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明治期以来の変革が学校に起きている――『教育DXと変わり始めた学校』著者、佐藤明彦氏インタビュー


 2021年度より全国の学校に一人一台ずつデジタル端末が整備され、教育のDX(デジタル・トランスフォーメーション)化が急速に進みつつあります。授業にもタブレット端末が頻繁に活用されるようになり、人々が思い浮かべる学校のイメージから大きく様変わりしてきています。
 今回、新著『教育DXと変わり始めた学校』を執筆した教育ジャーナリストの佐藤明彦さんに、デジタル化で激変しつつある学校と学びの在り方の変化についてお話を伺いました。(聞き手:岩波書店編集部)


20年間変わり続けた社会、変わらなかった学校

――佐藤さんはこれまで教育ジャーナリストとして、学校現場や授業の取材、先生たちのインタビューを数多く行ってきたほか、教員志望者向け雑誌の編集長を務めるなど、学校教育に広く目を向けてきました。今回、新著『教育DXと変わり始めた学校』を執筆された理由を教えて下さい。
 
 この20年あまり、社会は大きく変わってきました。世の中のデジタル化が進んだだけではなく、日々の仕事も単純作業を正確にこなすことが重視されていた頃に比べると、より創造性が求められるようになってきています。
 一方、学校はどうでしょうか。私は20年以上にわたって学校現場の取材を続けてきましたが、率直なところ、最近まではほとんど何も変わっていませんでした。もちろん、様々な教育改革は行われてきましたし、新しい教科も各学校段階で新設されました。しかし、先生が黒板にチョークで書いて説明し、教科書を使って教えるという仕組み自体はほとんど変わっていませんでした。この変わらない学校教育が、今の世の中にマッチしているんだろうか、これでいいのだろうか――こうした問題意識がずっとありました。
 ところがこの数年、非常に大きな変化がありました。まずは、そのことを伝えたいというのが直接の執筆動機です。また、私自身はこれまで教育業界の専門書や専門誌への寄稿が中心でしたが、本書では一般の人向けのブックレットですので、広く教育業界の外の方々に知ってもらえるという思いもありました。そのために、なるべく専門用語を控えてわかりやすく説明し、教育業界の外の方にも読みやすい内容にすることを心がけました。

自ら考え、学ぶ力を身につける学習を助けるツール 

――「大きな変化が起こってきた」という点、本書ではデジタル化だけではなく、学びの仕組み自体が変わりつつあることを指摘しています。少しご説明いただけますか?
 
 「デジタル端末の活用」という言葉で多くの人が最初に思い浮かべるのは、漢字や計算のドリルが電子化された「デジタルドリル」ではないでしょうか。しかし、端末活用の本丸はそこではありません。子ども自身が何か問題を発見し、周囲と協力しながら解決していく――わたしたちがまさに社会で必要とされる力を育むために、デジタル端末が大きな役割を果たしています。そして、感度の高い先生や教育委員会が、デジタル端末を積極的に使った先進的な取り組みを始めているのです。
 一例として、本書でも取り上げたある中学校の社会科(公民分野)の授業の例を紹介します。社会科の授業と聞くと、多くの人は「重要用語を覚えるもの」と思うかもしれませんが、この中学校では「自分たちの地域に公園を作る」という課題を設定しています。そして、生徒たちは地域にどういうニーズがあるかを班で協議し、住民にインタビューし、地域を回って撮影もします。そうして地域のニーズを掘り起こして分析し、街灯や遊具の値段をネットで調べ、決められた予算内で「こういう公園を作ろう」という資料をつくります。そして、実際に市役所の人にプレゼンをし、提案へのフィードバックをもらうという学習活動です。この学習過程の全てを通じて、デジタル端末が活用されています。
 
――大人が行っている仕事と遜色ないですね。
 
 ですよね。この授業内容を聞いて、「重要語句は覚えたのか、受験は大丈夫か」と考える人もいると思いますが、一市民としてシチズンシップを養うという点で考えれば、まさにこれこそが公民分野の学習に必要な学びだと思います。わたしたちは授業でいくら重要用語を学んでも、社会に出ればその多くを忘れてしまっていますが、このように必要性に迫られて学んでいくことができれば、その子にとって本物の力になるでしょう。
 そうした、子どもたちが自分で考えて、課題を解決していく学びを「探究的な学び」といいますが、そのために不可欠なツールとしてデジタル端末が位置づけられているのです。
 
――暗記中心の学習をずっとしてきたわたしたちの世代よりも、こういう学びをしていく子どもたちのほうが、はるかに成熟した市民になるんだろうな、という印象をもちます。
 
 他方、全国のすべての授業がこのように変わったかというと、もちろんそうではありません。保護者の方も、自分のお子さんがデジタル端末を持つようになったという変化にはお気づきでしょうが、その端末を学びに活用できているかどうかは、学校や地域によってかなり異なります。現状はデジタル端末をうまく使って子どもの資質や能力を伸ばしている先生、端末を使ってはいるけれど効果的には使えていない先生、使うこと自体ができていない先生、と分かれているように見受けられます。 

コロナ禍の急速なデジタル端末導入と混乱 

――大きな変化があったのはこの数年とのことですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?
 
 なんと言っても、デジタル端末が児童生徒に一人一台分そろったという環境面の変化です。日本では1995年にWindows95が登場してパソコンが爆発的に普及し、2000年前後には学校教育にも40台ほどのパソコンを置いた「コンピュータ室」が設けられだしました。とはいえ、一部の熱心な先生がそれを使って授業をするだけで、活用はなかなか広がりませんでした。それはコンピュータ室でしか使えないという学習環境に起因する限界だったように思います。
 でも、子ども全員分の端末があれば、一人ひとりが自由に、どの授業でも使うことができます。また、動画や音声が収録されたデジタル教科書も活用でき、学び方の幅も広がりました。端末の整備が急速に進んだ背景には、2020年以降のコロナ禍の影響が大きいのですが、そのあたりは本書で詳しく述べています。いずれにせよ、デジタル端末を普通の道具、いうなれば文房具のように日常使いできる環境が整ったことが、今回の大きな変化につながったと言えます。
 
――それだけ急速に導入がすすんだとのことですが、学校現場ではきちんと端末を活用できているのでしょうか?
 
 先ほど申し上げた通り、学校や教員によっての活用の格差が生じていることは否めません。また、発達段階による差も大きく、小学校低学年では使う場面が限られてしまう側面もあるでしょう。他方、中学校では受験を意識してか、従来型の教科書・黒板・チョークを使った授業を続ける先生もいるように見受けられます。
 また、各学校にはいわゆる「ICT推進役」の先生がいるんですが、この先生の負担が非常に大きいという話も方々から聞きます。「◯◯先生、機器が動かなくなったので直して」といった質問が集中し、対応に追われてしまうのです。ただでさえ学校は過労死ラインを超えて働く先生が多い職場ですから、デジタル化を進めるためには行政の支援が必要でしょう。実際に各自治体が「ICT支援員」と呼ばれる専門職を配置しはじめ、国もそれを後押しするような動きがあるのですが、その配置状況もやはり自治体によって差が出てきています。

佐藤明彦氏

教育DXは教育格差を広げる? 縮める? 

――そうなると、自治体や学校によってデジタル化の導入に差が生じ、それが教育格差につながる懸念もあります。
 
 デジタル化に力を入れている/そうでない自治体の間でデジタル化の差が生じ、それが提供される教育の格差につながるという問題は確かにあります。教育機会の平等・公平を掲げる公教育上の問題といえますが、一方でそれを理由に進んだ・優れた取り組みを制限するのは本末転倒です。コロナ禍の2020年にも、「デジタル端末が全員分そろっていないから」という理由で、オンライン授業の実施に制限をかけた自治体がありました。その結果、多くの子どもたちの学びの機会が失われたことは問題だと思います。
 同様に、デジタル端末を活用しながら「探究的な学び」を実践する学校や先生を「他の学校・クラスではやっていないから」と止めるようなことをしても、何もいいことはありません。大切なのは、学校・自治体・国が、そうした優れた実践を広く共有し、底上げを図ることで公平性を実現していくことでしょう。
 
――各家庭によるデジタル端末の利用機会やリテラシーの違いが、今後は学校での学習に現れてくるということもありうるのでしょうか?
 
 実際に様々な授業を拝見していると、デジタル端末をすいすい使いこなす子と、使い方に戸惑っている子がいます。子どもが小さい頃からタブレット端末で知育アプリを使っている家庭もあれば、端末がない家庭もあるなど、家庭環境による違いはかなり大きいと思われます。この点が学校でも現れることで、学習の差、引いては教育格差につながってしまう可能性はあるかもしれません。
 ただ、これはデジタル化に限った話ではなく、様々な家庭環境の要因が社会に出るまでに蓄積し、教育格差を生み出している現状があります。そう考えると、小学校一年生から全員が端末を持つようになり、日常的に活用できる環境が整った今後は、高校や大学卒業段階での差は今までよりも縮まる可能性があるかもしれません。
 そうなると、今後も継続的にデジタル端末を一人一台保障することが重要になってきます。2020年度に導入された際には、国が予算を立てて自治体と費用を折半しましたが、デジタル端末には寿命があるため一定期間が過ぎれば更新する必要があります。もし、学校で端末を活用できていなかったら、その時に地方議会で「わざわざ予算を出して整備する必要があるのか」という意見が出てきかねません。そうなると、更新しないで古い機器をずっと使い続ける自治体が出てきてしまい、さらに格差が広がる恐れもあります。繰り返しになりますが、デジタル端末の活用が進まない学校・自治体を支援し、優れた実践を広く共有していくことが、早急に必要だと思います。

教育データ利活用は危ないという「誤解」

――授業や学習のデジタル化には、並行して教育データの利活用も重要になってきます。他方、教育分野でのデータの蓄積や活用には慎重な見解がしばしば見受けられます。
 
 個人的な印象ですが、日本社会は個人情報への警戒心がとても強いように思います。そのため、「教育データを利活用する」というだけで拒否反応を示す向きもあるようです。
 ただ、教育データの利活用については、実はかなりの誤解があります。2022年の1月に、「子どもの成績等の情報を国が一元管理して保管する」という報道があり、その方針に対してSNSでは批判が続出しました。ところが実際には全然そういう話ではなく、国がデータを一元管理するのではなく、利活用の全体的な指針や仕様を示した、というのが正確なところです。このあたりのいきさつについては、本書の第3章で詳しく説明しています。
 大事なのは、データを利活用するメリット・デメリットをきちんと見極めることです。わたしたちは普段から、データを山のように活用する社会の中で生きています。例えば、買い物をすればその情報が集積され、メーカーや小売店はそれらビッグデータをもとに商品の製造開発や仕入れを決めたりしています。同様に学校でも教育データを分析、活用すれば、子どもの得意・不得意がわかったり、クラスや学校単位での傾向が見えてきたりするかもしれません。教員別の指導内容の定着度が分かれば、授業改善の材料にも使えるでしょう。
 そのように、教育のエビデンスとしてデータを利活用していくことは、大きなメリットになります。もちろん、子どものプライバシーや個人情報の保護は必要ですが、リスクやデメリットを最小限にしたうえで、メリットに目を向けていくことが重要だと考えています。

変化の渦中にある学校の今を知ってほしい

 教育のデジタル化に対し、「教育をコンピュータに委ねるのか?」「もう教員はいらなくなるのか?」といった反応をする人もいます。決して、そういう話ではありません。いくら教育がデジタル化されても、先生という存在は絶対に必要です。ただ、今までのように子どもたちに知識を授ける、教える役割から、子どもたちが主体的にどんどん学んでいくように仕向け、伴走していくような役割に変わっていくとは思います。
 実社会でも、わたしたちはデジタルツールを普段の仕事に使っています。また、企業の人材育成も、昔ながらの一斉型の研修から一対一のコーチングなどの手法へと軸足が移りつつあります。そうした社会の変化を考えても、子どもの学び方や先生の役割が変わっていくべきだと思います。そして、現在はその大きな変化の入り口にあり、そのリアルな現在地をぜひ知ってほしいのです。
 少々大げさかもしれませんが、明治期から続いてきた日本の教育の仕組みそのものが大きく変わる、その分岐点にわたしたちはいるのです。そして、よき変化をもたらすべく現場で懸命に頑張っている先生方がいらっしゃいます。その意味でも、変化や取り組みへの理解が世の中に広がってほしいと思います。本書がその一助になれば、こんなにうれしいことはありません。

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