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松本俊彦 「身近な薬物のはなし」

第10回 タバコ(2) 社会を分断するドープ・スティック

はじめに

 私は喫煙者のいない家庭に育ちました。両親は喫煙者を嫌い、のみならず侮蔑さえしていました。両親の喫煙者評は、「怠け者」「嘘つき」「馬鹿」といった人格否定そのものであり、喫煙する親族と会った後には、「あいつはタバコを吸っているから皮膚が老化している……典型的なモク顔だ」などと、その容姿をこきおろしたものです。それだけに、高校2年時、私が隠れて喫煙しているのがバレた際、父親は非常に落胆し、「馬鹿になるぞ」と厳しく叱責されたのを覚えています。

 もちろん、その後も私はタバコを吸い続けました。馬鹿になったかどうかは自分ではわかりません。ただ、はっきりいえるのは、机に向かう際、指先にはいつもタバコが挟まっていた、という事実です。高校時代、面白そうな本――まあ、くだらない本も相当数混じっていましたが――を手当たり次第に濫読していたとき、そしてその後、大学受験や医学部での勉強、さらには、医者になってから学術論文を読んだり書いたりするときにも、指先にはいつも白い棒が挟まれていて、棒の先端からは紫煙が天に昇る龍のようなかたちで揺らめいていました。

 あえて出典は示しませんが、嫌煙派で知られるある心理学者が、喫煙者は遅延報酬障害を抱えていると書いているのを読んだことがあります。遅延報酬障害とは、将来もらえる大きな報酬よりも、すぐにもらえる報酬を選んでしまう傾向を意味します。たとえば、いますぐに10万円がもらえるのと10年後に100万円がもらえるのを提示され、どちらかを選択するよう迫られたとき、いますぐ10万円をもらう方を選択してしまうのです。要するに、喫煙者は、健康や長生きという将来もらえる大きな報酬よりも、タバコに対する渇望の充足という目先の報酬を選ぶ、思慮の浅い刹那的な人たちということです。

 しかし、本当にそうなのでしょうか? かつて精神科医の中井久夫――彼もある時期までは喫煙者でした――は、タバコを「無理をしやすくする道具」と評していましたが1、これは、当事者である私にとって実に納得できる言葉です。人は誰しも、手をつけるのが億劫と感じつつも、そこをグッと堪(こら)えて、日々地道に積み重ねていかねばならない仕事を抱えているものです。私の場合、勉強や研究、原稿執筆がそうした億劫な仕事の代表格です。重い腰を上げてそうした作業にとりかかるとき、私は一服して覚悟を決めます。あるいは、「もう1パラグラフ書き進めたら一服しよう」と、タバコを「鼻先に吊り下げられたニンジン」として用い、みずからを奮い立たせます。そのようにすることで、私は怠惰に過ごすという目先の快楽を諦め、少し無理をして未来の報酬――学術的な業績や評価――を夢見て、しんどい仕事に立ち向かうわけです。その意味では、タバコはむしろ遅延報酬のための道具ではないか、とさえ感じます。

 さて、前回はタバコの起源と広がりの歴史を振り返ってきましたが、今回は、いかにして人々がタバコの害に気づき、タバコを糾弾し排除してきたのかを考えてみましょう。

社会システムによるタバコ依存症の拡大

紙巻きタバコという危険な使用法

 平凡な嗜好品が強力な依存性薬物へと変貌を遂げるとき、そこには必ず科学技術の進歩が影響しています。たとえば、アルコールにおいては蒸留技術の発明であり、アヘンにおいてはモルヒネ精製の成功と注射器の発明です。

 では、タバコの場合はどうでしょうか? それはやはり紙巻きタバコ大量生産機の発明でしょう。

 紙巻きタバコは、タバコの摂取法のなかでは歴史の浅い、後発の方法です。俗説によれば、起源は19世紀半ば、クリミア戦争(1853-56年)の頃といわれています2。クリミア戦争に出兵した英国兵が、味方のトルコ兵、そして一部には敵であったロシア兵から、戦場での必需品として紹介されたものを帰還時に本国に持ち帰り、さらにそれが大西洋を渡った移民によって米国へ伝えられたとされています。

 しかし、その後ただちに米国内に広まったわけではありません。米国で紙巻きタバコが製造されるようになったのは、南北戦争(1861〜65年)の頃ですが、当時は、小さなタバコ工場において手作業で細々と製造されている程度で、製造量もわずかでした3。というのも、少なくとも19世紀後半の米国において、紙巻きタバコは非常にマイナーな存在であり、需要がなかったからです。事実、1880年時点におけるタバコ葉の全消費量のうち、58%が噛みタバコの形態で使われており、これに葉巻とパイプタバコがともに19%、そして嗅ぎタバコが3%と続き、紙巻きタバコは1%程度であったといわれています4

 ところがこの1880年代に、紙巻きタバコの運命は大きく変わることとなります。

 24歳の若さで父からパイプ用タバコを製造する会社を引き継いだジェームズ・ブキャナン・デュークが、自らの会社を紙巻きタバコの製造に特化させる決断をしたのです。彼が紙巻きタバコに注目した理由は、すでにライバル社が噛みタバコとパイプタバコで大きなシェアを占めており、また、連邦政府が紙巻きタバコだけ税率を引き下げることが見込まれていたからでしした4

 彼は、安価な商品を薄利多売するという賭けに出て、その卓越した商才によって見事に紙巻きタバコで世の中を席捲するのに成功しました。最大の勝因は、ジェームズ・ボンサックが発明した紙巻きタバコ製造機に目をつけ、他社が導入を躊躇するなか、先んじてボンサックとの独占使用契約を結んだことでした4。当初、この機械は故障が多く、思うように事が運びませんでしたが、数年後には紙巻きタバコの大量生産を実現し、大幅なコスト削減に成功しました。

 デュークは、マーケティングに通じた経営者でもありました。彼は、大量生産された商品を大量消費へとつなげるために、広告費用として売り上げ額の約20%の資金を注(つ)ぎ込み、タバコの箱のなかに、景品として美人女性の写真や絵のカードを挿入しました4。同時に、海外市場の開拓も手がけ、米国以外の国々に大量生産された商品を次々に売りさばきました。さらに、競合するライバル会社を次々に買収、吸収して、1890年にアメリカン・タバコ会社を設立し、1910年には同社は全タバコ製品の約75%を製造する状況となり、業界の独占をはたしたのです。これらの戦略は見事に功を奏し、紙巻きタバコの使用者数と消費量はまたたく間に激増していきました4

 しかし、アメリカン・タバコ会社の成功は、単にデュークの経営手腕だけによってもたらされたものではありません。やはり無視できない貢献は、商品それ自体が持つ「中毒性」でした。というのも、紙巻きタバコこそが最も依存性の高いニコチン摂取法だったからです。実際、細い小さな棒状の紙巻きタバコは別名「ドープ・スティック」(直訳すれば「ヤバい棒」となるでしょうか)とも呼ばれるほどやみつきになりやすく5、1955年時点で米国成人男性の半数以上が習慣的に喫煙し、その大部分が紙巻きタバコ使用者という状況になっていました6

 このような事態を目のあたりにして、ライバル社のなかには、「紙巻きタバコにはアヘンやコカインが混入されているのではないか」と疑う者すらいました5。もちろん、そんなはずはありません。使い方さえ工夫すれば、ニコチンだけでも十分に強力な依存を形成することができるのです。

資本主義によるタバコ・エピデミックの拡大

 依存症エピデミックは、産業が商品の有害性を隠蔽し、いわば人々を騙すことによって発生することがあります。今日、北米を襲っているオピオイド危機はその典型ですが、世界史上最大のものはやはりタバコであったと思います。

 たとえば、第2次世界大戦後、喫煙とがんとの関係を解明する研究プロジェクトが立ち上がると、タバコ業界は、喫煙は安全であると人々に信じ込ませるために、何百万ドルもの資金を投入して次々と広告を打っていきました。これがいかに詐欺めいたやり口であったかは、すでに1963年の時点で、タバコ企業の幹部たちが内部文書においてニコチンの依存性を認めていたことからもわかります7。それにもかかわらず、公の場や医学界での議論においてはそうした見解に激しく反論し、自分の意志で禁煙や節煙をできる人もいる、という研究結果を利用して、巧みに非難の矛先を消費者へと向け、使用者自身の「意志の乏しさ」に責を負わせました。要するに、安全性を偽って宣伝し、害悪の証拠を亡きものにし、個人に責任をなすりつけたわけです。

 さらに、1950年代以降、タバコと肺がんとの関係が否定しようがなくなると、今度は、フィルター装着をした、「低タール高ニコチン」のタバコを流通させるようになりました。実際、1982~1991年のあいだに米国製紙巻きタバコの平均ニコチン含有量は10%以上増加しています。これによって、消費者はますますタバコを手放しがたくなったのです5

アメリカ大陸入植者のタバコ栽培

 再び時代を遡り、16世紀末~17世紀初頭の話に舞台を移します。

 初期のアメリカ大陸への入植者――その大半はスペイン人でした――は、先住民が献上するタバコには価値を見出さず、関心はもっぱら金銀にありました。そして実際、新大陸からもたらされた大量の金銀は確実にスペインを豊かにしました。すると、当然のことながら、他のヨーロッパ諸国からの入植者――とりわけ英国人入植者たちは、そうしたスペイン人入植者を妬み、大量の金銀を乗せたスペイン船への攻撃をしかけては略奪をくりかえすようになります。しかし、やがてスペインの輸送船が大型化し、戦闘力が高まると、そうした私掠行為は割に合わない危険な行為となってしまいました4

 英国人入植者たちは別の商品に狙いを変える必要に迫られ、その結果、白羽の矢が立ったのがタバコだったわけです。その先鞭をつけたのは、ジョン・ロルフです。彼は、1612年、ヴァージニアのジェームズタウンにてタバコ栽培に成功しました。タバコは生長のサイクルが短く、植えつけから出荷まで9ヶ月でこなせるので、植民地滞在期間中に本国で高く売れる商品を作り出すことができます。しかもタバコには、様々な土地や気候条件下でも栽培できる、という利点もありました。まもなくタバコは入植者たちの経済的基盤となり、当時の植民地においては、タバコは最大の換金作物となったほどでした4

 ちなみに、ジョン・ロルフは、パマンキー・インディアン酋長ポウハタンの娘、ポカホンタス(1595?~1617年: 図1)の夫としても知られています。ポカホンタスといえば、ディズニーアニメにおいて、美青年の白人ジョン・スミスと恋に落ち、酋長である父親が棍棒で彼の頭を打ち砕こうとした際には、身を挺して彼の命乞いをする、という創作された美談で知られています8

 

図1 ポカホンタスの肖像(版画)

 

 もちろん、ポカホンタスが、ポウハタン族酋長の娘であり、先住民と白人入植者とのあいだをとりもった、というのは事実です。ポウハタン族をはじめとする先住民たちは、白人入植者たちによる食料や金の略奪に苦しみ、白人入植者とは一触即発の対立関係にありました。そして、ロルフと結婚する前のポカホンタスは、先住民との和平交渉を有利に進めようとする白人入植者によって誘拐され、なんと人質という立場に置かれていたのです8

 しかし、ジェームズタウンの白人指導者であったロルフは、ポカホンタスをキリスト教に改宗させ、彼女と結婚することとなります。それによって、先住民たちとの関係は改善し、ジェームズタウンのタバコ栽培は順調な軌道に乗りました。まもなくロルフは、妻ポカホンタスを伴って英国に帰国しますが、彼女は、「ネイティブアメリカンの姫」として英国内で一躍人気者となります。彼女の存在は植民地事業の象徴として投資家の関心を集め、タバコ事業の発展に寄与しました(その後、ポカホンタスは若くして病死しますが、息子の父親が自分とは別の男性であることをずっと根に持っていたロルフによって毒殺された、という説もあります9)。

政府のタバコ依存

 前回述べたように、タバコ嫌いの英国王ジェイムズ1世は、スペイン領産タバコに対する理不尽な重関税政策に失敗した後、タバコの輸入元を自国の植民地に一本化し、それに対して課税をするという、実質的な専売に近い政策に切り替えました。その際、上述したようなヴァージニアを中心としたタバコ栽培事業が大いに役立ち、植民地と本国の双方が富を得るという経済の好循環が成立したのです2

 しかし同時に、この政策によって政府は深刻なタバコ(税)依存に陥りました。というのも、英国では、タバコ税による税収が国家歳入の5%以上を占めるに至ってしまったからです5。その結果、後年、タバコの害が明らかになっても、政府が思い切ったタバコ規制ができなくなる、というジレンマを抱えてしまったのです。

 同様のことは米国でも見られました。1920~1933年の禁酒法施行は、連邦政府にとって酒税という大きな財源の喪失を意味しました。結果的に、タバコ税が税収源として頼みの綱となり、政府はタバコ企業のマーケティングに口出ししづらい状況に置かれてしまったのです2

 日本も例外ではありませんでした2。明治以降、日本政府はタバコの常習性を利用して徴税の手段とし、財源として重要視していました。当初、デューク率いるアメリカン・タバコ会社と提携した村井兄弟会社が、日本における紙巻きタバコ販売に乗り出し、巨利を得ることに成功していました。しかし、1904年に煙草専売法が成立すると、村井兄弟会社はタバコ販売から撤退し、日本は政府によるタバコ専売へと舵を切ることとなります。そして、日清戦争、日露戦争、さらには第2次世界大戦と、戦争のたびに財源確保のために政府が国民に喫煙を奨励する、ということをくりかえし、結果的に、1960年代における「成人男性の喫煙率80%以上」という異常事態を招くこととなったわけです。

 1950年代以降、先進諸国で禁煙運動が活発化しても、日本の禁煙運動は諸外国に比べて遅れをとっていました。その背景には、あまりにも長きにわたって政府の税収が国民の喫煙に依存していたことが影響しています。後に専売公社が解体され、「日本たばこ産業株式会社(通称JT)」として民営化された際も、当初、政府(財務大臣)が同社株の過半数以上を保有しており、そこには重大な利権構造がありました(なお、現在も3分の1超の議決権を保持し続けることになっています。

最重要軍需品としてのタバコ

 戦争は、まちがいなく人々のあいだにタバコ依存症を拡大させた最大の要因の1つです。もちろん、軍事財源確保のために政府が国民のタバコ消費を必要としたのはいうまでもありませんが、同時に、戦場にいる兵士一人ひとりにとっても、タバコは欠かすことのできない最重要軍需品でした。というのも、タバコが含有するニコチンには、神経を鎮め、空腹を抑え、退屈をしのぎ、負傷者を慰める効能があるばかりか、兵士の仲間意識を高め、士気を高揚させる、といった効果まで見られたからです。

 コートライトは、第1次世界大戦ではYMCAと赤十字社のスタッフは、戦場で兵士に紙巻きタバコを配ってまわっていたと述べています。当時、YMCAボランティアは、「どの男もシガレット[紙巻きタバコ]を手にすると悩みを忘れるように見えた」と語り、また、ある英国の射撃兵は、「シガレットは弾薬と同じくらい重要だった」と述懐していたそうです5

 刑法学者の園田寿によれば、第2次世界大戦においては、米軍兵は1日30本ほどのタバコを吸っており、当時の米国におけるタバコ生産量の3分の1は、軍隊によって消費されていた計算になるそうです10。この頃の写真を見れば、疲れ切って泥まみれになった米軍兵は、必ずといってよいほどタバコを咥えて虚ろに笑っています。そして、彼らは退役すると、喫煙習慣を家庭や地域社会に持ち込んだのでした。

 他方、ドイツでは、ヒトラーが頑強に喫煙に反対していました。すでにナチス統治下のドイツでは、ヒトラーが推した研究者によって肺がんとタバコの因果関係が明らかにされており、人種衛生学の観点から喫煙の有害性が自明のものと認識されていたのです。ですからナチスは、健全で強いゲルマン民族を作り上げるべく、禁煙を強く推奨する姿勢を示していました。

 もっとも、現実にはナチスの目論見通りにはなりませんでした。当時のドイツ人男性の80%が喫煙者だったからです。園田は、こうした矛盾の原因は、ドイツのタバコ企業がナチス党に多額献金をしていたためである、と指摘しています10。そのため、ナチス政府は表向き喫煙を禁じつつも、実際には兵士1人に1日6本のタバコを支給し、しかもタバコに重税を課して戦費を稼ぐ、という矛盾した政策を採っていました。そればかりか、ナチス親衛隊に対しては、「シュトルム・ツィガレッテ」(「嵐のタバコ」)という独自ブランドのタバコを好き放題吸わせていたそうです10

タバコの衰退

エビデンスなきタバコ嫌悪

 こうしてタバコは世界中に広まり、人々に受け入れられていきましたが、それでもなおタバコの普及に抵抗する人たちがいました。前回触れたように、一貫してタバコに否定的だったのが宗教界でした。当初から「異教徒の風習」として喫煙を非難する声は根強く、教皇庁は聖職者に対するタバコ禁止令を何度も発してきました。

 医学者のなかにも、健康被害を理由にタバコを非難する者はいました。もっとも、少なくとも1930年代以前までは、有害性に関するエビデンス(科学的根拠)は明らかにされておらず、感情論や生理的な嫌悪感に依拠して、牽強付会な理屈をこねるほかありませんでした。前回紹介した、ジーモン・パウリのように、タバコを「人食いインディアンのような野蛮人の習慣」として断罪するような、あけすけな人種差別はさすがにまれでしたが、エビデンスもないままに、単なる思い込みからタバコを非難する医学者は、めずらしくありませんでした。

 たとえば、エジンバラ大学教授のジョン・リザーズは、タバコの医学的害として、嘔吐や下痢、潰瘍、無気力、脳うっ血に加えて、梅毒の流行はタバコのパイプの共有を介して人々に広がり、その結果、全世界の人々の肉体や精神、道徳心までをも退化させた、と主張しています4。また、フランス・タバコ濫用反対協会を率いた医学者H・A・ドゥピエーリは、フランス人が普仏戦争に負けた理由として、「[タバコという]麻薬的効果のある植物がもたらした心身の破滅のせいであり……このためにフランス人は知性を失い、息がつけず、手脚が衰弱し」たと述べています。英国の医学者ピダックに至っては、タバコの有害性の根拠として、喫煙者の血液を吸ったヒルがただちに死んでしまったと主張する、噴飯物の論文まで発表しています4

初期禁煙運動の勃興と衰退

 かくも脆弱なエビデンスにもかかわらず、19世紀末には各地で反タバコ運動が勃興しています。ちょうど、デューク率いるアメリカン・タバコ会社が紙巻きタバコの大量生産・大量販売を始めてまもない頃のことです。運動自体は一時的なものでしたが、こうした初期反タバコ運動の特徴は、健康対策というよりも、一種の排外運動としての性格が強かった点にあります。現に、英国の禁煙運動では、喫煙はトルコ人の影響による退廃行為と主張され、一方、米国においては、喫煙習慣を広めた張本人としてスペイン人が名指しで責任を追及されていました。

 初期禁煙運動の闘士といえば、ルーシー・ペイジ・ガストン(1860 ~1924)が有名です2。彼女は、教師時代に生徒の喫煙に悩まされた経験から、児童の喫煙を社会問題として提起しました。そして、同じ頃に勃興していた禁酒運動と合流し、「青少年にとってタバコはアルコールへのゲートウェイ・ドラッグ(入門的薬物)」――大麻もそうですが、有害性が不明瞭な薬物を規制する際、この「ゲートウェイ」理論は便利な理屈として乱用されます――との主張を展開していきました。

 その一方で、ガストンらはすべてのタバコを排斥するのではなく、あくまでも紙巻きタバコにターゲットを絞ることで、喫煙者の一部を運動に巻き込もうとしました。そして、1899年にシカゴにて「反シガレット連盟」を、さらに1901年には「全国反シガレット連盟」を立ち上げました。以降、この禁煙運動は米国中西部を中心に広がり、各州で未成年へのタバコの販売を禁止する法律が制定されるとともに、1913年までに11の州で紙巻きタバコの販売を非合法化する「禁煙法(反シガレット法)」が施行されました2

 しかし、この禁煙法は必ずしも実効性を伴ったものではなく、また、禁煙運動そのものも連邦法による規制にまでは発展しませんでした。それどころか、米国の第1次世界大戦参戦以降には揺り戻しが起こりました。というのも、大量の紙巻きタバコが戦場に送られて、兵士たちに無償配布されるようになり、それに伴って、銃後でも紙巻きタバコはますます普及していったからです2

 大戦後の1920年代に入ると、禁煙運動は次第に下火になり、禁煙法を撤廃する州が相次ぎました。その背景には、すでに述べたように、禁酒法施行による税収を補うため、タバコ税収が必須となったことが影響していました。

タバコの有害性に関する決定的なエビデンス

 今日、タバコと肺がんとの関係は決定的なものとなっていますが、長いことそのエビデンスははっきりしないままでした。そのことの最大の理由は、20世紀初頭まで肺がんは医学における最重要課題ではなかった、という点に尽きるでしょう。当時、肺がんよりも肺結核による死亡者の方がはるかに多く、肺がんは一部の人が罹患する職業病にすぎず、きわめてまれな疾患でした3

 肺がんが「国際疾病分類」へと正式に登録されたのは、1923年のことです。その時点では、米国における肺がんの発生件数はせいぜい年間数百件程度と推定されていました。しかしその後、発生件数は確実に増加しつづけ、1940年には約7100人を数えるようになりました3。この増加の背景には、レントゲンなどの医療機器が開発された結果、肺がんが診断されやすくなったこと、そして、予防医学の進歩によって感染症の爆発的流行を抑えることが可能となったこと、さらには、国民の寿命が徐々に延びたために、発症に比較的長期間を要す肺がんが臨床的課題として表面化するようになったことが挙げられます(ちなみに、1910年に50歳だった平均寿命は1940年には62.9歳へと上昇しています3。皮肉な話ですが、喫煙人口の顕著な増大にもかかわらず、栄養状態や衛生状態の改善は人々を長寿にしたのです)。

 しかし、そのような背景を考慮してもなお、紙巻きタバコの流行が肺がん患者を急激に増加させたことはまちがいないでしょう。それはいまや揺るぎのない定説となっていますが、1920年代以前は「嫌疑」の段階でした。それでも医師のあいだでは、肺がんという病名こそ用いなかったものの、紙巻きタバコが何らかの呼吸器系の疾患を引き起こす可能性は気づかれていました。紙巻きタバコは、葉巻やパイプタバコよりも煙の口当たりがまろやかなので、使用者の多くが刺激を求めて煙を肺の奥まで吸い込みます。そのことの影響は早くから懸念されていたのです3

 1920年代後半以降になると、徐々に肺がんと喫煙との関係を示すデータが出はじめます(もっとも、この頃はまだタバコの発がん性物質は、タールではなく、ニコチンであると誤解されていました)。1950年代になると、肺がんによる死亡者が全がん死亡者の15%までに増加して、タバコと肺がんとの関係を探る気運がようやく高まりました。そして満を持して、1954年にタバコと肺がんに関する報告書が刊行されると、喫煙と肺がんとの関係を疑うことはもはや困難な状況となったのです4

 やがてタバコの有害性に関して決定打となる研究が登場します。それが、1981年に『英国医学会誌』に発表された、国立がんセンターの平山雄による論文でした。この論文は、男性喫煙者と同居する妻の肺がんの罹患リスクが高くなる可能性を指摘し、単に自分の健康を損なうだけではなく、他者の健康を損なうという、喫煙が持つ他害的性質を明らかにするものでした11

 これに対して、タバコ産業は平山論文の知見を否定しようと躍起になってネガティブ・キャンペーンを展開しました。しかしその後、平山論文の妥当性は国や地域が異なる研究によっても確認されたばかりか、実験研究によるメカニズムの解明もなされ、2000年頃にはもはや覆せないものとなりました12。これを機にタバコをめぐる論調は一気に変化し、諸外国に比べてタバコ対策に遅れをとっていたわが国でも、嫌煙勢力の勝利が明白なものとなりました。その気運は訴訟にも影響しました。2004年には、江戸川区職員が江戸川区を相手取って、分煙措置を講じずに職員が自席で喫煙することを許容していたとして訴訟を起こし、見事勝訴となっています13

 そしてコロナ禍の真っ只中の2020年4月、わが国で改正健康増進法が施行されました。これにより、多数の利用者がいる施設や旅客運送事業船舶・鉄道、飲食店などにおいて、原則的に屋内が禁煙となり、施設の分類に応じた喫煙の可否や喫煙場所のルール、喫煙所の設置要件などが定められるに至ったのです。

健康ファシズムの暴走なのか?

過剰な予防啓発がもたらすもの

 エビデンスという錦の御旗を得た嫌煙・禁煙啓発運動は、世界中で過激さを増していきます。最も顕著なのは禁煙啓発ポスターでした。そうしたポスターは憎悪に満ちたキャッチコピーであふれかえり、その多くが、喫煙者の容姿に対する蔑みのニュアンスを前面に押し出していました。いくつか例を挙げれば、「タバコを吸う人は危ない、くさい」「タバコは顔の色つやをインディアンのようにする」「喫煙は女性の鼻を赤くし、ヒゲを生やす」などなど14

 より直截に「モク中(喫煙者)の顔」を見せしめとして陳列した医学雑誌もありました。1985年、『英国医学会誌』は、喫煙常習者の顔写真集を掲載したのです。 喫煙者がどんなに醜いかを示すためのものでした。そこには詩人W・H・オーデン(キッチンのゴミ箱にタバコを捨ててボヤ騒ぎを起こしたことがあります: 図2)の顔もありました14

図2 詩人W・H・オーデン

by Gettyimages (©Radio Times)

 米国はさらに過激でした。シュクラバーネクによれば、近年、米国の健康増進プロモーションは、喫煙よりひどいものは「核兵器で人類が絶滅することしかない」とすら主張される論調に発展したといいます14。暴力や交通事故といった他害的事態を数多く引き起こしているアルコールが、「現代の主要な公衆衛生問題」といった、中立的かつ品のよい言葉で語られているのに比べると、タバコの扱いはあまりにも不当です。

 ここに予防啓発の陥穽があるのです。医学と道徳はしばしば混同されやすく、行きすぎた健康信仰や予防啓発は支配と排除の温床となります。そもそも、多くの国で公衆衛生学の起源は富国強兵策に由来しており、それゆえ、ささいなきっかけでそれは容易にファシズムや優生思想へと変質し、異端者や少数派の排除へと傾く危うさを孕んでいるのです。私たちは、ナチスドイツこそが早い時期から強固に公衆衛生の知見を政策に生かした国家であった、ということを忘れてはならないでしょう。あるいは、コロナ禍において虚実様々な感染対策情報に不安を煽られた人々のあいだで、他県ナンバー車両に対する嫌がらせや自粛警察、感染者を出した家族に対する誹謗・中傷・嫌がらせが横行したことを思い出すべきです。

 奇妙な認識の逆転も起こっています。近年、大麻寛容政策へと舵を切りつつある国際的潮流のなかで、いち早く大麻の嗜好的使用が合法化されたカナダや米国カリフォルニア州においては、大麻よりもタバコの方がはるかに忌避され、差別や偏見の対象となっています。実際、知人のカナダ在住研究者によれば、タバコを吸っていると、「そんな身体に悪いのを吸うのはやめた方がいい。ジョイント(大麻タバコ)に変えなよ」と助言されるそうです。なるほど、依存性や心臓・血管系への害という点では、タバコの方が危険ではありますが、とはいえ、驚くほどの認識変化です。

許容される医療者の憎悪

 タバコの有害性が明確になるなかで、医療者が公然と喫煙者に対する悪意表明を許容する風潮さえ醸成されました。たとえば、有名な『ガーディアン』紙には、チェーンスモーカーのサダム・フセインに禁煙を提案したことを後悔する医師のインタビュー記事が掲載されました。曰く、「正直に言って、私がアドバイスしていなければ、サダムは何年も前に死んでいたはずだと思う。とても大きな間違いをしでかしたと思わずにいられない」14。医師の倫理としてこうした発言が許されてよいのか、私は大いに疑問を感じます。

 シュクラバーネクは、医学雑誌では、喫煙者が非喫煙者と同じ医療ケアを受けてもよいのか、という議論が定期的に沸き起こっている、と述べています。たとえば、英国王立内科医学会長は、喫煙者と飲酒者に対して、彼らの治療にかかるコストに見合う社会貢献を求めるよう提案していたそうです。実際には、喫煙者も飲酒者もとっくにタバコ税や酒税を払いすぎるくらい払っているわけですが、人々はさらなる追加の負担を求めていることになります。もちろん、わが国にも同様の意見を公然と述べる医師はいて、しばしば生活習慣病の自己責任論を振りかざします。

 ともあれ、受動喫煙の被害から人々を守るために、世界の至るところで喫煙者の隔離政策が進んでいます。これまたシュクラバーネクの受け売りですが、『ニュー・サイエンティスト』誌は、「喫煙者を不可触賤民と呼ぶべき時が来た」という見解を公表しているそうです14

不公平な議論と言論の不自由

 タバコの有害性を主張するためならば、少々恣意的な考察にも目をつぶり、あたかもそれが正式な科学的知見であるかのように装う予防啓発プロモーションも行われています。たとえば、某医師会作成の禁煙啓発パンフレットには、「タバコを吸うと自殺リスクが高まる」という言説が堂々と記されています15

 確かに、そのような考察の余地を残す研究があるのは事実です。その研究は、40~69歳の男性57,714人を対象としたコホート研究であり、喫煙者は非喫煙者と比較して自殺リスクが2倍以上高く、1日の喫煙本数と自殺リスクとが正の相関関係にあることを示しています16。しかし元論文では、大量のニコチン摂取がうつ病などの精神疾患を誘発する可能性を匂わせつつも、そこで寸止めし、決して「タバコが自殺を誘発する」とは断じていません。

 前回も触れたように、統合失調症などの精神疾患を抱えている人は、抑うつ気分や意欲低下、不安、焦燥といった精神症状への自己治療としてニコチンの薬理作用を求める傾向があり、一般の人よりも喫煙率が非常に高いことが知られています17。精神科医としての臨床的実感を踏まえれば、上述の研究で見ている喫煙習慣は、精神不調を反映したものにすぎず、喫煙と自殺とのあいだに因果関係があるのではなく、いずれも精神不調の結果と捉えるのが妥当でしょう。それにもかかわらず、あたかも鬼の首を取ったように、「タバコを吸っていると自殺しちゃうよ」という啓発は、さすがに適切とはいえません。

 それから、タバコが疾病予防に役立つといった主張の研究は、公衆衛生関係者から全力で否定、ないしは、価値の矮小化がはかられます。最も印象的だったのは、喫煙者はコロナに感染しにくい、という論文18, 19が公表されたときの専門家の反応です。ヒステリックなまでに研究デザインの粗を見つけ出そうと躍起になったり、それでも粗が見つからないと、「たとえ感染しにくくとも、感染した場合には喫煙者は重症化しやすいのだ」と議論のポイントを微妙にずらしたりします。さらにその後、「喫煙者だからといって必ずしも重症化するわけではない」20という研究成果が発表されると、今度はいっせいにだんまりを決め込み、あたかもそのような研究など最初から存在しないかのようにふるまいます。

 加熱式タバコの有害性についても同様です。すでに、非燃焼・加熱式タバコのエアロゾルは従来の紙巻きタバコ煙に比して毒性が低く、有害物質や一酸化炭素量が顕著に少ないことが示されています。当然、周囲の者に対する受動喫煙の害も、紙巻タバコに比べればはるかに低くなっています21(だからといって100%安全というつもりはありませんが)。もちろん、ニコチンの含有量は紙巻きタバコと変わらないので、心臓・血管系への健康被害はまったく低減されませんが、肺がん罹患リスクや周囲への有害性については明らかに低減されています21

 しかし、禁煙派の公衆衛生学者は決してこれを認めません。その理由は、「将来、未知の有害性が発見される可能性がある。まだ安全とはいいきれない」というものです。何より不思議なのは、ハームリダクションに理解のある公衆衛生学者のなかにも、タバコという言葉を耳にしただけで顔を歪めて嫌悪感をあらわにし、「ハーム(弊害)が確実にゼロになっているという保証がない」などと極端に慎重な態度を見せる人がいることです。

 奇妙な話です。いうまでもなく、かつて紙巻きタバコがそうであったように、加熱式タバコについても、将来、何らかの有害性が明らかにされる可能性は十分にあり得ます。しかし、ハームリダクションとは、あくまでもハームを低減する対策であって、決してゼロにする対策ではないはずです。そもそも、ヘロイン依存症患者に対して投与される代替的治療薬のメサドンやブプレノルフィンだって、ハームはゼロではなく、「ヘロインよりはまし」というだけです。

 さらに一歩進めていわせていただくならば、身体的健康だけに着目してハームリダクションを語るのは、あまりにも近視眼的、視野狭窄的ではないでしょうか? 思うに、現状、ニコチン依存者にとってタバコがもたらす最大のハームとは、人々から排除され、孤立することとなっています。ご存じのように、最近、世界保健機関(WHO)は、「孤独と社会的孤立は、私たちの健康とウェルビーイングに深刻な影響を及ぼす」との見解を表明しています22。そのことを踏まえれば、非燃焼・加熱式タバコは、完全に健康的とはいえないものの、孤立するリスクを少しだけ軽減する可能性がある、とはいえないでしょうか?

 それでもなお、加熱式タバコをも厳しく制限するよう求める者がいるとするならば――あるいは、加熱式タバコ使用者に何らかのサンクションを与え、それによる「困り感」を自覚させて、完全にニコチンと手を切る決断を促すべき、と主張をする者がいるならば、その人は健康にとりつかれるあまり、人間を見失っているといわざるを得ません。

おわりに

 いうまでもなく、タバコにはきわめて強力な依存性があります。そのことは、前回見たように、あれほど残酷な弾圧にもかかわらず、コロンブスの新大陸発見からほんの百年あまりでほぼ世界中に浸透している、という事実からも、もはや弁明の余地はないでしょう。

 しかし、タバコが厄介なのは、依存症システムとも呼ぶべき環境を作り上げた点にあります。つまり、いつしか政府は財政上タバコに依存するようになり、戦争のたびにその状況はますます深刻化し、他方、産業側は虚偽の安全性をことさらに喧伝し続ける――様々な思惑と利権が複雑に絡み合って、依存症当事者を縛り上げ、足抜けできなくする社会のありようです。その結果、人々の脳内報酬系は巨大な手に鷲づかみされ、さらに社会全体が、泥沼から突き出すあまたの触手に足を絡めとられる、といった事態に陥ってしまったのです。ヘロインやコカインといったハードドラッグでさえも、さすがにここまでの浸透力はありませんでした。

 そのような歴史を踏まえると、かつて成人男性の80%を超えていた喫煙率が、いまや20%を割り込まんとするところまで低下している、という事実には、逆の意味で驚かされます。おそらくその背景には、第2次世界大戦以降、世界規模の戦争が発生しておらず、比較的平和な時代が長く続いていることは無視できないでしょう。そのうえで、タバコの健康被害が明らかになってから70年以上が経過し、その間に多くの公衆衛生学的研究が精力的になされるとともに、諸国の政府が、タバコ税依存状態からの脱却を目指して、息の長い取り組みをしてきたことの成果といえるでしょう。とりわけタバコ価格の上昇は、未成年者や若い世代のタバコ離れを促進し、長期的な喫煙者率の低下に大きな影響を与えた、と推測されます。

 しかし、忘れないでほしいのです。それでもなお、タバコを手放せない人、あるいは、タバコを愛してやまない人は存在します。そして、少数派ないしは異端者へと転落したそれらの人々は、いまやタバコそのものの健康被害よりもはるかに深刻な害に直面しているのです。

 シュクラバーネクは、ワシントンDC医学会喫煙健康委員会が後援する会議で、ある倫理学者が喫煙について述べた発言を紹介しています。その発言はおおよそ以下のような趣旨でした――喫煙は本質的に道徳に反する。なぜなら喫煙は少なくとも3つの点で道徳の原則を破っているからだ。第1に、喫煙は生命が聖なるものだという原則を否定する。 第2に、 喫煙は中毒を起こすことで個人の自由意志を否定する。 第3に、喫煙は「非喫煙者にとって『不快な面』」があることで「人間社会の有機的関連性」を破壊する……14

 突っ込みどころが多すぎます。まず、第1と第2に関しては、「ならばアルコールやカフェインはどうなのか?」と反駁したくなります。とりわけアルコールは、種々の内臓障害に加えて数々の他害的弊害を引き起こしており、タバコだけを特筆すべき格別の理由は見当たらない気がします。

 では、第3についてはどうでしょうか? 

 はたして多数派から見て「不快な面」を持つ少数派の存在は、「人間社会の有機的関連性」を破壊するものなのでしょうか? もしもその理屈を人種や民族、文化・風習の違い、あるいは性指向や社会的階層の違いに適用したならば、人間社会は一体どうなるでしょうか? 有機的関連の実現でしょうか? それとも、分断と対立、紛争でしょうか? 答えはあまりにも明白です。

 むしろ私はこう考えます。喫煙者が非喫煙者に迷惑をかけずにタバコを楽しめる空間を作れば、喫煙者は非喫煙者と共存し、「人間社会の有機的関連性」を維持できる可能性があるのではないか、と。それとも、くだんの倫理学者は、自身の視界に喫煙者が存在すること、いや、たとえ視界に入らなくとも、地球上のどこかに喫煙者なる人種が存在し、同じ空を眺め、同じ空気を吸っていることが許せないのでしょうか?

 そろそろ、まとめましょう。ここで、私の思いを最も端的に表現する言葉を引用して、本稿を締めくくりたいと思います。それは、全編喫煙シーンだらけという時代に逆行する映像で話題となった、映画『スモーク』(1995年)の原作者・脚本家であるポール・オースター――彼は米国を代表する小説家であり、2024年4月30日に肺がんにより77歳で逝去しました――の言葉です。

 「煙草を喫(す)う人はいっぱいいるんだ。僕が間違っていなければ、世界中で毎日十億人以上が煙草に火を点ける。……僕だって喫煙が体にいいと言っているわけじゃない。けれど、日々犯されている政治的、社会的、そして生態学的な非道に比べれば、煙草なんて小さな問題に過ぎない。人は煙草を喫う。これは事実だ。人は煙草を喫うし、たとえ体によくなくても、喫煙を楽しんでいる」23

 

文献

1. 中井久夫著:禁煙の方法について――私的マニュアルより. 中井久夫コレクション「「伝える」ことと「伝わること」ちくま学芸文庫, 228-240, 2012.

2. 和田光弘著:世界史リブレット タバコが語る世界史. 山川出版社, 2004.

3. 岡本 勝著: アメリカにおけるタバコ戦争の軌跡――文化と健康をめぐる論争. ミネルヴァ書房, 2016.

4. ジョーダン・グッドマン著、和田光弘・森脇由美子・久田由佳子訳: タバコの世界史. 平凡社, 1996.

5. デイヴィッド・T・コートライト著・小川昭子訳: ドラッグは世界をいかに変えたか――依存性物質の社会史. 春秋社, 2003.

6. 吉見逸郎・祖父江友孝:日本のたばこ問題に関する現状・歴史的背景・今後の見通しについて――我が国における喫煙の実態. 日本呼吸器学会誌. 42(7):

7. カール・エリック・フィッシャー著・松本俊彦監訳・小田嶋由美子訳:依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか. みすず書房, 2023.

8. 阿部珠理 編著: アメリカ先住民を知るための62章. 明石書店, 2016.

9. Linwood “Little Bear" Custalow & Angela L. Daniel “Silver Star": The True Story of Pocahontas: The Other Side of History. Fulcrum Publishing, 2007.

10. 園田 寿: 戦闘の前にまずは一服.

11. Hirayama T. Non-smoking wives of heavy smokers have a higher risk of lung cancer: a study from Japan. Br Med J (Clin Res edition). 282(6259): 183-185, 1981.

12. 片野田耕太: 受動喫煙の健康影響とその歴史. 保健医療科学. 69(2): 103-113, 2020.

13. 厚生労働省: 受動喫煙をめぐる訴訟の動向.

14. P・シュクラバーネク著・大脇幸志郎訳: 健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭. 生活の医療社, 2020.

15. 東京都医師会タバコ対策委員会: タバコQ&A【改訂第2版】 .

16. Iwasaki M, Akechi T, Uchitomi Y, Tsugane S.: Cigarette smoking and completed suicide among middle-aged men: a population-based cohort study in Japan. Ann Epidemiol. 15(4): 286-292, 2005.

17. 野田哲朗: 精神疾患と喫煙・禁煙の影響. 健康心理学研究. 28 巻 Special issue 号: 129-134, 2016.

18. Simon de Lusignan, Jienchi Dorward, Ana Correa, et al.: Risk factors for SARS-CoV-2 among patients in the Oxford Royal College of General Practitioners Research and Surveillance Centre primary care network: a cross-sectional study. Lancet Infect Dis. 20(9):1034-1042, 2020.

19. Elizabeth Williamson, Alex J Walker, Krishnan Bhaskaran, et al.: OpenSAFELY: Factors associated with COVID-19-related hospital death in the linked electronic health records of 17 million adult NHS patients. Nature. 584:430–436, 2020.

20. Christopher T Rentsch, Farah Kidwai-Khan, Janet P Tate, et al.: Patterns of COVID-19 testing and mortality by race and ethnicity among United States veterans: A nationwide cohort study. PLoS Med. 17(9) 2020 Sep.

21. 大島明: 非燃焼・加熱式タバコの評価と今後の課題【OPINION】. 日本医事新報 (4882), 20-22, 2017-11-18

22. World Health Organization: WHO launches commission to foster social connection.

23. ポール・オースター著・柴田元幸他訳: スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス. 新潮文庫, 1995.

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著者略歴

  1. 松本 俊彦

    精神科医。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/同センター病院 薬物依存症センター センター長。1993年佐賀医科大学卒。横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より現職。第7回 日本アルコール・アディクション医学会柳田知司賞、日本アルコール・アディクション医学会理事。著書に『自傷行為の理解と援助』(日本評論社 2009)、『もしも「死にたい」と言われたら』(中外医学社 2015)、『薬物依存症』(ちくま新書 2018)、『誰がために医師はいる』(第70回日本エッセイスト・クラブ賞、みすず書房 2021)他多数。訳書にターナー『自傷からの回復』(監修、みすず書房 2009)、カンツィアン他『人はなぜ依存症になるのか』(星和書店 2013)、フィッシャー『依存症と人類』(監訳、みすず書房 2023)他多数。

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