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松本俊彦 「身近な薬物のはなし」

第9回 タバコ(1) 2大陸をつないだ異教徒の神器

 はじめに

 本連載では、歴史学者コートライトのいうビッグ・スリーのうち、すでにアルコールとカフェインの2つを論じています。しかし、残る1つのタバコについては保留したまま、前々回、前回と市販薬および処方薬という身近な薬物を先に取り上げました。弁解させていただきますが、決してタバコをスルーしたまま、この連載を「逃げ切ろう」と考えていたわけではありません。むしろ最初から、「最後はタバコ」と決めていました。それも、当事者意識をもってこの薬物を語ってみよう、と。

 これまで様々な場所で公言してきた通り、私は喫煙者です。昭和の時代、成人男性の80%を超えていた喫煙率はいまや25%まで低下し、近年、めっきり立場が悪くなっている人種です。

 確かに時代は変わりました。最近20年を振り返っても、旧友と再会するたびに、「実はタバコをやめた」という告白に何度も遭遇してきました。そんなとき私は、一抹の淋しさを感じつつも、相手のちょっと気まずそうな表情をガン見して、こう言ったものです。「おまえ、意志が弱いな」と。

 ともあれ、今日、喫煙者は迫害や糾弾を甘んじて引き受けなければなりません――ある程度までは。まあ確かに昭和の頃はひどすぎました。混雑する電車、あるいは、狭苦しい旅客機の席でタバコを吸うのが許容され、自身の子ども時代を振り返っても、教師が教室で喫煙していたり、医師が喫煙しながら患者を診察したりしていた光景を覚えています。

 かなり控え目に考えても、狂った時代でした。おそらくタバコに嫌な思いをさせられた非喫煙者の人たちも、さぞやたくさんいたことでしょう。ですから私は、罪深き喫煙者として慎ましく、できるだけ人様に迷惑をかけずにタバコを吸うよう心がけております。

 しかし、それでも時々、世の理不尽を感じることはあります。

 最近、理不尽を感じたのは、東京駅の新幹線ホーム上に設置された、喫煙室という名の「毒ガス室」のことです。その小部屋はニーズに比して圧倒的に狭く作られており、内部は多数の喫煙者たちが、互いの肘もぶつからんばかりにひしめき合い、タバコの先端が前に立つ人のうなじを燃やさないよう、ギリギリのスペースを死守するのがやっとです。おまけに、濛々と煙る副流煙のせいで空気は澱んで視界は悪く、ガラス窓は脂(やに)で黄ばんでいます。明らかに喫煙そのものの害よりも喫煙室に入る害の方が深刻でしょう。それにもかかわらず、その小部屋の外には、イライラしながら自分の順番を待つ、哀れな人たちが列をなしているわけです。

 私は思わずこう勘ぐります。その部屋の設計者は、懲罰的感情――「喫煙者どもよ、早く死ね」――に突き動かされて、意図的かつ周到にこの緩慢な死刑装置を着想したのかもしれない、と。あるいは、もう少し好意的に解釈して、たとえばこの恥辱的なサンクションによって、「この国では、タバコを吸う奴に人権などない」「この毒ガス室で寿命を縮めたくなければ、ただちに禁煙しろ」というメッセージを伝え、喫煙者に行動変容を促している、という可能性もあるでしょう。だとすればその心遣いには感謝するものの、しかし、やはりそれは余計なお世話です。

 さて、身近な薬物シリーズの最後として、私自身が当事者であるタバコを2回にわたって取り上げます。手始めに今回は、タバコという薬物の基本的な性質、それからその起源と伝播の歴史を押さえておきたいと思います。

タバコとは――その薬理作用と有害性、依存性

 まずは、タバコという植物と、その植物に含まれるニコチンという依存性物質について、現代の医学的知見を整理しておきましょう。

タバコの植物学的分類

 タバコはジャガイモやトマト、トウガラシと同じようにアメリカ大陸という新世界を起源とし、いわゆる「コロンブス交換」によって旧世界にもたらされたものです。タバコが世界中に蔓延したのは、世界の商業的展開の結果であり、ヨーロッパ中心の人類史においては意外にも短い歴史しかありません。

 タバコはナス科タバコ属に分類され、もともとは南北アメリカ大陸、それもとりわけ南米アンデス山脈に自生していた植物です。現在、タバコを製造するために栽培されている品種としては、ニコティアナ・タバクムとニコティアナ・ルスティカの2種類があります1

ニコチンの薬理作用

 タバコの乾燥葉には、ニコチンが2~8%程度含まれています。ニコチンはアルカロイドの一種で、強力な神経毒性を持ち、毛細血管を収縮させる作用があります。大量に摂取した場合には、血圧を上昇させ、縮瞳、悪心、嘔吐、下痢などの自律神経系の症状を呈するとともに、頭痛や不眠といった中毒症状や、最悪では嘔吐や意識障害、けいれんを引き起こす可能性があります。

 ニコチンの分子構造はアセチルコリンと類似し、体内のアセチルコリン受容体と結合します。ニコチンの効果は2相性に発現し、少量投与で中枢神経興奮薬として、そして大量投与では中枢神経抑制薬として鎮静的に作用します2

 ニコチンはまた、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ドーパミンなどの神経伝達物質の放出も促します。これらの神経伝達物質の放出が脳の活動性と覚醒度を高め、意欲を亢進させ、気分を高揚させて、思考や作業効率を一時的に向上させます。しかし他方で、血管を収縮させることで狭心症や動脈硬化を引き起こし、心拍数と血圧を上昇させて不整脈や高血圧を惹起する危険性があります。

 ニコチンは生来的に体内に存在する物質ではありません。通常は自前のアセチルコリンが脳細胞に結合してドーパミンやセロトニンを放出させているのですが、喫煙で吸収されたニコチンはより強力にアセチルコリン受容体を介してドーパミンを放出させるのです。喫煙習慣がパーキンソン病(ドーパミン作動性神経細胞の変性によって引き起こされる)への罹患に保護的に働くのは、ニコチンのこのような薬理作用が関係しているのかもしれません3

 また、統合失調症などの精神疾患を抱えている人には喫煙者が多いことがよく知られていますが、それには、ニコチンが持つ神経伝達物質への影響が関係していると考えられています3。つまり、喫煙によってドーパミンやセロトニンの放出を促すことで、無意識のうちに精神疾患の症状や治療薬の副作用を改善させようとしているわけです。精神科医の野田哲朗は、精神疾患と喫煙に関する総説のなかで、ニコチンには統合失調症の陰性症状(意欲低下、無気力など)、錐体外路症状(パーキンソン病様の振戦や筋強剛など)、認知機能、情動不安定を改善させる効果があり、喫煙がセルフメディケーションとして使用されていることを指摘する研究を紹介しています3

タバコの有害性

 生物にとってニコチンは毒物として作用します。その毒性はきわめて強力であり、ニコチンの急性致死量は、乳幼児で10~20mg(タバコ0.5~1本)、成人では40~60mg(2~3本)とされています4

 タバコによる健康被害は50種類にも及ぶとされています。代表的なものとしては、がん(肺がん、咽頭がんなど10種)、循環器疾患(血管収縮、心筋梗塞、狭心症、脳卒中など)、消化器系(胃潰瘍、十二指腸潰瘍、食欲低下など)、その他、虫歯、歯周病などが挙げられます。ざっくりといえば、がんはタバコの煙に含まれるタールが原因であり、一方、循環器疾患はニコチンが原因となります。

 なお、ニコチンには、医薬品としての利用価値も多少はあります2。ニコチンが持つ毒性がマラリアを媒介する蚊を殺すことでマラリア感染予防効果があり、また、ストリキニーネなどの蛇毒に対する解毒剤として役立つこともあります。さらに、血管収縮作用によって止血効果や、脳血管拡張性の片頭痛に対して効果を発揮することもあります。

 気つけ薬としての効果もあります。かつてサルバドール・ルイス・ブラスコというスペイン人医師は、仮死状態で生まれた赤ん坊に向かって葉巻の煙を吹きかける、という処置をしました。すると、その赤ん坊は生気を取り戻して蘇生し、激しく泣き始めたのです。後にこの子どもはパブロ・ピカソという名前で、世界中の美術愛好家に知られるようになりました5

依存性

 ニコチンは紙巻きタバコや葉巻、パイプによって経気道的に、あるいは、鼻粘膜(嗅ぎタバコ)や口腔粘膜(噛みタバコ)から吸収されます。

 最も血中への吸収が速い方法は、経気道的な摂取です。肺から吸収されたニコチンが脳に到達するのに要する時間はわずかおおむね7秒ほどです。静脈注射した場合には14秒かかることを考えると、その速さがわかるでしょう。最終的に15~20秒でニコチンは身体の隅々にまで達します1

 薬物が持つ依存性は、薬理効果の強さ以上に、摂取から効果発現までの速さによって影響されます。これは「報酬の即時性」といい、摂取後すぐに薬理効果を実感できるので、使用者の意識に、摂取行為と効果との連関が強く印象づけられます。その結果、薬物への依存度や執着を高めてしまうのです。ちなみに、大麻の場合、喫煙という方法で経気道的に摂取した場合、効果発現まで3~5分もの時間を要します。このことは、依存性という点においてタバコは大麻よりもはるかに強いことを意味しています。

 意外に知られていませんが、ニコチンの依存性は、大麻だけでなく、他の薬物と比べても強力です。精神作用物質の使用経験と依存症に関する全米疫学調査によれば、使用経験者のうち依存症に罹患する人の割合は、コカインで15%、アルコールで14%であるのに対し、タバコでは30%にも達することが明らかにされています(なお、大麻の場合は9%と、タバコよりも明らかに低率です)6

 タバコの場合、依存症水準に達している人であれば、急な使用中断によって離脱症状を生じます。具体的な症状としては、イライラや渇望感、気分の落ち込み、不安、注意力の低下、睡眠障害、食欲増進などがあります。一般にこれらの症状は、最終タバコ使用から数時間以内で始まり、離脱症状は禁煙開始後数日でピークに達して、その後は時間経過とともに和らいでいきます。

タバコの起源と文化的意義

次に、タバコの起源と、タバコにまつわる文化について見ていきましょう。

閉鎖された大陸に自生する植物

 約2万~4万年前の氷期において、ユーラシア大陸とアメリカ大陸は、陸橋となったベーリング海峡によって結ばれていました。そして、この陸橋を渡ってシベリアからアメリカ大陸にわたったモンゴロイド系の人々が、この地の先住民となったわけです。しかし氷期が終わり、水位の上昇により陸橋が水没すると、両大陸は互いに閉ざされてしまいました。

 アメリカ大陸には、肥沃なユーラシア大陸のように麦や米は自生していませんでした。穀物といえばトウモロコシやジャガイモ、あるいは豆類といった、醸造が容易ではない植物ばかりで、おそらくはそのせいでユーラシア大陸ほどのアルコール文化は開花しませんでした。

 もちろん、まったくアルコール飲料がなかったわけではありません。インカ帝国には、トウモロコシを人の唾液で発酵させた「チチャ」が、古代マヤ族には蜂蜜から作った「バルチェ酒」が、そしてアステカ帝国には、今日、蒸留酒テキーラの原料となっているリュウゼツランから作られた、「プルケ酒」といった醸造酒がありました。しかし、いずれもアルコール度数が比較的低く、また、蒸留技術もなかったことを考えると、新大陸には十分な酩酊が得られるアルコール飲料が存在しなかったのかもしれません。それが原因なのかどうかはわかりませんが、新大陸ではアルコールは日常の嗜好品としては定着せず、そのかわりに、タバコが主要な嗜好品として広まり、定着しました。

 タバコの栽培は、紀元前より南アメリカ、中央アメリカの南部、西インド諸島、北アメリカのミシシッピ川流域で行われていたと考えられています4。しかし、タバコに関する公式な記録は、もう少し後にならないと登場しません。そのような公式記録として最古のものは、7世紀末のマヤ文明遺跡にあります。マヤ古代遺跡都市にあるパレンケ神殿の壁面には、「エル・フマドール」と呼ばれる、「たばこを吸う神」のレリーフがあります(写真)。この神は「L神」と呼ばれ、作物の豊穣をもたらす雨に関係すると考えられています1

 

写真 「たばこを吸う神」のレリーフ(タバコと塩の博物館所蔵の複製)

 

マヤ文明におけるタバコ

 マヤ文明は、紀元前2000年頃から16世紀頃まで、現代のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルの5国にまたがって繁栄していた文明です。

 マヤ族にとってタバコは神聖なものであり、宗教的な儀式において欠かせないものでした。理科教育に造詣が深い教育学者の左巻健男によれば、マヤ文明では太陽神が崇拝されており、太陽=火の玉という連想から火や煙が神聖視されていたそうです。タバコを火にくべてその燃える姿、炎の形、空に昇っていく紫煙は、神々への供え物であるとともに、神託をもたらし、戦いの勝敗を占うものとして使われていました4

 また、タバコは香煙を出し、その煙を吸うと陶然とした気分になるばかりか、幻覚をも体験させました(新大陸の儀式では、かなり高濃度のニコチンや、他の様々なアルカロイドを含有する品種のタバコが用いられていたと考えられています)1。こうしたことから、タバコの煙に火の神の霊が宿っていると信じられ、その呪術的効果を期待して、病気治療にも使われていました。人々が病気にかかるのは悪霊のせいとされ、呪術医(シャーマン。メディスンマンとも呼ばれる)はタバコを使って悪霊を追い払うまじないをする――そのような形でタバコが使われていたようです2

 もちろん、タバコは嗜好品としても楽しまれていました。マヤ文明が栄えた地域、メソアメリカ(現在のメキシコから中米地域)では、初期においては貴族や戦士たちが特権としてタバコを楽しんでいましたが、やがてタバコは庶民のあいだにも広まりました。そして、様々な祝いの席で供されるようになり、多くの人々のあいだで嗜好品としての喫煙使用が習慣となっていったのです。

新大陸先住民の生活におけるタバコの役割

 歴史学者の和田光弘によれば、呪術師や部族の有力者たちは、重要な問題を協議する際には、このタバコの葉を細かく刻んで粉末状にしたものを鼻から吸い込み、酩酊した状態で偶像に助言を求めたそうです1。また、先住民たちは様々な病気の治療にもタバコを用いていました。タバコは、外傷、咳、歯痛、梅毒、リウマチ、寄生虫、発熱、しゃっくり、ぜんそく、凍瘡(しもやけ)、扁桃炎、胃病、頭痛、鼻炎などの治療薬でもありました4

 タバコの使用法はアメリカ大陸の南北で異なり、南米大陸では葉巻で喫煙したのに対し、北米大陸ではパイプで喫煙する方法が一般的でした。

 北米大陸の先住民にとって、パイプは単なる喫煙具ではなく、儀式に欠かせない特別な道具でした1。どの部族もたいてい、父祖から伝わる神聖なパイプを保持しており、宗教的儀式の際には、「ピースパイプ」もしくは「メディスンパイプ」と呼ばれる聖なるパイプを用いて喫煙しました。その際、パイプは天上の精霊との通信経路となり、タバコの煙は両者をつなぐ媒体となりました。つまり、パイプとタバコは一種の神器だったわけです。

 左巻によれば、パイプはまたパスポートの役目も持っており、同じパイプを用いてタバコの回し飲みすることは、友好の意を表す儀式でしたようです4。たとえば、北米大陸先住民であるサンディア・プエブロ族とアパッチ族、ナバホ族、コマンチ族が18世紀に結んだ和平の儀式では、同じパイブを使って回し飲みしたタバコが土に埋められています。その儀式以降、彼らのあいだでは一切抗争は行われていません。20世紀におけるスー族のある呪術医(メディスンマン)は、いみじくも次のように語っているそうです。「インディアンにとってのパイプは、白人にとっての聖書と同じだ」4

ヨーロッパ人のタバコ発見

 1492年10月12日、クリストファー・コロンブス一行はサン・サルバドル島に上陸しました。その島が「新世界」における最初の上陸地であり、その地において彼らは、島の住民に与えたガラス玉、鏡などの贈り物の返礼として、新鮮な野菜とともに強い芳香のある葉を受けとりました。この葉こそがタバコでした

 そして16世紀前半、西インド諸島を制圧したスペイン人は、喫煙の習慣を「タバーコtabaco」 というスペイン語とともにヨーロッパにもたらしました。それはスペインからポルトガルへ、そしてフランスとイギリスに広がって人々を魅了しました。かくして喫煙の風習は急速に広まり、またたく間にヨーロッパ中を席捲すると、さらにイスラム圏やアジアへと広がっていったのです。その意味では、タバコ史研究者ジョーダン・グッドマンが指摘する通り、タバコは、長いこと隔絶されていた2つの大陸をつなぎ直す、まさに「橋」の役割をはたしたともいえます2

 ちなみに、新大陸に上陸したスペイン人たちは、早い段階でタバコの向精神作用と依存性に気づいていたと思われます。スペイン人宣教師ラス・カサスは、著書『インディアス史』7のなかで次のように記しています。

 「いくつかの枯れ草を、一枚のやはり枯れた葉っぱでくるんだもので、……その筒の一方に火をつけ、反対側から息と一緒にその煙を吸い込むのである。この煙を吸うと……体の疲れを感じないという。……彼らはタバーコと呼んでいる」

 「タバーコを吸う癖のついたエスパーニャ人たちを見かけた。そのようなことをするのは悪癖であると私がなじると、もはや今ではそれを吸うのをやめることは、自分の手におえないのだ、と彼らは答えた」

タバコへの弾圧と抵抗

 それでは、ユーラシア大陸にわたったタバコには、いかなる運命が待っていたのでしょうか?

タバコのヨーロッパ化

 1559年、ポルトガル駐在のフランス大使ジャン・ニコ(彼の名前こそが「ニコチン」という言葉の由来です)は、フランス王国のフランソワ2世と母后カトリーヌ・ド・メディシスに医薬品としてタバコの乾燥葉を献上しました。カトリーヌ王妃はただちにこれを頭痛薬として愛用するようになり、そのような経緯から、当初、タバコは「王妃の薬草」と呼ばれていました4

 しかし、タバコがヨーロッパ社会で市民権を得るのに大きな役割を果たしたのは、何といってもセビーリャの内科医ニコラス・モナルデスでしょう。彼は、1571年に著わした薬草誌のなかでタバコを「万能薬」として紹介し、タバコを当時の正統な医学体系たるガレノスの体液説(四体液説)のなかに適切に位置づけたのです2

 こうした医学的意味づけは、ヨーロッパへのタバコの文化的取り込みを促進しました8。本来、タバコが持っていた宗教的・呪術的意義を切り捨て、あくまでも「医薬品」に限定して受容した現象を、グッドマンは「タバコのヨーロッパ化」と呼び、それが人々のタバコ受容を容易にしたと指摘しています2

 その後、タバコは世界各国に拡散し、中国や東南アジア、さらにはオセアニア諸島といった世界の隅々へと伝播していきます5。遅くとも1630年までにはタバコは「世界周航」を完了し、茶やコーヒー、砂糖よりも早い段階で「世界商品」として流通するようになりました2

 ここで1つ疑問があります。それは、新大陸におけるもう1つの「依存性」植物コカは、なぜタバコと同じような嗜好品としてヨーロッパ社会に広がらなかったのか、というものです。

 グッドマンによれば、コカもまたタバコと同様に医薬品として用いられていましたが、広く庶民に使われていたというよりも、インカ帝国の神官といった特権階級がその使用を独占していたそうです2。その後、インカ帝国が滅亡すると、庶民もコカを用いるようになりましたが、ヨーロッパからきた宣教師たちは、「インカの記憶を呼び覚ます」という理由から人々のコカの使用を弾圧し、当然ながら、ヨーロッパに導入することもありませんでした。その結果、コカの使用は「アンデス高地民族のローカルな風習」にとどまってしまったようです。

 コカがヨーロッパの医学に導入されるのは、かなり時代が下って19世紀後半、フロイトなどの医学者が局所麻酔薬コカインとして効用を発見するまで待たねばなりませんでした。

タバコに反発した人々

 しかし、タバコを医薬品として受け容れたヨーロッパにおいても、タバコに反発する勢力は存在しました。宗教関係者です。たとえば、ローマ教皇ウルバヌス8世は、1642年に反タバコの大勅書を発行し、聖職者がタバコを使用することを糾弾し、禁じています9

 これに限らず、教皇庁は、聖職者のタバコの使用に関しては何度となく禁令を発しています4。その理由としては、火災の危険、タバコの習慣性、万能薬どころか身体に悪いという主張、さらには、喫煙行為の見栄えの悪さなど、表面上の理由はその時々で様々に変わりましたが、やはり最大にして根本的な理由は、「偶像崇拝をする異教徒の風習だから」でした。このことは、ローマ教皇クレメンス8世からお墨付きをもらうことに成功したコーヒーとの決定的な違いであり、私が思うに、今日、人々のタバコに対する嫌悪感情にも暗い影を落としているのでしょう。

 医学者のなかにも、タバコは万能薬どころか身体に有害であると主張する者がいました。デンマークの宮廷医師ジーモン・パウリです。彼は著書のなかで次のように憤慨しています5

 「なぜヨーロッパ人が下劣でずるがしこいアジア人の猿まねをしなくてはならないのか。ましてや人食いインディアンからはもうすでに梅毒を伝染(うつ)されているというのに、またしてもタバコで同じことを繰り返そうとしている……(中略)……われわれヨーロッパ人がこのように乱暴にも野蛮人の習慣にならって、彼らよりはるかに勝る理性に耳を傾けないとは」。

 いうまでもなく、パウリの主張は医学的見解とはほど遠い、完全に人種差別的な見解でした。

統治者による弾圧と許容

 宗教家からの反発がありつつも、医薬品としてある程度はタバコを受け容れたヨーロッパ諸国とは異なり、非ヨーロッパ社会においては、タバコは統治者によって徹底的に排撃され、その使用は厳罰の対象とされました。

 オスマン帝国の統治者たちは、タバコは兵士の戦闘能力を弱らせると考え、国民がそれを使用することを憂慮してきました9。なかでも皇帝ムラト4世は、1620~1630年代にかけて次々と喫煙者を厳罰に処したことで有名です。すでにムラト4世の父アフメト1世は、公衆の面前で喫煙した者の鼻をパイプ軸で貫いたうえ、見せしめとしてロバに乗せて道を行進させる、という屈辱的な刑罰を実行していました。しかし、その息子ムラト4世は残酷さにおいて父を凌ぎ、戦場で喫煙している兵士を見つけると、ただちに斬首、四つ裂き、あるいは手と足を潰すなどといった厳罰を科したのです。

 不思議なのは、これほど残酷な厳罰を用いても、タバコはオスマン帝国内で容赦なく広がっていった、ということです。それどころか、ムラト4世に処刑されたオスマン帝国の兵士たちのなかには、処刑直前に最後の一服をしようと考えて、袖の下にパイプをしのばせる者もいたといわれているほどです8

 また、ロシアでは、パイプ愛好家は唇を切り取られ、また、嗅ぎタバコ愛好家は鼻を削がれて、恥辱的な姿で国を追放されました5。タバコ販売者に至っては、死ぬまで鞭打ったり、去勢したり、といった厳しすぎるほどの刑が科せられたといいます。

 中国には、16世紀末の明代にタバコが伝来し、清代には男女問わず喫煙習慣が広まりました。清代初期においては、タバコを嗜まない者は「明代の人」という言葉で、その流行遅れぶりが揶揄の対象となったほどです。

 しかし、こうした中国におけるタバコ人気は、本来、麦や米を作る田畑をタバコ栽培に転用する農民を続出させ、結果的に食料生産を減少させてしまいました1。このため、康熙帝や雍正帝はタバコ喫煙を厳しく禁止し、販売者は処刑のうえ晒し首としました5。ただし、両帝ともに鼻烟(嗅ぎタバコ)を好んで、芸術的な鼻烟壺の収集・製造に執着しているなど、その対策の理念には一貫性を欠く面がありました1

 なお、清朝政府の禁煙政策は皮肉にも、タバコの代替物としてアヘン吸引を人々のあいだに広める遠因となり、さらにその後、本格的にアヘン問題が国内に蔓延する事態に直面すると、禁煙令は形骸化し、やがて消え去りました1

大英帝国のタバコ政策

 実は、医薬品として受け容れられたヨーロッパにおいても、タバコを嫌悪する統治者がいました。英国王ジェームズ1世です。彼は王権神授説を振りかざして議会と対立し、次代の治世における清教徒革命の火種を作った人物ですが、タバコ嫌いの王としても有名です。

 彼は、1604年に『タバコ排撃論』なる著書を出版しています8。そのなかで、医薬品としてのタバコの効能に疑問を抱くとともに、「罪深く野蛮な原住民のけがらわしい行為、とりわけ、悪臭を放つ悪しき風習」8としてタバコを糾弾し、野蛮人の風習を真似る臣下を厳しく非難しました。といっても、彼のタバコ非難には何らの医学的根拠もなく、個人的感情に端を発するものでした。

 そんなジェームズ1世も、さすがに禁煙令は出しませんでした。というのも、すでにタバコはあまりにも人々に広まっていて、禁煙令を出せば民衆の反発を招く危険があったからです。それならば、タバコに重い関税をかけ、王室の財源とした方がはるかに賢明です。

 そこで17世紀の初頭、彼はタバコ税をなんと40倍にまで引き上げるという決断をしたのです。当然ながら、この政策は失敗しました。結果的にタバコの密輸入と密売が横行し、皮肉にも英国内における喫煙人口がさらに増加してしまったからです1。しかも、当時、タバコは貿易上のライバルであるスペインが持つ南米植民地からの輸入品でした。したがって、英国民がそれを多く購入することは、スペインを富ませ、逆に英国にとっては国富の減少につながりかねません。

 そこで英国政府は方針を転換します。タバコの輸入元をヴァージニアなどの英領植民地に限定するとともに、法外なタバコ税を廃止し、むしろ取引を推進したのです。その結果、効率的な関税徴収に成功し、英国は植民地から大きな収益を得るようになりました8

 これらの施策が追い風となり、タバコは野蛮人の風習から、紳士の嗜みとして英国文化の一部として定着していきました。また、英国領植民地からの安定的な供給によって、タバコの価格が急激に低下したことも、タバコの大衆化に貢献したといえるでしょう。

 ついでにいえば、17~18世紀の英国で流行したコーヒーもまたタバコの定着に一役買っていました。当時、ロンドン市内にはたくさんのコーヒーハウスが作られましたが、そこではコーヒーとともにタバコを楽しむのが習わしとなっていました。ニコチンはカフェインの代謝を促進して血中濃度を下げるので、客のコーヒー消費量を増大させます。まさに「win-win」の関係でした。

 奇妙な話ですが、17世紀後半にロンドンを襲ったペスト禍もタバコの普及を促しました。1665年のペスト流行によって当時のロンドン市人口の4分の1が死亡したといわれていますが10、この頃、タバコにはペスト菌に対する感染予防効果がある、という迷信が流布しました(確かにタバコにはマラリア感染予防効果はありますが、ペストに関してはそのような効果はありません)。その結果、喫煙習慣のない人まで無理をしてタバコを吸い始める、といった馬鹿げた状況をあちこちで見られるようになったのです。たとえば、英国屈指の名門パブリックスクール、イートン校では、1665年、なんと全校生徒に喫煙を義務づけました。これに従わない生徒に対しては、罰として鞭打ちが実施されたそうです9

 なお、翌年の1666年、タバコの火の不始末が原因で、ロンドンに大火が起こりました。それ以来、人々は火を使うパイプタバコをやめ、タバコの葉を細かく粉状に刻んだものを鼻粘膜に押しつける、という嗅ぎタバコへと使用法を変更し、今度はこちらが流行するようになりました4

タバコ規制と革命

 英国において見られた、「タバコ規制のために始めた課税が、やがて重要な国家財源となり、むしろ政府が積極的に人々にタバコ消費を促す政策へと転換する」8というパターンは、その後、多くの国でくりかえされることとなります。

 たとえばロシアがそうです。17世紀末、ロシアのピョートル大帝は、タバコの密売がいたるところで横行している現実をようやく直視し、これまで科していた厳罰を廃して、課税したうえでタバコの販売と使用を許可しました。要は、政府がタバコを防げないなら、それで金を稼ぐ方がまし、ということです。また、フランスの宰相リシュリュー枢機卿、オランダ、ドイツ、オーストリアのハプスブルク家といった、ヨーロッパ諸国の指導者たちもこれに倣い、この新しい作物から税収や独占などによる利益を得ようと、相次いでタバコの禁止政策を放棄するようになりました11

 すると今度は、高いタバコ税が人々の不満の種となりました。その最大の例が1789年のフランス革命です。パリのバスティーユ牢獄襲撃に端を発するこの革命が、実はタバコ税に関する民衆の不満を遠因としていることは意外に知られていません12

 当時、フランスは七年戦争(1756~1763年)やアメリカ独立戦争(1775~1783年)などの紛争に巻き込まれ、深刻な財政危機に陥っていました。この危機打開策として、ルイ16世はタバコを国家の専売商品とし、各地に国営小売店を設置して、国民にタバコの消費を奨励しました。この政策は功を奏し、一時、タバコ税はフランス政府全歳入の7%以上を占めるに至ったのです。

 しかし、国家独占販売によってタバコ価格は高騰し、加えて、タバコの密輸や国内における違法栽培に対する政府の強権的な取り締まりは、市民の政府に対する反感を募らせる事態を招きました。というのも、当時すでにフランス人の多くはタバコを生活必需品と考えており、とりわけ貧しい生活を強いられていた農民は、空腹感を紛らわせるためにタバコを常用していたからです。

 そして、ついに1789年7月、フランス革命が勃発します。バスティーユ牢獄襲撃の2日前にあたる7月12日、パレ・ロワイヤルで「武器を取れ、市民よ」という演説に鼓舞された6000人の群衆が軍隊と衝突しましたが、同日、別の怒れる群衆は税関を襲撃し、税務署員を追い出すとともに、刑務所を襲撃して、拘留されていたタバコ密輸業者を解放したのです。

 その結果、1791年5月1日に、タバコとその他多くの消費財への間接税が廃止されるに至りました。ここにフランス政府によるタバコ販売の独占は終焉し、タバコの葉の生産と販売は完全に自由化されたのです。園田によれば、当時、ヨーロッパでタバコを無税で楽しむことができたのは、フランス人だけだったそうです12

日本へのタバコ伝来ーー規制と受容

 このあたりで、わが国のタバコ伝来と受容の歴史にも触れておきましょう。

 日本へのタバコ伝来はポルトガル人宣教師によるものだと考えられています。1543年、種子島に漂着したポルトガル船が鉄砲と一緒に伝えた、という説があります。それから70年あまり後、平戸のイギリス商館長コックスは、1615年8月7日の日記に次のように記しています1

 「これら日本人が男女児童を問わず喫煙に熱中するのをみると、不思議の感にたえない。しかも、タバコがはじめて用いられてから、まだ10年にもならないのである」

 他国と同様、わが国においても、タバコ伝来から禁令発布までさほどの時間を要しませんでした。1609年、江戸幕府は早くも最初のタバコ禁止令を出しており、以後、1623年までのあいだに何度も禁煙令を出しています11。かくもくりかえし禁令を出したのは、やはり農政上の理由からでした。農民がタバコを栽培することで米の生産が阻害される――これは、幕府による統治制度の根幹を揺るがしかねない事態です。しかし、幕府の禁令にもかかわらず、タバコの密栽培が絶えなかったのは、タバコ栽培こそが農民が現金収入を得る数少ない手段だったからです。

 最終的に幕府はタバコの禁止を断念します。1623年に最後の禁令が出された翌年、幕府は前言を撤回し、タバコの栽培と使用を許すという決断をしました。その後も飢饉や、タバコの火の不始末に起因する大火などのたびに、一時的にタバコに対する締めつけが強化されることはあったものの、基本的には庶民の生活に根を下ろしていきます。そして、日本では、タバコの葉を0.1mm程度まで細く刻み、先端に小さな火皿がついた煙管で喫煙する、という独自のキセル文化が発展していきました1

おわりに

 今回、駆け足でタバコの起源と伝播の歴史を振り返ってみましたが、私はこの作業を通じて、次の2つのことが明らかになったと感じています。

 1つは、タバコが持つ強力な依存性です。アメリカ大陸からヨーロッパに持ち込まれたタバコは、様々な国で厳しい禁令や、無慈悲かつ残酷な弾圧に遭いながらも、コロンブスの新大陸発見からほんの100年あまりで広大なユーラシア大陸の隅々、さらには極東の島国である日本にまで到達し、人々の生活に深く浸透しました。それに加えて、統治者が法外な課税をすれば、密輸入や密売が横行したり、民衆が蜂起して革命が起こったりしたのです。覚醒剤やヘロイン、コカインの場合には、こうした現象が発生したことはありません。これはどう考えても、ニコチンの依存性がとてつもなく強力であることを意味しないでしょうか? 

 それからもう1つは、タバコに対する憎悪や非難は、その有害性が明らかになる以前から存在した、ということです。そして、そうした嫌悪感は、煙たいとか臭いとかいった表面上の不快さ以上に、「偶像崇拝する異教徒」「野蛮人の風習」に対する差別意識や侮蔑感情から発していました。

 ヨーロッパの人々のこうした偏見が、先住民の文化・信仰を否定し、搾取や奴隷化に疑問を抱かない態度を醸成して、ひいては、植民地政策と帝国主義を準備したとはいえないでしょうか?

 念のためここで、新大陸の侵略にあたって、ヨーロッパ人がどれだけ残虐非道な方法を用いたのかは思い出しておくべきでしょう。ラス・カサスは、著書『インディアスの破壊についての簡潔な報告』のなかでこう記しています13

 「キリスト教徒は強奪したり、殺害したり、生きながらえた者たちをことごとく捕え、死ぬまで奴隷にして虐待したりしたが、その原因や罪はインディオ側にはまったくなかった……」

 中立的に歴史を俯瞰すれば、本来こう考えるべきです。肥沃なユーラシア大陸における人類の友がアルコールであったのに対し、ユーラシア大陸から切り離されたアメリカ大陸におけるそれがタバコであった、と。あるいは、ワインがキリストの血であるように、紫煙こそが新大陸先住民の人々が信じる神の息吹なのだ、と。したがって、両者のあいだには、善悪の違いもなければ優劣の差もないはずです。

 こうしたフラットな見方でもって、異なる神を信じる人々とその文化に一定のリスペクトを持つこと――それがグローバル・コミュニケーションの最初の一歩ではないでしょうか?

 ともあれ、一部からは異教徒の風習として蔑まれ、統治者から弾圧されながらも、最終的にはタバコはヨーロッパ社会に受容されました。ところが、その後、なぜ社会の敵へと変化してしまったのでしょうか?――次回はその過程と結果について考えてみましょう。

  

文献

1. 和田光弘:タバコが語る世界史. 山川出版社, 2004.

2. ジョーダン・グッドマン著、和田光弘・森脇由美子・久田由佳子訳:タバコの世界史. 平凡社, 1996.

3. 野田哲朗:精神疾患と喫煙・禁煙の影響. 健康心理学研究. 28 巻 Special issue 号: 129-134, 2016.

4. 左巻健男:絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている. ダイヤモンド社, 2021.

5. デイヴィッド・T・コートライト著・小川昭子訳:ドラッグは世界をいかに変えたか――依存性物質の社会史. 春秋社, 2003.

6. Anthony, J.C., Warner, L.A., Kessler, R.C.: Comparative epidemiology of dependence on tobacco, alcohol, controlled substances, and inhalants: Basic findings from the National Comorbidity Survey. Experimental and Clinical Psychopharmacology 2:244–268, 1994.

7. ラス カサス著、長南実訳・石原保徳編:インディアス史 1. 岩波文庫, 2009.

8. カール・エリック・フィッシャー著・松本俊彦監訳・小田嶋由美子訳:依存症と人類ーーわれわれはアルコール・薬物と共存できるのか. みすず書房, 2023.

9. ペトル・シュクラバーネク著、大脇幸志郎訳:健康禍ーー人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭. 生活の医療, 2020.

10. CNN:17世紀の英ペスト大流行、DNA鑑定で初めて原因を特定

11. 上野堅實:タバコの歴史. 大修館書店, 1998.

12. 園田寿: タバコを吸ってバスティーユへ

13. ラス・カサス著、染田秀藤訳:インディアスの破壊についての簡潔な報告. 岩波文庫, 2013.

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著者略歴

  1. 松本 俊彦

    精神科医。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長/同センター病院 薬物依存症センター センター長。1993年佐賀医科大学卒。横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より現職。第7回 日本アルコール・アディクション医学会柳田知司賞、日本アルコール・アディクション医学会理事。著書に『自傷行為の理解と援助』(日本評論社 2009)、『もしも「死にたい」と言われたら』(中外医学社 2015)、『薬物依存症』(ちくま新書 2018)、『誰がために医師はいる』(第70回日本エッセイスト・クラブ賞、みすず書房 2021)他多数。訳書にターナー『自傷からの回復』(監修、みすず書房 2009)、カンツィアン他『人はなぜ依存症になるのか』(星和書店 2013)、フィッシャー『依存症と人類』(監訳、みすず書房 2023)他多数。

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