを差し出しました。それでやっぱり私のハンカチを選んで翼はぶわって泣いたんです。その時に涙の拭き方が本当に綺麗だった。キャバ嬢は45分から60分枠でどれだけの自己物語をつくって客に消費させるかが勝負だから、この子は仕事歴が長いなと思いました。

 そこではじめて翼からDVを受けた話を聞きました。翼が夫からひどい殴られ方をした直後に、美羽がアパートに駆けつけてくれた。美羽は翼に「大丈夫?」とは聞かなかった。大丈夫じゃないことがわかっていたから。青あざの残る翼の顔を見て、美羽は自分の顔にも同じように青あざのような化粧をしたんです。それで一緒に写真を撮ったということでした。

 それで思い出したのが魚喃キリコの『BLUE』です。高校生の女の子が、もう一人の女の子に人工中絶をしたことを打ち明け、その相手の男と別れようとする前に、髪を切ってもらうシーンがあるんですね。こういう時に女性同士で触るのって、髪だよねって私は当時読んで納得したんですよ。でも美羽と翼の場合は顔だった。『BLUE』のうちひとりは、地方の高級マンションに住んでいるので、階層による文化差もあるように感じましたね。女性どうしのケアのシーンをみたときに階層的差異を感じたんですね。

 そうそう、「夫の暴力で鼻が折れた」という話を翼がした時、たぶん打越さんが無意識に、翼の鼻を見ちゃったんだと思うんですね。それで翼が手で鼻を隠しながら話し出したんです。もう、打越さん、目線のコントロールができていない……と思っていたんです。翼がトイレに行くと席をたったら、打越さんが、「ワシ、臭いますかね」と言うんですよ。「昨日焼肉食べた」、と。「はーして」といって、「くさくないから黙ってて!」といって、インタビューを続けました。インタビュー後に、近くのモスバーガーに行って、地獄の反省会が行われた……。

 地獄の……(笑)。上間さんと打越さんと二人で。

上間 夜の10時から12時までインタビューして、そのあとだいたい夜中の2時まで反省会をしていました。その日は、「打越さんがくさいんじゃなくて、翼が鼻の話をしたときに、ジロジロ鼻を見たからだよ!」と言ったら、「くさくなくて良かったです」と言うので、「良くないよ!」と言って。あとは、話の持っていき方、打越さんはあの時に、ああいう息継ぎの仕方をしたけど、こういうふうにした方がいいよ、とか。そんな話を延々やって。打越くんも真面目だから、私との話し合いの録音をとって、あとで何回も聞き返すんですよ。私におこられているのに。でもまあ、次頑張ろうねという話をして。

 こういう時間のなかで、やっぱりインタビューって面白いな、と思ったの。私はずっと参与観察をしながら、エスノグラフィーをやってきて、事細かにどんな順番でなにが話されたのかを覚えるのが得意だったんですよ。だから本当に天職だと思っていた。でも30歳を超えて、そんなに覚えられなくなってしまった感覚があって、フィールドで区切りのない時間をすごすのがむつかしくなったんです。でもインタビューをやってみて、お話を聞くのはやっぱり面白いし、聞かれてない話がまだ沢山あるなって感じたんです。

 例えば、性愛やシスターフッドの象徴として、魚喃キリコの『BLUE』では髪の毛が描かれたけれど、翼と美羽は化粧でお顔なんだなぁとか。世の中で流通しているのは、階層的に高いバージョンの話ばかりなのかもしれないとか。私はそこをもっと聞いていきたいと思いました。

「沖縄は絶対にやらない」と決心した院生時代

 上間さんはもともと参与観察をしていたんですよね。

上間 大学院は東京に行って、修士課程では東京の23区内にある女子校に3年間通っていました。クラスの中に席があって、そこに座って見ている感じ。

 教室で子どもたちと一緒に座ってたんですね。どうして東京で女子高生のことをやろうと思ったんですか?

上間 それは大事な質問ですね。大学院に進学した初日、ある先生に「沖縄出身なら、沖縄の女の子のことをやったほうがいいんじゃないか?」と言われたんですよ。それがものすごく頭にきて。「私が沖縄出身だからといって、沖縄のことをやれというのはすごく暴力的だと思う。やりたいなら、あなたやってください」と言ったんです。

 ははは。初日に教授に向かって言い返した。

上間 指導教員ではない先生ですけどね。でもこの先生が偉かったのは、その場ですぐ謝罪してくれたんですね。「本当に申し訳ない」と言ってくれた。

 偉いですね。

上間 「沖縄の女性の研究をできる人が本当に少ないので僕はそう言ってしまったんだけど、上間さんがやりたい調査研究を、東京で探してやっていくのがいいと思います」と。

 僕も若くてアホだった時に、後輩に同じようなことを言って、謝ったことがある。「せっかく当事者性を持っているのに、やらないともったいない」と言ってしまって、「なんで岸さんにそんなこと言われないといけないの」と激怒されて謝った。僕らからすると、当事者性が「うらやましい」んだよね……。当時僕は、沖縄のことをやりかけていたけど、内地から来たやつになにが分かるのか? と言われるわけで。

上間 でも、私はそれで沖縄は絶対にやらない、沖縄を売らない、と決心しました。東京でやるなら、女子高生をやりたいと。それで高校で参与観察を始めました。

 その高校はギャルが多くいる女子校でした。みんな茶髪や金髪で、学校がトウモロコシ畑みたい。渋谷で遊んでいる子もいるし、ギャルとしてテレビに出演している子もいた。「ギャルをナンパできる学校ナンバーワン」とスポーツ紙にもよく書かれていた。
 
 それは教室にいて、生徒に話しかけたりするわけ?

上間 うん。一緒にいて、なんか変なこととかあったら一緒にツッコんだり。まぁ仲良くなるよね。

 それなりにクラスの一員になって? でも生徒たちから見たら「いいオトナ」が入ってくるわけでしょう。

上間 私も若くて、M1(修士課程1年)の調査だったから。ギャルが好きなコギャルオタクなんだろうなと思われてた。安室奈美恵ちゃんが流行っていた時代でもあったし、私もギャルギャルした恰好で学校に行って。

 あ、自分も。

上間 そうそう。ギャルみたいなブーツ履いて、服装やメイクも巻き髪も頑張ってました。彼女たちが、私と話したり歩いているのを、他の友達に見られた時にウザいと思われないように。

「強いコギャル」の話を書きたかったはずなのに

 そのときの写真見たいですね……。なんでギャルが対象だったんですか?

上間 当時は、宮台真司さんが援助交際について書いていて、SWASHの前身となるようなセックスワーカーの当事者団体が出てきた時期でした。「売る売らないは私が決める」といった議論があって、援助交際をやっていても傷つかないセクシュアリティや性規範があるのだといわれたんです。論壇でも、大人たちが彼女たちの言説を尊んでいる感じがした。

 確かに性は自由なほうがいいし、女というだけで消費されるのであれば、徹底的に商品化するのはロジックとしても綺麗だなと。そうだったらいいなぁと思って、私は調査をはじめました。「強いコギャル」の話が聞きたかったんです。私は沖縄の地元で女の子たちが、性に傷ついて疲れた顔を見てきたので。
 
 でも実際に行って話を聞いてみると、みんな性規範から自由ではないし、すごく奥深く悩んでいる。援助交際をしていた子に、妊娠した子どもが誰の子どもかわからないと相談を受けて、結局その子は学校を辞めることになってしまったり。
 
 あとは中学から書いていた日記を読ませてくれた子がいて、はじめて性行為した日の景色がものすごく悲しかった。殺伐としている。「自分の大事なものをあげたけど、それで何が変わったんだろう」と書いていて、「あげる」って性的な主体でもなんでもないと思った。
 
 彼氏がギャングの抗争で人を殺してしまって、会えなくなって、泣きながらその話をする子もいました。結局、地元で聞いた話をまた聞いている感覚。うわぁ、一緒だなぁ。私は「強いコギャル」の話を書きたかったはずなのに。こんな話がどんどん出てきて、どう扱っていいのかわからなくなった。
 
 当時は、性行為や援助交際について発言するのが流行っていましたが、だからこそ分析対象にはしませんでした。流行っている分、そこに話が持っていかれるかもしれないと思って。

 そういう話をたくさん聞いていたけど、書かなかった?

上間 書けない。扱えないと思っていました。性的自己決定があって、主体的に生きていて、パンツを売っても傷つかない。そんな「強いコギャル」の話が私にとっては救いに見えたから、それが書きたいと思ったのに。でも実際は何も変わっていない。そこは書かないことに決めました。当時の言論の磁場の中で、単にどっちかにいっちゃうだけだという思いもあって。

 でも一方で、研究者だったら、嫌な言い方ですけど、「おいしい話」でもあるわけじゃないですか。学会に出したら話題になるかもしれない。でも上間さんは書かない方を選んだんですね。

上間 私にもう少し力があって、クレバーだったりしたら、また違ったかもしれない。でも彼女たちの話が、私には痛々しかったんです。そう、痛々しかったんですよ。

 私も、結局書けずにいる話がたくさんありますが……。上間さんの話を聞いていると、最初からコミットメントがある感じがするね。書けないってコミットメントじゃないですか。割り切れる人は、書いちゃうと思うんです。でも上間さんは割り切れない。

上間 そうかもしれません。結局、論文には違うことを書きました。例えば教室の中にいると、中学までのいじめられ体験を聞くことがあります。一人の子がいじめられた地元から離れるために、遠くにあるこの高校まで来て、いわゆる「高校デビュー」をする。高校ではイケてるギャルとしてふるまう。

 いままでの自分が受けた負荷を、違った形でパフォーマンスすることで元気になっていく。教育学の分野では発達論的に捉えられます。だから金髪にしてトウモロコシ畑の一員になることもすごく大事なんです。その話も十分面白いし、大切だと思ったから書きました。

 最初から言われたとおりに沖縄の女の子のことをやるのではなく、一回東京で参与観察をしたのは、良かったと思いますか?  東京の女子高生の援助交際の話を聞いて、沖縄と一緒なんだなって思ってまた沖縄に帰ってくるわけですよね。

上間 良かったと思います。だけど「私にはこの話は書けない」という自分の気持ちとは、東京でもう少し闘うべきだった気がする。どんな形だったら書けたのか、もっと考えてもよかったはずだけど。いま思うと、頭でっかちだったなとも思うし。性規範がこうだったらいいなと思って参与観察を始めて、実際に現場に行ったら自分がよく知っている世界だった。その時に、「宮台さんも河合隼雄もわかってないな! 実際は違う!」と思いきれたらよかったんだろうけどね。

「話がまとまるまでいなきゃ」って思う

 上間さんはどれくらいで就職したんですか。

上間 2006年、31歳の時。琉大に就職して沖縄に帰ります。

 就職、早かったんですね。そこから打越さんと出会って本格的に調査を始めるまでは、どんな研究をしていたんですか。

上間 国際比較調査をしていました。統計も教えてもらいながらやっていて、東大の本田由紀さんや中村高康さんのような方たちと一緒に仕事をしていたんだけど、技術のすごさや知識量だけじゃなくて、統計的センスみたいなものが私とは全然違うなと思ったんです。数字が何を言っているのか、あたりをつけてデータをつくるセンスと技術が抜群なんです。あとはふたつの高校でパネル調査も継続的にやっていました。こちらはゼミ調査ですね。私は捕捉率が高いんですよ。8年やって6割くらいで、ダントツでした。でもその時捕捉率0%のひとが単独で本を出して、自分で会い続けて捕捉したように執筆したんですよね。で、本当にうんざりしました。黙っているゼミのひとも、教員もそのひとも。汚いなと思っていますね、いまだに。

 パネル調査は、会い続けられないと調査の設計できないんですね。メールをおくったり電話をかけたりしたら「パッ!」と反応してもらって応答があるかどうかが大事なんです。そういうノウハウも含めて調査だと思っていますが、組織を大事にして個人を大切にしないゼミだったと思っています。でもいま思うと、統計も面白かったです。数字の快楽ってあるんだなと思ったし。大きなデータを使って、どんな提言をしていくのかという価値も感じていました。

 そこから打越さんと出会って、沖縄の調査をやっていくわけでしょう。ものすごく話題になった『裸足で逃げる』を上間さんが出版した時に、荻上チキさんのラジオに出ていた(「荻上チキ・Session-22」「沖縄の夜の街に生きる少女たちの現実〜『裸足で逃げる』が話題の上間陽子×荻上チキ」2017年3月1日放送)。この前その放送を、ラジオクラウドで聞き返したの。そうしたら上間さんが、「私は支援者じゃなくて、研究者であり調査者なんで」と言い切っていた。でもいまや自分でシェルターの「おにわ」を開設している。

上間 私の人生は、いつもうっかりなんです。

 『裸足で逃げる』の調査自体、僕から見ると、半分支援のように見えます。例えば、中絶の時に一緒に病院に行ったり、交通事故を起こした子と一緒に自首しに警察に行っているわけでしょう。それは調査の最初から意識的にそうしようと思っていたんですか。

上間 思っていないです。交通事故を起こして、そこから逃げてしまった優歌の話を少ししてもいいですか。『裸足で逃げる』では書かなかったけど、優歌がひいてしまったのは元米軍属だったんです。一緒に暮らしている彼氏が家に帰ってこなくて、1週間眠れない中、フラフラになって運転して、バイクに乗った人をはねてしまった。米軍関係者だったから優歌の彼氏の住む地域に、ひき逃げ犯を探しているというお知らせがダダダっと貼られた。

 何日か経って優歌は私に連絡をくれたんですが、その時の彼女はなにも話せなくて。後日、優歌のいとこから、ひき逃げの話を聞いた。ひき逃げで使った車は優歌の彼氏のものだと聞いてさーっと血の気が引きました。優歌の彼氏は殴る人で、自首に行った日は地元の親戚とバーベキューをしていたんですね。本当はその日のうちにその車を使って現場検証をしないといけなかったのですが、親戚のいるタイミングで警察が現れたら、優歌が殴られてしまうと思ったんです。だから次の日にしてほしいと警察にお願いしたんです。人生で初めての土下座してでもお願いしたいという思いで。しかも警察に(笑)。そしたら、自首は成立したので、明日あなたが彼女を連れてきてくれるならば、と上司にかけあってくれました。
 
 みんなの前で警察が来ると、俺の顔をつぶしたと言われるだろうと。

上間 そう。で、今度は優歌が殴られるかもしれないから、彼氏と一緒に住んでいるところまで私も付いて行ったら、その彼氏が「外人さんかわいそうだろう!」って怒鳴ったんです。自分が家に帰らなかったのに、こんなこと言うんだって、忘れられないですね……。私がいるから殴ることだけはしませんでしたが、私はなんか言葉を失ってしまって。そのあと、優歌は部屋から荷物を持ってきたけど、シャンプーとリンスと、本当に小さな小さな荷物しかなかったんです。この世の中にある彼女のスペースそのものだ、と思いました。

 それから優歌の実家に連れて帰りました。そうしたら、お母さんが優歌と私のことを無視したんですよ。目も合わせなかったんです。まずいな、優歌を残していってもこれでは話がまとまらないな、と思って、話がまとまるまでいなきゃって思うでしょう。そうやって、いろいろ聞いてしまって、付き合ってしまうんですね。
 
 関わりのタイムスパンが長いですよね。例えば、一緒に自首したときに、じゃあこれでと帰るわけじゃない。今日は親戚でバーベキューをやっているから、警察と一緒に帰ったら、「顔がつぶされた」と感じた彼氏に殴られてしまうと判断して、現場検証をずらしてもらったり。一緒に彼氏のところまで行かないと殴られることも見えているから、一緒に行く。そういう先が読めるところが、上間さんのすごいところだと思いました。

上間 私は「寄り添う」って言葉が嫌いで、仕方なくやっているんですよ。基本的にはめんどくせぇ! と思いながらやっています(笑)。

支援に振り切りシェルター開設

 そうやって気づくとシェルターをつくっちゃう。

上間 そうそう(笑)。

 でも上間さんは調査のあとに、吐いたりしていると言ってましたよね。お話を延々聞いて、帰りの車で吐いてしまう。

上間 うん。吐いたインタビューは何回かある。以前、カウンセラーの信田さよ子さんとお話ししたときに、信田さんは全然吐かないし、話を聞いている間、どんどん俯瞰していると言ってました。うんと遠くまで行って、マッピングを取るような話の聞き方をしている。ひとつひとつの話にある禍々しさみたいなものを、身体的に引き受けるのとは違う感じで、本人は「解離だと思う」と言ってました。私はあまり俯瞰できないところで話を聞いているんだと思います。先の行動が見えるので、おそらく分析はしているんだけど、その時のリスクをはかっているだけであって信田さんのような構造的な分析とはちょっと違うんだと思う。

 そのあたりについて「個人の資質」と言ってしまうと、話は終わっちゃうんだけど、上間さんには最初から一貫している感じがあります。沖縄のことをやれと言われて反発して東京のことをやっているんだけど、そこで性的な話を聞いて書けないと悩んでしまう。それはコミットメントがかなり深いからですよね。例えば上間さんって「風景」ってよく言うでしょう。

上間 ああ、そうかも。

 上間さんは語り手が見ているものが見えているから「風景」って言うんだと思います。だからこそ自分の身体も傷ついてしまう。

上間 そうなんですよね。この点はむしろずっと不思議です。話を聞いているのにその人の風景をみえない人がいる、ということが。ただこれまでの調査では、自分がその子の視点をもって、その上でどうするのかを考えていました。ですがいま支援をする中では、それとは違う力技が必要になっています。支援をするときには、ひとつのケースだけでも、関係機関など様々な人たちと関わりながら、それぞれの利害関係を見ながら医療カンファや要対協(要保護児童対策地域協議会)をおこしつつ動かないといけない。関係各所を説得するための言葉が私にはまだないですね。そこが難しいなと思っています。

 「おにわ」は生後100日までいられる10代のママたちが入れるシェルターです。琉大の同僚と私との共同代表で立ち上げました。全国のシェルターで初めて大学の医学部が出産受け入れ病院になっています。
 
 当時、沖縄にあった民間の若年女性支援のシェルターに違和感を持っていたこともあって。調査をしてきた子たちのプライバシーが侵害されるようなテレビへの強制出演や暴力事件があったりね。2年ほど弁護士チームをつくりそれへの対応に追われていて、ずっと調査の世界に帰してくれと思っていたんだけど、ある日もういいやと支援の方に振りきっちゃったんです。

 私が作るしかないと。

上間 はい。でもそれは自首に一緒に行ったことの延長なんですよ。女の子たちの話を聞いちゃったからなんです。

 「聞いちゃった」っていうのは、それはほんとにそういうことありますよね。聞いてしまった。見てしまった。関わってしまった……。それまでの沖縄の若年女性や母子生活支援はどのような状態だったんですか。

上間 まず母子生活支援として、母子寮があります。家族のなかで子どもや赤ちゃんを育てるのが難しい人が入所できる施設です。月々の家賃がいらなかったり、保育園の送迎もしてくれる場合もある。最大で2年間入れます。

 沖縄には3ヶ所の母子寮があって、私が調査をしている子にも何人か入っている子がいました。母子寮は、出産が終わってからじゃないとエントリーできず、産後1ヶ月は使えません。一番大変な時期に保護できない難しさがあります。
 
 もうひとつ、うるま婦人寮と呼ばれる婦人相談所に併設されている施設もあります。ただここに入る前は女性相談所に保護される。そこは携帯電話が禁止なので、若い子にとっては耐えがたい。殴られてもいいから、そのまま家にいる選択肢を取ってしまう子たちがいます。でもうるまのワーカーさんの力量は高くてむつかしいケースをよくみているという印象です。
 
 沖縄でシングルマザーの調査をしている院生さんからいろいろ教えてもらっているのですが、母子寮には不文律ながらも、恋愛禁止のような慣習があるといいます。子どものための施設ではあるから、若いお母さんにとっては刑務所のような環境に感じられてしまう。

上間 場所によりますかね。それこそその代表によって運用がバラバラでカラーが決まってしまうのがよくないように感じます。そもそもママが元気にならないと、子どもは育てられないと私は思っています。

私がやっているのは、それぞれを特別扱いすること

 そうして上間さんは支援をはじめたと。でも上間さんがやっていることって狭い意味での「支援」なのか。例えば、公的な施設には厳しめの規則がありますよね。携帯数週間禁止や、慣習であっても恋愛禁止のようなもの。でも規則があるのにも一定の理由があって、施設の中で出会い系アプリをやって、連れ出してくれる男性によりかかってしまうようなことも聞く。

 一見すると施設は強権的に見えるけど、まずは自立できるように、社会復帰させなきゃ、真面目な男と付き合う方がいいんだという思いがある。そこには、訓練し、指導するような発想があると思うんですよ。でも上間さんにそうした発想はないでしょう。
 
上間 うん。その人の人生ですし、長くみた時にそういうアプローチがいいとは思いません。自分で決めていく体験なくして、生活は作れません。だけどもちろんDV男とは別れてほしいと思っていますよ。

 でも「そのために訓練する」という発想ではないよね。

上間 訓練でできないからですよ。人間をバカにするなと思いますね。なんだろうな。私がやっているのは、しっかり話をきくことと、それぞれを特別扱いすること。めちゃくちゃ贔屓している。それぞれに「こんなの、あんたにしかしないよー」って思ってる。まぁそうだし。世の中にはこういう大事にされ方があるんだよと。笑っていたら「かわいいな」と思います。まぁ、はたちになったお祝いなんか本当にかわいいからかわいいねと言ってるんだけど。大人みんなで愛でている感じ。それが何? と言われたらわからないんだけど、特別だよという感じかな。それはDV男や風俗のオーナーたちが何かをうばうために承認しているのとは違っていると思います。

 東京の女子高生の話を聞いて、性的なところが書けなかったのとつながっている気がするんだよね。ジャッジしないところがある。ある種の研究者にとっては、データって「手段」だと思います。自分の政治的な発言の正当性の根拠として使われることもあるじゃないですか。でも上間さんには、そうした使い方がそもそもできない。

上間 でも、政治的主張はありますし、やっぱりデータ自慢したい誘惑はあります。だからそうする人を完全に批判できない。

 僕らは全員なんらかの政治的な主張をしているんだけど、上間さんは語り手の語りを何かのために使わないで、そっとしておくようなところがある。同じように「おにわ」というシェルターをつくったけど、社会復帰をさせるためではなく、ただ入ってきてもらうための施設をつくったわけでしょう。だから最初からつながっているんだなと改めて思った。

上間 そうそう。しいていえば「安心する」という感覚や自分を大事だと思うことを知ってほしいとは思っています。昨日、お食い初めで、振袖を着た子は、家族で写真を撮ったことがないっていうんです。じゃあ、振袖着て、赤ちゃんと写真撮ろうと言った。その子のお母さんと面談したときに、その話をしたら「こいつだけ、かわいい着物着たら、下の妹が怒りそう」と言うので、「じゃあ妹さんも含めて家族で撮りましょう」って。そのお母さんもまだ30代でかわいいんですよ。ただいい時間をすごしてほしいんです。うん、こんな感じ。

 でもちょっとしつこいけど、施設側の言い分もあるわけでしょう。現実主義というか、この子が施設を出たあとに、自分の子どもを養えるようになってほしい。時間を守って真面目に働いて、すぐ恋愛に走ってはダメですよと。それなしでやっているなら「あそこ何しているんだ」と思われたりしないのかな。

上間 だからね。これから悪口言われるかもしれませんね。でも、34ヶ月おにわにいた子は、予後が結構いいんですよ。DV男と別れて、沖縄で大手会社に就職している方もいるし、就職したあと、いまから学校に行こうとしている方もいるし。

 なるほどねー……。そういう「やり方」みたいなものは、自分の中でくっきりした議論になっているんですか?  管理しない、訓練しない、ただ褒めるみたいな。

上間 まだなっていないですね。褒めるし美味しいご飯を食べるとか、生活をみていますかね。あとは、お掃除をする。あなたのいる場所を綺麗にしている大人の姿をきちんと見せる。調査をしている時に、話を聞いている子のお家を掃除しに行くことがあって、私が家事をしているのを見たがるんですよ。掃除とかなんでいいんですかね……。赤ちゃんが誤飲すると、その子の保護にもつながってしまうということもあるんですけど、空間を整えている大人をみせていますね。

 入所する子に彼氏ができたときはどうしていますか?

上間 え?  別にあたり前ですよね。10代の子たちなので、いろいろ関係を試して失敗したりときめいたりするの大切ですよね。うーん、でも暴力は心配していますよ。ダメージが大きいので。例えば、DV彼氏と付き合っている子が、毎晩30分から1時間消えることがあったんです。私が話を聞く切り込み隊長を命じられて「9時から9時半いないけど、どこで何してる?」と聞いた。

 そうしたら「コンビニで甘いジュースとお菓子食べてる」って言うんですよ。「ごめんね、おにわにはヘルシーなお菓子しかないよね」と言って。そしたらその子が、「子どもと部屋にいっしょにいたらさ、辛くなることがある」って言い出したんです。「そうだよね。大人は大人といっしょにいたいから当たり前だよ。子どもを預けて、外出ができているのはいいことだよ」と言ったら、「その時タバコも吸ってる」って言うんです。もう愛しいなぁと思って、同時に、まだ子どもなのに誰かをケアする人になったんだなあと思ったら泣けてきて。「そうか、分かんなくてごめんね、言えなかったね」と言ったら、その子も「自分も言えなくてごめん」と言ったんです。
 
 「その人」が知りたいんですよね。その人の理屈が知りたい。でも大人だからわからないし軽んじてしまうんですよね。教えてもらえたときには、こっちがわかってないというか。だから基本的には謝罪ベースで接しているかもしれない。 やっぱりこの子たちは、大人は嫌いだし、大人に自分の欲求が認められるなんて思っていないんです。だから、自分の思っていることを言えない。いままで大人が言わせないできたから。あと、リスクが高い時に、私たちに連絡してくれるかはキーですよね。
 
 それで、この子の場合実際に彼氏のところに帰るという時は、すごく美味しいケーキ屋さんのケーキを発注しました。それで、彼氏に私からねぎらうメッセージを書いた。「○○さんへ、パパになって頑張っているね、おめでとう」と。女の子が安全なほうがいいから、それはやります。手紙も書きました。「おにわに来ることをゆるしてくれてありがとう」と、「あなたのおかげで母子ともに元気に帰ることができました」とか書いて。その子からも連絡があって、「彼氏が上間さんの手紙、しょっちゅう読んでたよ」って言っていたんです。支援に入ってわかったのは、時間を稼ぐことは大事だと思ってます。5分、10分でいいから、DVの現場で5分の時間を稼ぎだせば逃げることができるんです。
 
 人間関係の、本当に23人先まで見えているよね。あとおにわのインテリアかわいいよね。

上間 こだわってる。使っているのはIKEAとかで安いけど、ところどころIDEEとかもまぜていてかわいい感じにしてる。写真を撮ってInstagramにあげたときに、その子がちょっと威張れるようにしています。

 ここに入りたいなと思うように。私もクリスマスツリーを寄付しました。

上間 すごいの。クリスマスツリーにライトが3つくらい。どこもかしこもピカピカで、クリスマスが終わっても、赤ちゃんがピカピカしているのが好きだから、ライトはつけてる。あとはご飯も美味しいみたい。スタッフさんがご飯つくるのに命をかけてて、蓮根とかすってて本格的なんです。でもそれでは入居している子はつらいから、インスタントの日も作っています。

 つくる人も大変だし、ジャンクフードも美味しいもんね。

上間 あと、怒ったりもしない。最近、入っている子と話し合いをしたときがあって。そのあとに、他の支援者の人に「上間さんと喧嘩して自分は文句言ってやった」と言っていたらしい。私としては、まったく怒ってないし、喧嘩なんかしてなかったと思うんだけど。それでそういう意味を考えていたら夜に突然、赤ちゃんの写真が送られてきたんです。何だろうと思ったら、仲直りの意味なんだなあと。いやいや、喧嘩していないよ、怒ってないよと思ったんだけど。その子が言うには、おにわのスタッフは本当は怒っているはずだというんです。それなのに、みんな優しいから、笑っちゃうと。

 「自分は怒られてる」という気持ちでずっと生きてきたんでしょうね。

上間 そう。だから怒られないとバグってしまう。それでこの子のお母さんと話していたら、お母さんが「もうこいつに信用ないし」と、目の前でうわーっと文句をいったんです。そうしたらこの子の顔が閉じた。こうやって乗り切ってきたんだ、この子、と思って。

 そうしたら同行していたスタッフが、「私は◯◯◯のことを応援したいと思っているよ」と言って、お母さんが「そうなの?」と驚いていた。お母さんも怒られると思っていたんだなあと思いました。
 
 本当にいろんなスタッフの方が協力してくれています。看護師さん、助産師さん、あとは法律に詳しい方や、生活保護のワーカーさん。

 支援者ネットワークはインフォーマルなんですか。

上間 はい。いちから作りましたけど、友人ばかりですね。横のネットワークがない施設が大変なことになっているのを見てきて、シェルターを作るときにはネットワークを絶対作ろうと。

 自分ひとりでやらないと。

上間 それは絶対無理です。

 でも大変じゃないですか、繋がりを作っていくのは。

上間 めんどくささはありますが、まあ10年沖縄で調査をしているので、どんな人に声をかけたらよいかだけはわかりました。

 でもよく作ったよね、そんな場を。

上間 生活臨床は入ってくる情報もいっぱいあるし面白くはある。調査でわかることよりも、いろんな情報がある。

 そこで自然に喋っているうちに、その子の風景がわかってくる。書かないの?

上間 本当は、書きたいことがあります。

 記録は残している?

上間 いやー、残していない。スタッフの記録はとっていますけれど、いまはただただ、そこにいるだけで、いっしょにすごしています。

 でも上間さんなりの調査をやっているんじゃないかな。上間さんや打越さんの調査を言語化する仕事をしたいなと僕は思っていて、二人がなにを書いているのか、社会学的にどう言えるのか。支援というよりは、理解だと思うんだよね。他者理解の、ひとつの在り方なんだろうと考えています。

加害者の語りをどう書けるのか

 せっかくなので、院生の皆さんからも上間さんに質問があれば。

質問1 「先ほど岸先生が『上間さんは相手の景色を見ている』という話をされていたと思います。ここについてもう少し具体的に知りたいです」


上間 なんでこの人は、こんなことを言っているのか考えて、どんな生活の中にいるか考えますし、その人の地元を歩きますね。それでこういうことかと腑に落ちることがあって。私は正義感がわりと強い方なんですよ。それは自分でも良くないことだと分かっている。バランスが悪い感じがずっとあります。

 はっきり変えようと思ったのは、高校の時に、最悪の先生がいて、その人が最悪だって話を友達としていたんですよ。そしたら友達が「彼はこういう風に育ったんじゃないかな。でも彼の器ではしょうがない。そこまで考えて行動できる人じゃない。人間には器があって、そこはあんまり変わらないんだよ」と言われて本当に驚いた。だからこの友達は人のことを分析できるし、その上でも寛容なんだなと思った。
 
 考えてみると、人にはそれぞれの文脈や風景がある。その先生がやっていることを、私は最悪だと思ったけれど、でもそこには一定の了解はできる感じかな。

院生 それは岸先生がいう「他者の合理性」のようなことなんでしょうか。
 
上間 そこまで俯瞰して考えているかな。「寂しかったんだな」みたいな感じなんじゃない。

 それは他者の合理性ですよね。一見すると非合理的な行為も、じっくり話を聞くと、そのひとなりの理由がわかってきたりする。そういう、そのひとなりの理由のことを、最近私は「他者の合理性」という言葉で表現しています。だからね、「寂しかった」もそういう理由のひとつだと思う。

上間 例えば、さっき話した夜にコンビニに行っていた女の子の話だったら、女の子の目で、赤ちゃんを見ている感じの聞き方をしている。いままでは、コンビニでお菓子買って食べたり、タバコ吸ったりするのが普通だったのに、赤ちゃんを育てるからって、そこから丸ごと引きはがされたら、寂しい感じがしますよね。「お菓子とタバコよりは、おにわの健康で美味しいご飯がいい!」とは思わないし、その子が寂しいと思う気持ちを、変更させようという気持ちはないです。

 加害者の理解についても聞きたいな。『裸足で逃げる』では春菜という女の子に長い間売春をさせて生活してきた和樹という男が出てきます。『海をあげる』で上間さんは、当時東京でホストをしていた和樹に話を聞いていますよね。

上間 そのときも、ストンと腑に落ちたことがありました。和樹に東京で会ったとき、整形していて肌もピカピカだったんです。それで、コルセットを巻いていて痛いと和樹が言って、パッと服をめくって肌を見せてきたんです。あ、これは女の子と一緒だと思ったんです。女の子が相手を身体的に取り込む時のパフォーマンスだと。

 例えばキャバクラでは、女の子がお客さんに、「日焼けのあとがついちゃった」とか言って触らせたりします。それでギョッとさせたり、キュンとさせたりする。自分のすべてを資源化する場所にいる女の子はよくするし、私も見せられることがある。私はそういう時、「かわいいね」と乗ります。そういうのを見るたびに、この子は何もかもを使って生きていこうとしているんだなと思ってきました。和樹の姿を見て、同じなんだなと腑に落ちたんです。

 集団自決で自分だけ生き残った男性が、そのあと軍作業で生きてきて、基地容認派になった生活史の語りを聞いたことがあります。僕が編者となった『生活史論集』(ナカニシヤ出版、2022年)という本のなかで、その男性の生活史をもとにした論文を書きたいと思った。沖縄戦で壮絶な体験をしているのに、米軍基地に反対しないんです。でもそれは、そのひとの戦後の生活史の語りを聞いてると、なんとなくなるほどと思わされるものがある。沖縄のなかでも基地にたいするいろんな意見や態度があるのですが、単に保守とか革新とかに分類して大雑把に括れない、複雑な歴史的経験を書こうとしたんです。

 でも、その本をつくるためにZoomでやってた研究会で、こうした人が家の中でも、そして基地反対運動に対しても、家父長制的な権力をふるっているんだと上間さんから指摘がありました。

上間 そうですね。

 あの時、上間さんは別に僕に対して「書くな」と言ったわけではないけれど、僕は悩んで、結局語り手を違う人にした。どうやったら書けるんだろうといまだに考えています。

上間 あの時、ちょうど国策にまきこまれた地域で性暴力を受けた女の子の話を聞いていました。その子は複数の人にレイプされていましたが、地域はそれを隠蔽しています。男の人たちが自分なりの理屈でもって、女を所有物のように扱っているという事実があり、その時に地域の有力者の男の人が見ていた景色がどんな景色であったとしても、許されることではないと私は思います。私の大事にしたい視点は決まってしまっているので。
だから和樹の話は、子どもの時の彼に焦点を当てたら、彼の被害者性も書けたのだと思います。そうした作戦で書いたと思うんだけど、でも大人になった彼が主体としてやったことは残りますよね。

 だから書けないわけじゃないですか。書くと責任解除になってしまうから。

上間 岸さんの言っていること分かりますよ。聞いたけど、書けない人は何人もいる。例えば、打越さんが話を聞いている人の中には、女性にDVをした人もいる。当時のDVの話を聞いていた時、それはダメだよと私は思っていた。それから10年以上も彼と付き合ってきて、そうすると彼がだんだんと当時のDVの話を話せるようになっていく。暴力をふるったあと別れた妻にどれだけ謝っても許してもらえないこと。でも彼女が困窮したら必ずお金を持っていくのは彼なんです。子どもに熱が出たら、預かって面倒を見ていることも知っています。そういう形で彼のことを多面的に知りその文脈をわかった時に、彼を書くことや、彼がやったことの問題性も書けるんじゃないかと思っています。

 人の理由について僕は書きたいと考えていて、でも僕自身はワンショットサーベイで、一人に踏み込んで付き合うわけではない。その代わり沢山の人の話を集めて聞いている。いま、加害者の理解について書けないところでずっと止まっているんです。

 それには語り手側が加害者であるという理由があるし、書くとするなら僕の方にも理由が必要だと思うんです。例えば、家父長制的な男性の生き方を、書いちゃいけないわけではない。でも僕の方に書く理由がないのに、ふんわりと「これがウチナーンチュの生き方です」ぐらいの浅いコミットだと書けない。絶対にこの話を書きたい、責任解除してもいいから、書きたいことがあるんだ、と覚悟するぐらいでないと、読んでもらえないんだろうな。

調査相手との距離・関わり方

質問2 「以前上間さんの講演を聞いたことがあります。傷を抱えた方に話を聞くときに、自分自身のトラウマも呼び起こされるような瞬間があるとお話ししていました。それに対して上間さんはどのように対処しているのでしょうか」


上間 自分のトラウマが刺激されるような話は確実にあります。あ、受けちゃったな、きついな、自分はこういう話に弱いんだなと思う。だからまずは精神科のお世話になっている先生のところに駆け込んで話をする。眠れないときは眠れないって言って、眠れるお薬ももらって、30分たっぷり話をするなどはしてきました。

 あとは(心理療法の)EMDR治療も受けていました。ワンクール終わって、どんなことに自分が反応しているのかがわかってきたから、少しは良くなった気がします。
 
 あと、お話をしてくれた女の子たちについては、昔はすごく心配をしていました。今夜、フラッシュバックを起こしていたらどうしよう? 大丈夫かな? と。でもそういう微細な心配を、いまはあえてしていない。ショートメールで「今日は大事なことを教えてくれてありがとう」と、ばくっとした内容を送っています。
 
 あとは彼女たちが自分でなんとかできると信じようと思っています。眠れなくなるかもなぁと思うんですけど、でも話を聞いていると、意外と寝ているし、眠れない時間をどうすごしたかあとで知ればいいと思っています。調査には自死された方もいるので不安が先立ち、前の方が深入りするようなメールを送っていたように思います。

 ご自身の年齢や立場によってスタイルが変わってきていますか?

上間 変わってきています。まずあんなに克明に覚えていたのが覚えられなくなったし、時間をかけることができなくなりました。30歳あたりでエスノグラフィーはキワだなと思って。でもインタビューをはじめて、レコーダーがあるから回しておけばいいので、ああよかったって思いました。50歳を手前にして、立ち位置も変わってきた。

 相手に深入りもしなくなったし、自分が傷ついたことも無視しなくなった。でも、調査チームにも必要があるなら、洗いざらい話して、自分にとってトラウマチックな体験を思い出すような内容だったら、それはプロの力が必要だから、専門家の先生に頼っています。

 上間さんはすごくコミットして、支援までやっているでしょう。でも大半の研究者は、これは自戒を込めてですが、パッと聞いて、パッと帰る。調査をする人は、深くコミットメントしたほうがいいと考えていますか。

上間 うーん、お行儀のよい回答をするのであれば、フィールドによってコミットメントの深さや方法は変わると思うんです。ワンショットサーベイでも、センスのいい人がちゃんとやれば声を拾えると思っています。これが優等生の答えでしょうね。でも私は調査屋さんとして、深く入る方の個人技には憧れがあります。だから、うわー、このデータ負けた! 悔しい! って思うことは多いです。

 よく「悔しい」って言うよね。

上間 悔しい。岸さんにクワガタの分析をされたときも悔しかった。『裸足で逃げる』で書いたんですが、優歌のお父さんが、DVしている彼氏のところに帰る優歌にクワガタを持たせる話がある。優歌は「意味わからん」と言っていて、私は「お父さんは、クワガタしかあげられないから、あげたんだよ」と言って、せっかくお父さんが渡してくれたのに……と優歌に対して思ったんです。

 そうしたら岸さんが、「優歌の声を聞いてないってことじゃない?」って言ったんです。お父さんは最初から優歌の言葉を聞こうと思っていない。彼女を大事に思っている父でさえ、声を聞こうとしていない。これが共同体における女の位置なんだという分析をしていた。

 本人がクワガタほしいかに関係なくあげているからね。『マンゴーと手榴弾』(勁草書房、2018年)の「プリンとクワガタ」という文章に入ってます。本人がクワガタほしいかどうかなんて関係ないんだ、って最初に思いました。

上間 あとは打越さんの調査でもよく録ったなと思うものがいくつもあります。やっぱりそれがうらやましいということは、私のなかで優先のものがあるということでしょうね。でも方法論はいろいろやってみたらいいと思います。

 拾い方はいろいろある。

上間 そうですね。統計が得意な人も、ワンショットサーベイや、参与観察が得意な人もいるし。いろいろやってみた方がいいと思う。調査は、「恥知らずの折衷主義」(佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー』新曜社、1984年)みたいな世界だと思うし。自分に合うかどうかもあるし。方法論はフィールドが選ぶものでもあると思っています。

 本当の話を聞くためには、ラポール(親密な信頼関係)を形成する必要があると思う?

上間 それはないです。上手い質問ができれば、話は聞けます。ラポールではない。それもまた変なロマン主義だよね。淡々とさばさばと、本質的なことを聞ける人はいます。

 そのためにラポールを作るってそもそも相手に失礼ですからね。

上間 ラポールは思わぬことって感じ。私は無くていいと思うし、そもそも調査対象者を支援しようとも思っていません。

質問3 「上間さんは最初に高校で調査をしていたとおっしゃっていました。その時に学校の先生が聞けないようなことも聞くこともあると思うんですが、その時に先生に伝えなければいけない場面も出てくると思うんです。私自身、いま調査で学校に入っていて、どこまで先生に共有したらいいんだろうと悩んでいます」


上間 難しいですよね。高校で調査をしていた中で、やめようと思うぐらい悩んだのは、先にも言った援助交際の人の子どもか、彼氏の子どもか分からないけど妊娠して産むことを決めたという子の話を聞いた時。相談されたときに「いると思う?」とお腹を触らされて、「あ、いる」、これは妊娠しているなと思った。その時は、この出産はどうしたらよいのか、生まれてくる子は大丈夫なのか、彼氏はどうなるのかなど悩んで、やはり先生に言おうと思いました。そして調査をやめようと。

 でも私が先生に言う前に、その子が妊娠していることが親や学校にバレて、その子が学校を辞めることになりました。私に相談していたことは、私からは一切どこにも出さないまま収まって、その子の家族の決定になったんです。この例にあるように、学校の中で調査する時、情報を誰にどう伝えるのかがとても悩ましかったです。だから沖縄でやる調査では外から関わろうと思いました。
 
 基本的には調査をしていた時には、「聞いたことは、先生たちには一切言わない」と最初に決めていたし、言っていました。休み時間も帰り道もいっしょにいるからね。

 相談されてアドバイスすることもあるでしょう。その時に、嫌な言い方かもしれないけど、介入しているわけじゃないですか。

上間 え、しますよ。私は大人だし、関わっている時間が長いんだもん。自分の意見は言う、私はこうすると思うよって。まぁでもその通りにはやらないですよ。私の意見は合わせ鏡でしかないし、それによって自分の考えがまとまって、私にも動いてほしいといわれた時に考えます。

しつこさが大事

 これから調査をやる若い人にこういう調査してほしいとか、アドバイスありますか。

上間 ない。「おやりなさい」って感じです。調査は面白いですからね。ひとつだけ言うなら、しつこさは大事です。

 ああ、めっちゃ思う。

上間 沖縄で一緒に調査をしている上原健太郎さんのデータを読んでいると、すごく面白いんですよ。あ、しつこいんだ、この人、だから面白いんだと気づいた。しつこさって大事です。

 すごくわかりますね。上原さんは調査の中で、居酒屋を開店するときに、おじさんから口約束で600万円借りたという、いかにも沖縄の共同体的つながりの濃さをあらわすエピソードを聞いた。普通ならそこで終わりですが、そのあとに、そのお金を貸したおじさんのところまで行って話を聞きにいく。あれはしつこい。本当に大事。実際調査を続けている人は、しつこいよね。一つのことをずっとやっていたり。

上間 みんながしつこく聞けばいいんじゃないかな、と思います。怒られたりうざがられたりしながら。

 私ももう沖縄に通って25年になりますわ……。調査、頑張ろうな。もう、3時間半。よう喋ったな。

上間 本当だ。

 今日は長時間ありがとうございました。

(構成:山本ぽてと)


*2022年9月15日、沖縄県西原町にて

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著者略歴

  1. 岸 政彦

    岸政彦(きし・まさひこ)

    1967年生まれ。社会学者・作家。京都大学教授。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『ビニール傘』(新潮社、2017年)、『図書室』(新潮社、2019年)、『地元を生きる──沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版、2020年)、『大阪』(柴崎友香と共著、河出書房新社、2021年)、『リリアン』(新潮社、2021年、第38回織田作之助賞受賞)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房、2021年、紀伊國屋じんぶん大賞2022、毎日出版文化賞受賞)、『生活史論集』(編著、ナカニシヤ出版、2022年)、『沖縄の生活史』(石原昌家・岸政彦監修、沖縄タイムス社編、2023年)、『にがにが日記』(新潮社、2023年)、『大阪の生活史』(編著、筑摩書房、2023年)など。

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