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研究者、生活を語る on the web

「ポスドク一万人」世代の苦悩──たび重なる試練をくぐって<研究者、生活を語る on the web>

中野(小西)繭

信州大学

 保全生物学の研究者です。大学の教員をしながら、会社員の夫と、高校3年生・中学1年生の2人の子どもと一緒に暮らしています。

負けずに頑張った矢先に

 1人目を出産したのは2006年です。
 長男のときは、まだ周りに妊娠・出産を経験されている人が皆無でした。学位をとってから数年後、非常勤講師や研究補助職員をしながらお腹が大きくなったのですが、そういう状況自体がまだ珍しかったころです。出産は1月でしたが、1月以降は休講にしてその前に授業を詰め込み、試験については他の先生に試験監督をお願いして、採点は自分でするなど、全部手探りでした。そのころ、所属先には男女共同参画室もなくて、相談する場所もなかったのです。
 私はちょうど、団塊ジュニア、「ポスドク一万人計画」*1の世代です。男性であっても、結婚している・していない、子どもがいる・いないにかかわらず、すごくつらい思いをされてきた方が多い世代です。職はなく、評価だけはすごく厳しい。そんな中、2人の子どもを育てながら、本当に自転車操業で、任期付きの職をどうにか渡り継いできました。
 ところが、2015年の12月に、雇い止めの話が出ました。所属先はなくなります、と。
 急にそういうことになったので、同職の仲間と要望を出したりして、半年間の職が用意されましたが、自分自身の研究はできない条件でした。ちょうど科研費やプロジェクト研究が始まったばかりだったので、年度末ギリギリまで悩み、最終的に、無給で科研費の研究をするという選択をしました。
 ハローワークに通って就職活動をしつつ、それでもまだそのころは元気があったので、負けないぞという気持ちで研究をして、研究費もいろいろと申請していました。私は絶滅危惧種を使った研究をしているのですが、市民との保全活動やシンポジウムでの発表なども、そのころは精力的に進めていました。そしてそんな中で、ラッキーなことに、それまで申請資格のなかった日本学術振興会のRPD*2の募集要項に改定があり、さっそく申請したところ、採用内定となりました。2016年8月のことです。翌年の4月までは無給だけれども、どうにか負けずに生き残れそうだ、という希望を抱いて、大変うれしかったことを覚えています。
 無給になると、「自分の研究は仕事ではなくて、自分がやりたいからやっているのだ」という自己責任が重たくのしかかってきます。だから、家族や仲間に迷惑をかけてはいけない、と過剰に頑張りすぎていたと、いま振り返れば思います。いいことも悪いこともあって、とにかくがむしゃらに頑張って、乗り越えようとしていました。そんな折に、乳がん検診にひっかかったのです。

とにかく涙がとまらない

 いくつもの検査を進めていったのが、その年の12月のこと。自分や家族の将来に対するこれまでにない大きな不安を抱えながら、診断が下りるたびに、自分が選択すべき治療について一つ一つ決断していかなければなりません。「これは悪性です」という結果が出るまでの、その過程がとにかくしんどかった。物事が考えられない、文章も読めない、字も書けない。それでも、それまでにいろいろ続けてきた研究活動を急に「できません」とやめるわけにもいかず、そのまま継続しました。
 翌年の1月の終わりから2月にかけて手術をして、2月から4月にかけて、放射線治療をしました。不幸中の幸いで、抗がん剤は使用しない治療法を選択することができましたが、乳がんだったので、ホルモン治療の薬を飲み始めました。私にはたまたまそれが体に合わず、その薬を飲み始めたら、とにかく涙がとまらない。ずーっと泣いている感じです。
 私にとっては、雇い止め後の無職の期間がとてもつらかったので、晴れてRPDとなってお給料ももらえる4月をとても楽しみにしていました。研究を休まずに続けたいという強い気持ちは変わらなかったのですが、とにかく、ずーっとつらい。「つらい」以外の感情の表現がないのです。悲しいのではなくて、つらい。「薬剤性の鬱」という診断がおりました。
 そのころは理学部にいて、大学院生のいる部屋に、私のデスクも置いてありました。すると、周りにいるのは若い学生たちです。私がつねに情緒不安定で、ポロポロ泣いたりしていると、周りもやはり、ちょっと距離を置き始めます。
 鬱であり、孤独でした。被害妄想もひどくなってしまいました。とはいえ自分でも、自分の置かれている状況を客観的にはわからなかったので、とにかく耐えることしかできませんでした。
 でも、どんどんいろいろなことが耐えられなくなりました。ヒステリックな私に対して、周囲の人たちの対応もきつくなっていくように感じました(鬱だったので、思い込みかもしれません)。一方の私は、無給で1年頑張って、病気もしたのに、そんなに文句を言われるのは耐えられない、という状況になってしまいました。大きなプロジェクトにも携わっていたのですが、「もうできません」と。周囲に迷惑をかけはじめ、すべてがうまく回らなくなってしまいました。
 ちょうど、研究者としての最後のチャンス、と覚悟を決めていたRPDに着任した矢先のことです。とても残念でした。ただ幸い、RPDの任期満了の2019年度の終わりまで、自分の研究は続けることができました。その後の2020年4月から現職に就き、教員の仕事を増やして、今はちょっと落ち着いて、自信を取り戻そうとしているところです。

女性が少ない、その裏に

 実家が遠いこともあり、子育てをしているだけでも、研究を続けることで精一杯で、それ以上のことはなかなかできませんでした。いい研究がしたい、いい条件の職に就きたい、いい仲間が欲しい、と思いはするけれども、子育てと仕事の両立が今以上にしやすくなるような条件の仕事を見つけることは、とても難しいものでした。とにかく現状を維持するだけでも大変なのです。同様に感じている研究者、とくに女性研究者は、私だけではないのではないでしょうか。
 そうしてなんとか続けて、そこで本当にラッキーなことに任期のない職がありました、という人は残るけれども、そうではなかった人たちも中にはいるでしょう。頑張り続けた、その先が明るくなかったとき、それを乗り越える苦労は計り知れません。
 それでも生活は続きます。生活の比重というのは本来、とても大きなものです。生活と研究を両立しようとすると、研究のクオリティを下げざるを得ない。そうした負担がとくに女性のほうに大きくのしかかって、結果として男性より不利になるということは、あまり表面化しないものの、実はよくあるのではないでしょうか。職があっても、家庭の事情で辞めざるを得なかった人も知っています。
 乳がんで鬱状態だったとき、もし周りが男性だけでなく、女性がもう少し普通にいたならば、全然ちがっただろうと思います。出産や育児のことですら男性と共有できないことが多い現状で、乳がんのことや、ホルモン剤での情緒不安定など更年期に似たような症状について、相談できる人はほとんどいませんでした。
 我が家の場合、夫が家のことを何もしてくれなかったわけではありません。夫は育児にも家事にも、とても貢献してくれます。ただ、夫の勤務先の会社は、社員が仕事も育児も家事もやるということを前提にしていないため、夫自身にとっての両立が難しいのです。私の夫は会社員ですが、研究職でも似たような状況があるかと思います。
 こういうことは本来、家庭の中で解決できる問題ではないと思います。家庭での問題と、働き方の問題は直結しています。男性が家庭や生活を優先できない状況が社会の中にできてしまっていることは、女性研究者がなかなか増えない原因の一つではないでしょうか。
 男性の中にも、葛藤されている方がいらっしゃると思います。残業や休日出勤を前提とした働き方が続く限り、仕事と生活の両立はこれからも難しいままで、少子化は止まらないし、男女共同参画など、夢のまた夢ではないでしょうか。

 職においても生活面でも、それぞれに大変な経験をしてきました。私が長男を出産したころに比べれば、よい方向に変化したことは数えられないくらいあります。でもいまだに、一回りも年の離れた若い方たちの中にも、生活と研究の両立に苦労されている方がたくさんいらっしゃいます。
 私のように苦労される方はそう多くはないかもしれませんが、これからの若い人たちには、つらい思いはしてほしくありません。がむしゃらに頑張ることよりもむしろ難しいかもしれませんが、どうかこれまでの慣習や常識に囚われず、自分自身にあった無理のないスタイルで仕事をしてほしいと思います。若い人たちを応援したい気持ちは強まるばかりです。
 そして、やっぱり年をとるごとに、病気のリスクが高くなるということを、覚えておいてほしいと思います。この先、どんなトラブルが待っているかわからない。生活を大事にすることは仕事と同じくらい大切だという当たり前のことを、若いうちから意識してほしいと願っています。若いうちにちゃんと生活を整えておくことはとても大切なことです。それを後押しすることが、自分のような年配者の役割のように思います。(談)

 

*1 ポストドクター等一万人支援計画。文部科学省が、1996年度から2000年度の5年計画として策定した施策。ポスドクなど競争的環境におかれる博士号取得者の雇用を一万人分創出するべく、大学などの研究機関に資金が期限つきで配布された。

 

*2 日本学術振興会の特別研究員制度の一つ。出産・育児による研究中断後に、研究現場へ円滑に復帰できるよう支援する制度。現在の任期は3年で、採択されれば、毎月の研究奨励金が支給される。

 

中野(小西)繭 なかの(こにし)・まゆ
197?年生まれ。信州大学 先鋭領域融合研究群 社会基盤研究所 特任助教。専門は保全生物学。2004年に信州大学大学院工学系研究科にて博士(理学)を取得後、さまざまな任期付きの研究員を経て、2020年より現職。2010年より日本魚類学会男女共同参画委員も務める。

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