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塩川徹也 「教会の外に救いなし」[『図書』2024年4月号より]

「教会の外に救いなし」

──パスカルの信仰告白をめぐって

 昨年八月、パスカルの生誕四百年に合わせて、『パスカル 小品と手紙』(岩波文庫)を公刊することができた。彼がさまざまな機会に科学から哲学を経て宗教に及ぶ広範な主題について巡らせた思索の跡を示すテクスト群は、いずれも興味が尽きない。

 しかし翻訳をしながらとりわけ強い印象を受けたのは、パスカルの信仰が単に個人的なものではなく、強固な共同体的性格を帯びており、所属していたローマ・カトリック教会のあり方と不可分の関係で結ばれていることであった。それは何も、彼が教会の従順な信徒であったということを意味しない。それどころか、パスカルと教会のあいだには鋭い緊張関係があった。しかし彼にとって、信仰は決して孤立した人間が神と取り結ぶ関係にとどまるものではなかった。

 このような感想は、もしかしたら『パンセ』の読者のうちに違和感を呼び覚ますかもしれない。「考える葦」(岩波文庫版『パンセ』二〇〇、上巻二五七―二五八頁)の断章を引き合いに出すまでもなく、パスカルが未完の「キリスト教護教論」において提示する人間は、しばしばただ独り無限の宇宙に対峙する存在、自らのか弱さと寄る辺なさに恐れおののきながら、自らの尊厳の根拠である「考えること」を頼りに、可視の宇宙を越える超越者すなわち神を探求するように誘われる存在として描き出されている。そして彼の宗教的体験の頂点をなす、いわゆる「火の夜」の記念として記された『メモリアル』(『小品と手紙』一三七―一三九頁)によれば、パスカルは一六五四年晩秋のある夜、孤独のうちにあって、神の威容のしるしである「火」の顕現に接し、その光景に心を奪われて、「イエス・キリストの神」に身を捧げることを決意する。だが彼は生前、この体験を誰にも口外しなかった。パスカルの信仰の中核に、他者の容喙ようかいを許さない、神との秘められた関係があったことは否定できない。

 しかし忘れてならないのは、彼が幼児洗礼を受けたカトリック教会の一員だったことである。当時のフランスは、十六世紀後半の宗教内乱を終結させたアンリ四世が発布したナントの勅令によって、プロテスタントにも信教の自由が認められていた。とはいえ、ローマ・カトリックは国王の宗教として唯一の公認宗教であり、人口の大部分もカトリック教徒であった。要するにパスカルは、体制宗教を奉ずる家庭に生をけ、カトリック教徒として育てられた。その信仰がどれほど自覚的なものであったかはさておき、彼が成長の過程で自らの信仰に疑念を抱いた形跡はない。

 ところが彼は二十代前半に家族とともに、より熱心で自覚的な信仰に目覚める。当時パスカル一家は、父の仕事の関係で、ノルマンディー地方の州都ルアンに居住していたが、そこで高まりを見せていた信仰覚醒運動の息吹に触れて「回心」したのである。念のために一言すれば、ここで問題になっているのはカトリック陣営内部での運動であり、近年普及しつつある用語を使えば、「カトリック改革」の一環をなす運動である。したがってここでの回心とは、ローマ・カトリック教会の内部で行われる信仰の変化であり、改宗すなわち別の宗派ないし宗教への転向ではない。

 求められているのは、キリスト教徒であると自任しながら、実際は神を忘れて被造物に執着している自らの心を神に向き直らせること、つまりルーティン化している信心を厳格な悔い改めの生活に転換することである。この意味での回心は、当時の教会改革運動において大きな役割を果たし、やがてパスカルとその姉妹が深い関係を取り結ぶことになるポール・ロワイヤルの霊性の要となる観念であり、またパスカル自身の信仰生活においても生涯の課題となった。(ちなみにポール・ロワイヤルは、その名を冠する女子修道院とその周辺に集う男性の隠遁者集団及び同調者たちの総称であり、純粋な信仰の追求と厳格な道徳の実践によって世間の尊敬を集めていた。その反面、信仰改革を追求する姿勢は既成秩序への批判と受け取られて、教会当局さらには世俗の権力から嫌疑のまなざしを向けられていた。)

 回心が既存の教会の中で進行し、信条の変更も教会からの離脱も伴わない信仰心の変化ないし深化だとしたら、それは一人ひとりの信者の心持の問題であり、共同体的な性格とは無縁だと思われるかもしれない。しかしパスカルの信念からすれば、信者個人の信仰の覚醒と教会のあいだには相互的な影響関係があった。




 パスカルは一六五六年秋から翌年初めにかけて、親友の大貴族ロアネーズ公爵の妹シャルロットに宛てて一連の信仰指導の手紙を書き送る。彼女は家族の勧めに従って結婚する予定であったが、ポール・ロワイヤル修道院への参詣をきっかけに発心し、周囲の反対を押し切って、修道女になることを強く願うようになった。そのような状況で書かれた手紙の中に、次のような一節がある。

 

〔…〕真理のうちにいないすべての人に回心を得させる功徳をもっているのは教会であり、また教会と不可分のイエス・キリストです。そしてしかる後、これらの回心した人々が自分たちを解放してくれた母〔=教会〕に救いをもたらすのです(「手紙」〔三〕『小品と手紙』三一九頁)

 

 一読して明らかなように、信者個人の回心と教会のあいだには循環関係がある。この考えの背景にあるのは、パスカル自身が直後に言及しているように、教会はイエス・キリストを頭とし、信者を手足とする一つの体であるとする、新約聖書のパウロ書簡に由来する考え方である。とすれば、教会を離れては、信仰も回心もその意味を失う。「あらゆる美徳、殉教、苦行とあらゆる善行も、教会の外、教会のかしらである教皇との交わりの外では無益」(同上三二〇頁)なのである。以上を踏まえて、パスカルはシャルロットに「一種の信仰告白」を行う。

 

私がその交わりから離れることは決してないでしょう。少なくとも、神がそのお恵みを下さるよう、神に祈ります。さもなければ永久の破滅しかないでしょう。(同上)

 

 これはまさに、あの悪名高い「教会の外に救いなし」の教理の告白にほかならない。「キリストの代理人」であるローマ教皇を教会の頭とするローマ・カトリック教会の外では、破滅しかないという排外的な教理である。パスカルは偏狭で排他的そして教条主義的なカトリック教徒だったのだろうか。

 注意すべきは、この信仰告白がパスカルとポール・ロワイヤルの同志たちにとって危機的な状況でなされていることである。当時、ポール・ロワイヤルはジャンセニスムの異端の嫌疑をかけられて弾圧され、教会の交わりから排除される危険に直面していた。パスカルは、そのような状況を打開するために一連の『プロヴァンシアル』書簡を発表して、ポール・ロワイヤルの信仰の正統性と弾圧の不当性を世論に訴えていた。

 ジャンセニスムは、フランドルの神学者ジャンセニウスが遺著『アウグスティヌス』(一六四〇年出版)で展開した、神の恩寵と人間の自由意志の関係に関する神学説であるが、それは五か条の命題に要約されて、一六五三年にローマ教皇から異端宣告を受けていた。カトリック教会に所属し、その不謬性ふびゅうせいを認めるかぎり、教皇の決定に異議を唱えることはできない。ポール・ロワイヤルの神学者たちも五命題の異端宣告は受け入れた。しかし彼らは、ジャンセニウスの学説そのものは、アウグスティヌスの恩寵説につながる正統的な理論であると確信していた。

 こうして彼らは、五命題の断罪には同意するが、『アウグスティヌス』の学説は五命題とは異なるという立場を堅持して、ジャンセニウスを擁護し続けた。しかし教会当局は彼らの主張を認めず、教皇が五命題を通じて断罪したのはジャンセニウスの思想そのものであると決定し、さらに、決定に従うことを誓う文書──いわゆる信仰宣誓書──を作成し、署名をフランス全土の聖職者に命ずる方針を打ち出した。今や、ジャンセニウスの正統性を確信する聖職者は、自らの良心を裏切って署名に応じるか、署名を拒否して破門されるかのディレンマに直面させられるのを覚悟しなければならなかった。

 問題の信仰告白は、このような事態を前にして、自分には何ができるのか、何をなすべきなのかを自問自答するパスカルにとって、いわば防護柵の役割を果たしていたのではないか。教会もときに誤ることがある。そのとき、信仰の真理を証言し、そのために戦うのは信者の使命であり、防護柵を踏み越えないかぎり、教会のすべての決定に盲従する必要はない。しかしその代償が破門だとすれば、どうすればよいのか。

 『パンセ』のある断章は、「正統信仰の父」と呼ばれる聖アタナシオス(三七三年没)が生前アレイオス派との論争において異端の嫌疑を受け、迫害をこうむりながら正統信仰を守り抜いたことを引き合いに出して、ジャンセニウス擁護の戦いをあきらめるなと訴えている。しかしそのような覚悟を貫くためには、信仰の深い知識と信仰への強い熱意(熱心)の双方が必要である。そうでない信者は結局戦いを放棄し、「彼」(アタナシオスに仮託されたジャンセニウス)を見捨てるだろう。唯一、「知識と熱心」を備えた少数の信者だけが、「彼をゆるし、教会から破門される。しかし教会を救うのは彼らだ」(岩波文庫版『パンセ』五九八、中巻三三〇頁)

 パスカルが自らをいかなる種類の信者と見なしていたかは言うまでもない。問題は、この信念が妹のジャクリーヌをはじめとするポール・ロワイヤルの修道女たちに引き継がれて恐るべき信仰の試練を引き起こすことだが、それについてはまた別の物語が必要である。

(しおかわてつや・フランス文学、思想)


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