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【特別寄稿】「あるべき世界・あってほしい世界の基礎づけ―カントと道徳論の意義──『カント『道徳形而上学の基礎づけ』について

「君の行為の格律が君の意志を通じて普遍的な自然法則になるかのように、行為せよ。」カント哲学の導入にして近代倫理の基本書。人間の道徳性や善悪、正義と意志、義務と自由、人格と尊厳、共同体と規則などを考える上で必須の手引きです。訳語を精査し、初学者の読解から学術引用までを考慮した新訳。本書の役割、そしてカント生誕300年の現在に新訳を刊行する意義について、訳者の大橋容一郎氏よりウェブマガジンにご寄稿いただきました。


 

カントの生きた時代と現代

 ヨーロッパの地図をひろげてほしい。ポーランドのさらに北東の海岸、いまのバルト海三国に隣接して、ロシアの飛び地がある。かつてはドイツの東プロイセンに属していた、ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)である。ロシア本土まで数十キロしかなく、残念なことにいまはウクライナ戦争で有名になってしまった。だがもともと、この町の最大の名所のひとつは、公園に立つ銅像と大聖堂脇の墓所だった。いずれも哲学者イマヌエル・カントのものである。カント自身が学び、後には長く教えたケーニヒスベルク大学は、ロシア領となったいまでもイマヌエル・カント大学という正式名をもっている。
 カントが1724年4月22日に生まれてから、今年で300年になる。ちょうどハイドンやモーツァルトが、ロンドンやウィーンなどの大都市で活動していた時期だが、おなじヨーロッパでも北のはずれの港町を、この目立たない小柄な哲学者は生涯離れることがなかった。しかし今やカントは、全世界に影響を与えるコスモポリタンの思想家となっている。
 カントの「平和論」は第一次世界大戦後の国際連盟や20世紀末のEUの基本理念に取り入れられ、21世紀の緊迫した世界情勢のための処方箋としても、しばしば用いられてきた。現代の最重要な社会的、実践的問題となった平和論だけでなく、人格の尊厳、共同体論などをめぐる議論の多くにも、カントによって示された考え方が含まれている。そうして、それらすべての実践的思想の基礎にあるのが、彼の「道徳論」すなわち実践哲学の基礎づけの思想なのである。

 

『純粋理性批判』から『道徳形而上学の基礎づけ』への移行

 カントが1781年に公刊した『純粋理性批判』という書物は、だれもが知るように難解な哲学書である。しかしあえてざっくりと言うなら、この本は、悩みをかかえた人間理性が自分の可能性を求めて、あちこちの国を訪ね歩いたてんまつを描いている、『青い鳥』のような長編「小説」と読むこともできる。そうしてそのエピローグは、ものごとの究極の原理がわかったなどと思い込むのは「むなしい思い込み」であり、そうした思い込みによる「怠惰な理性」にとどまってはいけないのだ、という訓戒で終わる。つまり、ようやく見つけたと思った「青い鳥」はただの自然の鳥だった、という残念な話なのだ。
 だが、読者をがっかりさせたその直後に、カントはわれわれに問いかける。皆さんがほんとうに見つけたかったのは、現に「ある世界」ではなく、じつは「あるべき世界」、「あってほしい世界」だったのではないですか。だとしたら、これまではまちがった方面を探していたことになる。次は理性の実践的使用という、別の次元に向かってみませんか、と。
 そして、このように書かれた「方法論」の4年後に、いわば続編として発表されたのが、『道徳形而上学の基礎づけ』という小著だった。そこでは、「感性界」とは別の「知性界」という世界があると見なされていること、人間理性がその世界に本気で入っていけば、生きることのだいじな指針を見つけられることなどが書かれている。現代でいうなら、現実世界ではないアニメやゲームやポップス音楽の世界に、けっして軽視できないだいじな人生の指針が見られるということだろう。現実の世界では軍事権力や政治道徳の退廃が横行している。その一方で今年、宮崎駿のアニメ映画『君たちはどう生きるか』はアカデミー賞を受賞した。85年前に書かれた、コペル君を主人公とした吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』、も漫画になった。いつの頃からか人は、道徳的に許せないことばかりが見られる現実世界よりも、漫画やアニメやポップスの歌詞のなかに、ほんとうの「青い鳥」、つまりは「あるべき世界」や「あってほしい世界」を見るようになったのではないか。いまや漫画は倫理である。そういえば『純粋理性批判』でさえ日本では漫画になり、フランス語訳の版も出ているのだった。

 

なぜいま、「あるべき世界」「あってほしい世界」なのか

 ふりかえってみると『道徳形而上学の基礎づけ』は、今から240年前、日本でいうと江戸時代の本居宣長と同じ時期に書かれた、西洋哲学のしかも「形而上学」の基礎論である。カント自身がその「序」で語っているように、そこでは道徳学、法哲学、政治哲学、その他もろもろの実践的学問の基礎づけが目ざされている。さらにその議論の中心となるのは「善意志」、「定言命法」、「人間性目的」、「意志の自己立法」、「実践的自由の演繹」などの概念である。聞くだにどうも難解そうな話のように思われる。だがこの本は、今のところまだ漫画やアニメにこそなってはいないが、さっきあげたいくつかのジャンルとおなじように、「あるべき世界」や「あってほしい世界」の基礎原理とはどんなものかを探りながら、カントがわれわれを「現にあるのとは別の世界」としての「知性界」へと道案内していく、まじめなガイドブックといってもよい。
 『純粋理性批判』のお話の最後で自分の限界を思い知った人間理性が、それでも何とかしてむなしさを乗り越えようとする努力は、だれにとってもあざ嗤ってよいような軽いものではない。だがもう一度ふりかえってみると、20世紀の一時期、現実に「ある世界」だけをだいじなものと思いこむ人々によって、ほんとうの「青い鳥」などどこにも存在しない、カントの道徳論は「きれいごと」の話にすぎない、と批判されることも多かった。だがそれなら、人はそもそもなぜ政治倫理の確立を求め、戦争の終結を願うのか。なぜ人はそもそもなぜ「読み」、「歌う」のか。「あるべき世界」「あってほしい世界」をどこかに基礎づけられないとすれば、この現実の「ある」世界を生きていくための価値規準や希望はどこにあるのだろうか。カントの道徳論はそうしたきわめて現実的な課題を含んでおり、ただの道学者の机上の理論ではなく、むしろ人間の切実な生きる希望へとつながっているのである。

 

カント生誕200年、300年そして未来へ

 関東大震災の翌年で、昭和金融恐慌のほぼ前々年にあたる1924年(大正13年)4月、カント生誕200年にあたって、岩波書店は『思想』第30号を「カント記念号」として発売し、また大震災で中断していた『カント著作集』(旧版『岩波版カント全集』)の刊行をあらためて告知した。安倍能成と藤原正の共訳改訂版になる『道徳哲学原論』の紹介文には、「カント道徳哲学原論が実践理性批判と共にカントの倫理学説を覗うに欠くべからざる書であることはいうまでもない。この書は実にカントが彼の道徳の精神を宣明した第一の書であって、同時にカント道徳学の入門書である」、とある。日本の時代精神がその後たどった途はけっしておだやかなものではなく、カント哲学およびカントの影響下にあった文化主義や価値主義の思想も、その10年ほどのあいだに翻弄され、やがては禁止思想にすら数えられていった。その歴史の事実を思うとき、今日でもこうした出版にはある種の緊張感を感じないわけにはいかない。
 あれから100年後の今年、生誕300年記念事業として、半世紀をゆうにへだてて岩波文庫版カント主要著作の新訳刊行がスタートした。その事業のはじめに、熊野純彦訳『人倫の形而上学 第一部 法論の形而上学的原理』、宮村悠介訳『人倫の形而上学 第二部 徳論の形而上学的原理』とともに拙訳『道徳形而上学の基礎づけ』が出版できたことは、それだけでもうれしいことだが、それ以上に、さきに述べてきたような時代精神の移り変わりのなかで、今後に刊行されてくる岩波文庫のカント新訳とともに、よい意味での古典思想として人々に長く記憶され、読み継がれていくことをこころから願うものである。

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