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岸政彦 「調査する人生」

打越正行 x 岸政彦 相手の10年を聞くために、自分の10年を投じる


今回お話しするのは、和光大学の打越正行さんです。2019年に刊行された『ヤンキーと地元──解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(筑摩書房)は、発売より大きな話題を呼び、第6回沖縄書店大賞 沖縄部門大賞を受賞しました。対談を通じて、10年以上をかけて沖縄の若者たちの社会に入っていった打越さんの「調査する人生」を聞きます。


暴走族の中でパシリをはじめる

 打越正行さんは社会学の中では伝説的なひとで、最初に会ったのは15年くらい前、当時からすごいフィールドワーカーがいると話題になってたんです。まだ20代ですよね。あの時は沖縄に入る前だった?

打越 そうですね。広島で暴走族の調査をやってた頃です。はい。

 その調査は、打越さんが暴走族のたまり場に歩いて近寄っていって、「ぼくを入れてください!」って言って始まった。

打越 人類学的には極めてオーソドックスな、つまり調査する人びとの社会に入らせてもらうやり方で調査を始めました。

 オーソドックスに(笑)。

打越 アリスガーデンという名前の公園で、彼らはわりと気合が入った集会をしていて。「○○連合! 打越よろしくー!」って言ったら、周りが「よろしくー!」と返答して、輪になって並んで、その声かけを一周する声出しという儀式があって。

 人数分「よろしくー!」しないといけない。そのビデオがすごく面白くて。暴走族の中に入って、打越さんはパシリをしていた。こんなひとがいるんだって、衝撃を受けました。 打越さんは調査をしようとどの時点で思ったんですか。打越さん自身の生活史も相当面白くて、出身は広島で、大学は琉球大学。教育学部の数学科で、数学の先生の免許を持っている。で、琉球大学を卒業したあと、1年間大学に住んでたんだよね(笑)。

打越 そうです。住まわせてくれたんです。

 住まわせてくれたって、たぶん黙認してただけだと思いますが(笑)。

打越 違うんですよ。 大学の先生が同僚との会議をちゃんと通してくれたんです。よく住まわせてくれたと思います。

 へえええええ。今だったら考えられないね。打越さんをキャンパスに住まわせるか住まわせないかの会議……教室で寝てたの?

打越 教室で寝てましたね。寮へ風呂入りに行って。寝袋で寝てたら、ときどきニャンコが中に入ってくるっていう。

 あー。いいですね。

打越 いやいや、私そんなにニャンコ得意じゃないんで、夜中に入ってきたらキャーって叫んでました。

 もったいない……一緒に寝たらいいのに……。それで広島に帰って、広島で社会学の大学院に入る。もう社会学者になろうと思ったんですか?

打越 社会学者なんてまだまだ、ただ社会学を勉強したいなと。

 社会学の中でも最初からフィールドワーカーになろうと?

打越 はい、それは。とにかく調査をしたかったですね。

 お手本になった本はありますか。

打越 やっぱりポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)です。ほんまに何回も読んで。いま3冊目なんですよ。1冊目、2冊目はボロボロになってですね。全部付箋貼って、全部赤線引いて。どこが大事かよく分かんなくなってます(笑)。前半の民族誌編はほんとにおもしろいので、みなさんも騙されたと思って読んでみてください。

「大学生のくせによく頑張ってるじゃないか」

 社会学の調査としては、打越さんは広島の暴走族の参与観察を数年やったんですよね。そのあとは沖縄に移住して、まずは同じように暴走族を?

打越 そうです。国道58号線という沖縄の幹線道路があるんですが、そこが暴走族の若者たちが集まり、暴走をみせる舞台だったんですよね。バイクでブンブンいわせてるときに声かけると怒られるので、彼らがコンビニで休憩しているときに声をかけました。

 最初の頃はぜんぜん相手にしてもらえなくて。当時私は30手前で、私服警官じゃないかと、すごい警戒されました。私もうまく話を聞けなくて「どこの生まれ」とか「何歳?」とか警察が聞くようなことしか聞けなくてますます警戒されました。彼らに覚えてもらうために、毎日同じバイクと同じ服で行って。あっ、洗濯してないとかじゃないですよ(笑)。そうやって覚えてもらって、面白がられて。2年目か3年目くらいで、建築現場に入れてもらえるようになりました。これが転機でしたね。

 よくそこまでやりましたね……。

打越 建築現場で働かせてもらって、大学生のくせに──彼らの中では、大学院生も大学生なんですね──よく頑張ってるじゃないかと、評価を得たのがさらにそこから2年、3年目。ここからやっと、話を聞かせてもらえるようになった。さすがによく耐えた(笑)。この過程で起こったことって、信頼関係を築くというより、大学生っていう得体のしれない勉強しかしてこなかったようなやつが、実は俺たちよりなにも知らない、できないことがバレてしまったんだと思います。だから、彼らは私にバイクの改造の仕方、泡盛のつくり方、キャバクラの楽しみ方などを実地で教えてくれたんです。物知りや偉そうなやつから、なんも知らない、できないやつに時間をかけてたどり着いたんです。

 人類学的な調査ですよね。ぼくは調査をやっていると言っても、人と喋るのが苦手で、わりとワンショットサーベイが多いんです。人を紹介してもらって、生活史を聞いて、あとは手紙のやり取りくらいってことが多い。

 打越さんみたいにじわじわ、最初の数年を無駄にしながらも、入って行くというのは、今の社会学をやっている人の中では、あんまりいないですよね。そうした入り方をしていって、「地元」というキーワードがだんだん焦点化されていくわけですよね。

打越 そうですね。なんか大事なこととか面白いことが焦点化されていくのって、あとからなんですよね。

「地元」はどうやら優しい共同体ではない

打越 地元に焦点化するきっかけになったのが、『ヤンキーと地元』の冒頭に出てくる、「沖縄、嫌い、人も嫌い」と言ったヤンキーの若者、拓哉(仮名)の語りです。

 あの語りを聞けたのはほんとうに素晴らしいと思います。上間陽子さんも別のところで「調査者として嫉妬する」みたいなこと言ってますよね(信田さよ子・上間陽子『言葉を失ったあとで』筑摩書房)。なぜ「嫌い」と言ったんだろう。

打越 強烈な上下関係が大きかったと思います。彼はやんばる(沖縄県北部)の僻地出身なんですけど、エイサーに誘われるようになるんです。エイサーというのは伝統芸能で、地元の先輩から無理やり誘われて、練習に来なかったら痛い目にあわされる。お酒も飲まされる、もうめんどくさいと。彼は地元を出て、中部あたりで働き始め、建築の仕事をしたり仕事を転々としていた。沖縄出身者が「沖縄が嫌い」って話を、私ははじめて聞いたんです。その沖縄ぎらいは、上下関係や、仕事がないところにあると思った。彼がそう感じるわけを、沖縄の歴史や社会的背景から書かなければいけないと思いました。

 それまでの沖縄研究では、「共同体社会」として沖縄を描くことが主流でした。大阪や東京のような都市部にはなくなった、豊かな共同体がまだ生きていて、相互扶助の論理で暮らしているのだ──と。90年代からは変化して、ネットワークはあとから構築されたものであり、その中にも多様性があるのだという議論も出てきました。でも基本的には、共同体社会を前提として描かれてきたと思います。ぼくも最初から非常に違和感があった。
 それに気づいたきっかけは、のちに『同化と他者化』(ナカニシヤ出版)という本のもとになる調査をしていたときです。20年ぐらい前かな。復帰前の集団就職や本土出稼ぎについて調べていたのですが、当事者に話を聞こうと思っても、沖縄の友だちはほとんど紹介してくれなかった。そもそも「そういう層のひとたち」とつながりがないんです、みんな私と同じように大学や大学院を出て安定した暮らしをしている人が多かったですから。まあ私は貧乏な大学院生でしたが。階層格差っていうか、やっぱり沖縄も学歴や職業によって「分断」されているんだなという、当たり前のことに気づいたんです。
 拓哉が「沖縄は嫌い」と言ったことから、沖縄の共同体の経験のされ方の多様性を感じますよね。一枚岩ではない。階層格差もあるし、ジェンダーもあるし。「地元」というのは、どうやら優しい共同体ではない……ということが、ぼく自身も調査をする中で段々分かってきて。

打越 かといって、壊れているわけでもない。

 そうそう。壊れていない。「いろいろな機能を持っている」ということです。

打越 そこが大事で。みんなで助け合って「ゆいまーる」(「助け合い」を意味する沖縄方言)な、相互扶助が機能している共同体でもないし。でも共同体がぶっこわれて、みんなが個人的に生きているわけではない。ヤンキーの若者たちが今の沖縄を生きるために新たに厳しい上下関係を必要としていて、つくられているんです。だから、それは懐かしむものでも、遅れたものでもない。このように地元の人間関係の在り方が変わっていく過程に、関心は焦点化していきました。

 単なる弱肉強食ではないということです。そうした形で、打越さんの中で「地元」がテーマとして焦点化されていったわけですね。

ネットワーク全体の中に埋め込まれて関係性や作業が進んでいく

 さて『ヤンキーと地元』は、ジャーナリスティックな本として読まれることが多いですが、実は非常に理論的な本だと思っています。今回は社会学の理論的なところを中心に話していきたい。
 まず第二章で、建築現場に入りますよね。地元で暴走族をやっていた少年たちが、暴走族を卒業して日雇いとして建築現場で働くようになっていく。打越さんはなぜ建築現場に入ろうと思ったの?

打越 まずは、国道58号線で彼らが暴走しているところに調査に入って、バイクの改造を行う「アジト」に通うようになります。

 地元の暴走族のバイク倉庫だけど、たまり場になっていてダーツやトランプ賭博をやったりするんだよね。

打越 はい。そこで、強烈な上下関係を見ました。先輩は後輩たちを強引にトランプに誘います。後輩は勝てないし、勝ってはいけない。お金がなくなるとギャンブルできなくなるので、先輩は後輩に「トランプできないなら、沖組(建築現場)で働けばいいさー」と優しく仕事に誘うわけです。かつての中学時代のように「金だせ!」ではなく、優しく方向づけられていく。そうして現場に入ると、仕事内容もそうですが、過酷な人間関係があるので、ぜんぜん優しくないんですけどね……。

 それにアジトにいるメンバーはみんな沖組で働いているので、給料日にいくらもらっているかもバレバレです。「給料日だし、トランプやろう」と誘われたら、後輩は断れない。この関係は、生涯とまではいかなくても、当面終わる見込みのない関係だとアジトに入った時点で見えてきて、それは現場で働く際に求められてのものではないかと思い、それを確かめるために建築現場で調査を始めました。現場に入ってみたら、本当にそのままでしたね。本にも書きましたが、後輩たちは「兵隊」と呼ばれる。地元の先輩にとって、後輩は「兵隊」だと。

 このトランプでは、後輩は勝てないんですよね。

打越 勝つとシバかれるか目の敵にされる。技術がものをいうダーツは先輩が勝つんで安心してできるんですけど、トランプだと時どき間違えて後輩が勝っちゃう時がある。

 間違えて勝っちゃう(笑)。

打越 そう、間違えて勝っちゃうと、次の日は必ず「今からトランプやるから来い」と誘われて、根こそぎどころかもっととられて、「お金がないなら働けばいいさー」と。どんどん後輩も地元から逃げられなくなっていく。

 これだけ聞くと、単に理不尽で過酷なように思えます。ここから『ヤンキーと地元』では、なぜ過酷になるのか? と理論的な問いに入っていく。

 例えば、建築現場では言葉で教えてくれない。ぼくも日雇いのドカタを長いことやってたんで分かるのですが、現場での指示は「おい」「こら」で行われる。普通はそれじゃあ分からないですよね。入って初日で「おい、あれ」とか言われて、持っていくものを間違えると怒られる。

打越 そうなんです。分からないんで聞くしかないんですが、聞いても怒られる。岸さんは建築現場の学習過程を、「学習」と「練習」と「テスト」を同時にやり続けてるって書かれてましたね(「建築労働者になる──正統的周辺参加とラベリング」『ソシオロジ』41(2)、1996年)。ほんと、その場で起こってることをうまいこと概念化されますよね。私は10年かけても気づけないこと多いのに。

 習ってないことを間違えると怒鳴られる現場。その中で人はどうなるのか。限りなく中動態的というか、全体を見渡して、ざっくりした反射神経みたいなところで動いていく感じになっていくわけですよ。

 『ヤンキーと地元』の中でも、出来の悪い先輩が怒られているのを見たりして、「ああいうことをしたら、怒られるんだ」と身体で覚えていくところが描かれています。つまり、仕事を覚えるということと、人間関係をうまくやっていくということが不可分なんです。ネットワーク全体の中に埋め込まれた形で、関係性や作業が進んでいくというのが、地元社会の構造そのままなんです。

打越 おもしろいですねー、國分(功一郎)さんの中動態の話ですね。現場でそういう風に指示を出すでも指示を受けるでもないところで作業が展開されていく感覚を絶対に書きたかったんですよ。軽度の知的障害のある方が建築会社で働いていて、仕事の時にバカにされたりもするんですよ。「まだ、これやってるの?」と。でも過度にバカにされているわけではないんです。今お話ししたように、若い奴らはその先輩がいつも怒鳴られてバカにされているのを見て、仕事をおぼえているからです。だから後輩たちが、一緒になってその先輩をからかうこともない。そういう面が確かにありました。

地元の実践感覚を数年かけて身に付けていく

 ピエール・ブルデューがいった「実践感覚」のようなものですよね。実践(プラクティス)的な感覚、現場の感覚が、地元の人間関係にもそのまま使われている。例えば本の中で「回ってきましょうね」という言葉がある。

打越 先輩たちが居酒屋でお酒を、深夜2時3時まで飲むんですが、みんな過去の集団暴走で免許停止になっているし、送迎を呼ぶお金もない。地元の後輩に電話をして「おい、ちょっと、今どこどこで飲んでるから、家まで送れ」と無理難題をいうんです。後輩は夜中なので、普通に寝ているわけです。そういう時に、「あ、あとから回ってきましょうねー」と、行く気はあるんですよという体で、ただどっちつかずの返事をして電話をとりあえず切る。そういうことで、かわしていましたね。

 「こんな夜中に何ですか!」と表だって言って関係性を壊してしまうリスクを避けながら、同時に自分のこともちゃんと守る。実践的というか、ほとんど身体的な行動ですよね。うまいこと収めるのが第一目標のような感じで。だから、角を立てないけれど、自分もなるべく損をしないようにする。

 現場の労働形態がまさにそうで、日雇いでは毎日現場が変わるし、オン・ザ・ジョブ・トレーニングみたいなものもない。人も毎日入れ替わるし、一から教えてもらえないんですよ。やっている方もしんどいし、イライラしちゃうし、殴っちゃう人もいるし。そういうところでは過度に自己主張もしないけど、状況を敏感に察して、損もしないように振る舞う。ここでは人間関係が死活問題です。

打越 私も桟木サンギっていう木の棒で、ヘルメットをバーンとされました。よく見ると、その桟木に釘が刺さってるんですけど。そういう場所なんで、損をしないようなところに落とし込む感覚はよくわかります。先輩にたてついたりしたら、すべてを失うわけですよ。そんなのは法律で守られてる人の戦い方で、彼らは勝てないなかでいかにすべてを失わずにとりあえず明日の生活をやりくりするかの戦いを展開しています。

 ぼくも数年やっていたので、そういう雰囲気になるのは分かる。仕事できないとバカにされるし。言語化されないようなやり方で動いていくところが、地元社会と建築現場ではパラレルになっている。

 地元社会や共同体が過酷であることは、社会学者でなくてもみんな分かってるし、社会学者も分かってはいるんです。でも打越さんのように、そこまでちゃんと描いた社会学者はほとんどいないんですよ。その過酷さ、ヒリヒリとした切実さ、身体の張りかた。実際に打越さん自身が先輩にシバかれながら書いている。

打越 そう。過酷な社会であることは事実なんですよ。理不尽に殴られる。目の前でそういう展開になると、もうわけ分かんないから、とりあえず落ち着いてもらうために振舞うしかない。角を立てずに振舞ったりね。そんなの、逃げればいいじゃん、仕事変えればいいじゃん、沖縄を出ちゃえばいいじゃん、と思うかもしれませんが、彼らはそうしない。

 私ははじめ、選択肢が少ないから、逃げないのだと思っていました。だけど最近、そうじゃないなと思ってきた。選択肢が少ないんじゃなくて、選択肢はないんです。ゼロのところから、地元先輩を怒らせないようにふるまったり、送迎に行きたくないけど行かなきゃいけなかったり、どう話を落とすのかみたいな、感覚的なものを、4、5年かけて身に着けてやっとひとつ地元で生きるという選択肢をつくるんですよ。やっと時間をかけて先輩の扱い方が分かってきたし、先輩の扱い方はその先輩にしか使えないですから、やっと身に着けたものを、そんなすぐには手放さないですよね。

 若い奴は全員がパシリなんですよね。だからフィールドワークをパシリからやった打越さんの方法は、ものすごく正解なんです。地元の若い人たちと、同じ体験をしているわけですから。

打越 最初から狙ってやってたらよかったんですけど、それはあとから気づきました(笑)。

パシリを引き継ぐ後輩が入ってこない

 そしてパシリで5年くらい我慢したら、下からまた入ってくるの。先輩たちは30歳くらいで、鳶として独立したり、生活が安定したりしていって、妻子もできて、現役からはちょっと抜けて、隠居や名誉顧問な感じになっていく。で、今度は自分が1番上になれると。でも今までのそうした流れが、いまは崩れているんですよね? 沖縄でも少子化が進んでいる。

打越 彼らの中のステップアップがもう出来なくなってきています。少子化で子どもの数も減っているんですが、そもそも93年から沖縄の建築業の仕事が減っているので、若いのをわざわざ育てる必要もなくなってきた。

 私が調査の対象にしてきたのは、そんな状況の中で、下から入るべき人たちが入らなくなってきた世代の若者でした。しんどい役割を後輩に引き継ぎたいけど、引き継げない。あと5年殴られれば、自分たちも殴る側に回れる、兵隊の上に立てる側に回れるという見通しで、一応踏ん張ってきた。でも下が入らなくなって、20代後半、30になっても地元の先輩たちのパシリをしなければいけない。いつ終わるのか分からないキツさが生まれてきた。

 30歳になってもパシリをしなければいけないのは、屈辱的ですよね。自分としては次のステージにいけたと思っていても、いけない。殴られる側から殴る側になれているわけでもない。給料も1日8000円とかなんですよ。技術的には彼らいわく4、5年でほぼ身に着けてしまう。キャバクラに行っても、若い頃はチヤホヤしてもらえるんですが、20代後半だとおじさん扱いされてしまう。なんかすべての面で、自分がステップアップしていると感じる機会がなくなっていきます。

 知念渉『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』(青弓社)を読むと、内地の工務店や建築現場の中には、ステップアップがありますし、その土地で開業して地縁血縁をもとに長く雇い入れる体制がまだ残っています。上下関係はあると思いますが、下から生意気なヤツが入ってきても、自身が2段も3段も上のステップにいるわけですから「若くて、元気があるのが入ってきた」と笑えるわけです。でも沖縄では、自分が次のステージにいけない状況にあって、フラットにタメ口なんか使われたら「分かってねぇな、ブシッ(殴る擬音)」ってなる。

 やっと建築現場に入ってきた、若くて、しかも仕事の出来る子がギャンブルで負けさせられたんだっけ。

打越 そうです。ギャンブルで大勝ちしてしまったんです。勝ったらふつう笑いますよね。でも「なんでアイツは、笑ってるば。許さん」みたいな感じで、ボコボコにされて辞めちゃいました。

 そんなことしたら、余計入ってこないし、悪循環ですよね。『ヤンキーと地元』で描かれているのは、まず、地元の感覚ですよね。じわーっと上手いこと丸めるような感覚。さらにどのような仕事をしているのかと、地元の人間関係とにすごく関連があること。経済的な条件と、共同性とのあいだに関連があることは、これまで理屈では指摘されていましたが、具体的に描いたのがこの本です。

 もっとすごいのは、この構造が変動しているプロセスを書いていること。今まで「共同体が、沖縄社会の本質だ」と描きがちだったのを、経済の方に埋め込んで考えた。しかも自分で現場まで行って見たことで描いた。しかもそれが普遍的なものでありつつ、たとえば少子化などの、いろんな条件で変動していくところも具体的に描いたのはやっぱすごいな。

製造業は「書かれた言語」、建設業は「話し言葉」のコミュニケーションが中心

打越 沖縄にはほとんど製造業がないんですよ。油まみれになる仕事がない。私が影響を受けた『ハマータウンの野郎ども』では、仕事に誇りを持って働いていく男たちの話が書かれています。でも私が調査で出会った建築業の彼らは、誇りを持てていなかったんですよね。「俺らの仕事なんて、単純で、誰でもできるんだよ」と言っていた。仕事への誇りもそれを支える地位も何度も壊されてきたので、だから最後にすごく強烈な上下関係に頼らざるをえない。これって沖縄でもともとあったものではなく、特定の歴史や産業構造によって出来上がっているものだと私は思っています。

 ぼくらの共通の師匠である青木秀男さんが、ホームレスや寄せ場労働者の人生について論文を書いています(『現代日本の都市下層』明石書店)。戦後の高度成長期に大量の貧困層が山谷や釜ヶ崎に流入し、主に下層建築労働に携わっていく。都市下層というものも、要するに都市化や産業化のなかで生まれてくるんですよね。

打越 青木先生が行った調査は強烈で、ひとつだけエピソードを紹介すると、青木さんが調査しているホームレスのおっちゃんから「俺は故郷の家族に仕送りしよるんで」という話を聞いたらしいんですよね。いくらかは忘れたんですが、数万円だったかと思います。その男性の話は周囲のホームレスの方々からすると、そんな余裕はないはずで「嘘」なんですよ。そんな不確かなデータはいままで論文などでは使えないものだったわけです。ここからがすごいんですが、青木さんはこの語りの真偽を判定するのでなく、その「理由」を理解しようとするわけです(青木秀男「都市下層と生活史法」谷富夫編著『新版 ライフヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社、105-131頁)。日本のホームレスっていうのは男性が多くて、当時はまだ社会病理学などで救済の対象だったり社会を改良してなくす対象だったんですよね。つまり怠け者で社会に不適合な人たちだという理解です。それに対して青木さんは、このおっちゃんは「俺は怠けもんじゃないんで」ということ、つまりしっかり稼いどんでということを伝えているのではないかと主張されるわけです。また仕送りの話も今は一人だけど俺の稼ぎをあてにしている家族が故郷におるんで、つまりひとりじゃないんでということを伝えようとしている。日本のホームレスが(海外と比較して)孤立し「惨め」な生活をしつつ、勤労倫理に基づいた「誇り」をもっているという相反する感情をもちながら生きているという知見を発見し、それをもとに先ほどの社会病理学などを痛烈に批判したわけです(青木秀男『寄せ場労働者の生と死』明石書店)。まあ惚れますよね(笑)。

 妻木進吾さんの論文(「野宿生活──「社会生活の拒否」という選択」『ソシオロジ』48(1)、2003年)でも、実はホームレスはかれらなりの「労働規範」を持っていて、だからこそ福祉に頼らずに公園で暮らすことを選ぶんだ、ということが書かれています。
 話を戻すと、ホームレスになった方にライフコースを聞くと、地方からやってくるまでは一緒なんだけど、建設業を選んで入ってきた人が多いんです。製造業は資本の蓄積があって生活が安定しやすい。あと、時間通りにはじまって、全部手順が決まっているんですよね。鎌田慧の『自動車絶望工場』なんかは、手順が全部決まっていることのしんどさが書かれてあったわけですが。

 一方で建築現場は、ものすごくファジーなんですよ。自分がいま何の仕事をしているのか、現場の仕事を見通すまでに何日もかかる。現場の人間同士のコミュニケーションに依存するんですよ。それは飲食店やサービス業にも共通しています。まさに沖縄の産業構造で多いのがサービス業と建設業です。だからこそ地元の人間関係のネットワークの濃さが維持されている。沖縄の伝統文化という面もあるでしょうが、産業構造の問題でもあるのではないかと思います。

打越 そのファジーな感じが表れてるのが言語です。建設現場では社会関係や文脈に依存した言語で仕事の指示が出されるわけです。それを理解できるのは特殊能力ですよ。そういう言語を身につけなければならない点で、製造業と建設業には大きな違いがあります。製造業はマニュアルの存在からもわかるように「書かれた言語」がその特徴で、建設業は文脈依存的な「話し言葉」が中心となっています。

 例えば沖縄で建設現場から工場に移った方が何名かいて。彼は自動車の塗装の仕事をしています。「俺はね、ABCDEぐらいの5段階のレベルの仕事を使い分けできる」って彼は言うんですね。例えば、近所のおばちゃんとかが、そこらへんでこすってきたら、もうEランクの仕事でいい。手を抜いているわけじゃなくて、おばちゃんにAランクの仕事をしたら、ボラれたと思われるわけです。

 一方、自衛隊のお兄ちゃんが車をこすって持ってきた場合。こういう人にはSの仕事をする。で、ちゃんとお金を取る。そういう仕事のやり方をしている。自分の技術を調整して、社会とネゴシエーションしながら働いている。これは建築にはない感覚です。それができるのは、技術を習得するマニュアルがあって、それに沿って成長した軌跡を実感しているからです。

 なるほどね。

打越 建築には期日だけがあって、そこにいたる過程は現場任せです。現場監督はいますが、常に1階の事務所にいて、いないようなものじゃないですか。その中で、無茶苦茶な納期だったら暴力が起こりやすいし、誰と働くのかで、ぜんぜん異なる仕事になっちゃうんですよ。

リスクを最小限にしてうまく生き残り続ける能力

 その次の章では性風俗店の経営の話が出てきます。女の子のスカウトや管理の仕方が、詳細に鮮やかに描かれている。その実践感覚も面白い。女の子と等距離を取り、表だって権力や権威に反抗しない。警察やヤクザに歯向かわない。そうやって上手いこと回していく。ものすごくクレバーな立ち回りです。

打越 ケンカして負けるとゼロになっちゃうんでね。でもケンカせずに、なるべく引き分けに、負けに近い引き分けとかにすると、10の掛け金のうち2や3は残るわけですよ。生活は明日も続くわけで、そっちの方がいいから、そっちに落とし込むんです。

 女の子でも、ものすごくかわいい子が面接に来るけど雇わないですよね。

打越 容姿がとびぬけた女の子が店を移るって事は、何か怪しいなと、どの店にいたのかを聞いて、そこのオーナーに確認する。実はその女の子はちょっと酒癖が悪くて、客に絡むから気を付けた方がいい、みたいな話が出てくる。それでキャバクラでは雇用せずに、同時展開していたセクキャバに配置転換して、酒抜きでやってもらうみたいなことをやっていました。

 その辺の嗅覚ですよね。瞬発力。一瞬で怪しいなと雲行きを観察する。全体を見通して、質的な判断をその場その場でしていく実践感覚のありかたがものすごくよくあらわれています。

打越 確かに彼個人がすごいとこもありますけど、それは地元で若い時に揉まれながら身に着けた感覚なんですよね。

 上手いこと丸める、立ち回る。リスクを、ゼロにしないまでも、最小限にする。目立たない。一人勝ちをしないとかね。

打越 そうですね。ぼろ儲けをすると、同業者にいつ密告されて潰されるのか分からない。風俗店の営業なら、ぼろ儲けして、さっとにげるのが得策だと思いますよね。でも沖縄で安定していくには、目立たないやり方がベストなんだと彼は言っている。内地なら、ヤクザと手を組むとか、そういう方法を取れるかもしれない。沖縄の場合は、ゲームそのものがいつリセットされるのか分からない状況で生き続ける戦い方ですよね。やっぱ独特だなって。この彼の戦い方から、彼の戦っている舞台の特徴がみえてきます。彼の戦い方は明らかに内地の都会の風俗経営者とは異なります。主導権を取りにいくのではなく、主導権を握られた状態で負けずに、そして勝たない戦いを展開している。この彼の戦い方に、沖縄の歴史と構造が刻まれているように思います。

 加減を見るのがすごいリアルですよね。しかしよくこんな調査ができたね。彼は今、その風俗の経営はしていない?

打越 はい、抜けましたね。彼はこういう感覚をしっかり身に着けたから、どんなことがあっても対応できる。ただ俺が対応できるのは一店舗だけだと。というのも、彼もいろいろと店を広げていったんですが、店長を他の人に任せたら、結局揉めちゃうんですね。

 他の人に店長させると、売上を抜かれたりいろんなことがある。だから店長を雇うにしても、地元のつながりで雇うんですよね。

打越 逃げない人を。彼曰く、ちょっと気の弱いヤツをその気にさせて店長にする。

 打越さんは本当にそういうディテールを拾ってくるのが上手ですよね。

暴走族が10年間で激減

 暴走族の構造の変化が書かれているのも面白かった。暴走族がたしかにこの10年くらいで激減してるんです。ちょうどこの本に出てくる若者たちが現役だったのは10年前。当時の打越さんの調査の様子を、アメリカのドキュメンタリー作家が取材してますよね。

打越 アメリカの物好きな放送作家から、ダイレクトメールが来て、取材させてくれ! と。

 当時の暴走族の様子と、流暢な英語(笑)で答える打越さんが残っています。動画、見てみましょうか。

 なんかこのTシャツ見ると、あー、打越さんやなーって思うわ(笑)。これよく着てるよね。

打越 覚えてもらうために同じ服着てました。当時はギャラリーが100人近くいました。ここ10年で数も減ってしまって。単純に建設の仕事が増えて暴走しているどころじゃないっていうのと、ギャラリーのほとんどが、キセツ(季節労働)帰りでまだ失業保険がもらえていたんですよ。

 暇だった。

打越 そう。働いたら失業保険が貰えなくなるので。見物するギャラリーが沢山いた。今は見る方も減っちゃったんです。仕事があって、キセツ帰りの失業保険ももう無いので。

 ただ本当に、暴走族自体が10年で激減したよね。これは警察庁の統計でも明らかです。数が減って、残ってる人たちも高齢化してる。

打越 今はですね、ギャラリーが警察と一緒にスマホで撮ってる。当時だったら厳しい取り締まりには「警察やりすぎだろう」って言う人もね、やっぱり多かったと思うんですが、いまその様子がYoutubeにあげられても、コメント欄は「警察よくやった」なので。

 雰囲気も変わったと。権威に抵抗するよりマナーの方を守る。それはなんか、ヘイトスピーチに対するカウンターへの反感とか、いろんなところに感じますけど。マナーが悪い方が悪いって。
 しかし、本当にここ10年で変わったなあ……。暴走族が減った。内地でもそうです。この前、大阪で久しぶりに暴走族みたいなやつがおって、よくみたら、ぼくくらいの年齢の、けっこうおっさんがやってたりする(笑)。

ストレートな地元愛を聞くことはほとんどない

 そろそろ、会場からの質問に答えていきたいと思います。

質問 1 「沖縄のヤンキーたちに特有の地元愛を書くことは可能なのでしょうか」

 地元愛を書くのは難しいですかね?

打越 ときどきキセツ(労働)で、内地に行く方はいるんですよ。それでやっぱ沖縄が好きと言って、帰ってきますね。「やっぱ、沖縄がいいやっさー」って。でもその彼にとってその沖縄は殴られるとこなんですけど。

 その時の、「沖縄」ってなにを指しているんだろうね。地元なのか。家族のこともあるしね。あるいは空気みたいなものなのかもしれない。那覇空港で飛行機から降りるとほっとするってよく言いますけどね。なんか空気みたいなものなのかもしれない。具体的な地元関係を指しているのかどうか。「沖縄が好き」っていう人、たしかに沖縄に多いですけど、よくよく聞いてみると、家族だったり、地元つながりだったり、あるいは単に気候とか空気みたいなものだったり。人によってバラバラです。

打越 具体的な関係は指してないと思います。そこはもう、いざこざばっかりですから。ただ内地でも沖縄でもいろいろあるけど、それでも沖縄で経験した生活への微かな愛着でしょうか。もちろん、沖縄の女性からしたらそんな愛着などなくて、いわゆる故郷を懐かしむ感覚などないって方も多いと思いますが。

 調査をしてきて、地元愛、ストレートな地元愛を聞くことってほとんどなかったわけですよね。

打越 ないですね。

 過酷な方が強いと。ぼくらの共著『地元を生きる』(岸政彦、 打越正行、上原健太郎、上間陽子、ナカニシヤ出版)の共同研究者である上原健太郎さんは、僕たちの定義でいう「中間層」の参与観察をしています。中間層とは、高卒だったり専門学校を出て、飲食業とかをやっている、一番沖縄らしいところです。そこの話を聞くと、地元愛が半端ない。強いんですよね。友達同士で経営してる居酒屋のスローガンが「沖縄を盛り上げる」だったり。ビーチパーティも巨大で、大規模。

打越 この上原さんが取材しているビーチパーティというのは、イケイケの若者たちが男女半々くらいで参加してる、楽しそうなビーチパーティなんですよ。一方、建築会社もビーチパーティがあってですね、私は前日から準備をさせてもらうんですけど、延べ時間が30時間。後輩は朝から準備して、始まるのは夕方で、次の日の昼までダラダラ飲む。

 しかも人もそんなに来なかったって。

打越 そう。人もそんなに来ない。いや、だけど、よく話を聞かせてもらいました。私がだいぶ下働きをして、全部送迎までするんですよ。

 すごいな。

打越 私は泡盛もつくって、全部調理して、打越よく働くなーって褒められます。先輩の子どもの面倒をみたり、全部やらされて。上原さんの話を聞くと、楽しそうでいいなそのビーチパーティって思います(笑)。

 だから上原健太郎が見たビーチパーティっていうのは、沖縄のいかにも今風の若者が集まる、でっかいスピーカーでレゲエとかバンバン流して……HYとかORANGE RANGEとかが好きそうな若者らですよね。J-POPのど真ん中の人ら。やっぱり歌詞にも、地元とか家族とか愛を歌っているのが多いですし。

打越 だから同じ沖縄のビーチパーティからもわかるように、地元愛も階層によってだいぶ違うもんなんですよね。

質問 2 「ヤンキーと地元に登場するような人らと割と近いとこにいましたが、なんか苦手で結局そこから離れました」

 地元を離れる人も多いですよね。ぼくがやってきた聞き取りは、高学歴で安定した仕事をしている安定層の聞き取りが多かったんですけど、やっぱり地元から離れていく人がほとんどなんですよね。例えば、琉球大学とかに入って、安定した公務員になっていくと、地元を離れて、那覇の新都心とかでマンションを買う。はっきり地元が嫌いっていう感覚を持ってなくても、生活実態としては自然にどんどん離れていくんです。しがらみの中で暮らさなくても良くなるので。ジェンダーによっても、階層によってもその在り方は違うと思います。

打越 それぞれの人生ですから、小さい頃はつるんでいても、その後、離れていくってことはあると思います。私もそうです。ただ離れてしまった人たちの人生がどこかにあって、それは一つひとつ理解可能な行為の選択を繰り返しながらお互いに離れてしまったので、そんなに離れていないもんだと思います。

敬意を持つ相手は、妻や彼女を殴る男でもある

質問 3 「なぜここまでしっかりと、対象者と信頼関係が築けたのでしょうか」

打越 敬意ですよね。贔屓目なしに、彼らの一つひとつの具体的な技術や実践感覚が卓越してるのと、あと長い付き合いなんで人として魅力を感じます。

 いいですね。敬意。

打越 めちゃくちゃなことをしちゃう人もいますけど、そういうのも含めて尊敬してます。この前、この本に出てくる、男の子から「いま、彼女と別れそうで、俺このままいったら彼女の家に乗り込んで、暴力ふるいそうな勢いだ」って相談の電話がきた。

 私はですね、ちょっと落ち着けと。でも最終的になにを話したかっていうと、お前が警察に行っても、俺は毎日面会に行くし、帰ってきてもまた飲みに行くからな、でもやらんでほしいよ、とは言った。

 でも、このまま電話を切っちゃうと、行くこと込みで話しちゃったな。この展開はヤバいんで、一緒に調査をしている上間陽子さんに電話して「彼が、ちょっとヤバいんで、なんとかならんですか?」って。そしたら上間さんがその後、2時間くらい話したみたいで。

 はー。

打越 結局、彼は殴りに行かなかった。上間さんは、「このまま殴りに行っちゃうと、あなたにも子どもがいるよね。名前が新聞に出ちゃうよね。また子どもが悲しむよね。これまでの期間、殴らんかったよね」みたいな感じで説得した。今までの歴史とか、彼を大事に見てる人たちの話を、ひとりひとり、丁寧にお話ししてくれたようです。さすがです。

 上間さんも打越さんも、フィールドワークで出会う人たちと、すごい信頼関係を作っている。それには根底に、相手への尊敬がある。

打越 そうですかね。私の場合は彼の行為を尊重しすぎて、暴力という行為を否定できずに理解しようとしてしまうんです。上間さんと私のスタンスはだいぶ違います。

 これには難しい面もあるんだよね。相手を尊重して、親身になって、中に入り込んで、パシリとしてやってきたわけでしょう。でもその男の子たちは、自分の妻や彼女を殴る男でもあるわけよね。その暴力の部分は肯定できないよね。

打越 うん。できない。私も当初甘く見過ぎていったところもあって。男同士が勝手に殴り合う分には……って最初は思っていたんです。でも実際はそうはならない。結局、男たちの暴力って、女、子どもやその生活を壊す方に向かう。暴力がどこに向かうのかは、絶対に外しちゃいけない。

 話を少しもどすと、調査対象者と、すごく信頼関係は保ってるんやけど、そこで愛情というか、尊敬の念とも、一言では言えないぐらいの複雑な関係が、その人たちの間にもある。尊敬しているけれども、手放しで彼らを美化しているわけでもないし。

打越 うん、はい。そうです。「俺は暴力はやってほしくない」としか言えないんですよね。

調査の初日にパクられる

質問 4 「ヤンキーのパシリになることに、抵抗はありませんでしたか?」

打越 中学からパシリでしたんで、抵抗もなく。中学が広島の荒れている学校で、先生に助けを求めるんじゃなくて、ヤンキーの同級生たちの従属下に入るのが生き抜く方法でした。

 広島の暴走族の調査をしている時に、パクられたんだよね。

打越 そうですよ。ほんま初日です。調査していたら、中学生がバイクを移動していて、「お兄さん、お願い運んで」って言うんで、いいね、俺が運ぶよって。バイクのカギさした瞬間に、私服警官に「お兄さん、このバイク誰の?」って。「友達のですよ」「どの友達? 詳しく署で聞かせてくれる?」ヤバいぞ、って思ったら、彼らはサーっと散りやがった。

 (笑)。

打越 警察署に連れていかれたら、1時間か、2時間くらい放置したんですよ。放置プレイですよ。わざと放置されて。さっきまでのおっちゃんじゃなく、でっかい柔道上がりのやつがいきなり来て、机をバン!って叩いて、「お前何やったのか分かってんのか!」って怒鳴り散らすんですよ。俺はちゃんと話すよ。ただこういうやり方はないだろうと、テープレコーダーを回したんですよ。そうしたらその柔道上がりが、じゃあ、今日あったこと最初から話してくれる? って。

 優しくなった(笑)。

打越 本当にびっくりするようなことが初日にあって。やっぱ調査は面白いわって思いましたね。

 そこで友達の、調査対象の名前を出さなかった?

打越 そうですね。ほんとに知らなかったので。ただ翌週から、広島市の暴走族界隈では噂になって、調査がスムーズに進行しました。

 そこでチクらなかったから信頼された。素晴らしいなぁ。

いつまでたっても自分はよそもの

質問 5 「フィールドワーカーとして調査地の社会に溶け込むってどういう意味でしょう」

 難しい質問です。

打越 溶け込めてないんじゃないですかね。ぜんぜん空気になれてないんです。空気になれるとも思っていないですし。真面目にやっているんですけど、本当にやらかすんですよ。

 例えば、建築現場で、後輩たちがこき使われて暑い中働いている。ちょっとでも現場の雰囲気をよくしようと、私は「あと30分たったらメシですよ」と士気をあげるような発言をするわけですね。そしたら「おい、打越。時計見ずに、ちゃんと真面目に働け」って怒られて。なんかやらかして怒られて、あとから教わる、気付くっていうパターンです。この時も、しんどい現場では、みんなあえて時間を忘れて働くようにしているのに、そこであと30分なんて言うと、まだ30分かって士気が下がるんですよ。なにが言いたいのかと言えば、ぜんぜん溶け込めてなくて。それを定期的にみんなの前でバカにされて、笑われて、教わるんです。だって部外者ですから。

 溶け込むってどういう意味ですか? って質問にぜんぜん答えてない(笑)。

打越 溶け込めてないですし、そっちの方が調べるためには有効だと思います。

 なんか、ぼくらってね、調査をしていると、溶け込んでいる自慢をしちゃうときがあるんですよね。どこか遠いところの、普通のひとが行けないようなディープなところに行って、地元の人とこれくらい家族ぐるみで仲良くなったんだぜ、みたいな自慢を言いがちで。実際に仲良くなるし、入ったもんが偉いっていうのもある。ついつい言いがちなんです。でも打越さんは、いつまでたっても自分はよそもので、溶け込み切ってないという感覚をずっと持っている人だと思います。

打越 数年前も移動中の現場号で、ディーゼル車なのにガソリン給油してしまいました(笑)。

関わり続けたら完全に中立的ではいられない

質問 6 「調査することによって、相手の生活や暮らし、人生に介入してしまうことがあるんじゃないか。あるいは貧困や暴力の問題になると、介入せざるを得ない時があるんじゃないか」「自分が質問することによって、相手の考え方や解釈に何らかの影響を与えてしまうんじゃないか」

 介入や相手に影響を与えてしまうかもしれないことについてはどうですか?

打越 積極的にはしないようにしてるんですが、でも実際は結果としてかなり介入しちゃってます。

 さっきの話でも、電話がかかってきて、打越正行と上間陽子がふたりで止めた。止めてしまった。介入ですよね。

打越 そこまでやることが、どうなのかは迷ってます。はい。

 上間さんにも聞きたいですよね。上間陽子の『裸足で逃げる』(太田出版)では、貧困や暴力といった非常に厳しい条件下の中で生きている若い女性が出てきます。その本を読むと、ある女の子が交通事故を起こしたときに、警察に一緒に付いていく。妊娠の検診や、中絶手術をする時も付き添いで付いていくことをしている。それってものすごく介入していますよね。サポートをしている。相手の人生に非常に大きな影響を及ぼしているわけですよね。

打越 上間さんはそういうことを積極的にされてますけど、それでも「自分は調査屋だ」って言ってますよね。

 言ってます。

打越 具体的に介入をしながら、例えば女の子たちの中絶の場に立ち会うわけですよ。そのあとに、上間さんは彼女が話したり、他の女の子とどんな話をしたのかを、聞いているんですよね。だからやっぱ調査もしている。調査もしながら、介入しながら。

 ぼくの場合、生活史を聞きますよね。今は、特に沖縄戦について高齢者の方に聞いていて。お会いしてその場で2時間くらい聞いたあとは、もうお手紙のやり取りぐらいなんですよね。だからそんなに大きな介入はしていない。

 でもやっぱりよく聞かれるんですよ。「どうやって、本当の人生を聞きだしているんだろう」「自分がどう質問するのかで、相手の話を大きく左右してしまうんじゃないか」ってことを、よく言われます。

 それに対する教科書的な答えとしては、「本当の人生の物語」みたいなものがあるとぼくは思っていなくて、たまたまお会いした人に2時間だけ、たまたまその場でお話を聞いただけ。その話からでも、ものすごく大きなものを学ぶことができるので、ぼくとしては、それでもう十分。

 質問によって、話をつくっているんじゃないかって、そうやねんけど……。なんて言うのかな、恣意的に左右しているわけでもない。その人の人生をこっちが構築しているのでもない。聞いた話は、実際にあった話なんですよね。

 だから、介入することと、良い調査をするということは、基本的には別のことだと思ってます。でも上間さんや打越さんがすごくはっきりした介入をするのは、それが参与観察だからです。やっぱり10年、20年関わって調査することは、介入するってことなんですよね。完全に中立的な立場でずっといることはできないわけ。

 そこで打越さんも、すごく難しい立場になっていて。『ヤンキーと地元』は男たちの物語で、彼らにすごく共感的に書いているわけだけど、その男たちは女性を殴る男でもある。それは、実はこの本の最大の限界というか。「暴力は許されないよね」と書いていますが、書ききっていないとも思う。すごく難しい立場にあると思うんです。

 介入全くなしに、中立の立場で横でずっと立っているってね、ロボットじゃないんで、そんな気持ち悪いことはしていられないわけです。でも調査ってそういうもんだって、割り切ったり、開き直ったりしてもダメやし……。

打越 はい、はい、はい。恣意的な線引きなんですが、女性を犯すとかは描けないし理解できないと思いますが、後輩をぶん殴るってとこまでは共感も賛同もできないけど理解はできないかと思ってやっています。

 僕の場合も、調査対象者の人生に直接介入することはほとんどないですが、それでも調査対象者と友だちになったりもするし、あるいは沖縄県内のメディアや社会運動に関わったりはしている。マクロに見ればぜんぜん中立で透明な存在じゃないです。調査していけばコミットメントが生じるのも当たり前だし、そもそも問題意識があって研究を始めてるわけですから。

本は燃えてもフィールドノートは燃えなかった

質問 7 「途中でもうやめたい、挫折しそうになったことはないですか」

打越 調査がイヤでやめようと思ったことはないですね。ただ、生活や家庭が原因で苦しかった時期はあります。生活も不安定で、家庭の事情も不安定で。調査もなかなかできず、沖縄では中学校で教師として働いていた時もありました。なにもできない中で、ある日、パートナーに本を焼かれて……。

 夫婦喧嘩をしてちょっと家から出て、ファミレスで仕事して、何時間かして帰ったら、自分の家から黒い煙が上がってたんだっけ。

打越 はい、煙の臭いがサンマじゃないなって。紙の焼けた臭いって分かります? 料理の臭いじゃないんですね。家に近づくにつれ、あれ、近いぞ、近いぞ、家じゃんって。

 蔵書2000冊が積まれて、灯油をかけられて全部燃やされていた。

打越 燃えているのを見て、めっちゃ息子が大喜びしてました。でも10年前から話を聞かせてもらった方たちのフィールドノートは燃えなかったんですよ。

 それは燃やされなかった。

打越 燃えなかったんです。

 よかったですね。

打越 他の本は見事に燃えてしまったんですけど、フィールドノートは燃えなかったんで、「よし、まだいける」と思いました。

質問 8 「調査の記録はどの程度取っていたのでしょうか」

打越 調査の初期段階だと、録音もメモもできていなくて。会ったあとの次の日かその日のうちにマックに行って、彼が話したことをメモして。メモしたものを、回顧形式に起こしているような形にしていました。

 記憶から再構成したってことですよね。

打越 初期段階はそうでした。録音できるようになったのは、4、5年たってからです。そうは言っても、2人の間に録音機を置いてインタビューみたいなものは、そんな数はできなくて。じゃあ、なんで会話を起こせているのかというと、あまりにも私がしつこいので、もう会ったら「最初からテープ回しとけ」と言われるようになって。

 すごい信頼関係(笑)。

打越 ずっと過ごしていると、語り出してくれるタイミングがあるんですよ。その時に、「いまなんか、いい感じなんで、ちょっと録音させてもらいますよ」とか言ったら、「俺、いま乗ってるのに、いちいち止めるなやー」と。

 あー、リアルやな。

打越 でもなんの許可も取らずに録音できないので、と言って。じゃあ、いいから、次から俺の時に最初からそうしておけみたいな感じで。建設業の男性たちはそういうケースが多いです。でもそういう形で録音できるようになったのは4、5年経ってから。いろんな調査の方法でやっています。

沈黙に耐えきれずカラオケで曲を入れてしまう

 基本的にフィールドノートは毎日書いてたんですか?

打越 そうですね。その日のうちに。いったん眠っちゃうと記憶がなくなっちゃうんで。

 建築現場の時も記憶で?

打越 そうですね。でも仕事をした日は爆睡しちゃうんで。もう1週間後に書くこともありました。もっと気になることもたくさんあったはずですけど、記録できてないことはたくさんあると思います。

 私もですが、打越さんも大雑把な人なので(笑)、たぶん忘れていることもたくさんあるよね。いろんな方法でやるよね。写真とかも撮ってるよね。

打越 そうですね。建築現場の休憩の写真とか。

 写真やDVDが調査のためのツールになっているよね。暴走族の若い子らのバイクを撮ってDVDにしてあげたら喜んだと。

打越 文章書いてもあまり喜ばれないんで。写真や動画を撮って、DVDつくって持ってこいと。それで一生懸命つくってもっていったら、ぜんぜん面白くないって返されました。離れて全体像をとるんで、面白くないんですよ。後部座席に乗った後輩が、ウィリーしたりするのを撮っている動画のと比べるとぜんぜん迫力なくて。私も後部座席に乗せてもらったことがあるんですけど、キャーキャー言っちゃって。すぐに恥ずかしいから降りれって。二度と乗せてもらえなくなりましたね。

 想像できるわ(笑)。女の子の話を聞く場合は、録音しているんですか?

打越 そうですね。その時は上間さんが入ります。上間さんは本当に言葉を丁寧に聞き、言葉に力のある研究者ですから。

 よく上間さんから、打越さんがいかにインタビューが下手かって話を聞いてます。上間さんと女の子と、打越さんと、カラオケボックスで3人でインタビューをしてて、沈黙が訪れた時に、耐えきれずに曲を入れちゃったって話があって。上間さんから退場処分くらった。
 
打越 「1時間後にまた来て」って。

 1時間暇つぶして帰ってきた(笑)。

打越 その女の子紹介したの俺なのにな(笑)。それはいいんすけど。はい。ちょっともうインタビューは苦手ですね。

 曲入れちゃったって。時々電車で思い出して笑ってしまう。

打越 けどね、事情もあるんです。しんどい話が長く続くと、ヤバいと私は思っているんですよ。それはそれですごく大事なんだけど、まぁちょっと、一回ここで切ろうかって。

 深刻な話をして、耐えられないっていう。

打越 はい。半分怒られて、半分上間さんも理解してくれているところはあります。

「別世界のビックリ話」で終わらせないためにどう書くか

 最後に聞きたいんですが、打越さんは調査を通じて何を書こうとしているんでしょうか。

打越 暴力を丁寧に書くことに、こだわっています。例えば、虐待家庭に生まれて成長し、自分が親になったら今度は子どもに暴力をふるうようになりました、みたいな話は書き方が粗いんですよ。確かに、暴力を繰り返してしまうかもしれないけれど、その子どもなりの暴力の意味があると思うんです。

 昭和が好きなおじさんがよく「昔は暴力が当たり前」とか言うじゃないですか。暴力が日常に溢れている世界では、暴力の程度が分かるから、ちゃんと使い分けてるんだよ、と。暴力をコントロールできると思っている。甘く見過ぎだと思います。暴力って、やっちゃうと、本当にどうしようもなくコントロールできない。周りもあたふたするしかできない。

 でも単純に親に殴られたから、自分も殴るんだという行為者をバカにした説明の仕方もまずい。彼らがどういう状況で殴り、どういう社会関係を生きていて、そこに沖縄はいかにかんでいるのか。暴力が発生した文脈をちゃんと押さえた上で、暴力を書くことを模索しています。

 精度が粗いことを書くと、暴力をまったく理解できなかったり、あるいは振り子が逆に振れて、美化したり、ロマンティックな話になってしまう。以前、SYNODOSのインタビューでとてもいいこと言ってましたよね。

 

他者の行為の説明の精度と質が悪いと、別世界のビックリ話で終わってしまいます。「へー、こんなひどい世界があるんだ、かかわらないでおこう」と。それに対して、精度と質が高いと、そこに大きな歴史とか社会構造とかが必ず入り込みます。そして、一般の人びとに「もし私がその歴史と社会構造に存在したら…」という想像力が生まれます。
(SYNODOS 2017.03.21「なぜ沖縄の若者たちは、地元と暴力から抜け出せないのか?」より引用)

 

 「別世界のビックリ話」というフレーズが面白くて。打越さんの本も、上間陽子さんの本もそうだけど、一歩間違えると、「えぐい話」として、暴露本のようなノリで、サブカル的に消費される。わぁ、こんなヤバい連中がいるんだって、面白おかしく。ひょっとして、そういう読まれ方をされるんちゃうかな、っていう話はずっとしていましたよね。

打越 はい。暴力をどう書くのかについては、慎重にやってきました。ロマンティックに書かずに、彼らの生活の具体的な状況、編み込まれている沖縄や建築業の文脈を外さずに具体的に書く。

 だから、理解ってなんなんだろうなって思いますね。理解するってことは、どういうことやろう。終わりのない問いですけどね。打越さんも、ぼく自身も書ききったとは全然言えない。まだまだこれからやらなあかんことが、沢山あるんですよ。

 ぼくね、すごく印象に残っていることがあって。30歳くらいで大学の非常勤講師をやっていたときに、当時は貧困の問題が話題になっていて、どこかの大学でフリーターの話を取り上げたことがある。「フリーター」って言葉は、最初ポジティブに使われていたんだけど、そのあと結構たって、貧困の象徴のようになってきて、非正規雇用やフリーターはしんどい状況になっているんだよと。これからは社会保障の対象にもなってくるだろうしって。

 そうすると学生のコメントに「フリーターがいかに良くないか分かりました。僕はフリーターには絶対にならないでおこうと思いました」と書いてあって。100人に1人くらいですけどね。その学生にフリーターへのネガティブなイメージを植え付けただけなんじゃないかと反省して。どうやって伝えたらいいのかは、未だにすごく悩むところでもあるんですよ。

 藤井誠二さんも『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)を書く中で苦労をしてきたと言っていました。沖縄の風俗について、面白おかしく読まれかねないと。

 でも最近ほんとに、沖縄に関して書くもの、書かれるものが変わってきていますよね。上間陽子の『裸足で逃げる』が出て、藤井誠二の『沖縄アンダーグラウンド』が出て、打越正行の『ヤンキーと地元』が出て。

 沖縄の中の階層格差や暴力、貧困の問題を真正面から扱い、しかも面白おかしく書かない。10年も20年もひとつのところでフィールドワークをする。そういう腰の据わった社会学者や教育学者が沖縄に関しては出てきたなと思います。沖縄の語り方を変えたし、変えていくんだろうなと思います。

暴力の問題を自分の問題として書く

 ただ、難しいんだよね。やっぱり、消費されちゃうんだよね。今日は打越さんと、理論の話を中心に話したんだけど、やっぱりこの中に出てくる細かいエピソードって、すごい面白いし、興味深い。普遍性があるじゃないですか。知っている感じがする、会ったことある感じがするんですよ。この中に出てくる子のこと。

打越 面白いって感じてもらえたとしたら、こんなエグい世界があるんだって、読めば読むほど距離が広がっていくようなものじゃなくて、読んだ後に彼らと皆さんの距離を、ちょっとでも縮めることができてるように思うんですね。あ、私もそこでそういう状況だったら、そうしちゃうかもね、みたいなことが書きたいなって。

 距離を縮めると。美化する書き方も、それはそれで距離を生みますもんね。

打越 そうです。だからヒーローとしても書かない。

 距離が縮まるってなんなんだろうね。自分がこの状況にあったら、こうしたかもしれないと。でも暴力はダメだよね。

打越 うーん。

 そこなんだよね。

打越 そうです。

 ずいぶん前の話ですけど、ある東京の大学が、沖縄に実習に行って、ひめゆりの戦争体験者から日本兵がどんな残酷なことをしたのか話を聞いたと。そうしたらレポートで「僕も当時の日本兵だったら同じことをしたかもしれない」と書いちゃった学生がいたわけです。日本軍ってやっぱり、過酷な組織で、部隊もバラバラになって、逃げていく中、食料もないしと。当時すごく問題になって、もう一度みんな沖縄に連れていって、学習会をしたと聞きました。

 理解するってね、どこかで情状酌量してしまうんですよ。そういう状況にあったら、こういうことをしたかもしれない、それを分かってもらうために書くんだけど……でも、同じ状況だったら俺も彼女を殴ったかもしれないってところまで持って行くのか。持って行かないとすると、それは理解が足りないってことにならないのか。どう距離を縮めていけばいいのか。

打越 うーん、難しいですね。『ヤンキーと地元』では暴力について書きました。彼らの暴力を免責することと同時に、暴力の責任のありかを、本土社会に対して、つまり私の問題として書かなければならないと考えています。

 彼らは過酷な状況にいるけれど、暴力をふるう男であるんだと最初から書いていますよね。絶対に許してはいけないと。ここは最大の問題ですよね。加害者をどう理解するのか。ぼくはここ2年くらいずっといろんな対談やトークイベントでこの話を繰り返し、飽きずにしています。他者理解が中立の立場でどこまでいけるか。なかなかこれが、伝わらないよね。調査やっている人間にしか分からないのかもしれない。難しいですね。

打越 難しいです。

調査対象でもフィールドワークでもなく、人生である

 これからはどうですか。同じ人たちとずっと?

打越 あ、そうですね。

 面白いのは、調査をした若者たちが、10年たつとバラけてきて、みんな内地に行ったり、音沙汰がなくなったりする。で、連絡が取れなくなっている人のことを「あいつ、今なにしてんだ」って打越さんに聞くんですって。いつのまにか打越さんが地元つながりの結節点になってる(笑)。

打越 そう。「あいつなにしてるんだ」ってこともあれば、時々電話がかかってきて「いま、内地で働いているけど、地元のヤツらには言うなよ」とか。

 それも実践感覚として面白くて。「あいつ何してんだ」って時に、打越さんは不用意に言わないよね。ぺらぺら喋らない。でも知りませんって言うわけにもいかないから、最低限のことだけ言って、詳しくは言わない配慮。すごい感覚ですよね。

打越 いや、私に言うことなんて、地元のメンバーにはいずれ知れ渡りますんで。だけど、今の段階では言えない時もあって、「なんか、内地行ったって噂ありますねー」みたいにぼかします。だから、さっきの「言うなよ」も、ほんとに言うなではなくて、いつまでどこまでの言うなよなのかは、こちらに委ねられてるんですよ。

 その辺の感覚はすごいよね。調査屋として本当に嫉妬するよ。同じ人らでこれからも調査を続ける?

打越 はい。彼らをまずは追いかけていくのが、研究調査の柱になると思っています。

 だからもう、調査対象とかフィールドワークではなく、人生なんですよね。

打越 いや、本当にもう。

 ライフワークというか。『ヤンキーと地元』が本当に美しいなと思うのは、10年かけて聞いていることです。ここに出てくる若者の10年間をずっと見ている。でもその10年って、同じ10年が打越さんにも流れているわけ。相手の10年を聞くために、自分の10年を使っているんですよ。すごいな、フィールドワークをガチでやってる人っていうのは。暴走族のガレージでずっとカモにされて、自分の人生を10年費やした。すごいなと思いますね。これからもだから、人生が続く限り、その人らとの関係は続く。

打越 最初のころはずっと、ナイチャーがこういうのを調べて、ちょっと本に書いて、すぐトンズラするんだろ、みたいな認識で見られてましたんで。私、そんなわけねぇじゃんって思いながら、ずっと10年どころか、もうずっと。彼らにも2、3発殴られても追いかけますよ、って言ってます。

 じゃあ、この本の第2弾、第3弾……物語が続くかも。

打越 続きます。はい、追いかけます。

 

(構成:山本ぽてと)


*本稿は2019年5月3日に行われた『ヤンキーと地元』刊行記念対談「地元とはなにか──沖縄のヤンキーと過ごした10年間」(打越正行 × 岸政彦)をもとにまとめた。

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著者略歴

  1. 岸 政彦

    岸政彦(きし・まさひこ)

    1967年生まれ。社会学者・作家。京都大学教授。主な著作に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年、紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『ビニール傘』(新潮社、2017年)、『図書室』(新潮社、2019年)、『地元を生きる──沖縄的共同性の社会学』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版、2020年)、『大阪』(柴崎友香と共著、河出書房新社、2021年)、『リリアン』(新潮社、2021年、第38回織田作之助賞受賞)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房、2021年、紀伊國屋じんぶん大賞2022、毎日出版文化賞受賞)、『生活史論集』(編著、ナカニシヤ出版、2022年)、『沖縄の生活史』(石原昌家・岸政彦監修、沖縄タイムス社編、2023年)、『にがにが日記』(新潮社、2023年)、『大阪の生活史』(編著、筑摩書房、2023年)など。

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