宇田川幸大 通史を描き、 人びとの「しんどさ」を紡ぐ[『図書』2025年6月号より]
通史を描き、 人びとの「しんどさ」を紡ぐ
鹿野政直『日本の現代』
岩波ジュニア新書が1000点を突破するとのこと。なんだかとても感慨深い。ジュニア新書は、高校生から大学入学にかけて、私が読み漁った大好きなシリーズの一つである。高校の図書館や近所の書店さんにジュニア新書が置いてあると、それだけで何となく安堵したものだ。もはや学修の「友人」ともいうべき存在だったのかもしれない。もちろん、今でも熱烈なジュニア新書ファンである。
幼いころから歴史が好きだったので、多分将来は歴史学を専攻して、「その道」に進むだろうと思っていた。ジュニア新書の「歴史もの」もかなりたくさん読んだ。高校の歴史教科書や参考書もそれなりに気に入っていたのだが、ジュニア新書の織り成す歴史のワクワク感にはとても敵わなかった。なかでも、私の心に残り、今でも折に触れて読み直しているのが、鹿野政直『日本の現代』(シリーズ日本の歴史9)だ。
本書を最初に読んだ時の感覚は、いつものワクワク感とは少し違った、どちらかというと「衝撃」に近いものだった気がする。確か18歳か19歳の頃だったと思う。衝撃の原因は、なんといってもこの作品の「登場人物」にあった。沖縄の人びと、女性、在日朝鮮人、アイヌの人びと──。教科書や通史では扱われることの少ない人びとの視点から、この作品は現代史を描いていた。本書が刊行されたのは2000年代初頭である。こうした通史はとても斬新だった。また個々の人物やアクターだけではなく、経済大国と日米関係の枠組みから全体史も併せて描かれているので、さまざまな「登場人物」たちが現代史の激流のなかでいかに忘れ去られてきたかを知ることができた。マクロな視点とミクロな視点が交差する作品なんだな、という感想を持った記憶がある。私がそれまで持っていた「日本社会」なるもののイメージを、大きく揺さぶられた瞬間だった。そして、これが歴史学者の書いた本格的な通史に触れる、最初のできごとになった。
本書との出会いから20数年。今度は私自身が近現代日本史を描くことになった。『歴史的に考えること』(岩波ジュニア新書、2025年)がそれである。執筆の際、通史の「お手本」を求めて過去に書かれたものや概説書を読み直したのだが、最後に戻ってくるのはやはり『日本の現代』だった。
いま、再び本書の頁をめくってみると、高校生・大学生時代に感じた本書の凄さは、当時私が想定した以上のものだったことを思い知らされる。特に、本書のエピローグで語られた内容は、歴史を叙述することや本書のもつ意味をはっきりと説明しているように思う。要点を整理すると次のような内容だ。
歴史を叙述する際、無数の過去の事実や事実と思われている事柄のなかから、何かを選択してゆくことが求められる。こうした選択によって、歴史叙述は「公け的な局面」で満たされ、これが歴史叙述の「大方のモデル」となった。しかし、「公け的な局面で満たされた過去像」が定型化すると、「残すに足りないとされた人びとの、ことに私的な局面は、否応なく過去から排除されてしまう」。歴史学は過去を抑圧する側面をもっている。
鹿野は以上のように書き記している。
「私」の回復、そして「大文字の歴史学」と双璧をなす「小文字の歴史学」の実践。これが本書(鹿野)の目指す通史であった。高校生・大学生の私が受けた衝撃は、「大文字の歴史学」を内面化しつつあった自分が、「小文字の歴史学」に出会ったことによるものだろう。本書刊行から約20年、社会史・民衆史研究の進展とともに、国家単位の歴史叙述に対する批判が高まり、「民衆視点」を導入した議論も多く展開された。これらの議論にも、鹿野のいう「小文字の歴史学」に通ずる部分があったと思うのだが、ざらっとした違和感というか、本書との「違い」を感じる。なぜなら本書は、「日本の現代」を生きるさまざまな立場の人びとの心性にまで迫ってみせたからだ。例えば本書は、新川明の「「みなし児」の歌」や、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」といった、詩を歴史叙述の材料として用いている。人びとの心のひだと接点をもつことにこだわる、本書の「小文字の歴史学」ならではの試みといえよう。
そして本書の最大の魅力は、人びとのかかえる苦しさを、当事者に徹底的に寄り添いながら描いたことだろう。本書は読者にこう語りかけている。「それぞれの〝しんどさ〟を抱える人びとがいる。その〝しんどさ〟が少しでも軽くなり、人びとが幾らかでも呼吸しやすい社会や人間関係に、どうすれば近づきうるのだろうか」と。通史でたくさんの「登場人物」に触れること自体はそう難しくはない。しかし本書のいう「しんどさ」を可視化し、通史として描くのは今でも本当に難しい。歴史学のあるべき姿や通史を描く方法を考える際、本書は今なお必読文献である。
(うだがわ こうた・日本現代史)