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志賀理江子 みんなモモだった[『図書』2023年12月号より]

みんなモモだった

 

 おそらく私が初めて読んだ長文の本、それが『モモ』だ。

 母の文字で背表紙に “S61.9.17(水)購入・志賀理江子” と書かれてある。私はこの本と、二〇一二年の春に実家の本棚で再会し、宮城の仕事場に連れて帰った。


 モモとおなじくらいの当時六歳、こんなに分厚い本をよく読んだなあと思う。母に読んでもらったのかもしれない。思い出しても笑ってしまうのは、自分にもモモのような不思議な力がある感覚に浸って、それっぽく周りの大人に振る舞っていたことだ。


 一冊の本をどのように読むか。あの頃から三七年が経った今、この本を手に持つと、とても重く感じ、この重さは私を暗くする。でも同時に、大人になってからの私がぶち当たった数々の問題の、解決のエッセンスのようなものがここには詰まっていたではないか! と驚くような気持ちでもいる。私は『モモ』を片時も手放すべきではなかった。


 「ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。(中略)モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。」


 本の冒頭で、こんな風にエンデは書いている。ああなんて不思議な本なのだろうと思う。この本は、この台詞そのものなのだ。『モモ』を反復して読めば読むほど、次第に自分の内側に想像する力が湧き起こって、物事を自分なりに考えていく力が与えられるような気がする。


 それでも今、『モモ』を真正面から読むことはとても難しい。モモを読んで覚醒したのならば、正気ではこの、目の前の社会に戻れない気がするからだ。モモにこれだけ忠告されていたにもかかわらず、それを無視し続けて、「灰色の男たち」に従い、暴走させた私がやりきれないからだ。ここに描かれたユニークな結末には程遠い現実世界の闇に私は落ちていて、だからこの本を手に取っても、長く読んでいられず、パラパラとめくっては息をついて、物語を追えないでいる。私はモモに言いたい。「ここに書いてある辛い出来事は、ほとんどその通りになったよ、でも最後は全然違うかも」と。


 先日、あるトークイベントで、学生の方が、このような質問を投げかけた。


 「私、いま大学三年生でちょうど就活の時期で、その時期に色々なセミナーで大人から、《とにかくこの先、一〇年二〇年三〇年を見据えて将来どうなりたいかを思い描いて、トータルに逆算して考えなさい》ということをすごく言われるんですね。三〇年後を思い描くって、結構皆さん簡単に言うんですけど、今の私の頭ではどうにもうまくいかないことが多々あって……、とにかく先を見据えて頑張るっていうことと、それよりも今自分がやりたいことを突き進むっていうことのどっちに重きを置いたらいいのか分からなくなっているというのがありました。」


 逆算して人生を考えていく……灰色の男たちの、いや、私たちの「安心・安全」な人生のためのやり方は、時間を節約するだけでなく、今やこんなにも巧妙な計算に基づいている。何十年も先を見据えて頑張ることは悪いことではないと思う。でも、その一本の道しか自分にはないと信じてしまえば、辛くなった時に脇道に逸れて休憩するとか、諦めて全く別の道を歩くとか、何が起こるかわからない明日を楽しみにするとか、そういうことは消えてしまうかもしれない。予測不可能な物事を受け入れるには命の危険が伴う。しかし「安心・安全」を徹底するならば、人は少なからず生きる喜びのようなものを差し出すことになる。


 ある街へ行ったとき、「お父さんが眠れないと言ったら病院へ連れていきましょう」という内容のポスターが貼ってあったのを見た。さまざまな機械製造の工場がある土地で、そこではほぼ二四時間稼働での生産がおこなわれていた。そして、その街の、自動車の金型の工場で働く人は私にこう言った。


 「自動車の金型とは、現在進行形の一直線の時間に対して、常に三年前が古いとされている業界です。その『三年前の古さ』というのは、その後発見された諸問題が解決されていない状態のことを言い、そして、製品のクオリティは『改善』ではなく『標準化』すればするほど良い。つまり工場では、この人はいい仕事をしますとか、『個性』とか、たった一人の職人技とかは、よしとされません。かつ、その『標準』というのは、その時点での『最新』であり、その『最新』は、その後更新されるべきである、という意味を含んだ『新しさ』です。『おなじもの』が『おなじ性能』で『大量』に『生産』できることが第一優先で……」その人は、車は六〇年間かけて「標準化」をベースにした、未知の新しさに変化していった、と語った。


 そして、こうも語った。「なぜみんな、こんなに従順なんだろう。自分達の欲望は、実はストレスですよね。私は忘れたいことが山のようにある。夢を見ます。自分の内面、ドロドロ系の夢を見ることが多いです。人を怒鳴ったり、殴ったり、反社会的なことを全部やります。それを怖いなと思いながらやっていて、その後は重たい気持ちになる。大量の選択肢の中に自分がいて、もしも……あの時……って、いつも考えている。」


 驚くような夢。新しい車を生み出すために、昼夜考え続け、試行錯誤を繰り広げている人間の前には、何千、何万という可能性があり、それに対して、「正しい」選択をしなくてはならない重圧がここにはある。


 苦悩が意識を押しつぶす時、痛みが体を支配する時、「今」沸き起こる感覚があまりにも強くて、「今」が私を捕えて離さず、そこに閉じ込められてしまう。「今」が過去と未来につながってあることをかき消してしまう。一旦そうなると、とてつもない恐怖に襲われて、苦しみを感じなかった過去を忘れ、この苦しみがいつまで続くのか、その終わりという未来に見当がつかなくなって、混乱し、吸った息と、吐いた息すらも狂っていく。そんな時、人は「死」に近くなるのだと思う。閉じ込められた「今」から逃れるためには、その方法しか思いつかなくなる。


 子供の頃、私は歴史の数字が怖かった。『モモ』を読んだ当時が一九八六年。そして今は二〇二三年。このまま数字が増えていって、一二〇三九三四七二六一八一九年みたいなことにいつかなるの? どうして歴史の数字は増えるだけなの? なぜ減らないの? ずっとずっと数字だけが増えていくのは怖い、こんなことが続いたらいつか風船のように弾けてしまう……そんな風にだ。


 どんなに悲しいことも、辛いことも、嬉しいことも、その全てに数字ではない時間が伴って、常に物事は変化し続けていることを私はすぐに忘れてしまう。今、に、どうしても囚われてしまう。


 モモはこんな発見をする。私たちの時間について、こんな風に言う。「そうだ、わかったわ! 一種の音楽なのよ──いつでもひびいているから人間がとりたてて聞きもしない音楽なのよ。」そうなのだ、モモは全く、数字が表す時間に無頓着で、自分の年齢も知らなかった。


 「灰色の男たち」という存在を、私たちが生み出したのならば、モモだって、私たちの分身であると、私は思いたい。世界にはそんな人が必要で、でもよく考えてみたら、世界中のすべての子どもたちは、数字の時間に無頓着だ。だから全員がモモだ。モモに会いたいのなら、子ども達とたくさん話せばいい。そんな大人が増えればいい。


 私は未来を、待ち遠しく思いたい。そして「今」を音楽のように感じられたら、どんなに素晴らしいかと思う。


 この本には、そんな風に生きるためのヒントがたくさん詰まっている。読まなくてもいい、ペラペラと捲るだけで、そこに書かれた言葉が目に飛び込んできて、私の中に何かが発動するように書かれている。


 『モモ』の目次には「大きな不安と、もっと大きな勇気」とか、「おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語」というように、一見、全く違うふたつのものが羅列されてある。本なんか読めないよって気分の時は、この目次のページを眺めるだけでもふと気づくことがたくさんあるのだ。エンデは、こんなふうに違う二つの物事をくっつけて、私たちになぞなぞを語るように差し出す。物語を読むにつれて、私はこのなぞなぞを無意識に解き始める……物語をトリガーとして、内なる想像力が発動する。


 「ウシロムキニススメ!」


END 

 

(しが りえこ・写真家)

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