<特集>味覚と嗅覚の進化【『科学』2022年12月号 】
◇目次◇
【特集】味覚と嗅覚の進化
脊椎動物における味覚の多様性とその遺伝的要因……戸田安香・石丸喜朗・三坂 巧
ワオキツネザルのメスを惹き付けるオスの匂い……白須未香
羊膜類の海洋環境適応と嗅覚の進化……岸田拓士
[巻頭エッセイ]
ノーベル物理学賞の報道に思う──真鍋博士と複雑系科学……古川義純
[ノーベル物理学賞2022]
自然観の歴史的転換から量子情報科学へ……筒井 泉
[ノーベル生理学・医学賞2022]
ネアンデルタール人ゲノム解析をはじめとした多様な貢献……斎藤成也
[ノーベル化学賞2022]
さまざまな機能を連結できる合成化学の新たな概念:クリックケミストリー……北山 隆・馬場良泰
新型コロナウイルスと抗体依存性増強(ADE)……中山英美
サプライチェーンと環境問題──個人,都市,企業の観点から……金本圭一朗
脳のしなやかさを科学する──ブレイン・マシン・インターフェースの挑戦……牛場潤一
[連載]
数学者の思案7 アメリカ大学院留学……河東泰之
これは「復興」ですか?69 閉ざされたゲート向こうの準備宿泊……豊田直巳
リュウグウのささやきを聴く4 ガスを持ち帰る……橘 省吾
広辞苑を3倍楽しむ117 てんとうむし……河上康子
竹取工学物語4 植物の茎や枝の断⾯が「丸」であるのは当たり前?……佐藤太裕
3.11以後の科学リテラシー119……牧野淳一郎
[科学通信]
女子中高生に科学の楽しさを……田島節子
次号予告・お知らせ
例年のことながら,ノーベル賞各賞の受賞者発表の時期になると報道合戦が繰り広げられる。少し古い話題になるが,昨年2021年のノーベル物理学賞には,複雑系研究の業績で3人の研究者が受賞者として選ばれた。その内訳は,ジョルジョ・パリージ博士の「物理系における無秩序と揺らぎの関連の発見に関する業績」と,真鍋淑郎博士とクラウス・ハッセルマン博士の「地球気候の物理的モデル化と,変動性の数量化,そして地球温暖化の予測を可能にした業績」の2本立てとなっていた。
なかでも,真鍋博士の業績は,大気中における二酸化炭素の量の増加に伴う地球温暖化を見事に予測したものであった。複雑系のモデル化を可能とする研究手法を確立した典型的なものとして,物理学賞に値する素晴らしいものであることに異論はない。しかしその一方で,この受賞に対する国内の報道には,かなり違和感を覚えたのも確かである。その原因は,気象学や気候学の分野の研究に対して初めて物理学賞が授与されたという論調が中心であり,本来の複雑系研究の業績という視点での報道が希薄であったことにある。気になったので,物理学賞の選考委員で,受賞者発表の記者会見で説明役を務めたイエール大学のジョン・ウェットラウファー博士(私の古くからの友人でもある)に直接聞いてみたが,明確に複雑系研究への寄与が受賞の理由との回答があった。報道では日本人・日本出身の受賞者の業績に焦点が絞られるのは仕方ないが,その受賞の背景にももう少し言及があれば真鍋博士の受賞の意義がもっと明確になったと思われる。
さて,この複雑系とは,相互に関連する複数の要因の組み合わせで全体としてなんらかの性質や挙動を見せる系のことを意味している。私たちの身の回りに起きる自然現象は,複雑系に支配されるものが多く,現代物理学においてはかなりの部分が多かれ少なかれこのような系に関連している。複雑系が物理学の対象として発展を遂げたのは戦後であるが,実は日本では戦前からその先駆けとなるような優れた研究が行われていたことをここで指摘したい。その代表的な例は,寺田寅彦や中谷宇吉郎などの研究である。彼らは,放電現象や地震,雪の結晶の成長やパターン形成などの自然現象を研究テーマとして取り上げた。当時は,複雑系の言葉も概念もまだ存在しなかった時代で,その先見性にはあらためて目を見張らされる。それから80年以上の年月が経過し,ノーベル物理学賞の受賞対象分野に複雑系が取り上げられる時代が到来したことになる。こう考えると,真鍋博士の研究は,まさに寺田や中谷の研究の流れを汲むものと言えよう。寺田や中谷の培った研究分野に,世界がようやく追いついたのである。
真鍋博士のノーベル賞受賞の報道では,気象学や気候学への貢献ということだけに留まらず,複雑系研究としての真髄やそこに至る系譜まで,もう少し深掘りした視点もあって欲しかった。これによって,この研究分野への理解と興味がさらに深まったに違いない。