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思想の言葉:「文学」という言葉とその概念について 藤原克己【『思想』2023年2月号】

◇目次◇

思想の言葉 藤原克己
図式,先入観念,二重盲検──一歴史家の省察 カルロ・ギンズブルグ/上村忠男 訳
アメーバからプルーストへ──レヴィ=ストロースにおける文化=自然と関係の関係性について 出口 顯
「戦後責任」という思想──何が問われ,何が問われてこなかったのか 宇田川 幸大
「倫理共同体」の核心としての「良心」──ヘーゲル『精神現象学』の根本問題 福吉勝男
「あいだ」のフェティシズム 大黒弘慈

 

◇思想の言葉◇
 
「文学」という言葉とその概念について
藤原克己
 

 このほど私は、エマニュエル・ロズラン Emmanuel Lozerand というフランスの日本研究者のLittérature et génie national: Naissance d’une histoire littéraire dans le Japon du XIXe siécle(Les Belles Lettres, 2005)という本を「文学と国柄──一九世紀日本における文学史の誕生」というタイトルで、現代アイルランド文学及びフランス文学専攻の鈴木哲平氏と共訳し、岩波書店から刊行した(二〇二二年一二月刊)。まず本書の概要を紹介させていただきたい。

 原書のタイトルにあるgénie nationalは、一般的には「国民的精髄」とでも訳すべき語であるが、それを本書で「国柄」と訳したのは、一八八八年に東京大学文学部(当時は正確には「帝国大学文科大学」だが、本稿では通称としてこの呼称を用いる)和文学科の教師と学生たちが協働して発刊した雑誌『日本文学』の創刊号巻頭に掲載された「日本文学発行の趣旨」に、「人の性質品位を人柄と謂ひ、国の性質品位を国柄と謂ふ。人柄の如何を知らんと欲せば、其の人の経歴態度に就いて之を観るべく、国柄の如何を知らんと思はば、其の国の文学を以て之を徴すべし。」(傍線藤原)とある「国柄」を、著者がgénie nationalと仏訳していることによる。

 本書は三つの驚きが柱になっている。一八九〇年(明治二三年)というまさにこの同じ年の四月に芳賀矢一と立花銑三郎共編の『国文学読本』が、五月に上田万年の『国文学』が、一〇月に三上参次と高津鍬三郎の『日本文学史』が出版され、また同年五月からは落合直文・池辺義象・萩野由之編『日本文学全書』の刊行が始まった。しかしこの一八九〇年という時点で自国の文学史を有していた国は、ドイツ・フランス・イギリス・イタリアなどのヨーロッパのごく少数の国に限られていた。なぜ日本はこんなに早く自国の文学史を持つことができたのか。しかもヨーロッパでは、自国の文学史を著述することは文献学者としての最後を飾るようなライフワークであったのに、上記の文学史や日本文学選集の著者たちは、皆まだ二〇代の若者たちだった。──これが第一の驚きであり、本書はこの驚きから出発して、東京大学文学部には最初の日本文学史が生まれるためのいかなる条件が備わっていたのかを精査する。

 ついで、古典主義の一八世紀から歴史主義・ロマン主義・ナショナリズムの一九世紀へという世界史的文脈の中で、日本の近世国学から近代国文学への流れが分析されるのであるが、この分析の中で、第二・第三の驚きが提示される。すなわち、ドイツ国民文学の提唱者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(一七四四~一八〇三)と本居宣長(一七三〇~一八〇一)とが、またフランス・アカデミズムにおいて実証的な文学史研究の基礎を固めたギュスターヴ・ランソン(一八五七~一九三四)と芳賀矢一(一八六七~一九二七)とが、まったく同時代人であったという驚きである。とくに第二の驚きに関連して、「江戸時代、国学は、中国を信奉する主導的な学問に対して自国固有のものの正当性を伸長すべく戦った。それはあたかも一八世紀末葉の、フランスの 〈文明シヴィリザシオン〉に対するドイツの〈文化クルトゥーア〉の解放という構図シェーマを想起させる」と指摘されていることは重要であろう。

 ロズラン氏は、近代日本における文学史の誕生を、一九世紀ナショナリズムの潮流や西洋列強の脅威にさらされた日本という世界史的文脈の中で分析している。しかし、日本のナショナリズムのその後の不幸な結末を観た現代の高みに立って裁断するのではなく、最初の日本文学史を創成した「大志を抱く青年たち」の、一八九〇年当時の時代状況のなかでのその心情に立ち入って、共感しながら書いている。この点が、二宮正之氏が『文学の弁明(岩波書店、二〇一五年)の第一篇「)────────現代フランスに見られる「文学」再考の動き」(傍点強調藤原)において本書を取り上げ、「温かい文学研究」と評した所以の一つである。が、本書にはもう一つ、二宮氏が「温かい文学研究」と評した所以がある。それは、ロズラン氏が「文学」を大切にしているということである。

 氏はジャック・ランシエールの次のような言葉を引用している。

 私たちが、もはやあえて問おうとはしなくなったような問いがある。最近、あるすぐれた文学理論家が教えてくれたのだが、いまどき「文学とは何か」などと銘打った本を書くためには、ばかばかしさを恐れていてはならないというのだ。私たちにはもう遠い昔になってしまったような時代に、サルトルがまさにそういうタイトルの本を書いたのだが、しかし彼にしても、少なくともその問いに答えを出さないでおくだけの分別は持ち合わせていたようである。(Jacques Ranciére, La Parole muette, Hachette, 1998.)

 また氏はマルク・フュマロリの「文学とは、一九世紀にある特別な威光に包まれた地位に据えられたが、二〇世紀にはその地位がまことにはかないものであることが明らかになったようなものである」(Marc Fumaroli, L'Âge de l'éloquence, Droz, 1980)という言葉も引用している。ロズラン氏も「文学」をめぐるこんにちのこうした議論を意に介さずにいるわけではない。しかしその上でなお、これまで私たちが「文学」と呼んできたものを「文学」として認め、大切にしようという姿勢を明確に示しているのである。

 ただしここでいう「文学」は、ヨーロッパで一八世紀後半から用いられるようになり、明治以後日本でも用いられるようになった意味でのものである。ロズラン氏によればそれまでこの語(littérature)は学問一般、教養などを意味していたのだという。

 たとえば西郷信綱氏の『国学の批判』(未來社、一九六五年)に「国文学は文学を研究対象とする学問であるべきなのに、文学が見失われ、文学にとっては非本質的な部分の研究、つまり文献学や書誌学を本道であるかのように見なす考えがますます強化されてきている」という一文がある。かつては、ここで言われているような「文学」という言葉は、定義はしにくいけれども意味は自明で、西郷氏のこの発言に共感した人も少なくなかったと思われるのであるが、こんにちではこういう「文学」という言葉の使い方は、どうも敬遠されるようになった。あるいは『紫式部日記』を「日記文学」などと称することは、一九世紀ロマン主義に由来する近代的な「文学」概念を押しあてたものだ、というような批判もある。しかし『紫式部日記』にしても『源氏物語』にしても、現代の私たちを感動させ、人と世の中について深く考えさせるものがたしかに表現されているのであって、しかもそれは、私たちがこの「文学」という概念を所有することによってこそ、より明瞭に見えてきたものなのだと言っても過言ではないであろう。『源氏物語』をもっぱら歌書として読んでいたような中世的な読み方も、あるいは「もののあはれ」に集約した宣長の読み方も、『源氏物語』の本質やその豊かさをじゅうぶんに汲み尽くし得た読みだとは、言い難い。近代の私たちよりも近代以前の読者のほうが『源氏物語』を読めていたなどとは、一概には言えないのである。

 新潮日本古典集成『本居宣長集』の「解説「物のあわれを知る」の説の来歴」で日野龍夫氏は、「『源氏物語』は宣長によって初めて勧善懲悪論から解放され、‶文学″としての取扱いを受けたということができる」と述べているが、ロズラン氏も宣長の「物のあはれ」論の中に近世日本における「文学」という概念の「原概念プロトコンセプト」の形成をみることができるとしている。が、日野氏は一方で「宣長の『源氏物語』理解はかなり平板なものであったと評せざるを得ない」とも述べている。つまり、宣長が『源氏物語』の内に発見できたものと、そこから汲み尽くし得なかったものと、そのいずれをも指示し得る概念として、私たちはこの「文学」という輪郭も内容も曖昧な概念を手放すわけにはいかないのである。

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