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研究者、生活を語る on the web

波乱と混乱の生活記録──3人の子を育てつつ<研究者、生活を語る on the web>

谷口ジョイ

静岡理工科大学情報学部

 社会言語学の研究者です。消滅・衰退の危機にある言語(方言)の研究をしています。家族構成は、同じく大学教員の夫、子ども3人(23歳、15歳、14歳)、柴犬とヤギです。

生活する研究者の1日

 時刻は夕方6時。まさに育児・家事のピークタイムに入らんとする時間帯である。しかし、会議が終わる気配はない。

 私は時計を気にしつつ、全身から申し訳なさを放出し、会議室の後方扉へ急ぐ。心優しい同僚たちは、そんな私を笑顔で見送ってくれる。「夕食の準備があるのですね。いつもご苦労様です」という心の声まで聞こえてくるから不思議だ。これだけの信頼関係は一朝一夕では築くことができない。日々、丁寧にコミュニケーションを重ね、「こいつが会議にいてもいなくても特に実害はない」というポジションまで、自らを引き下げておく必要がある。

 自宅までは高速道路を使って1時間ほどの距離だ。車内では、自ら収集した音声データを流していることが多い。研究の着想を得るのは、たいてい運転中だ。世界を震撼させるような画期的な研究が車輪の上で生み出される可能性があるかと思うと、大きな期待に胸が膨らむが、今のところ、鳴かず飛ばず、である。帰宅するとすでに7時。すぐに食卓につき、夫が作った夕食をいただく。賢い皆様はすでにお気づきだろうか。私が「食事の支度をせねば」というオーラを撒き散らしながら、重要な会議から逃げ出しているにもかかわらず、家に帰ったら夕飯が完成している、という矛盾に。しかし、些細なことはお気になさらず、読み進めていただきたい。

 食事、入浴が済んだら、あとはふわふわの布団に包まれ、眠りにつくだけだ。最低限の家事を済ませ、家族の誰よりも早く就寝する。たいてい9時に寝て、起床は朝の3時。ここから2時間が私の研究時間だ。この時間帯は、静謐な環境の中、誰からも妨害されずに集中して仕事ができる「ゴールデンタイム」であり、人生を懸けて研究に取り組む私にとっては最も重要な時間とも言える。一分一秒も無駄にはできない。SNSを眺めているうちに、この貴重な時間の大部分を溶かしてしまうこともあるが、言語学者にとっては、ありとあらゆる媒体に表出する言語使用が研究対象となりうるので、ノープロブレムだ。

 5時になったら子どもたちを叩き起こし、家事を済ませる。家事といっても、洗濯乾燥機、ロボット掃除機、食器乾燥機という三種の神器があるので、心配には及ばない。この間に夫は、家族の朝食と弁当を準備する。朝の我が家は一分一秒を争う戦場と化しており、我々夫婦は共に闘う戦友。ことばを交わすまでもなく、出発時刻まで、互いにやるべきことを爆速でこなしていく。6時、夫が丁寧にドリップしてくれたコーヒーを片手に家を出る。通勤時間は音楽を聴きながら、今日1日の予定を頭の中で反芻する。コーヒーの香りが車内に充満し、幸せなひと時である。研究室に到着すると7時。そこから夕方まで一心不乱に、授業や研究指導、会議などをこなし、冒頭に戻る、という毎日である。ここまで書いてみて、驚いた。特筆すべき内容が何ひとつない。

なぜこんなことに

 なぜ「子どもが3人もいる」という無茶な状況で研究者になったのか、書いておかねばなるまい。私は30歳を過ぎてから研究者を志した。子どもが小学校に入学し、心身ともに余裕が生まれたこともあり、かねてから興味のあった言語学を学びたいと思ったからだ。

 夫に「今から大学院に通うのはさすがに無理だよねえ?」と話すと、普段は何をするにも思い悩む夫が、なぜかその時は「歩いて通えるから東大がいい」と言い残し、自転車でどこかへ出かけて行ったと思ったら、過去問を入手して帰ってきた。半年の準備期間を経て、無事に大学院に合格したが、人生とは不思議なもので、大学院入学と同時に、夫の仕事の都合で静岡に転居することになってしまった。徒歩で通えるはずだった大学院には、新幹線で通うことになった。

 さらに、修士1年目に第二子が、修士2年目には第三子が生まれ、気づけば三児の母となっていた。時の流れと自然に身を任せ、何の計画も立てずに生きていると、こういうことになるのだ。幸いにも強靭な気力と体力、夫の協力に支えられ、休学せず2年間で修士課程を修めることができたが、ヤンチャな小学生男子が走り回る部屋で、0歳と1歳の子らにタンデム授乳をしながらパソコンを叩いて仕上げた修士論文はそうそう存在しないだろう。内容はともかく、執筆環境には希少価値がある。

 その後、運がいいのか悪いのか、博士論文を執筆する前に専任のポジションを得てしまった。そのため、フルタイムで働きつつ3人の子どもを育てつつ、博士論文を書くという真の地獄を経験し、命からがら博士号を取った時には41歳になっていた。このころの記憶は、ほとんどない。人間というものには、誠につらく苦しい時の記憶は脳から消去してしまうという生存戦略があるそうだ。

 ちなみに、このころ、夫は毎週末、子どもたちを連れてあちこち、放浪の旅に出ていた。週末だけでも私が集中して博士論文が書けるように、との計らいだ。子どもたちは、週末になると父親と、近くへ、遠くへ泊まりがけで行ったことがとても楽しかったらしく、私に「もう一度博士論文を書いたらどうか」などと恐ろしい提案をしてくる。ちなみに、夫も当時の記憶を喪失しているらしい。

波乱と混乱の生活記録──3人の子を育てつつ<研究者、生活を語る on the web>
子連れで学位記授与式へ。

皆の者、続け!

 続いて、先輩風をビュンビュン吹かせ、後進にアドバイスをする、などという分不相応なコーナーを設けたいと思う。

(1) 雑音はスルーしよう
 小さな子を育てながら仕事をしていると、心ない言葉をかけられることがある。「旦那さんの収入だけじゃ暮らせないの?」「子どもよりお金が大事なのね」「仕事はいつでもできるけど、育児は今しかできないのよ」などなど、全て挙げていたら、この気軽なエッセイが六法全書並みのボリュームになってしまう。気にしないことだ。たいてい、こうした言動は嫉妬と妬みから来るものだから、気に病むことはない。

(2) 何度でも積み直そう
 育児中は、同じ組織に所属する面々に迷惑をかける事案が生じる。子どもは熱を出すし、手足口病になるし、インフルエンザになるし、小学校に上がり、感染病が流行れば「学級閉鎖」などという真夏の怪談話よりも恐ろしい事態が待ち受けている。その度に休みをとることになるので、職場では常に申し訳なさそうに下を向き、すみっコぐらしを敢行せねばならない。しかし、子を育てながら働く、というのは、今や崩れんとする積み木の塔のようなもの。一つでもピースが外れたら、脆く崩れ落ちるのが必然だ。崩れたら、また積み上げればいい。たとえ職場での信頼関係が失われても、回復のチャンスはいくらでもある。私のように最初からそんなものを築き上げなければ、崩れる心配もないので、お勧めだが、これは上級者向けのストラテジーだ。

(3) 苦手なことは人にやらせよう/やっていただこう
 時短を考える上で、最も重要なことである。例えば、料理。私は壊滅的に料理ができない。婚約中、「少しは女性らしいところを見せておくか」などと血迷った考えに駆られ、夫にハンバーグを作ってみたものの、焦げた上にぐちゃぐちゃになり、途方に暮れたことがある。夫は「どこに出しても恥ずかしいハンバーグをありがとう」と言いながら完食したが、すでにその時、自身が炊事を担当する運命にあることを悟っていたはずだ。研究も然り。プログラミングや数値計算プラットフォーム、テキストベースの組版処理の活用など、私が苦手な作業は共同研究者が一手に引き受けてくださっている。絶え間ない努力によって苦手なことを克服するのは崇高な行為だが、何も子育て中にやらなくてもよい。得意な人にお任せしよう。

(4) 競争はやめよう
 どの分野にも、次から次へと輝かしい業績を叩き出す研究者がいるが、決して視界に入れてはいけない。万が一、目に入ってしまったら、幻影だと思おう。私は、あまりにも長く大学院に在籍していたため、指導教員が次々と退官し、何度も里子に出された結果、指導らしい指導を受けることができなかった。しかし、二番目の指導教員は「周囲が破竹の勢いで論文を出していても気に病んではいけない。あなたは3人の子どもの母親だ。家事や育児の任務を負わない人と同じ土俵で戦おうとすること自体、狂気じみている。競争心はかなぐり捨てなさい」というご助言をくださった。今でも感謝している。子どもがだいぶ成長した今でも、この金言を盾に、書きかけの論文を放置していることは伏せておくべきだが、正直者なので、うっかり書いてしまった。

嵐のあと

 嵐の渦中にいる時には、無我夢中で一日、一日を生き延びるのに精一杯であった。

 最も難儀したのは、なんといっても乳児期だ。母乳生産中の母親の体というのは、乳飲み子と長時間離れるようには設計されていない。よって数時間母乳が消費されないと、体内の母乳工場は設備異常を起こすことになる。生産部位は高温になり、硬度が増し、鉄アレイで断続的に殴られているかのような痛みへと変わる。私は目に涙を浮かべながら、人目につかず、かつ母乳を処分できる場所(=トイレ)へと駆け込み、激しい痛みに耐えながら搾乳するのであった。先述のように、大学院へは新幹線で通っていたので、新幹線のトイレで搾乳するのが日課となっていた。一度、鍵を閉め忘れ、若いサラリーマン男性に目撃されてしまったことがある。あの時の男性の悲痛な表情が忘れられない。トラウマになっていないことを祈るばかりである。

 何の話だったか。そうそう、研究者にとって授乳期間というのは悪夢そのものである、ということだ(※個人の感想です)。このように、幼い子らを育てながら研究活動をしていた頃は、気も狂わんばかりの壮絶な日々であったのに、ほとんど思い出せなくなっている。目に浮かぶのは、愛嬌まみれの子どもたちの姿だけだ。今、第一子は家を出て、働いている。第二子、第三子も中学生になり、それぞれの世界で生きている。もう子どもたちを職場に連れて行き、研究室に軟禁しておく、などということをしなくてもよい。海外で開催される学会に参加するため、子ども3人を20時間近く飛行機に乗せ(当然ながら自費)、神経をすり減らすなどということも二度とない。ベビーカーに1人乗せ、抱っこ紐に1人くくりつけ、長子とは手をつなぎ、新幹線、在来線を乗り継いでフィールドワークに行く必要もなくなった。

 こうして書き綴ってみると、我が家の嵐はとうに過ぎ去ったのだと感慨深い。しかし、なぜだろう。あの狂乱の日々がふと恋しくなる。幼い子を学会に連れて来ている研究者の方を見ると、羨望の情を禁じ得ないほどだ。あの時間は、もう二度と戻らない。

 

 

谷口ジョイ たにぐち・じょい
1976年生まれ。米カリフォルニア州出身。梨花女子大学校(韓国)言語教育院講師、国立マラヤ大学講師(マレーシア)、静岡英和学院大学人間社会学部准教授を経て、静岡理工科大学情報学部准教授。2021年より東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、2023年より国立国語研究所「消滅危機言語の保存研究」共同研究プロジェクト共同研究員を兼任。学術博士(東京大学大学院 総合文化研究科 言語情報科学専攻)。


 

※「研究者、生活を語る」は雑誌『科学』でも同時進行で連載しております。『科学』では理系分野の方に、『たねをまく』(on the web)では文系分野の方もまじえて、ご登場いただいております。どうぞ併せてご覧ください。

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