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吉見俊哉 空爆するメディア論 【『図書』2022年9月号より】

〈空爆〉というメディア

 八月、『空爆論』という本を出す。

 こんなタイトルの本を書こうと思ったのは、もともと9・11とその後のイラク戦争がきっかけだった。やがて、アメリカのアフガニスタンやイラクへの空爆でドローンが多用されていくなかで、空爆をメディア論の問題として論じなければならないとの思いは強まった。

 もう少し遡るなら、第二次大戦末期に東京大空襲や広島・長崎への原爆投下、米空軍によってなされていった日本全土への空爆とは何だったのか。日本列島を焼け野原にした出来事を、被災した日本の側からではなく、米軍の眼差しの問題として問い返すべきなのではないか。そうすることによって、日本空爆と朝鮮戦争の空爆、さらにベトナム戦争の空爆が、まったく連続的な過程として見えてくるのではないか――。つまり、この空爆の連続性の基底に、メディア論的な連続性が貫通しているとの認識である。

 二〇世紀は戦争の世紀であり、メディアの世紀でもあったとも言われるが、両者は一方が殺戮、他方が報道というように離れ離れに並行していたのではない。かつてマクルーハンが言い当てた通り、「視ること」は「殺すこと」でもあるわけで、戦争とメディアの間には、後者が前者を記録・記憶し、語り直すという以上の関係がある。端的に言えば、戦争は本質的にメディア的な実践なのだ。

 おそらくドローンほど、このメディアと戦争の関係を明瞭に示してきた兵器はないだろう。ドローンは、それ自体の内部に高精細の眼差しを備えた無人航空機である。ドローンを可能にしたのは、無人でも飛行機が飛ぶこと自体というよりも、そのような飛行体が上空から大地を眼差し、地上の基地からこの飛行体を自在に操れる制御システムだった。

 そのような眼差しの発達には長い歴史があり、少なくとも第一次世界大戦でイタリアやイギリスの航空軍が北アフリカや中東、それにアフガニスタンのような植民地の叛乱軍を空爆した時まで遡れるし、もっと言えば一八世紀末以来、気球への熱狂が写真術と結びつき、「上空からの眼差し」が発達し続けていた。

 『空爆論』は、そのような長い歴史的射程のなかで、二つの世界大戦での空爆、とりわけ一九四四年末から四五年夏まで日本列島を襲ったB29による無差別大量殺戮から、9・11と米軍によるアフガニスタンやイラクへの空爆、世界各地の紛争でのドローンの拡大までをメディア論的な問題として貫通させて捉え直すことを目指して書き始められた。

ロシアのスパイ ウクライナの俳優

 だから、『空爆論』を書き始めた時点では、二〇二二年、ロシアがウクライナに軍事侵攻し、ポスト冷戦期の世界秩序が深刻な危機に瀕するとは、まったく予想していなかった。しかし現在、勃発した戦争は、ウクライナがロシアの時代遅れな暴虐に、二一世紀的なメディア状況を駆使しながら抵抗しているという意味で、二つの体制のみならず二つの時代が争っているかの様相を呈している。

 私は著書で、この戦争を「スパイ」と「俳優」の争いとして論じた。ロシアの「スパイ」は長く権力の頂点にあり、国内の情報を徹底して統制してきた。ウクライナの「俳優」は、人気テレビドラマで大統領役を演じ、そのドラマ上の役が現実化するような仕方で本当の大統領になった。スパイが情報は統制し、捏造するものだと考えて疑わないのに対し、俳優は溢れる情報のなかで、不特定多数を相手にドラマのシナリオを演じ切る。世界同時化したネット社会は、この俳優にとっては最高の舞台である。

 この戦争で何より特徴的なのは、ロシアの空爆で崩れたアパートや民家、殺された人々の死体が、地元の市民たちによりスマートフォンで撮影され、リアルタイムで世界に共有されていることだ。かつて日本列島や朝鮮半島で米軍の徹底的な空爆を受けた人々は、地上の情景を即座に世界に伝えることなどできなかった。広島や長崎の原爆の悲惨が世界に共有されていくまでに、長い時間が必要であった。だが今では、ネットと携帯メディアの革命的な力で、少なくとも情景の共有は、瞬時に地球規模で実現する。

 それだけではない。すでに地球は無数の人工衛星に覆われている。それらの周回する衛星は、空爆する爆撃機やミサイルよりもさらに上空にあり、リモートセンシングで地表面の変化を精密に計測している。地上近くでは偵察用ドローンが地上の変化を観察し、その情報も衛星経由で世界に伝えられている。今回の戦争では、それらのデータの多くが公開されているから、世界各地の市民が、現地の悲惨を精密に観察し続けている。

「ドローン」と「カミカゼ」

 これらの眼差しが、かつて第二次大戦末期の状況からするならどれほど大きな変化であるかは、過去一世紀の空爆史をたどり直してみればよく理解できる。

 一九四四年から四五年にかけて、日本各地の都市を米軍の苛烈な空爆が襲ったわけだが、それらを貫いていたのは、相手を徹底的に可視化し、データ化する科学的な眼差しだった。当時、アメリカは巨額な開発費をかけて超大型爆撃機B29を開発し、地上の人々を悉く焼き殺すナパーム焼夷弾を実用化し、さらにその爆撃のために偵察機による精密な航空写真の撮影から地図や模型の製作、訓練用の飛行シミュレーションまでの計算し尽くされたシステムを構築していた。

 このシステムの構築には、コンピュータ科学の父ヴァネヴァー・ブッシュが深く関与していたし、これがノルベルト・ウィナーらの天才によるサイバネティクスの発達を促していくことにもなる。

 だから空爆するアメリカの眼差しは徹底して科学的でも超越的でもあったのだが、そうした眼差しを同時代の日本はまるで備えてはいなかった。日米戦末期の彼我の違いは、原爆投下と被爆というだけではない。より大きくは、アメリカが高度に発達させていた空爆する眼差しを、日本は決定的に欠いていたのだ。

 そのような眼差しの対照性が最も顕著に示されていたのが、「ドローン」と「カミカゼ」の関係だった。ドローンが広く民間でも実用化されるのは比較的最近だが、そもそものドローン開発は一九三〇年代のアメリカに遡ることができる。当時、ドローンについてのアイデアを最初にまとめたのは、驚くべきことにウラジミール・ツヴォルキンだった。

 今、私は「驚くべきことに」と書いたが、この形容は、おそらくメディア研究を長くしてきた者以外には通じないだろう。ツヴォルキンは、テレビの発明者として有名である。日本では高柳健次郎の試みがあったが、アメリカでテレビを発明し、実用化していったのは、デヴィッド・サーノフ率いるRCAで、ツヴォルキンはその中心にいた。彼は、自身が開発したテレビ技術の延長線上に、軍事用ドローンの可能性を見ていたのだ。

 ここに示唆されているのは、ドローンは飛行機である以上にテレビなのだという視点である。テレビの歴史を多少なりとも勉強した者ならば、ツヴォルキンの名を知らない者はいない。しかし、そのツヴォルキンがドローンの最初の発案者の一人であった事実は、テレビというメディアと軍事技術としてのドローンの内在的な連続性の強力な傍証となる。空爆とは、いかなる意味でテレビ的実践なのかが問われなければならないのだ。

 こうしてドローンの誕生史を調べていくと、慄然とするもう一つの事実に突き当たる。ツヴォルキンは一九三〇年代に書いたドローン開発の提案書で、この着想は、当時日本軍が構想していたパイロットが飛行機と共に敵に突入する「自殺部隊」に刺激されて考えたと書いていたのだ。日本軍は、兵士の命を機械部品と見なし、「空飛ぶ魚雷」の誘導に生身の兵士の眼差しを使おうとしている。文明国であるアメリカはそんな野蛮なことはできないから、メディア技術で同じことを実現するのだと彼は主張していた。

 無論、一九三〇年代にはまだ「神風特攻隊」は存在しないし、日米も開戦以前である。それなのになぜ、ツヴォルキンは約十年先に起こることをほとんど予言していたのか。そしてもし、ドローンがカミカゼのメディア技術的代替であるならば、日本の特攻隊兵士は、逆にドローンの一部として、最初から命を奪われ、自爆を強制されていたことになる。この背筋が寒くなるような技術と人間についての思考の差は何に由来するのか。

 『空爆論』の後半では、上空からの空爆する眼差しと地上で殺されていく人々の視覚的関係と、こうした日米の、あるいは「空の帝国」としてのアメリカと、そのアメリカに空爆され続け、最後は自爆攻撃を仕掛けることになっていった諸社会との植民地主義的な関係が、二〇世紀の歴史を通じていかに絡まり、変容してきたのかを考察し続けている。

「博覧する眼差し」と「空爆する眼差し」

 以上の『空爆論』は、私がこれまで書いてきた著作の中では、約三〇年前に書いた『博覧会の政治学』(中公新書、一九九二年)の延長線上に位置する。

 博覧会の歴史を〈眼差しの政治学〉の問題として捉え返したこの本を、私は一八五一年のロンドン万博からではなく、一四九二年のコロンブスの新大陸発見から始めていた。南北アメリカ大陸の先住民は、一五世紀末に西洋の眼差しに「発見」されて以来、その眼差しによって大量虐殺され、同時にその眼差しの中に位置づけられ直してきた。それが、近代という時代の根本的な事件であった。

 視ることは、殺すことであり、征服することであるという関係の政治学を、私たちは近現代を通じて徹底的に考え続けなければならない。たしかに博覧会は祝祭的なスペクタクルであり、空爆は残忍な殺戮行為である。しかし、二つの著作を通じて私が追究した〈視ること=征服すること〉という眼差しの政治学は、祝祭でも戦争でも、近代の大きな舞台の上で、同時的に作動してきたのだ。

 そして、二〇〇一年の9・11と、二〇二二年のウクライナ戦争では、「上空からの眼差し」が、地理空間的な高低を超えてしまった。「上空」と「地上」の関係とは異なる次元で、今日の空爆は遂行されている。9・11では、人々は自爆攻撃によりはるか上空で殺され、ウクライナでは地上の人々が衛星的な眼差しを獲得している。空爆する眼差しも地上の眼差しも、今日では急速に地理的という以上にデータ的なものになっている。

 だからこそ、この眼差しの臨界面において、二〇世紀の空爆史を、メディア論的な問いの場とする必要がある。それは単に戦争の技術史を振り返ることではない。映画とは何か。テレビとは何か。サイバネティクスやAIはどんな眼差しを実現したのか。そして今日の都市に浸透した監視カメラと膨大な画像データ処理は、いかなる意味で空爆する眼差しと連続的なのか――。これらの問いへの道筋が、そこから見えてくるはずなのだ。

 (よしみ しゅんや・社会学)

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