【座談会】〈歴史の面白さ〉を伝える──歴史小説家と歴史研究者の対話[『図書』2025年1月号より]
〈古代史をひらく〉を振り返って
吉村 今日は直木賞作家の澤田瞳子さんをお迎えして、このたび完結した「シリーズ 古代史をひらく」の編者である吉川さん・川尻さん・そして吉村の三人と共にお話ししていきたいと思います。澤田さんは修士号を持っておられる古代史研究者でもあり、それは歴史小説を書かれる上で大きな意味のあることだと思いますし、歴史における人間の〈真実〉とは何なのかということを、小説を通じて探求されているように思います。
〈歴史の面白さ〉を伝えたい、という思いを核に構想した私たちの「シリーズ 古代史をひらく」では、Ⅰ期『前方後円墳』『古代の都』『古代寺院』『渡来系移住民』『文字とことば』『国風文化』、Ⅱ期『古代人の一生』『天変地異と病』『古代荘園』『古代王権』『列島の東西・南北』『摂関政治』のあわせて十二冊を刊行し、幸いにして好評を得ています。澤田さんは全冊に目を通してくださっているとのことで、ぜひご感想をうかがいたいのですが、まずは我々編集委員から各々印象に残っている巻を挙げて、編集時に意図したところなどをお話ししましょうか。
>>シリーズ「古代史をひらく」について
>>シリーズ「古代史をひらくⅡ」について
隗より始めよ、ということで私から申し上げますと、一冊を挙げるとすれば『渡来系移住民』かと思います。朝鮮半島や大陸から日本列島にやって来た人びとは、歴史学では従来「帰化人」「渡来人」と呼ばれてきましたが、この呼称は出自に焦点をあてたもののように思われ、むしろ彼ら・彼女らが日本列島に〈移住〉してきたことに意味があるのではないかと、「渡来系移住民」という呼称を打ち出しました。彼らは日本の文明化に重要な役割を果たし、都の周辺だけではなく全国各地で様々な影響を及ぼしました。本巻では古代史学と考古学の研究者が一緒になって、そのことをしっかり説明していただけたと思います。本巻は思いもよらないことに、埼玉県日高市の高麗(こま)神社を中心に活動されている日本高麗浪漫学会から「渡来文化大賞」をいただきまして、賞金の中から日高市の図書館や大学・高校などに本シリーズを寄贈しました。そんなことからも、少しは歴史研究者ではない一般の方にも、渡来系移住民の姿を示すことができたかと思っています。
吉川 私が担当した中で印象深かったのは、Ⅰ期の『国風文化』です。本シリーズでは各巻、冒頭に担当編集委員が序論を書き、そのあとに各執筆者の本論、そして最後に座談会が来る形を取っているのですが、この巻では序論だけ書けばよかったので、たいへん気が楽だったというのが理由の一つです(笑)。そして何より「国風文化」というのが、ちょうど学界でホットなテーマだったということがあります。平安時代の国風文化には、中国文化と日本文化の両方の要素が入っているんですが、どちらを重くみるかというところで議論がわかれています。近年は、海外から入ってくる文化を重視する立場が有力でした。でも本当にそうだろうかと、日本史研究者だけでなく、東アジア史・美術史・日本文学・漢文学といろいろな分野の人に集まってもらい、改めて考えてみようと企画しました。すでに出来上がった歴史像を知ることももちろん面白いんですが、読者の方々に、今こういうことが研究者の世界で問題になっていて、わいわい議論しているという現場を見てもらうことができたかと思います。
序論ではできるだけ丁寧に研究史をたどろうと考えました。戦前からずうっと見てみようと思って、明治の初めごろから「国風文化」の研究史をトレースしています。すると、今自分たちが言っていることは実はずいぶん前から言われていたとか、戦後になって論調がガラッと変わったようなイメージがあったけれど、必ずしもそうとは限らないとか、いろいろわかってきました。研究の流れは思わぬところでつながっているんだな、と気付かされた思いです。
川尻 私はⅡ期から挙げますと、『天変地異と病』が一番印象に残った巻でした。編集の方針としてはなるべく列島の北から南までを視野に入れ、地震や火山噴火、疫病など、具体的な事例や最新の学説のまとめを各執筆者にお願いしています。特に古気候学の中塚武さんにご参加いただいて、人文学と自然科学の融合に取り組むことが出来たのは、この巻の特色ですね。
三・一一以降、日本列島の災害が取り上げられる機会は増えたのですが、個別の研究はあっても「古代の災害」ということで一冊にまとまったものは無かったように思います。その中で本書は、現代的な問題関心にこたえるものに出来たかと思っています。
地方の歴史に注目
吉村 澤田さんは、このシリーズにどのような印象を持たれましたか。
澤田 テーマ別の編集ですので、各巻の切り口がはっきりして、改めて古代史には様々なトピックがあることがよく分かります。それぞれの巻のどこから読んでもいいし、全巻を読まなくてもいい、自分の興味のあるトピックから読んでいって時間をおいてまた読み返してもいいので、そこは大変とっつきやすいなと思いました。古代史の通史、時代順に一巻から六巻……というような構成ですと、どこから読んだらいいか迷うところもありますから。先ほど吉川さんが、序論で史学史的な視点を入れたと仰いましたが、それもとてもありがたいことでした。私は一九九六年に大学に入り二〇〇三年に大学院を出たのですが、自分の歴史観がそのあたりで止まっているところがあって、そこから再始動できたと感じます。以前の歴史観から変化して、今はこうなっているというのを提示していただけたのは、本当に勉強になりました。歴史好きであっても、知識を新たにする機会はなかなかないんですよね。
拝読していて一番面白かったのは、私自身が今、中央ではなく地方の歴史に関心を抱いているので、『列島の東西・南北』です。歴史小説の分野全体でも、かつては「家康がどうした」「後水尾天皇がどうした」といった中央からみた歴史を描くものが多かったのですが、近年は例えば「中世のアイヌと和人の関わり」とか「第二次世界大戦中の厦門(アモイ)」といった、かつてはあまり触れられなかった物語を描く傾向にあるんです。私もいろいろな地域を書きたいなと思っていて、それでこの巻は大変勉強させていただきました。
吉村 通史的なシリーズとは異なるものを、というのは目指したところでした。とくに天変地異とか古代の北海道・南島の状況のようなテーマは、教科書にもほとんど出てこないし、今まであまり例のなかったものかもしれません。
川尻 褒めていただいて恐縮です。従来、北や南の地域は辺境として、あるいはヤマト王権に征服された対象としてのみ論じられがちだったように感じていました。そこで、これらの地域も近畿などと同等に扱い、各地域の独自性をしっかり追究できればと考えたわけです。さらに中世史の網野善彦流の「東と西」の問題意識の継承もちょっと意識しつつ、南北方向だけでなく、実は東西方向にも幅広く展開している日本列島の古代史像を、地域間のつながり、さらには相互作用に留意しながら新たに描いてみたつもりです。今回、北は蓑島栄紀さん、南は柴田博子さんが頑張ってくれました。
吉村 とくにⅠ期で、外国の研究者に多数参加してもらえたのもよかったと思います。考古学では中国・韓国の研究者が日本のことに関心を持っているようで、いっぽうでアメリカの研究者には寺院史や漢文学・王朝文学について書いてもらって、水準が高いなと思いました。
吉川 ほんとうにそうですね。ただアメリカの日本研究者には、古代・中世を通して、歴史学が専門という人はあまりいないんです。このシリーズで書いて下さった人も日本文学・宗教学・美術史などが専門でした。また、中国などから日本に留学生がたくさん来ていますが、研究テーマは交流史や比較史に片寄っているように思うんですよね。日本史そのものに、がっしり取り組もうとする人はあまり多くない気がします。英語でも中国語でも、このシリーズを全部翻訳してもらえたらいいんですけどね(笑)。
歴史観を伝える〈歴史叙述〉
吉村 シリーズ最終回の『摂関政治』では、『源氏物語』研究の山本淳子さんの章が面白かったですね。二〇二四年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主役でもあった藤原道長が詠んだ、「我が世をば……」といういわゆる「望月の歌」について、これは満月の夜、すなわち一五日に詠んだのではなく、次の一六日に詠んだ歌であるというところから、新解釈を出しておられます。これは文学がご専門の立場からの「歴史叙述」だと思いました。
吉川 そのとおりですね。
吉村 歴史研究者も、歴史叙述の方法、つまり「どう書くか」を意識していく必要があると思います。少なくとも私の世代は、たとえば一般読者向けの新書のような媒体で「どう書くか」、ということを教わる機会はまったくありませんでした。それを言えば論文の書き方だって、「偉い先生の論文を読んで書き方を学べ」というだけでしたけれどね(笑)。歴史叙述のあり方というのは、やはり歴史観を伝えるものだと思うんです。
吉川 大学の講義にたとえてみたら良いかもしれませんね。講義はふつう二種類あって、「一般講義」と言われる大人数相手の概説などは、歴史叙述に近いように思います。いっぽう「特殊講義」と言われる少人数のテーマ講義は論文に近いということになるでしょうか。どちらが好きかは教員によって違うと思いますが、私は一般講義の概説のほうが、この時代はこんな様相だったとか、ここで時代ががらっと変わるとか、大局的な話ができるので好みです。
川尻 私も概説の方が面白いですね。大学で所属しているコースが歴史専門の学生ばかりではないところなので、一般的な日本史概論に加えて、民俗学や文化人類学の要素も少し取り入れて話しています。
吉村 澤田さんは学生時代に、「一般講義」と「特殊講義」のどちらかに、より影響を受けたということはありますか。
澤田 どちらからも影響を受けましたが、その方向性が異なるように思います。特殊講義では、その先生の論理的思考や、ここからこう組み立てて論が立つんだということを学びましたし、概説では歴史の幅広い見方、この角度から見ると全体がこう通って見えるんだということを教わりましたので、全然違いますがどちらも面白かったですね。
たぶん、高校までの日本史の授業を受けてきて、大学に入って日本史の講義を取ると、まずその概説的なものの見方にびっくりすると思うんです。歴史というのは一つ一つの出来事の暗記ではなくて通史なんだ、流れで見るものなんだということにまず驚きますし、「論」というものが存在して、一つのものをこういう切り口で見るとこういう結論を見いだせる、それが歴史学であるということにも驚くと思うんですよね。「生徒」であった頃に学んだ歴史とはまったく異なるものなので、コペルニクス的転回だと思います。逆にそこを通らずに大学を卒業してしまうと、その後もずっと分からないままかもしれません。
吉村 確かにそのとおりで、そこで大きな転換があるんですよね。今まで学んできた「歴史」は何だったのか、と疑問に思う人も多いらしい。
川尻 日本史と世界史に分けて、それぞれで用語や年号を暗記して……というのが歴史だと思っていたのが、実は歴史というのは「考えること」だというね。
吉川 まあそれでも、たくさん覚えておくことがベースになるんですけどね。
吉村 澤田さんは、年代を覚えるのはあまり得意じゃないと、どこかで書いておられたけれど(笑)。
澤田 全然ダメです(笑)。
吉川 私たちも細かい年号までは覚えていませんよ(笑)。さっき澤田さんが歴史観のことを言われましたけど、研究者でない方々だと、高校までで歴史観の更新がストップすることもあるかと思います。それを新しくしてもらうのはとても重要なことなので、このシリーズでも、高校教科書との違いをはっきり伝えられるよう、さらに配慮が必要だったかもしれません。
「やさしく」書く難しさ
澤田 巻ごとのテーマということで言うと、自分の興味の強いテーマと弱いテーマの差がこれほどくっきり出るとは思いませんでした。例えば『古代荘園』の巻は本当に難しくて(笑)。大学院生の頃から荘園の問題が苦手だったんですけれど、改めて読んで、私はなぜ荘園がだめなんだろう、数字が出てくるのがだめなのかしらと。もう一回ちゃんと勉強しなければと思いました。
吉川 すみません、私の担当巻でした(笑)。
澤田 いえ、こちらこそ申し訳ありません。でも、古代に興味はあっても、これまで限られたテーマのみに関心を向けてきた読者にとっては、自分の知らないテーマについて最初に手に取れる入門書になっていて、さらに横へと興味を広げていける造りだと思います。
吉川 このシリーズのポリシーとして、井上ひさしさんの言葉を参考にして吉村さんが掲げられた「やさしく、深く、面白く」、とくに「やさしく」を大切にしようとしたんですけど、そうは意識しながらも、ちょっと難しすぎるところもあったみたいです。難しいものをどう「やさしく」伝えるか、大事なのはそのやり方ですね。
吉村 小説も同じかもしれませんが、「やさしく書く」というのは難しいですよね。
澤田 私の小説も一般的には「難しい」と言われているらしいです。でもかつての、たとえば杉本苑子さん、永井路子さん、吉村昭さんなどの小説はもっと難しかったので、今一般の読者さんたちが求める「やさしさ」について、発信側と受け取り手の間で少し乖離があるような気がします。ひょっとしたら研究書や概説書もそうなのかもしれませんね。
吉村 読みやすさは大事で、特に歴史の専門家は、学術用語とか、当時の歴史用語をそのまま出しちゃうところがありますから。
吉川 それで今回のシリーズでは脚注を付けたんですよね。
澤田 脚注はありがたいですね。読みやすかった。シリーズ全体として、ここを入口として専門論文の方に進めるようにしてあって、知りたいことをどんどん知っていける、良い手引きだと思いました。
川尻 澤田さんの小説にも歴史用語がたくさん出てきますから、苦労されるんじゃないですか。
澤田 歴史用語をやさしくひらくのは難しいですね。「荘園」をどう言い替えるかとなると、それだけで一冊書けちゃう(笑)。歴史小説家の場合も、かつては用語をそのまま使われる方が多かったのですが、今はできるだけひらいてほしいと言われますし。
川尻 澤田さんは作中で歴史用語を使われた場合、直後に説明を入れたりしてフォローされていますよね。
他分野との協働
川尻 歴史研究においては、吉村さんを中心に、文献史学、考古学、文学が一緒になった「古代学」を目指す流れがあって、今回のシリーズもそれを意識したところがあります。
吉村 先ほど山本淳子さんの例をあげましたが、文学との協働はもっとやるべきだと思いますね。
吉川 座談会で山本さんがおっしゃったんですけど、文学研究者の方々は、たとえば『御堂関白記』に歴史研究者が付けている注釈を参考にされているそうです。私は歴史学のほうが一方的に文学の注釈を参考にさせてもらってきたと思っていたので、逆方向もあるというのがちょっと新鮮で、うれしいこともでもありました。
吉村 『万葉集』研究などもそうじゃないですか。『古代人の一生』の執筆者である鉄野昌弘さんは、そのあたりを意識して書かれたと思います。あとは古い時代で言えば、考古学とは組みやすい。都城に限らず地方官衙についても発掘調査が進んできていますから。
吉川 岡山理科大学の亀田修一さんが『渡来系移住民』で紹介された事例などは、とりわけ面白かったですね。亀田さんは、発掘調査でわかってきたことが、思いのほか『日本書紀』の記述と合ってくるとも話しておられました。律令体制以前の時期について、考古学による研究はたいへん盛んなのですが、文献史学では取り組む人が少なくなってきました。さまざまな史・資料を使って歴史を組み立てていくためには協業が不可欠ですから、文献史学はもっと頑張らなければなりません。
〈歴史的真実〉と〈歴史的事実〉
吉村 澤田さんが書かれた「歴史研究と歴史小説」(『東アジアと日本』角川選書)というエッセイがあるのですが、その中で、「私は常々、歴史フィクションと歴史学は「歴史」を世に知らしめる双輪ではないかと考えている。フィクションで歴史に関心を持った読者がそれを機に学術的な歴史へと歩み出し、歴史学の発展によって小説家は更なる歴史小説を紡ぐことが叶えば、我々は広く歴史という「知」を共有できると夢見るからだ」と言っておられます。また石母田正の言葉を少し借りて言うと、歴史研究者が求めるのは「歴史的事実」であって、歴史小説家が求めるのは「歴史的真実」と言えるかと思いますが、歴史に取り組む姿勢は両者共通しているところがあるように思いますし、澤田さんが言われるように、歴史小説から入って歴史研究に関心を持たれる方も多いことでしょう。
ただ大きく違うのは、言うまでもなく、「フィクションかどうか」というところですね。我々歴史研究者は基本的に、史料があるところしか書けませんが、小説家は史料がないことでも書けるし、作中人物を創作することもできる。事実ではないからだめだということではなくて、フィクションを通じて「歴史的真実」を明らかにするということだと思うんですけどね。
歴史小説もたくさん書いている小説家の辻原登さん、彼は私の高校時代の同級生なのですが、最近『陥穽』という小説を出しました。日経新聞で連載されたものですね。これは幕末の政治家陸奥宗光が主人公なのですが、面白いのは、宗光の後半生は史料もたくさんあるし皆が知っている、でも前半生は誰も知らない、だから前半生を書く、というんですね。誰も知らないことを書くのが小説の面白さじゃないか、という。確かにそうかなと思いましたね。彼の持論は、そもそも近代のノベル=小説は新聞小説から始まったから、新聞連載が小説の原点だということで、『陥穽』が六作目の新聞連載なんです。我々研究者には一年間毎日連載なんていうのはないですからね。小説家の構想力というのはどうなっているのかと。
澤田 新聞小説は毎日締め切りがあって、毎日手元の原稿が減っていきますからね。数ある連載の中でも、大変、気を遣う仕事です。でも私たちは、噓をついてもいいですから。研究者の方々は、全て事実を扱われます。小説家は事実も書きますが、周囲を噓で塗ってもいいため、書き続けられるのだと思います。
吉村 ただ、フィクションだと思って読んでいても、あまりに史実と違うときは気になりますね。もちろん、残された史料だけで歴史的事実がつねに明らかになるわけではないんですけどね。
澤田 事実が明らかになっても、歴史学の扱うジャンルじゃない事実というのもありますよね。私がよく話題にするのは、一条天皇のキサキ藤原定子が亡くなる直前に産んだ媄子(びし)内親王の話なんですけれど、『百練抄』に、彼女が五歳のときに鼻の穴にサイコロを詰めた話が出てくるんですよ。それを慶円というお坊さんが祈禱してこれを取り出したという史料なんです。これ「祈禱して」っていうけれど、一体どうやって取り出したんだろうなって(笑)。周りから見えないように、こっそり指か何かで取り出しただけなんじゃないかなと。こういう話は面白いなあと思うのですが、歴史学としては取り沙汰してもあまり意味のないことですよね。
吉川 いやいや、意味はありますよ。サイコロの大きさを考証するとか(笑)。
澤田 なるほど、その視点はなかったです(笑)。ともあれ、歴史学の人はそんなに使わない史料だろうけれど、私からすると、当時の子供も今と同じですぐ何か鼻の穴に詰めちゃうんだな、などということを知るのが楽しいんです。でも歴史学で必要な史料とそうじゃない史料ははっきり違いますよね。
吉村 そういうエピソードの捉え方はやっぱり違う気はしますね。
吉川 とは言え、面白いと思う史料はそんなに違わないんじゃないですか。
澤田 媄子内親王はその後すぐ亡くなってしまいますし、相続の話とか家産の話がここに繋がるわけでもない。ただ鼻の穴に詰めたというだけで(笑)、これって学術的に面白くなりますかね。
吉川 私なんかは、そういう誰も知らなかったことを知るのが楽しいですね。
川尻 文章にするかどうかという違いかもしれない。
吉川 書かないけど面白いネタっていうのは、みんな持っていると思いますよ。それが何かのテーマとうまく結びついたら、急に視界が開けたりするわけで。やっぱり、新しい事実とか、新しいものの見方を発見するのが一番面白いじゃないですか。今のお話だと、「こんなの見つけた」という喜びは澤田さんも一緒ですよね。それをどう膨らませるかの違いがあるだけでしょう。
澤田 私はそこからフィクションで、たとえば、そんなことがあったら女房たちは大変だったよねとか、あたふたしただろうなとか、そういうことを考えます。
川尻 それはネタとして温めますよね。
吉川 そうそう。かわいいネタは、頭の中にずっと寝かせている感じです。
古代との接点
吉村 ただ残念ながら、古代史の研究者が今は全体的に少なくなっている。小説でも、古代をテーマに書く方は少ないですね。
澤田 少ないですね。永井路子さんや杉本苑子さんがほぼ引退なさった頃に出てきたのが私ですが、その後もなかなか継続して古代を描く書き手は続いてくださいません。一方で戦国時代の歴史小説は多いし、よく売れるんですよ。なぜかというと、全国どの地域の方にも身近な歴史があるからなんです。私は京都で生まれ育ったから気づいていなかったのですが、地方に行きますと、地方では古代・中世に身近に感じられる歴史がほぼないんですね。その地方の「偉人」が出てくるのはたいてい戦国時代以降なんです。すると古代史というのは、時代としても場所としてもあまりに遠い、と思われるようなんですね。
吉村 国分寺と国府だけはどこにでもあるのですが。
吉川 全国、津々浦々にあるのは、城跡と古墳でしょうか。でも古墳で小説を書くのは難しいですね(笑)。
澤田 そうなんです。それが「城跡」「戦国」となると、みんなが身近な話題だと思って手に取ってくれるから、本が売れる、すると作家が増えるという。中世の小説も、古代より少ないかもしれません。
川尻 でも澤田さんは古代だけを書かれているわけではなくて、引き出しがたくさんある。江戸時代の絵師伊藤若冲を書かれたりね。どういうふうにヒントを集めておられるんですか。
澤田 やはり知らないことを知りたいんです。例えば最近『赫夜(かぐよ)』で書いた富士山の噴火も、延暦の噴火(八〇〇年)では足柄山が埋まっちゃったっていうけれど、当時の人はその時どうしたんだろう、と。まず自分が知りたいんですね。古代史って、何か事件があっても、たいていの場合、史料には数行しか書かれていないのですが、そこには必ず人がいたはずで、その人たちが何をやっていたのかが知りたくて、調べていきます。
吉村 そこは我々も変わらないですね。
歴史に興味を持つきっかけとしては、古代史で言えば、奈良の飛鳥で一九七二年に高松塚古墳の壁画が発掘されて、古代史を専攻する人が増えたなんていうこともありました。
吉川 確かに私も当時、新聞記事を切り抜いて持ってました(笑)。
吉村 戦国時代なら、城と刀もファンが多いでしょう。
川尻 〈戦い〉に関連するものにはファンが多いんですよ。
澤田 ゲームの影響もあるでしょう、『信長の野望』とか。戦国時代は定期的にそういうものが供給されていますよね、ゲーム、小説、映画など。
川尻 びっくりしたのは、台湾からの留学生を面接していた時に、日本の歴史上の人物で誰が好きですかと聞いたら、「山中鹿之助」って言うんです(笑)。もちろん有名ではあるけれど、そこまでメジャーな人物でもないのに、なぜ知ってるのと聞いたら、『信長の野望』で知ったと言っていましたね。
澤田 戦国時代以降の歴史は、エンタテインメントの材料として大いに活用されていますから、「信長」と言ったときに、皆がすでに共通認識として、史実ではない信長像を持っていますね。でも古代はそうではないじゃないですか。
吉川 やっぱりゲームを作らなきゃ駄目かな(笑)。
川尻 壬申の乱をゲームに(笑)。
吉川 井上靖さんの『額田女王』を原作にしたら面白いかもしれませんね。里中満智子さんの『天上の虹』もよさそうです。ゲームにも歴史ドラマにも。
吉村 歴史書にもエンタテインメント性が必要かもしれませんね。ちなみに「時代小説」と「歴史小説」の違いというのは、どう意識されてるんですか。
澤田 ごっちゃにして使う方もいらっしゃいますし、人によって定義はバラバラなのですが、私は歴史小説は、言うなれば大河ドラマみたいなもので、史実がベースにあって、歴史上の登場人物や史実に沿った出来事を描くものだと考えています。一方時代小説は、『水戸黄門』とか『銭形平次』みたいなものですね。
吉村 それはわかりやすい。
「人間」が面白い
川尻 古代史のファンを増やすためには、今改めて「人物史」じゃないかと思いますね。澤田さんの小説でもそうだけれど、人をどういうふうに描けるかということじゃないでしょうか。もちろん筆力の問題があるんだけれど。
吉村 ただ人物史もあまり古い時代になると難しいですよ。代表的な人物史のシリーズとしては吉川弘文館の「人物叢書」とミネルヴァ書房の「日本評伝選」があるけれど、奈良時代以前はやっぱり難しい。
吉川 人物より時代を書いちゃうところがありますよね。
吉村 そうなんです。ただ時代を書くだけでは、人間のことがわかりづらいから。
澤田 たとえば吉川弘文館で出された『人物で学ぶ日本古代史』(新古代史の会編、全三冊)などは、歴史創作をやる人間には入門編としていいだろうなと思いました。この本の記述そのものというよりは、ちゃんと参考文献が載っているので、関心をもったらそれを手がかりとして次に行けますし、薄い本なので手に取りやすいですし。
吉川 澤田さんの小説には、主人公だけでなく周りのいろんな人が出てきて、彼らの生き方とか、主従関係の中の愛憎とか、大学寮の仲間関係とかが描かれますよね。そもそも澤田さんは、そういった人間が好きなんですか、それとも時代が好きなんですか。
澤田 私は元々、制度が好きだったんです。いま大学寮のと言ってくださったのは小説『孤鷹の天』だと思いますが、大学寮という機構があって、そこで勉強して、何年で試験を突破して、どこまで任官して出世していけるのかとか、そういうシステムが好きだったんです。でも最近になってようやく、人間が面白いなと思うようになりました。どんな時代にも人が生きている点に関心が持てるようになってきて。ただ結局、歴史上の様々な制度の変化の中でも、それでも人は生きているわけです。となると、根っこの部分は一緒なのかなとは思います。
吉川 同じような感情を、古代の人も今の人も抱くわけですよね。でもそれぞれの時代によってバリエーションがあり、環境も全然違う。その変化も面白いということでしょうか。
澤田 そうですね。古代を書いていて難しいのは、「本当に古代人はこうだったのかな」と読者が思ってしまうところなんです。現代人の理解できる古代像と、でも古代人はきっとこうではなかったよねと思う理解度、そこの折り合いが難しい気がします。なんといっても一般の読者の方には、「古代」というとテレビアニメの『はじめ人間ギャートルズ』みたいな原始時代だと勘違いしている人も多いので(笑)。『火定』という作品で奈良時代の天然痘大流行を描いて直木賞の候補になった時にも、「古代人はこんな論理的な思考をしない」「古代人にこんな医療知識は無い」と散々言われました(笑)。
吉川 私たちからすると「無いわけがない」んですけど。
澤田 史料を読んでいると、論理的思考も私たちと変わらないですよね。
吉川 変わらないです。政治的行動もそうですよ。まあ、小説に注をつけるわけにはいかないでしょうけどね。
澤田 そうなんです。やはりそれは無理で、巻末に参考文献をつけるのが精一杯の私の抵抗なんです。古代と言ったときの時代の幅があまりに広くて、それより前とごっちゃになってしまうのか。古代に対するイメージが、一般の方は全然違うなとは思いますね。そこはぜひ研究の先生方に頑張っていただきたいところです(笑)。
川尻 確かに学生たちを見ていても、古代は自分たちとは異質な時代で、中世以降だと何となくわかるっていう感じを持っているように思います。
吉村 古代と言っても、たいていの人は平安時代以降のイメージなんですよね。平安になると人物像みたいなのがだいぶ分かってくるから。ほとんどの人は高校の授業で歴史に対する知識は止まっているわけですからね。何とかしないと。ドラマや漫画で得たイメージってなかなか消えませんから。
吉川 漫画の役割はしっかり考えてみたいですね。澤田さんには申し訳ないのですが、私は小説はあまり読まないけれど、漫画は読むもんですから。
澤田 大丈夫です(笑)。私もけっこう読みます。歴史漫画ですか。
吉川 雑食性です。舌を巻いたのは、岡野玲子さんの『陰陽師』。原作は夢枕獏さんですが、絵として描き出された人物の顔も、建物の内外の様子も、平安時代がむんむん匂ってくる感じがして、絶対こうだよなあと思いました。
歴史の〈双輪〉として
澤田 この前評論で記しておいでの人がいらしたのですが(末國善己、『歴史街道』二〇二四年一〇月号)、まず近代もので荒俣宏さんの『帝都物語』に陰陽道の話が出てきて、その後に夢枕さんの『陰陽師』があって、陰陽師ネタというのが爆発的に増えていったと。『光る君へ』でも安倍晴明が出てきましたよね。NHKの大河ドラマに正式に陰陽師が出てくるまでに至ったというのは、二〇年、三〇年の幅で考えれば、歴史の見方に与えるエンタメの影響は大きいんだなと思います。
吉川 ただ、そういうエンタメ分野に入ろうとすると、研究者はつい「史料にないことは言えない」ってなっちゃうんですよね(笑)。
吉村 学生時代から「史料のないことは書くな」「根拠になる史料は何か」と訓練され続けているから。
川尻 でも澤田さんの『赫夜』で、延暦の富士山噴火でたくさんの人が死んでいく場面などを読むと、顔が浮かぶんですよね。史料として伝わらないから我々研究者には書けないけれど、やっぱりそこには一人一人の人がいて、会話があって、家族の泣き笑いがあって、社会があるということは考えます。考えるけど我々には書けない。たとえば『天変地異と病』で右島和夫さんが書いてくれた金井東裏遺跡、ここは火砕流に呑み込まれた人骨が出土しているのですが、この人は亡くなる時にどんなことを考えたのかな、とかね。
吉川 奈良時代の天然痘大流行で、人口の三分の一近くが死んだという数字を見ると、今の奈良県なら何人くらいになるのかな、とか思うんですけど、私はそこまでですね。それで澤田さんの小説を読むと、「こんなだったのか」と恐ろしくなるわけです(笑)。
澤田 妄想の産物ですから(笑)。
吉川 その「妄想」はどうやって湧いてくるんですか。澤田さんの小説は、奈良時代のものはとくに、よくこんなことまで想像できるなあ、と感心するんです。女官が寝泊まりする局の様子とか、夜の内裏の暗さとか。
澤田 純粋に知りたいんだと思います。古代ってどんなところだったのか、見られたら見たいなって。たとえば、階段で、靴はどこで脱いだんだろうとか、寝殿の階の下で靴を脱ぐんですかね。そういったことがいつも引っかかって。
吉村 研究者もそれは同じで、史料主義になりすぎても駄目なんだけど、史料がないことを言っちゃうと実証主義の歴史学としてはだめなんですよ。
吉川 そういえば、石井進さんは「史料に明確に反していなければ何を言ってもいい」とおっしゃったとか。忘れられない言葉なんですが、それならば、「一番ありそうなことはどんどん言ったらいい」ということになりますかね。
澤田 小説家としては、論文を読んでいて「これはネタになる」っていう瞬間が一番多いのは古代学を提唱された角田文衞さんのご論考ですね。想像の域が広いというか、小説家とは親和性が高い論文が多いんです。普通は出てこない、女性の生理の周期に着目されていたり。
川尻 崇徳天皇の父親は本当は白河上皇ではないかという噂をめぐって、崇徳の母藤原璋子の月経周期をも考慮して探ろうとした論考ですね。批判もありますが、「小説的」かもしれない。
吉村 大学ではなかなか教えないことですけれどね(笑)。だから本当は、歴史研究者も全てのことに関心がないと書けないし、どんな時代にも人間としての営みは当然あるわけですから。それはともかく、これまではあまり、歴史研究者と歴史小説の作家が話をする機会がなさすぎたと思うんです。
澤田 何となくお互い喧嘩腰みたいな印象はありますよね(笑)。歴史小説を嫌う研究者もやっぱりいらっしゃいますし、これは悪口ではないんですけれど、歴史研究者より自分たちの方が歴史を知ってると言う歴史小説家もいるので(笑)。私などはもうちょっとお互い仲良くしようよという派なので、今回お声がけいただいて本当にありがたいです。
吉村 「歴史の事実」を求める歴史の研究者の本から入る人もいれば、歴史小説から入る人もいる、両方あっていいように思うんですよ。石母田正さんなども、時代感をつかむのに文学作品から入ったそうですから。石母田さんは「文学的な真実もまた、歴史学の事実である」と言っています。今回改めて澤田さんの小説をいろいろ読ませてもらって、やはりそういう真実と事実、両方への視点があるなと思いました。
澤田 歴史小説の分野では、令和になってから、歴史とみなされる範疇が変わったように思うんです。かつては明治時代半ばぐらいが歴史小説の描き得る範囲とされていたのです。司馬遼太郎が少々異色の書き手として存在していましたけれど。それが今は戦前ぐらいまでは歴史小説として書けるようになって、書き手自体は増えているんです。その中で古代小説は確かに多くはないけれど、古代史ファンは熱いなというのが私の印象です。手堅いと言うべきでしょうか。
吉村 そういう読者に、どう歴史の面白さを伝えていくかということですよね。我々研究者は小説家が書かれるような「歴史的真実」は書けないけれど、論文ではない形でも、何か面白さを伝えていけないか。今回のシリーズも、そんなことの一つのきっかけになればと思います。
(二〇二四年一〇月一一日、京都にて)
(よしむらたけひこ・日本古代史)
(よしかわしんじ・日本古代史)
(かわじりあきお・日本古代史)
(さわだとうこ・作家)