ディエゴ・マルティーナ ウンガレッティの“俳句”と感性[『図書』2024年8月号より]
ウンガレッティの “俳句” と感性
昨年、久方ぶりにイタリアの実家に帰省した際、「そのページを開けてみて」と、母から栞の挟まれたノートを手渡された。そこには手描きの赤と黄色の葉が舞う挿絵と共に、こう書かれてあった。
Foglie d’autunno
cadono e cadono
e non le raccolgono
それを目にした私は、目を見開き、再度その文章を読み返した。無意識的に指を折りながら、数えた音節に合わせて、そのイタリア語を「紅葉や落ちつづけるも拾はれず」と和訳していた。ノートの表紙に記された名前を確かめずとも、鉛筆で書かれたその不安定な文字を見ただけで、それが小学生の頃の自分のノートだと、すぐに判った。母は微笑み、「それは、確か七歳の時だったかな? 初めて書いた俳句だったよね」と言った。
当時の私は本を集めるのが趣味である母の本棚から様々な書籍を読み漁ってはいたものの、そこで俳句の詠み方を覚えたということはなく、学校の授業ではもちろん、誰かに俳句を学ぶ機会もなかった。ゆえにその“句”は、俳句の真似ごとではなく、単なる自由詩だった。ここでその原文を、再度訳してみたいと思う。
秋の葉っぱ
落ちてまた落ちて
また誰もが拾わぬ
未熟な詩ではありながらも、七歳の子供が書いたにしては、上出来と言える箇所もある。例えば詩行は、イタリアの詩では「上」とされる奇数の五と七音節であり、-noでの脚韻と、語彙cadono(落ちる)とe(また)の繰り返しによって生ずるリズムと音楽性がある。使われた技法からしても、子供の私が書こうとしたものは俳句ではなく、間違いなく詩だった。しかしながら、この短詩には“俳句らしい何か”が在る。
俳句色が濃いイタリアの詩は、過去にいくつも、実在していた。そのパターンに該当する詩として、ジュゼッペ・ウンガレッティ(一八八八―一九七〇)の名詩「朝」が知られる。ウンガレッティはエルメティズモ(言葉から不要とされる非詩的要素を排除し、言葉そのものの持つ力を放つ、イタリアの第一詩流)を確立させた詩人のひとりである。第一次世界大戦に参戦した彼は、戦場で次の詩を書いた。
Mattina (Santa Maria la Longa, 26 gennaio 1917)
M’illumino
d’immenso
朝 (一九一七年一月二十六日、サンタ・マリーア・ラ・ロンガ)
ぼくは輝く
果てしなく(河島英昭訳『ウンガレッティ全詩集』岩波文庫)
エルメティズモの代表作に当たる「朝」について、ウンガレッティの研究者の間では、疑いもなく自由詩だと訴える一派と、俳句として綴られたものだと理論づける、もう一派に分かれている。後者からすると、一九〇〇年代初頭にパリの大学に通っていたウンガレッティが、当時のフランスの詩壇で既に紹介されていた俳句の存在を全く知らなかったとは考え難く、ゆえに「朝」も俳句を意識して書かれた可能性があるという。
これは、魅力的かつ興味深い論ではあるが、題名を付けたり、定型や、季語の挿入を無視している点からも、俳句のつもりで書いた詩ではないだろうというのが、私見である。ウンガレッティが既に俳句と出逢っていたとしても、「朝」をもって、俳句さながらの詩を書こうとしていたのであれば、題名または詩行の中に「冬の」という一語を足し加えていたのではないか。題名に次ぐ括弧にある日付からして、詩人が迎えたのは「冬の」朝だった。季語を入れることで、俳句らしさをより醸し出せたはずである。また、一行目は四音節、二行目は三音節、合計七音節しかないこの短詩は、音節数の視点から言っても、やはり俳句として釣り合ってはいない。
もう一篇、一九一八年七月に書かれた「兵士たち」も、しばしば同様の議論の俎上に上がる。
Soldati
Si sta come
d’autunno
sugli alberi
le foglie
兵士たち
秋の
木の
葉の
様だ
(著者訳)
戦場にいる兵士たちは「木にすがる秋の葉のよう」だと、ウンガレッティは云う。季語に当たる単語「秋」が登場する一方、形と音節数の点からは、俳句とは言い難い。もし最初から、句として仕上げる意図があったとしたら、単語の位置を変えることで、見事な俳句になったはずである。僭越ながらも、この詩を分解し、俳句として組み立て直してみたい。
Soldati stanno
come foglie d’autunno
sugli alberi
秋の葉のやう木にすがる兵士たち
この語順であれば、音節が五―七―五になる上に、季語も格調もあり、いかにも俳句らしくなる。和訳に関してもまた、句としての違和感を覚えることはないだろう。
そもそも、「朝」と「兵士たち」から感じ取れる“俳句らしい何か”とは、短い詩形であることのほかに、自然と調和し、その“延長”として生きる人間の、豊かな感性と心から湧き上がってくるものが表現されているということにあるのではないか。「朝」で詠まれる、光を浴びて大自然と一体化していく詩人。
「兵士たち」においては、あらゆる瞬間に命が危険に晒される、戦場での経験からなる「無常観」の余韻が、秋の葉の儚い存在に喩えられている。
大自然を前にして生起する共通の感性があるがゆえに、日本の伝統詩である俳句は、イタリアの読者の心にも訴えかけるものがあるのだろう。
事実、世界中で愛されている俳句は、近年イタリアにおいても人気がある。芭蕉や一茶をはじめとする江戸時代を代表する俳諧師から現代俳人まで、翻訳された句集が数多く書店に並ぶ。私が翻訳した漱石の句集も、有り難いことに毎年のように増版を繰り返している。また、昨年イタリアにおいて翻訳、出版した、赤野四羽氏の句集『CHIODI BATTUTI』は、イタリアの全国紙「Corriere della Sera」の一面で大きく取り上げられ、高評価されたことも、現代俳人としては前例無き快挙であった。更に、俳句は教科書にも掲載され、国語(イタリア語)の授業にまで組み込まれている。小学校の国語教師であった私の母も、私の訳した句集を手許に、子供たちに俳句の授業を行っていた。
そんな母が退職を迎えた際、受け持っていた十歳の生徒から一枚の俳画を贈られた。夏休みのひと場面を描いたその句を、母は今も大切に実家の壁に飾っている。俳画を目にして内読しながら、私は母に手渡されたノートを返した。
Vento d’estate
con un amico canto
canzoni nuove
夏風や友と唄い出す新曲
夏風の穏やかさを感じさせる、爽やかな一句。形と中身からすると、日本の俳句に準じつつも、イタリアの子供らしさが垣間見える、両文化を一つに融合させたかのような作品だ。
母は教職にあった当時、日本の名句の訳文を読むだけでは、把握し難いところがどうしても生じてしまい、イタリアの子供達に俳句とは何かをどう解説すべきか悩み、俳人の黒田杏子先生に師事していた私にも相談をしてきた。そこで私は、俳句らしさを持ちつつも、イタリア人の感性を基に書かれた、ウンガレッティの詩を勧めてみた。彼の作品の中でも、俳句を“定義”するものとして、次の詩を紹介した。
Eterno
Tra un fiore colto e l’altro donato
l’inesprimibile nulla
永遠
摘みとった花と贈られた花
そのあいだに言いあらわせぬ虚しさ
(河島英昭訳、前掲書)
表現自体は随分抽象的ではあるが、詩人の言葉を元に、俳句というものをこう説明できる。俳句とは、何かしらと何かしらの間に在る、本来ならば言い表せないまた別の何かしらを、現そうとする詩。
まさにその作りになっているウンガレッティの詩は、俳句だと見なしても不思議でも何でもない。
(でぃえご まるてぃーな・日本文学 研究家、翻訳家、作家)