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松居竜五 『鬼滅の刃』と柳田国男[『図書』2023年4月号より]

『鬼滅の刃』と柳田国男

 

 かれこれ四半世紀ほど、私立大学で教え続けている。筆者が専門的に研究している南方熊楠の講義もしているが、そればかりというわけにもいかない。

 そこで、ゼミなどでは漫画やアニメ、映画やドラマといった、最近の文化現象に関する話をすることも多い。以前ならば文学が果たしていた規範的教養の役割を、こうした大衆文化が担っていると考えれば、それ自体は自然なことではないかと思う。ただし、うっかりするとすぐにトレンドが変わっていたりするので、その都度、学生からさまざまな情報を得ている。

 そういうわけで新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、例によってゼミ生たちに最近よく見ているアニメ作品は何かと聞いてみたところ、『鬼滅の刃』という耳慣れないタイトルを教えてくれた。中高生の間でも評判だという。「きめつのやいば」、変な語感だなあと思いながら、半信半疑でネット配信の第一回目を見て、のっけから驚嘆させられてしまった。

 映像は美しいが、物語が残酷すぎる。

 その後、大ヒットしたのでおそらくご覧になった方も多いと思うが、主人公はかま))たん))ろう)という炭焼き小屋の十三歳の少年である。彼は六人きょうだいの長男で、亡くなった父に代わる一家の大黒柱として炭を売りに出ている。鬼が出るから危険だと言われて一晩里に泊まってから小屋に戻ったところ、母と四人の弟妹は惨殺され、血みどろの死体となって転がっていた。

 一人残された一つ違いの妹の)))は鬼の血が入ったために鬼化しているが、次第に人間を襲うことだけは思い留まるようになった。この妹を連れ歩きながら炭治郎は、鬼殺隊と呼ばれる鬼狩りの集団の一員となり、およそ人間業ではない厳しい修行に打ち込むことになる。

 そのあたりまで見て、何か既視感のようなものを覚えたので、懸命に記憶をたどってみてその源泉に行き当たった。柳田国男の『山の人生』である。特に、冒頭の「三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西))の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、まさかり))り殺したことがあった」という話で、こちらもお読みになった方が多いのではないだろうか。

 共通点は、山の中の炭焼き小屋、凶器(のようなもの)による惨殺、だけでなく二人の子どもの描写である。十三歳の実の男の子と、どこかで貰って来た同じ歳くらいの小娘。もちろん、このままでは父の生活が成り行かないので自分たちを殺してほしい、と自ら望むのだから、アニメのように異形の外敵と戦うわけではない。そもそも『鬼滅の刃』で殺されたのは母と四人の弟妹で、炭治郎と禰豆子は生き残る側である。

 しかし、『山の人生』において、自分たちに向けられるはずの鉞を必死に研ぐ少年と少女の姿には、常にけなげで自己犠牲的な炭治郎と禰豆子の描写に、どこか重なるところがある。実際、炭治郎はこの後すぐに、師匠となるべき人物から、妹が人を喰った場合にはすぐに妹を殺して自分も自害せよと命じられている。先輩の隊士から「生殺与奪の権を他人に握らせるな」と一喝される場面は、彼らの存在が『山の人生』での犠牲者を反転させた像であることを暗示しているようでもある。

 一つお断りしておかなければならないが、『鬼滅の刃』と『山の人生』の類似性の指摘そのものは筆者の創見ではない。このことを思いついた際に検索したところ、すでに何件かのサイトで言及されているのに気づいたし、それ以降さらに増えている。ただしネットというものの性質上、プライオリティが誰にあるのかは確定しがたい。また拙論と重複する指摘が、すでにどこかで語られているかもしれないが、これに関してもご容赦いただきたい。

 さて『山の人生』を読み進めると、この炭焼き小屋の逸話だけでなく、『鬼滅の刃』を読み解くヒントとなるような話が多く見られることに気づく。よく知られているように、柳田は最初期の『遠野物語』の頃から、農耕を主たる生業とする平地民とは異なる「やま)びと)」が山奥に棲息している、という信念に取り憑かれていた。これに関しては、同時代から筆者の敬愛する熊楠先生の猛批判を受けたりもしていて、学問的な立証性には乏しいとされてきた。

 とはいえ、この山人論を手がかりに、柳田が定住民とは異なる漂泊の人々のさまざまな位相を発見していったことは事実である。そして、「ひと」とは見られていなかった彼らが受けた過酷な差別や、農耕民とは異なるその精神性を明らかにしたことには大きな意味があった。『遠野物語』や『山の人生』に描かれた異類の人々をめぐる社会の排除の論理には、『鬼滅の刃』に登場する鬼、というよりは鬼という存在を生み出す人間社会の凄惨な現実に通じるものがある。

 では漫画『鬼滅の刃』の作者である)とうげ)))はる)氏は柳田国男を読んでいたのか、という疑問が当然ながら浮かんでくる。 吾峠氏は二〇一三年に短編の「)))り」を『週刊少年ジャンプ』に投稿しており、これが『鬼滅の刃』の元となった。この短編については「明治大正時代あたりで和風のドラキュラを描こうとしたのを覚えています」という作者の述懐が『吾峠呼世晴短編集』にあり、たま))))ろう)、および))つじ))ざん)とみ)おか))ゆう)の原型と思われる人物が登場する。しかし、炭治郎と禰豆子という二人の主人公はまだ現れておらず、時代考証という点でもディテールに欠けている。

 その後、二〇一六年の連載開始までの間に、吾峠氏と集英社の編集者との間で綿密な設定がおこなわれたはずで、そこで柳田が参照された可能性は高い。たとえば『鬼滅の刃』単行本第一巻には「連載会議用カット①」という題で、炭治郎と禰豆子の最初期の姿と思われる画が収録されている。この画で炭治郎は、禰豆子に寄り添いながら悲壮な表情でおの)(鉞と斧は形状がやや異なるが用途はほぼ同じ)を手にしており、『山の人生』の逸話との関連を想起させるのである。

 時代設定の上でも、柳田との親和性は高い。『山の人生』が上梓されたのは大正十五年で、前述の事件が起きた「三十年あまり前」とは明治三十年頃のことになる。内田隆三氏は『柳田国男と事件の記録』で明治三十七年に起きた実際の事件の細部を柳田が改変した可能性を示唆しているが、いずれにしても明治後半のできごとであろう。一方、『鬼滅の刃』で炭治郎が挑む鬼殺隊の最終選別のための戦いでは、異形の鬼が改元を知らされて、「また元号が変わっている」と地団駄を踏む場面があり、この物語が明治から大正へと移り変わる頃のものであることを強く意識させる。

 さらに「山」という要素も、『鬼滅の刃』を特徴付けるものとして効果的に用いられている。炭治郎たちの住んでいた炭焼き小屋は里から山への入口あたりに位置する。家族を惨殺されてからの炭治郎は、師匠から空気の薄い山を上り下りする訓練を命じられており、最終選別もまた多数の鬼が徘徊する山の中でおこなわれた。その後のストーリーでも「))))やま)編」や、「刀鍛冶の里編」など、何かと山中での戦いが繰り広げられている。

 一方、柳田にとっての「山」とは、『遠野物語』の中の山人が里人の夢と現実の境目に棲息していたように、意識と無意識の交錯するところであった。吉本隆明言うところの共同幻想の裂け目がぱっくりと口を開けている場、と言ってもよいかもしれない。そして柳田が「人にはなおこれという理由がなくてふらふらと山に入って行く癖のようなものがあった」(『山の人生』)と書くように、人間の精神にはその裂け目にみずから吸い込まれてしまいたいという願望も存在する。

 鉞で十三歳の二人の子を殺した父もまた、そうした裂け目に吸い込まれた人物であったと言えるだろう。「阿爺おとう)、これでわしたちを殺してくれ」と言ってあおむけに寝た二人を見て、父は「くらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった」。その裂け目の先には、底知れぬ闇が広がっている。

 『鬼滅の刃』における鬼は、まさにそのような闇の中に棲息している。「鬼」という名は付いているものの、ここで登場するのは伝統的なそれとはやや異なる者たちである。吾峠氏が「和風のドラキュラ」と呼ぶように、血を媒介としてへん))する彼らは、外から来る敵というよりは人間の内なる狂気から生ずる存在のように思われる。

 だから『鬼滅の刃』における戦いは、単純な勧善懲悪にはなりえず、人の世が生み出すごう)をどのように我が身のこととして引き受けるのか、という問題性を帯びたものとなる。そのためにこの物語では、虐げられた人々が「くらくらとして」、鬼となってしまう過程が、ていねいに描かれている。そして炭治郎はそのような業を内在化した鬼たちを鎮魂するため、苦しみながら戦うのである。

 柳田国男が『遠野物語』を刊行し、山人に対する関心を初めて公にしたのは明治四十三年、改元の二年前のことであった。「平地人を戦慄せしめよ」という言葉とともに描き出された、意識と無意識が交錯する世界は、今に至るまで人間というものの不安定さを浮き彫りにしている。その柳田の言葉は、同じ時代を舞台とした『鬼滅の刃』という作品に反響し、令和の新しい世代にも届いているように、私には感じられるのである。

(まつい りゅうご・比較文学)


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