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『科学』2023年3月号 特集「逃げる! 生き物の知恵」|巻頭エッセイ「自然保護と国益」井田徹治

◇目次◇ 
【特集】逃げる! 生き物の知恵
死んだふりで逃げる──それは意図的か?……宮竹貴久
安易に逃げないトノサマガエル……西海 望
自切したイナゴの跳躍様式の変化──想定されたケガへの巧みな対応……鶴井香織
大胆な有毒種と臆病な擬態種──アゲハチョウ亜科における警戒心の強さの比較……小島 渉
ニホンウナギ稚魚は天敵の魚に食べられてもエラの隙間から脱出できる……長谷川 悠波・河端雄毅
蝶や蛾の擬態と逃げる戦略……鈴木誉保
超音波による捕食者回避行動を利用したガ類の交尾戦略……中野 亮

[巻頭エッセイ] 
自然保護と国益……井田徹治

カーリングの石はなぜ曲がるか……村田次郎
自動運転車の安全性の数学的証明──論理学の社会応用の一例として……蓮尾一郎
嗅覚研究から見える脳のしくみ3──脳の中の自分とは……森 憲作・坂野 仁

[連載]
研究者,生活を語る3 おさるのジョージと黄色い帽子のおじさんのような生活……別所─上原 学
数学者の思案10 数学の試験採点……河東泰之
竹取工学物語7 科学技術に立脚した「現代・未来の竹取物語」……佐藤太裕
これは「復興」ですか?72 ダルマ市の賑わい……豊田直巳
リュウグウのささやきを聴く7 サンプラー開発と仲間たち……橘 省吾
オープンサイエンス事始め──科学データは誰のものか4 ヒトゲノム計画とDNA 情報の即時公開……有田正規
3.11以後の科学リテラシー122……牧野 淳一郎

[科学通信]
2023年Japan Prize……『科学』編集部
50年前には

次号予告
 

◇巻頭エッセイ◇
自然保護と国益
井田徹治(いだ てつじ 共同通信社編集委員) 
 

 共同通信社科学部の記者として環境問題の取材を始めた直後の1992年,絶滅の恐れがある野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約の締約国会議が京都市で開かれた。べっ甲細工のためのタイマイの甲羅やアフリカゾウの象牙を大量消費する日本は,環境保護に熱心な国や保護団体から厳しい批判にさらされた。日本が最大の消費国であるクロマグロの国際取引規制提案をスウェーデン政府が行い,日本の水産庁や外務省,漁業者,寿司業界などが激しい反対運動を繰り広げるのを目の当たりにした。水面下での議論の結果,スウェーデンはクロマグロ規制提案を撤回,一部のアフリカ諸国が求めていたアフリカゾウの取引規制提案も撤回され,注目の割には目立った結果が少ない会議だった。

 取材の中で目にしたものは,業界保護を「国益だ」と称し,クロマグロ規制提案の否決や取り下げのために行動する日本政府関係者や政府に近い科学者の主張と,野生生物の個体数が急激に減っていることなどを示す海外の保全生物学者や保護団体の主張との間にある巨大なギャップだった。「これで明日からまた安心して寿司が食べられる」という,クロマグロ規制提案の撤回を受けた政府関係者のコメントに強い違和感を覚えたことも記憶に残っている。科学には不確実性が伴う。それ故に「日本政府やそれに近い研究者の主張だけを取材していたのでは,現実を見誤ることになる」と強く思ったものだ。

 あれから31年,地球環境の悪化は止まらない。種の絶滅も進み,今や「地球史上第6の大絶滅時代」と呼ばれるほどだ。その一方で近年,生物多様性の損失が続けば社会や経済の存立自体が危うくなるとの認識が深まり,2030年までに,自然破壊を止めて豊かな方向に向かわせる「ネイチャーポジティブ」を目標に掲げる企業も増えてきた。昨年12月,モントリオールでの生物多様性条約第15回締約国会議で採択された新たな生物多様性保護の国際目標にも「種の絶滅を阻止し,絶滅リスクを大幅に減らす」との一項が盛り込まれた。

 危機の深刻化に応えるならば,日本政府の姿勢も大きく変わっていなければならないはずだが,現実はそうではないようだ。昨年11月にパナマで開かれたワシントン条約の締約国会議でわれわれが目にしたのは,多くの国が賛意を示すメジロザメ科とシュモクザメ科のサメ全種を取引規制の対象とするとの提案に強く反対する日本政府の姿だった。日本が漁業対象としている種など一部を除外するとの日本の修正提案は圧倒的な反対多数で否決された。シュモクザメ規制提案に反対姿勢を表明したのは日本だけだった。議長から「提案についてコンセンサスが成立しつつあるようだが,日本はコンセンサスをブロックするか」と迫られ「コンセンサスはブロックしない」と表明する結果となった。既視感たっぷりの会議だった。

 種の絶滅を防ぐことはサメだけのためではない。これも31年前,地球サミットで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」に盛り込まれた予防原則にもとづいて,自らの存在基盤である生物多様性を守る努力を強めることは,われわれ人類の利益になる。残念ながらこの認識は霞ヶ関も含め,日本社会全体で共有されるものとはなっていない。

 自然への認識と行動を根本から変えない限り,日本と国際社会のギャップはさらに拡大を続け,やがては日本の「国益」や政府が守ったはずの日本企業の国際競争力も失われることになるだろう。ワシントン条約の採択から50年になることを取り上げた共同通信社の同僚による正月企画の記事を読みながら,改めてそんな危機感を強くした。

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