シグナルズ 中野 聡
『岩波講座 世界歴史』第二三巻「展望」(以下「展望」)では、地球システム科学が提起した二〇世紀後半における人間活動の「大加速」(Great Acceleration)という観点から歴史を捉えることを試みた。このように巨大な問題を論じる準備が筆者の私に有ったわけではないが、二〇世紀後半の世界史(社会・経済・文化領域)を対象とする巻が「大加速」や人新世(Anthropocene)に言及することもなく二〇二三年に出版されれば、後年、批判を免れないのではないかという予感(あるいは思い込み)から取り組んでみた次第である。
国際地質科学連合によれば、二〇世紀半ばに始まった人口増加・工業化・グローバリゼーションの「大加速」によって、二〇世紀後半は「人類史上最も急速に自然界と人間の関係が変化した」時代となった。そしてその時代を通じて警鐘が乱打されていたにも拘わらず、地球環境の人為的な破壊は、気候変動をはじめとして、ほぼ予想された通りに大きな危機を地球環境と人類社会にもたらしている。二一世紀の科学者は、自然・生命科学のみならず、人文・社会科学を含めて、専門分野を問わず、この問題と向き合うことが求められている。まさに喫緊の文理共創・文理融合課題だ――シンプルにまとめれば、これが地球システム科学からのメッセージである。なるほどその通りである。とはいえ、言うは易く行うは難しで、歴史学が「大加速」の問題に具体的にどのようにアプローチできるか、すべきか、答えは簡単ではない。
「大加速」が気候や地球環境の変動といかなる機序で結びついたのかという関心からすれば、基本的に問題とされているのは(「展望」に掲載した二四項目の「大加速」グラフ群が示すように)定量分析の対象となるような事象なので、まずはデータ検証型社会科学としての経済学・経済史と地球システム科学との協働が期待される。そして、十分かどうかは別として、それはすでに始まっている。近年におけるデータサイエンスの急速な発達もまた、人間活動と地球環境の関係性をめぐる文理融合研究に多くの可能性を開いていると言えるだろう。
しかし、「展望」で紹介したように「大加速」の呼称がカール・ポラニーの「大転換」論に対するオマージュであること、その含意として「地球規模で生態を人為的に変化させている駆動力もまた社会とその伝統に埋め込まれており、人類の全歴史は生物・地球環境の展開に埋め込まれている」という認識が示されていたことなどを踏まえると、歴史学には、定量分析にとどまらない、あるいは一見それに馴染まないような領域と「大加速」の関連性を考究することもまた求められているのではないか。そして、プルトニウム同位体をはじめとする様々な物質を人新世に固有のシグナルとすべきか地質科学者が検討するのと同様に、歴史学は、二〇世紀後半の様々な歴史事象や人間類型(その時代に固有の人間のあり方)を人新世・「大加速」のシグナルとして捉えることを試みてもよいのではないかと、私は考えた。
どの時代にも、その時代を体現するような人物がいる。「大加速」の時代としての二〇世紀後半を体現する人物は、そのまま人新世のシグナルということにもなるだろう。では誰を取り上げたら良いだろうか。このように考えたとき、最初に私の頭に思い浮かんだのは、ロバート・マクナマラ(一九一六─二〇〇九)だった。
「展望」では、一九世紀第4四半期から始まる「長い二〇世紀」を、不断の科学技術イノベーションと経済成長が相互を牽引するシステムが稼働して社会と人間活動のあり方を大きく変化させた時代として捉え、その連続性のなかで人間活動の「大加速」に向けて世界が最適化されていく時期として二〇世紀後半を位置づけた。そのうえで、「長い二〇世紀」を通じてなぜアメリカの優位性が保たれたのかを、考察のひとつの主題とした。そして、軍需・民需と結びついた科学技術イノベーションや大量生産システムや巨大組織・事業の管理技術の高度化などがアメリカの優位性の背景にあったと考えるならば、ベトナム戦争の時代にケネディ・ジョンソン両政権で国防長官を務めたことで知られるマクナマラは、二〇世紀前半から後半へと連続して「大加速」の時代を先導・主導したアメリカ経済のあり方を体現したエリートだと確かに言えるだろう、と私は考えたのである。
一九三九年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得、同校の若手教員として頭角を表したマクナマラは、一九四三年、陸軍航空軍に入隊して統計管理局要員となり、カーチス・ルメイのもとで統計的手法を駆使して対日戦略爆撃計画の立案に参加するなどした。その活躍を認められて、戦後、経営悪化に苦しむフォード社に統計管理局の同僚たちと共に採用されると、同社の経営効率化・業績回復に大きく貢献して一九六〇年にはフォード一族以外では初めてとなる社長に就任した。後世批判を多く浴びることになる国防長官在任の七年間にも、民間企業経営管理の分析手法を国防政策の効率化・改革に応用し、同職退任後は世界銀行第五代総裁に就任、一九八一年までの長きにわたって務めた。一九九五年には回顧録を出版し、二〇〇三年公開のアカデミー賞受賞ドキュメンタリー映画「フォッグ・オブ・ウォー」などでインタビューに応じたマクナマラは、ベトナム戦争などをめぐって率直な反省を語る一方で、経営管理エリートとしての自らの歩みに対する自信は最後まで揺るがなかったように見える。二〇〇三年に刊行された空軍史研究誌に掲載されたあるインタビューで語った次のような言葉は、マクナマラ型エリートの自画像のエッセンスとして捉えることもできるだろう。
ハーバード・ビジネス・スクールでは、ドナルドソン・ブラウンとゼネラルモーターズの長年のトップであったスローンが導入したプランニングを勉強したのを覚えています。〔中略〕健全で良好な計画とモニタリング、そして計画の再調整などの重要性も、ハーバード・ビジネス・スクールで学びました。それこそが、陸軍航空軍でも、フォードでも、その後国防総省でも、私がやろうとしたことだったのです。
しかし、少し考えてみると、マクナマラ型のエリートは、ソ連のような指令経済体制のもとでも必要とされ育成もされたのであって、現にソ連は高度な生産技術や巨大な組織を必要とする軍拡競争において長くアメリカに伍する存在であったのだから、マクナマラの存在をもってアメリカの優位性を語ることは、実はできない。逆に、ソ連・社会主義圏は、核・宇宙開発ではアメリカに伍しながら、一九七〇年代以降、脱工業化の時代に行き詰まりが明らかになり、まもなく体制が崩壊した。しかも、一九七〇年にソ連共産党中央委員会に「民主化」の必要性を訴えたことで知られるアンドレイ・サハロフ博士らの書簡は、そのなかでコンピューター革命におけるソ連の出遅れに強い危機感を表明していた。これらを併せて考えると、「大加速」時代におけるアメリカの優位性を体現する人物は、実は巨大組織の経営管理エリートを代表するマクナマラではなく――「あの人」――ということになるのではないか。そのように思い至り、私はすっかり考えを改めて、「展望」からマクナマラ氏は姿を消すことになったのだった。実際に「展望」で私がどのような事象・人物(群)を人新世のシグナルとして論じたかについては、是非、第二三巻を手に取ってお読みいただきたい。
今次の『岩波講座 世界歴史』は、高校地理歴史教育において「歴史総合」が「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉え、資料を活用しながら歴史の学び方を習得し、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を考察、構想する」新たな必履修科目として二〇二二年度から授業が開始されたことを強く意識して編纂された。「展望」筆者および第二三巻の責任編集委員のひとりとして私は、二〇世紀後半の世界史を「歴史総合」の視点と方法から高校生が学ぶうえでも、人新世・「大加速」論は、主題学習の格好の、そして重要なテーマであると確信している。地球システム科学からの問題提起や文理融合的な問題意識を正しく理解したうえで、グループ学習などで生徒が人新世・「大加速」のシグナルを自由な発想で探求し、お互いにプレゼンテーションして議論することなどが考えられるのではないだろうか。
「歴史総合」がめざす世界史と日本史の統合という観点からも、人新世・「大加速」論は重要な視点を提供する。政治的・軍事的な出来事を中心にした年表に表れる歴史では、とくに第二次世界大戦後、日本の影が薄くなるために、世界史とつなげて日本史を教え、生徒に考えさせることに困難を感じている教員も多いのではないだろうか。しかし、ひとたび地球から見れば、「大加速」グラフ群二四項目のほぼ全てにわたり、第二次世界大戦後の日本は大活躍する立派な主役のひとりである。二〇二〇年に「チバニアン」が認定されたときと同様に、人新世を特定する地層の有力候補のひとつとして、別府湾が検討されてきたことは決して偶然ではない。それは何故か? ――このことについても、是非、第二三巻を手に取ってお読みいただければ幸いである。そしてこれらの観点から、『岩波講座 世界歴史』を、また第二三巻を活用していただければ、同巻「展望」の筆者としてこれに優る幸いはないと考えている次第である。
(なかの さとし・アジア太平洋国際史)
『図書』2023年4月号に掲載