原田宗典 煙草について[『図書』2023年8月号より]
煙草について
もう三十年も前の話になるが、ニューヨークのど真ん中、五番街の人混みの中で、立って煙草を吸っていたら、初老の白人男性に、いきなり話しかけられたことがあった。
「ホワイ・ユー・スモーキング!?」
と訊いてきたのである。私は瞬間、戸惑ったが、面倒くさいので、
「ビコーズ・アイ・ウォント・トゥ・ダイ……」
と答えた。じいさんは呆れ返った顔つきをして、
「ナンセンス!!」
と吐きすてた。この時、私はこう思った。
おっしゃる通り! ナンセンスなんですよ。僕はナンセンスを求めて煙草を吸っているんですよ!
考えてみれば煙草ほどナンセンスなものはない。ほぼ百パーセント体に悪いと分かっていても、吸う。百害あって一利なし、ごもっとも。と分かっていても、吸う。ナンセンスこの上なし、である。
私が常日頃求めているのは、キリツ正しい、まっとうな行いばかりではない。むしろキリツ正しいのは真っ平ごめん、という気配の方が強い。逆に、まっとうでないこと、キリツ正しくないこと、悪いことを心のどこかで求めているのである。
この「ワル」に憧れる感覚の象徴とも呼ぶべきもののひとつが、煙草だった。言葉を変えるなら、何ものかへの反抗の象徴が、煙草だったのである。
この「不良に憧れる」感覚が芽生えたのは、十六歳の頃だ。反抗期真っ盛り。ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」をテレビの洋画劇場で観て、「カッチョいいー!!」と憧れ、若き詩人ランボーがまだ十代で傑作をものにして酒や麻薬におぼれてしまったことに憧れ、「太陽にほえろ!」の刑事たちがやたらと煙草を吸うのに憧れた。
当時はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」が流行っていたし、テレビのCMでは堂々と、
「今日も元気だ、たばこがうまい!」
などとうたっていたから、煙草に対する規制もゆるかったし、人々の煙草に対する目にも、まだ柔らかいものがあった。
先日テレビのBSで「白い巨塔」を観たのだが、主演の田宮二郎をはじめ、出てくる人出てくる人、みんなひっきりなしに煙草を吸う。会議中に吸う、病院の廊下で吸う。情事の後に吸う。車の中で吸う。ピンチの前に吸う。ピンチの後に吸う。出てくるのはほとんどがお医者さんなのに、とにかくもういつでもどこでもひっきりなしに煙草を吸う。小松左京原作の映画「日本沈没」も最近BSで放映されたのを観たが、ここでも登場人物たちがひっきりなしに煙草を吸うのが、目についた。何しろ、
「何ィ? 富士山が噴火!?」
という事態であっても、やっぱり煙草を吸うのである。
とにかく昭和というのは、煙草の時代だった。
私が初めて煙草を試したのは、そんな昭和のど真ん中、十六歳のある夜のことだった。
その日、誘われた鳥取砂丘行きを断って、一人で家にいた私は、応接間の棚の引き出しの中に吸いかけの煙草があるのを見つけた。チェリーという煙草だった。一本抜いて、匂いを嗅いでみると、かすかに甘いサクランボの匂いがした。ふと、吸ってみようと思った。好奇心にかられてのことだ。台所からダルマのマッチ箱を持ってきて、思い切りよくジバッと火を点ける。くわえた煙草の先を近づけて軽く吸い込む。
初めて吸った煙草の味は、ただひたすらに苦かった。深く吸い込まなかったから、むせることはなかったけれど、おいしいと思えるような代物ではなかった。翌日、学校に行って、同級生のS本君に、昨日煙草を吸ったことを打ち明けたら、
「何じゃおめえ、初タバコ遅えのう!」
と笑われてしまった。S本君は大口を開けて歯の裏側を見せながら、
「わしやこ中学ん時から吸っとるけえ、見てみ、歯の裏真っ黒じゃろ!」
と言ってS本君は威張るのだった。この男は現在さる医大病院の理事長にまで昇りつめた奴だが、数年前に会った時は、相変わらず煙草を吸っていた。医大の理事長なのに、平気で煙草を吸う──私は、何だか嬉しかった。
現在、私はロングピースを吸っているのだが、それにはいわくがある。
二〇〇三年、国連の勧告を無視して、アメリカがイラクに侵攻した。私は頭にきた。
「何てことしやがる!!」
とアメリカの暴挙に腹を立て、もうアメリカ製品買わん、と心に決めた。その筆頭が煙草だった。当時、私は赤のマルボロを吸っていたのだが、まずこれを止めた。代わりに「キャビン」とか「キャスター」とか吸っていたのだが、ある時、当時机上に飾っていた小林秀雄の横顔の肖像が、こう語りかけてきたのである。
「原田君、君ね、そのキャストだか何だか知らないけどわけの分からない煙草吸ってないで、どうせ吸うんなら煙草らしい煙草をね、ガツンと吸いなさいよ」
私はガーンと感じ入って、すぐにコンビニへ行って煙草を選ぶことにした。コンビニのレジ後方にある棚には、実に数多くの煙草が並んでいる。分からない人が、ここからひとつ選べと言われたら、目を回すのではないかと思われるほどの数。
そんな中にあって、ひときわ異彩をはなっていたのが、棚の一番上に載せてあった缶入りの
〈ピース〉
であった。目にしたとたんに、あ、これがおれが今吸うべき煙草だ、と直感した。
缶入りのピースというのは、特別な煙草である。何が特別と言って、煙草の中で自動販売機で売ることができないのは、唯一缶入りのピースだけである。この煙草は、つまり煙草の缶詰めなのである。
したがってその開けたての新鮮なやつの香り高さと言ったら、ぞくっとするほどいい香りである。
缶ピーは、美味い。両切りでフィルターなしだから確かに強烈だけど、これほどまでに香り高い煙草は他にない。
ある時、コンビニで新人のレジのおばさんに、缶ピースを注文した時のこと。
「その棚の一番上にのっかってる缶のやつです。その紺色の」
「あらあ、これタバコだったの? まあ、缶なの」
「そう、缶なんですよ」
私は嬉しくなっておばさんの目の前で缶のフタを開けてみせた。
「ほら、缶詰めになってるでしょう。でこっちのフタの内側に……こうやるとほら、ツメが出てくる。で、これをもう一度缶にかぶせて、ぐるっ、ぐるっ、ぐるっと回すと……ほら、缶が開きました」
「まあホント!」
「ほら、これ、嗅いでみて下さい」
「ふわあ、はああ! い~い香り!」
初心なおばさんはこの一吸いで、キマッてしまったらしく、うっとりした顔つきで急におしゃべりになった。
「私ったらまあ知らなかったわあ! こんなタバコがあるなんて! いいわねえ! ピース! そうよピースよ!」
「どうも」
「どうもありがとうございましたー! また来てくださいね!」
缶ピーのおかげでほめられたのは、この時ばかりではない。
二十年くらい前のある日。
私は奈良の山奥にある大宇陀という町にいた。そののどかな風景にはそぐわないくらい立派な温泉施設があって、私は風呂上がりの脱衣所にいた。実にいいお湯だった。とてもすがすがしい。さてこういう時の一服というのが、またたまらなく美味いんだよな。と考えながら私は缶ピーとライターを持って、首に濡れた手拭いをぶら下げて、私は喫煙所に向かった。アルミサッシの戸を開けると、中庭に出る。ビーチパラソルの下に白い椅子が四脚。真ん中に背の高い灰皿が据えてあって、そこが喫煙所になっている。そこには先客がいた。初老の太ったおじいさんだ。ふと目をやった時、その肩にかけたタオルのはしっこから刺青が覗いていた。
「む」
と私は反応したが、それと悟られないようにためらわず近づいていって、軽く会釈し、ひとつ空けて隣の椅子に腰を下ろした。缶ピースを取り出して、フタを開けようとしたとたん、おじいさんは言った。
「こりぁ出たで!! 出たで缶ピース。缶ピーや缶ピー。兄さん、あんたホンマもんの煙草吸いや!!」
「よかったら一本、どうぞ」
「わしか? わしはあかん! そんなん吸うたら死んでまう! 兄さん、あんた吸いなはれ! 缶ピー吸いなはれ!」
缶ピースを吸っていると、こんなふうにヤクザのおじいさんからほめられることもあるのである。
現在、私は六四歳になったが、相変わらずロングピースを吸っている。一日十本。二日に一箱くらい。若い頃と違って、今は、一本ずつ大事に吸う。
朝、コーヒーと煙草を持って、西向きのベランダに出る。朝のビル街を眺めながらコーヒーを飲み、煙草を吸う──この一服がたまらない。止められない理由のひとつである。
(はらだ むねのり・作家)