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【岩波新書〈新赤版二〇〇〇点突破記念〉 この10冊】安藤礼二 〈古層〉の探究から現在を問う[『図書』2024年1月号より]

〈古層〉の探究から現在を問う

──末木文美士『日本宗教史』

 新書、特に岩波新書の大きな魅力は、コンパクトにまとめられた一冊のなかで、その道の第一人者が自らの歴史観にして世界観そのものの核心を提示してくれている点にある。「仏教」を専門とする末木文美士が選んだのは、極東の列島に紡がれた「宗教」の歴史である。末木は、本書の始まりと終わりで、「宗教」を「この世界の合理的な秩序を超えたもの」と関わることと定義する。「合理的な秩序を超えたもの」とは、「有意味性を超えた「他者」」としての聖なるもの、恐怖と魅惑を同時にもたらす「神仏」であり、「死者」たちである。

 そのような「他者」との関わりはまったくの白紙状態で、自由になされてきたわけではない。なによりもこの極東の列島に積み重ねられた「過去」に規定されている。末木は、現在の私たちを制約する「過去」とは、必ずしも意識の表層だけに捉えられる「言説」だけではないと強調する。「言説」とともに、「言説化された思想の奥に潜むもの」をこそ「過去」として、思想の基盤として捉え直さなければならないのだ。そうした視点から、末木は、丸山眞男が日本思想の基盤として提起した〈古層〉を読み直し、書き直す。日本思想史を日本宗教史として解体し再構築する、つまりは脱構築するのだ。思想を問うことは宗教を問うことであり、〈古層〉を問うことであった。

 しかし、その〈古層〉は、まさに地層が積み重ねられることで大地が形成されてきたように、それ自体、歴史的に形成されてきたものだった。ただ一つの〈古層〉が存在しているのではなく、起源としての〈古層〉を求める解釈の運動、その歴史が複雑に折り重なるようにして、新たな〈古層〉が創出されていったのだ。末木は、本書において実践した自らの〈古層〉探究の特異性を、こうまとめている──。

 歴史以前から歴史を一貫して貫く日本的発想の〈古層〉なるものはなく、〈古層〉自体が歴史的に形成されてきたものと考えるのが本書の出発点であった。そもそも文献的に追跡できるのは、七世紀終わりから八世紀はじめが限界である。この時代には、天皇を中心として律令システムが整うとともに、仏教も大きく発展し、その中で『古事記』『日本書紀』などによって神話・歴史が形成されることになった。

 〈古層〉を問うための文献学的な限界は『古事記』と『日本書紀』(さらには『万葉集』)であり、そこにはすでに「天皇」が存在し、「仏教」が存在していた(『古事記』による仏教的な要素の意図的な排除をも含めて)。つまり、「仏教以前にももちろん土着の神の信仰はあったはずであるが、現在の記紀神話をもって仏教以前の〈古層〉の信仰と考えるのは不適当である。歴史的に解明できる限りにおいては、日本の神々はその出発点からして、仏との交渉の中に自己形成をしてきたのである」。そういった意味において、「神仏習合こそ、日本の宗教のもっとも〈古層〉に属する形態と言うことができる」。本書が真に始まる地点でもある。

 歴史的に──文献学的に──遡及することが許される、列島に積み重ねられた宗教の基盤、その〈古層〉には、すでに「仏教」が存在していた。だからこそ、これまで「仏教」を自身の探究の主題としてきた末木が、日本思想史を日本宗教史としてまとめ直さなければならなかったのだ。丸山眞男が、『古事記』を読むことから抽出してきた「なる、つぎ、いきほひ」という思想の〈古層〉とは、純粋で単一の起源として存在しているものではなく、この列島の外から到来した「他者」(「仏教」)との遭遇、さらには「他者」との相互浸透(「習合」)からのみ可能となったものなのである。「習合」という基盤のもとで、いわゆる中世においてはじめて「神道」が成立し、「根源神」の探究が可能となった。

 そのような「根源神」の探究を推し進めていくための解釈学の体系が整えられたのが近世であり、その聖典解釈学としての「国学」に一つの完成をもたらした本居宣長によって、『古事記』が再発見されたのだ。「習合」としての〈古層〉から、純粋な起源としての〈古層〉が抽出され、それをもとにして新たな〈古層〉が創出された。「神国」に過剰な意味が付与され、「疑似古代国家」としての明治維新政府が生み出され、神仏分離から「万世一系」の天皇を頂点とする「国家神道」へと至る道が準備された。

 本書が教えてくれることは他にも数多い。これまでの教科書的な思い込みが次々と覆されてゆく。しかしながら、宗教的なイデオロギーを掲げ合った世界戦争の時代がふたたび訪れた現在、〈古層〉を探究する解釈学としての歴史学、「日本」の思想史にして「日本」の宗教史を成り立たせている基盤を絶えず問い直し続けることこそが、まさに「過去」を現在への教訓として生き直すことにつながるであろう。本書がもつ、時代を超えて色褪せない価値は、その点にこそ存在すると思われる。

(あんどう れいじ・文芸評論)


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