犬は文化を嗅ぎ分けられるか? 大黒俊二
犬が鋭い嗅覚の持ち主であることはよく知られており、その鋭さは臭いの種類によっては人間の一億倍にもなるという。そうした嗅覚を生かして猟犬は獲物を追い、警察犬はごく微量の臭いをたどって犯人を追跡し、近年ではトリュフのありかを探し出すのは豚よりも犬だという。こうして犬はかすかな臭いを感知する能力に優れているが、その能力は臭いの種類の識別にも発揮されるのだろうか。人間には識別できない微妙な臭いの違いを犬は嗅ぎ分けることができるのだろうか。ここで紹介してみたいのはそうした嗅ぎ分け能力をもった犬、具体的にはキリスト教徒とイスラム教徒、ドイツ人とそれ以外を嗅ぎ分ける能力をもった犬の話である。こうした宗教や民族の違いを嗅ぎ分ける能力は一般化すれば「文化を嗅ぎ分ける能力」とも言い換えることができよう。
その話を伝えるのは一五世紀ドイツ南部の町ウルムに生きたドミニコ会修道士フェリックス・ファブリという人物である。彼は一四八三年から翌年にかけて聖地巡礼を行い、帰国後旅の見聞をもとに『聖地放浪記』と題する大部の紀行文を執筆した。好奇心旺盛で几帳面な記録屋であった彼は旅の途上で出会ったさまざまな珍奇なエピソードを記しており、そのなかに小アジアの都市タルソスにいた犬の話がある。
聖地を追われロードス島に居を定めた聖ヨハネ騎士団は、大陸の戦略拠点とすべく小アジア南岸タルソス近郊に聖ペテロ城という要塞を築き、周囲に獰猛な犬を放ってこれを護らせていた。これらの犬はトルコ人には激しく吠えかかり狂暴に噛みついたのに対し、トルコ人に追われてこの要塞に逃げてくるキリスト教徒は「臭いで嗅ぎ分け」おとなしく迎え入れた。そのためこの要塞を攻めるトルコ人はやがて人(騎士団の騎士たち)ではなく犬を攻撃するようになり、犬を殺したり傷つけた者には報奨金が出されたという。
ここでファブリが「トルコ人」と呼んでいる人々は、自身を「キリスト教徒」とみなす彼の視点からすれば「異教徒」あるいは「イスラム教徒」と言い換えてよいだろう。すなわち聖ペテロ城の犬たちは臭いでキリスト教徒と異教徒を嗅ぎ分けていたことになり、宗教の違いを嗅ぎ分ける能力をもった犬ということになる。
じつはファブリはこの前にすでにヴェネツィアで似たような犬に出会っている。ドイツから南下してヴェネツィアに着いたファブリ一行はこの町の「ドイツ人商館」に宿をとった。当時「ドイツ人商館」はこの町に来るすべてのドイツ人の指定宿舎であった。さてこの宿の入り口には一匹の犬が飼われていたが、その犬はファブリ一行を見ると、
犬が顔見知りの人によくするように、尻尾を振って喜びを表していた。この犬はドイツ人であれば、ドイツのどこの出身であろうとこのようにして歓迎した。ところがイタリア人、ロンバルディア人、ガリア人、フランク人、スラヴ人、ギリシア人、あるいはドイツ以外のどこかの国の者が入ってくると怒って狂暴化し襲いかかり、誰かが止めなければ危害を加えることをやめなかった。この犬は近隣のイタリア人にもけっして慣れることがなく、彼らに向かっても外国人に対するように襲いかかった。
そればかりかこの犬はイタリアの犬とドイツの犬(ドイツ人が連れてきた犬?)をも識別して、人に対してと同様の態度をとった。この犬を見てドイツ人たちは、ドイツ人とイタリア人がいがみ合い本心から打ちとけ合うことがないことの表れだと解して、その理由を「この敵意は本性naturaに根ざすものだからだ」といい、もっとも、理性を欠く犬は感情そのままに行動するが人間は理性でそうした行動を抑える点に違いがあるだけだ、といった。
タルソスの犬とヴェネツィアの犬はともに「文化を嗅ぎ分ける犬」である。この例をみてまずわき上がるのは犬に本当にそのような能力があるのかという疑問であろう。キリスト教徒に独特の臭い、ドイツ人に特有の体臭というものがあり、犬はそれを嗅ぎ分けることができるのだろうか。
この二例については今のところ他にこれを傍証する史料がなく真偽を確かめられないのが残念だが、かといってファブリの真に迫った描写がまったくの作り話とも思われない。しかし他方でまた、彼の報告が事実を忠実に記録したものと解するのをためらわせるような出来事を、ファブリ自身が同じ『聖地放浪記』に記しているのである。
それは、彼がキプロス島の著名な巡礼地スタヴロヴニ修道院近くのあるギリシア教会で出会った司祭の話である。夏のある日ファブリらが暑熱を避けてそのギリシア教会で休憩をとっていると、一人の司祭がやってきてラテン語で「あなた方はギリシア教会でなにをしているのか。この近くにあなた方の典礼を行うラテン教会がある。そこでお祈りして休みなさい」といった。
聞けば彼は双方の教会の司祭を兼ねており、日曜日にはまずラテン教会で西方風に種無しパンでミサを執り行い、その後ギリシア教会に移動して今度は東方風に種ありパンでミサを行っているという。ラテン教会とギリシア教会を行き来しそれぞれの流儀にしたがって聖務を行うこの司祭は、中世東地中海域では各所で生じていた文化のハイブリッド化のみごとな実例といえるが、ファブリにははげしい嫌悪を催させるものであった。
私はこの司祭をあちら〔ギリシア教会〕でもこちら〔ラテン教会〕でも民をたぶらかす最悪の異端だと思った。これら二つの典礼が同一人物のうちで両立することなどありえない。〔中略〕〔ラテン〕教会は彼ら〔ギリシア人〕を分離主義者・異端と断じ、ギリシア人たちは我々を避け日曜ごとにラテン教会は破門された教会だと民に説き、我々ラテン人を絶滅せんとするほど憎んでいる。とすれば善良なるカトリック教徒がラテン司祭にしてギリシア司祭であるなどということがありえようか。
ファブリにとってラテン教会とギリシア教会は水と油のごとくけっして交わらず、両者の対立と敵意は先の表現を借りれば「本性に根ざす」ものであったかのようである。このような宗教の違いひいては文化の違いへの不寛容さは、先にみたタルソスの犬やヴェネツィアの犬のそれに通じるところがある。キプロス島のファブリもタルソスの犬もヴェネツィアの犬も文化の違いを感じ取るだけでなく、感じ取った相手の文化への不寛容と敵意という点で共通している。とすれば、これらの犬の行動描写にはファブリ自身の異文化に対する意識のバイアスが多少ともかかっているのではないかと考えたくなる。付け加えればファブリは、ヴェネツィアの犬は自分の実体験として書いているが、タルソスの犬の方は伝聞のようであり、そうとすれば話に尾ひれがついている可能性はある。
この推測をさらにたくましくさせるのが彼がドミニコ会の修道士であったという事実である。ドミニコ会の修道士はラテン語でdominicani(複数形)という。ここからドミニコ会士は「主のdomini犬canis」という語源俗解が生まれ、ドミニコ会士自身も自分たちを一種の誇りをもって「主の犬」と称するようになった。この「犬」は主に忠実な犬であると同時に主を守る番犬でもある。もともとドミニコ会は一三世紀初頭、異端に対抗してカトリック教会を守り異端になびく民衆を正統教会に引き戻すことを使命として誕生し、そのため神学で理論武装し説教の技をみがいて異端の折伏と民衆の教化に努めた。彼らはまた十字軍や聖地巡礼者に同行して東方に赴き、現地に住み着いてギリシア正教徒やイスラム教徒の改宗活動を展開しカトリック圏の拡大に努めた。異教徒や異端(ギリシア正教徒は当時のカトリックにとっては、上に引用したファブリの言にあるように異端である)に対する戦闘的な姿勢はドミニコ会の特徴である。
その戦闘性は「主の犬」のあとにしばしば付け加えられる「黙さず(吠える)non mutus」の一句がよく表現している。「主の犬」は異教徒や異端に向かって「吠える」。このイメージはそのままタルソスの犬やキプロス島のファブリのそれに重なってみえる。タルソスの犬やヴェネツィアの犬の行動描写には、ファブリ自身の異文化に対する意識がなにがしか仮託され叙述に色がついているのではないかと筆者が考えるのはこのためである。
とはいえ筆者には、ファブリの意識によって叙述が偏向していても「文化を嗅ぎ分ける犬」はファブリのまったくの作り話ではなく、モデルとなる犬が実在した可能性は排除できないと思われる。そして、そうした犬の存在は異文化の関係を動物において、また動物を介して考察する一つの新鮮な視点を提示してくれているように思われるのである。
ついでながら、筆者がこれらの犬に出会ったのは現在刊行中の『世界歴史』第九巻の「展望」執筆中のことであった。そこで「トランスカルチュラルな絡み合い」、「ハイブリッドとしての文化」という近年の研究動向を紹介する際読み漁った文献でこれらの犬が取り上げられていた。異文化関係や文化のハイブリディティを考察する視点として動物を視野に入れることは、今日の歴史研究ではさほど珍しいことではなくなっているようである。
(おおぐろ しゅんじ・イタリア中世史)
『図書』2022年8月号に収録