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舘野鴻「命は描けるか」

*朝日新聞2022年7月12日「折々のことば」欄で紹介されました*

 

命は描けるか
舘野 鴻

 私は虫の絵本を描いている。と言っても虫を擬人化して物語を語らせているわけではない。虫がどう生きているか、ということを淡々と描いているだけの絵本である。
 虫の生き様を描くためには、虫そのものの形態や生態などの素性を知らなければならないし、虫だけを描いていてはその暮らしを伝えることができないので、周辺の環境や地域性、季節性、それらとの結びつきを調べ、かつ理解することが必要になる。したがって、そこそこの観察行為も学習もする。こうしてある程度客観的な視点で虫を描いた絵本なので、私の絵本は「科学絵本」のカテゴリーに分類されるだろう。
 
 ハエやアリ、ゴキブリ……。出会いたくなくても、普段の生活の中で虫にはいくらでも出会ってしまう。よく言われるように、虫は地球上で最も繁栄している一群で、有無を言わさず私たちの超隣人である。現生人類が誕生して20万年。それ以前からこの世に存在しているのだから、虫の方がわれわれよりずっと先輩だ。人類は誕生以来、虫にまみれて暮らしてきたと言っていい。
 
 私は、虫を描いているからといって、典型的な昆虫少年だったわけではない。
 幼稚園児の頃、アパートの二階から、向かいの家の門柱の上に動く何かを見つけた。小さな木屑のようなものが動いているのだ。しばらく眺めていたが、その正体が何なのかわからず、おそるおそるそれを見に行った。産まれて初めて見るその生き物の体には、複雑だが規則性のある地味な模様が一面に描かれており、この模様の不気味さと不思議さに強烈な衝撃を受け、それが生き物であったことに恐怖を覚えた。未だ鮮烈な記憶として残るこの虫は、後にその名を知った「ナガゴマフカミキリ」という、どこにでもいるカミキリムシの一種だった。
 
 その後の少年時代は、多くの人が経験するように、普通に虫が遊び相手であり遊具でもあった。転機は中学一年生のときに訪れた。仲の良かった生物部の友だちに、陸上部に転部したいので代わりに生物部に入ってくれないかと頼まれた。深く考えずに承諾し入部した生物部で、地理的変異の多いオサムシという甲虫を知り、昆虫の世界の面白さに目覚めた。これが、虫の形態、生態、生息環境を注意して見るようになったきっかけだった。
 
 高校卒業後は北海道にある大学に進んだ。理由のひとつは、本州にはいない、キラキラ光るオサムシを採りたかったから。随分な道楽息子だったが、親は北海道へ行かせてくれた。
 ところがある出来事が起こる。函館に「隠れキリシタン」が大勢殺された山がある。そこには特産種の美麗なオサムシが二種類棲んでいる。同行者と共に、十字架の立つなだらかな稜線にテントを張り三泊すると、思いがけずたくさんのキラキラ光るオサムシが採れた。その数106匹。この数字には聞き覚えがあった。殺された「隠れキリシタン」と同じ数なのだ。まさかと信じられず、その数が符号しないことを願いつつ、函館の教育委員会に連絡し文献まで送ってもらったところ、数字に間違いはなかった。
 
 私はなんてことをしていたのだろう。頭をハンマーで殴られたような、とよく言うが、まさにその形容通りであった。虫の命と人の命の何が違うのだと、虫が命をもって私を断罪したのだった。それからというもの、数年間、怖くて虫を採ることができなくなった。虫を採りたくて行った北海道で、根本から性根を正された。この命の符合は以来、私の思考の軸となり、当時のめり込んでいた演劇、舞踏、音楽に対する霊的なモチーフにもなったが、それは今も変わらない。私が虫なら、草なら、石なら、水なら……、そんなふうに考えるようになった。こうなると科学でもなんでもないただの感傷や情緒であるが、その感情を今も捨てられずにいる。
 
 虫の姿は描けても、命は紙に描けるものではない。命の正体とは何だろう。生きものは、産まれた瞬間から環境との関係を結び、死ぬことを含みながら生きている。
 これまで描いた絵本は『しでむし』(2009年)、『ぎふちょう』(2013年)、『つちはんみょう』(2016年、いずれも偕成社)。現在は地底に暮らす『がろあむし』という虫の絵本を描いている。どれも、私たちからは辺境に生きているように見える虫だが、彼らにしてみればそれが普通の生活だ。
 これらの虫は、比較的身近ではあるが注意しないと見つからず、地味で見栄えもしないので、科学絵本の対象として取り上げられることは少ない。また、一般的に「絵本は子どものもの」と認識されがちだが、私が描いている絵本は大人向けでも子ども向けでもない。
 
 絵本を開くと、視覚を優先する性質のある私たち人間には、暴力的といっていいくらいに絵が一気に目に飛び込んでくる。文字列を読む時間より、それは圧倒的に高速だろう。まだ文字そのものや文字列の意味をつかみきれない子どもにとってみればなおさら、絵のインパクトは大きいように思う。
 絵にもよるが、その情報量は描く側が操作している。ここには画家の責任のようなものがあるので、何をどう描くか、なぜそう描くのか、ということは常に意識してしまう。科学の要素を描こうとすれば、主観的なものの見方は捨てるべきだが、一方で嬉しい、悲しい、淋しい、楽しい、美醜という情緒や感情なしに、読者の「心」に届く絵本にはならない。科学と情緒は共存しにくいものだが、生き物の絵を描くようになってからは、その接点をいつも探している。

 「自然環境」との距離がはなれゆく一方の人の世の中だからなのか、虫が好きなことは、ときには変わり者だとか偏執的性質をもつ人であるとか、そんな印象を持たれることが多く、虫が嫌いという人の方が圧倒的に多いと肌で感じる。マスコミの伝え方が影響している部分もある。現代の人の生活では、野生生物と接触することが少なくなっているし、除菌を推奨する世の中では、虫は不潔の象徴のような存在でもあろう。
 
 私は虫が嫌いな人に、虫を好きになってもらおうなどとは考えていない。虫と接触する機会のない人が、虫を嫌ったり排除しようとするのは自然なことだ。わからないから怖いのだし、私が「ナガゴマフカミキリ」と出会ったときのように、正体不明の生物に危害を加えられないように自らの命を防衛するという意味でも、それは当然の反応といえる。逆にそうした感受性がないことの方が恐ろしい。
 しかしその虫も、われわれに共通する「命」をもつものだ。好き嫌いはどちらでもいいとして、虫は命ではない、とは言えない。大人はそれをどのようにとらえ、どのように子どもに伝えたらよいのだろうか。
 
 人工的な都市環境ではない「自然環境」は、はるか昔から私たちの生活資源だった。その自然環境は身近な草木や虫、ケモノたち、さらに目に見えない菌など多くの生き物が構成しており、私たちはずっと彼らと暮らしてきた。本来、私たちも自然環境の中で、バランスよく生命活動のやりとりをしていたはずだ。
 人は、今の暮らしを維持するために、それ相応のことを考えて行動しているが、現代ではその考えの中に、「自然環境」を人も含まれたものとして意識することは難しい状況にある。この世界は、虫を含めた多様な生きものの働きによって生態系の均衡を維持しており、私たち人もその働きや恩恵を受けなければ生存できない。自然環境の中にある虫の暮らしを見ていると、彼らは完全に循環資源の一部になっていることに気が付く。
 
 一方で私たちの排泄物や死体などは循環資源として還元されず、食糧も一方的に自然環境を改変することで得ていたり、ふと気付くと生態系から切り離された暮らしをしている。生態系と関係をもたずに「見ているだけの側」になりきっているこの状況では、人は生態系の一員とは言えそうもない。
 地球で暮らしているのは人間だけではない。自然界で起こっているあらゆる命の出来事を、大人たちはしっかりとらえることができているだろうか。親は子どもの環境のひとつであり、子どもは親の意識の影響を大きく受けて育つ。実感としてつかみにくいことではあるが、「ただ見ている側」から一歩踏み込み、「私たちも含まれている生活の場としての自然環境」も意識しつつ今を考え、次世代のために働く必要があるように思う。

 野生の生き物は多種多様で、そのすべてに、産まれて生きて死ぬ、というドラマがある。虫は嫌われ者だが、ちょこまかと動き回る姿は人の肉眼でとらえやすく、姿も多彩で、嫌でも身近で意識される存在である。そうした生命力あふれる姿に恐怖を覚える人もいるし、興味を惹かれる人もいる。
 一方、その死体もよく目にしているはずだが、こちらに注意を払う人はあまりいない。虫がそこに死んでいるのだ。死んでいるということは、生きていたということである。どこかで産まれて、育ち、喰い、繁殖し、生き切って死んでそこにいる。すべての虫が成虫になれるわけではない。多くの虫が成虫になるまでに誰かに喰われたり事故にあったりして死んでいる。
 
 たとえば『つちはんみょう』の主役のヒメツチハンミョウでは、メスの産んだ約4000個の卵から孵った幼虫のうち、運よくヒメハナバチに寄生して成虫にまでなれるのはほんの数匹。他の赤ちゃんは皆死んでいる。ギフチョウは生涯にわたり、アリという天敵に狙われ続け、辛うじて蛹になっても、地べたで休眠している10カ月の間にネズミや鳥に喰われ、春に舞い飛ぶこの美しい蝶はその危機をくぐり抜けた幸運な者たちなのだ。
 『しでむし』のヨツボシモンシデムシは、ネズミなどの小型脊椎動物の死体を糧に安全に子育てをし、十数匹の子どもたちはほぼすべてが成虫になれる。しかし、死体という食糧資源は競争率が高く、成虫が死体にありつき繁殖できる確率はきわめて低い。ヨツボシモンシデムシは動物の死体と共にあり、死体がないと種を存続することができない。誰かが死んでくれなければ困るのだ。
 
 人の世界では、今も疫病、飢饉、自然災害、戦争などで死が身近にある人たちがいる。私たちの国でも、2011年の大震災で多くの犠牲者が出たばかりだ。そのとき私たちは、生きることに対して真摯に向き合ったはずだ。しかし、その気持ちを今も持っているだろうか。死がそこにあると意識することで、ようやく今自らが生きているということに気付きはしないか。
 
 人と人以外の生物を同じように見ることは「社会生物学論争」にあるように危険なことであるが、単純に「産まれて生きて死ぬ」という点で、虫と人とは同じである。虫が産まれ、生きて死ぬさまは無垢で潔く勇敢だ。虫の生きざまをしつこく見ていると、自然と自分に重ね、私はこんな風に生きられるのかと考える。そしていつも、自分がいかに半端で腰抜けで出来の悪い生きものなのかと思うに至る。
 一瞬一瞬を全力で生きる虫の生きざま、振る舞い、姿は、何よりも美しく見えるのだ。生き切って命を閉じた死にざまさえ尊く美しい。私たちが目にする虫は、奇跡の末にそこにある生命の姿である。生きていることは当たり前ではないと、虫は私に伝えているように思うのだ。
 
 虫を描くことで「生きる」というとてもシンプルなことを伝えられるのではないか。その描き方を探る日々の中で、虫と出会えたことが幸運なことだったと改めて感じている。何より、人間の「外」にある虫などの「自然物」の存在や振る舞いは私の予想をいつも超えている。だから単純に、虫を眺めることが面白いと感じるのだ。

 わが家では薪ストーブを使っている。伐採も薪割りもやる。その際にテッポウムシ(カミキリムシやタマムシの幼虫)が出てくる。以前であれば、どういう状態の何という木から出たかを観察し、成虫まで飼育して種を特定しようと考えた。テッポウムシが、昔から食用にされていることは知っていたが、気持ち悪いし食べようと思わなかった。
 しかしあるとき、年配の方の幼少期の話で「犬と取り合いになるほどおいしいものだ」と聞き、思い切って炒めて食べてみた。すると、これがうまかったのである。
 
 虫は命だ、虫は美しいとさんざん言いながら、虫を食べたその瞬間から虫は私の中で「食糧」のひとつとして定着してしまった。どんなに珍しいカミキリであろうが、「うまそう!」という感情が先に立つようになってしまった。私にとって、虫はもはや科学の延長上だけにあるものではない。こんなに簡単に自分の認識が変わったことが痛快でもある。今も薪割りをしているが、テッポウムシは楽しみのひとつになっているし、以後はその他の虫も食べるようになった。
 
 不思議な感覚なのだが、虫を食べたことで、なぜか彼らの世界の仲間に入れてもらえたような気がした。また、虫の命が私の体の血肉になったということで、彼らとの関係がフェアになったような感覚にもなった。が、フェアではない。私は彼らと違い命がけで今日を生きてはいない。安定した豊かな食生活を送る贅沢者の戯れ言なのはわかっている。それでも、それまで感じていた彼らとの距離が少し縮まったように思うのだ。

 命は描けない。命は静止しているものではなく、状態であり、関係の中で、いつも運動し変化しているものであるから。姿を平面に描いてもそれは命ではない。
 私にできるのは、断片を誠実に描くことくらい。その静止した断片の連なりが絵本であり、ページという静止と静止の狭間に、永遠に描くことのできない命のようなものが忍び込んでくれたらと願うのだ。
(たてのひろし・画家)
 
『図書』2017年8月号掲載
 
 

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