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上野修 人は隔たりのただ中で一致する──スピノザ国際会議に参加して[『図書』2023年10月号より]

人は隔たりのただ中で一致する
──スピノザ国際会議に参加して

 

 この夏ロッテルダムに飛び、スピノザの国際会議に参加した。オランダ・スピノザ協会(De Vereniging van Het Spinozahuis)主催、「スピノザ思想の世界的受容」と題されたこの会議は、本来なら協会の設立一二五周年を記念して昨年に開催予定だったのが、コロナ禍のせいで一年遅れで開催されたものである。オランダらしい時おり日のさす雨混じりの曇り空のもと、エラスムス大学の会場に集まった五〇名ほどの聴衆を前に、オランダをはじめアメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、日本、イスラエル、ブラジル、イランの研究者たちが交々に登壇、それぞれの国のスピノザ受容について報告し議論した(すべて英語)。七月二七・二八日の二日にわたって一三名のスピーカーを迎えるハードなプログラムだったが、これも終始オランダらしい陽気で活気に満ちた雰囲気の中で、しかし深刻な問題も含めて討議がなされた。以下はその覚書である。


 一日目はジャスティン・ステインバーグ(ブルックリンカレッジ)とマルティン・レンツ(フローニンゲン大学)が、それぞれ英米圏とドイツ語圏におけるスピノザ受容を展望した。いずれも分析哲学の強い地域で、ジョアキムからメラメッドに至るまで、スピノザ研究は常に合理的再構成と歴史的再構成の緊張関係の中で行われてきた。しかし両者はともに、それとは別の「新世代」の出現に注目する。政治論の自然化を掲げてスピノザの感情論や政治論に軸足を置くこの新たな受容の動きは、申し合わせたように両地域でほぼ同時に現れてきた。これについては後述する。

 そしてラテン語圏のスペイン、ブラジル、イタリアの報告がこれに続く。この地域は分析哲学のプレゼンスは小さく、もっぱらフランスの「コンチネンタル」哲学の影響下にある。マリア・デ・ラ・カマラとハビエル・エスピノーサ(カスティラ・ラ・マンチャ大学)によれば、独裁政権の崩壊および一九七八年の新憲法発布を境にスペインのスピノザ関係の出版は三〇倍に増えた。ラテンアメリカ諸国におけるスピノザ復興を背景に、スペイン語でのスピノザ受容はますます盛況を見せている。ブラジルのマルシオ・ダミン・クストディオとフランシスコ・フェラス(カンピナス大学)も、同様の活況を伝える。多様な移民の共存を課題とするブラジルにおいて、スピノザは一つの指針としてポルトガル語文化の一部となりつつある。

 こうしたラテン語圏のスピノザ人気は、英米圏とドイツ語圏の「新世代」とシンクロナイズしている。J・イスラエルの急進的啓蒙主義研究などが背景の一つになっていると思われるが、いずれにせよ自由とデモクラシーの擁護がその特徴である。これはオランダも同様で、自由都市アムステルダムの新しいスピノザの銅像はその象徴となっている。先述のレンツは、こうした受容はある種の「ファン・フィクション」ではないかと問う。ファン・フィクションとは、既存の作品や人物をもとにファンによってなされる二次創作のことである。たしかにそうしたスピノザ像は専門研究からすると怪しげに映るかもしれない。だがそこには警戒すべき虚像と同時にある種の可能性も入り混じって存在している。レンツの問いかけは、スピノザ受容が本質的に持っているこの両義性に関わるものであった。

 一日目最後のアンドレア・サンジャコモ(フローニンゲン大学)の報告は、それとはずいぶん異なるイタリアの事情を紹介する。彼によればイタリアの本格的なスピノザ研究は一九六〇年代からミニーニによって始まったが、続くクリストフォリーニ、ジャンコッティ、ネグリ、トタロ、プロイエッティといった研究者を見ればわかるように、その研究傾向は文献学的、歴史的、政治的と多岐にわたる。パリのような中心を持たないこの国は、各都市に研究拠点が分散して存在するからである。だが最近、これまで周辺的であったボローニャ大学を共通の拠点として、若い世代が国際的なスピノザ研究センター(Sive Natura)を立ち上げた。フランスの研究者たちと連携しつつ多様な研究スタイルの蓄積を生かす試みとして、サンジャコモは今後を注目する。


 二日目の最初はフランス。モーンス・レールケとジャック=ルイ・ラントワーヌ(リヨン高等師範学校)が、それぞれ一七世紀、および一九世紀から二〇世紀にかけてのスピノザ受容について報告した。この五〇年あまりフランスがスピノザ研究をリードしてきたことは)くとしても、扱われるスパンの大きさには理由がある。フランスはいわゆる「コンチネンタル」哲学の本家となる前に、二度ヨーロッパ的なスピノザ受容の場となった。一度目は一七世紀の、二度目は一九世紀から二〇世紀にかけてのパリである。レールケはスピノザと交流のあったドイツ貴族チルンハウスを介して、ハノーファーのライプニッツ、ロンドン王立協会のオルデンバーグ、科学者でありかつ古典学者でもあったイエズス会のユエという三者の関係を描き出す。彼らはアムステルダムやロンドン、パリを行き来しながら交流し、スピノザについて書簡を交わした。そこにスピノザの最初のトランスナショナルな受容を見ることができる。次のラントワーヌによる報告は、一九世紀前半のクーザン派によるヘーゲル的スピノザ主義の導入、世紀後半のテーヌの実証主義やデュルケームの社会学におけるスピノザ受容、二〇世紀初頭のデルボスやブランシュヴィックらの哲学史的研究、そして六〇年代アルチュセール派の「活動家的」スピノザ使用を振り返る。それは勃興する諸科学の戦場におけるスピノザ受容であった。

 続く一群の報告は打って変わって特殊な様相を帯びている。イスラエルのギデオン・カッツ(ベングリオン研究所)、およびイランのアリ・フェルドウスィー(ノートルダム・デ・ナミュール大学)による報告は、それぞれまったく異なるネーションの、共通の問題をめぐっていた。それは、国家は一神教的な伝統の中でいかに原理主義に陥らず世俗主義を貫くことができるか、という問題である。ユダヤ教を破門されながらもヘブライ的伝統を哲学者として引き受けたスピノザは、彼らにとって一つの可能性としてあり続けている。そして日本。上野は、一神教を持たない日本において明治以降いかにスピノザが抵抗なく、むしろ仏教的クライメイトの中で受け入れられたか、しかしにもかかわらず戦時中の京都学派による西洋近代との対決の中で、いかにスピノザが田辺元の種の弁証法にとって異物としてあり続けたか、という報告を行った。今思えば、イスラエル、イラン、日本の報告は、いずれも西洋的近代化の罠と対峙しうる非原理主義的可能性としてのスピノザをめぐっていたのである。

 そしてオランダのヘンリ・クロップ(エラスムス大学ロッテルダム)の報告がちょう))を飾る。彼はオランダ・スピノザ協会の「繁栄、衰退、そして復活」の歴史について語った。協会は一八九七年、デン・ハーグのスピノザが逝去した家を拠点に近代のパイオニアたる国際スピノザ研究ハブとして発足し、二度の国際会議を組織。だが一九四〇年、ドイツによる占領、親ナチ派による内部分裂を経験する。ドイツ国内の、その多くがユダヤ系であったスピノザ研究者の絶滅と同様の、引き裂かれるような経験である。しかし戦後復活を遂げた協会は、いまや国際的なスピノザ評価の高まりの中で、二つのスピノザ記念館を擁しつつ今日を迎えている。


 最後に、会議の締めくくりとしてオーガナイザーの一人サンジャコモが述べた印象深いコメントを紹介しておこう。スピノザ受容はそれぞれの固有な言語においてかくも多様な表現をとってきた。しかしそれはいつも間違いなく同じスピノザ思想の表現であって、ちょうどスピノザの唯一実体が無限に多くの属性において表現されるかのようだと(たしかに、これも会議で明らかとなったように、一八世紀のシュミットの独訳、一九世紀のセセの仏訳をはじめとして二〇世紀から今世紀にかけて現れた各国語の翻訳は、各国のスピノザ受容にとって決定的であった。イタリア語訳、英語訳、オランダ語訳、ヘブライ語訳、スペイン語訳、ポルトガル語訳、ペルシャ語訳、そしてわが国の畠中尚志訳。グローバルな広がりを見せつつある「ファン・フィクション」のスピノザもこれらの翻訳なしにはありえなかったであろう)。しかも、参加者が常に感じていたように、そのスピノザはアカデミックな分業に収まらない独特の磁場のごとくあらゆる人々を引き付ける力を持ってきたし、今も持ち続けている。そこに自分は近代に出自を持つ「民族」の脱構築の可能性を見る気がすると。

スピノザハウス(デン・ハーグ)の本棚。岩波書店より寄贈したスピノザ全集第Ⅲ巻と第Ⅴ巻が配架されている
スピノザハウス(デン・ハーグ)の本棚。岩波書店より寄贈したスピノザ全集第Ⅲ巻と第Ⅴ巻が配架されている。

 会議のあと私たち一同はデン・ハーグのスピノザの下宿とレインスブルフのスピノザの家を訪ね、復元されたスピノザの蔵書を手に取らせてもらったり、レンズ研磨装置を間近に説明してもらったりして幸福な時間を過ごした。中庭からスピノザ像が私たちを見つめている。私は会議の司会を務めたステーンバッカースと旧交を温めながら、遠くスピノザの言葉を思い出していた。人間は生まれつき市民なのではない、市民になるのである*1。「民族」という規定は現存在の身体性ゆえに消去不可能だが、人間の本質にとっては外的な規定にすぎない*2。それに媒介されなくとも、隔たりのただ中で、人は自由において一致する。「自由な人間のみが、相互にもっとも感謝しあう」のだから*3

復元されたスピノザの蔵書に見入る各国の研究者たち(レインスブルフにて)
復元されたスピノザの蔵書に見入る各国の研究者たち(レインスブルフにて)。

*1『政治論』第五章第二節。
*2「民族」(natio)に関する『エチカ』の唯一の定理(第三部定理四六)を参照。 
*3 同、第四部定理七一。

 

(うえの おさむ・哲学)

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