web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

「カント」特集記念 特別ページ*アンケート/1924年特集号PDF

 

 近代哲学に「コペルニクス的転回」をもたらしたと言われるカント。小誌でカントを冠した号は、2006年の小特集(カント永遠平和論と現代)以来。総特集としては、1924年(カント生誕200年記念号)以来、ほぼ1世紀ぶりです。

 今回の特集では、カントの哲学的意義、同時代に与えたインパクト、そして後世や現代哲学におよぶ影響を「カントという衝撃」として、多面的に論じます。『純粋理性批判』と認識、カントにおける「自由」や「公共」、カントとラカン、心理学、新カント派と日本etc.,カント研究者のみならず、必見の特集です。

 刊行を記念して、「たねをまく」特別ページを掲載します。

・著訳者アンケート

・1924年『思想』「カント生誕200年記念号」

 

◇著訳者アンケート◇

 カントの好きなところ/嫌いなところ、一押しのフレーズ、トリビアなど、著者/訳者の方々に伺ってみました。カント再読のきっかけとして、併せてご覧ください。


カントの好きなところ・嫌いなところはどこですか?

 カントの哲学的な文体は、カラフルな文飾や気の利いた言い方に依存せずに、概念の構築の仕組みで思想を伝えるもので、きっと長持ちするだろうと感心します。とはいえ、きまって肝心な箇所で、それが裏目に出て、三段論法を組み合わせたような素っ気ない文章になるのは、困ったものです。
(城戸 淳)

 カントは当時の学問情況に目配りしつつも、独自の哲学体系を完成させる計画に、終生、頑なともいえるほど一貫して取り組みました。この異様なまでの一貫性が、好きなところでもあり、嫌いなところでもあります。空気が読めてもブレない。かれの人物像も、かれの哲学も、まさにこれだと言えそうです。
(瀬戸一夫)

 好きなところは、誤りも含め多くの問題を未だに発信し続けることができる哲学である点。こうした点はドイツ観念論にはない。嫌いというより問題点だが、諸科学が分離していく分水嶺の時代の中で、結果的に哲学と科学との連続性が断ち切られ、哲学の学問としての特異性が強調される契機になった点。
(藤本忠)


イチオシしのフレーズとその理由を教えて下さい

「自分が他人に対して拘束されていると私が認識できるのは、私が同時に自分自身を拘束している限りにおいてだけである。」
(『道徳形而上学』から)
 まっとうな倫理学が発するメッセージはただ一言に集約できると思う。〈あなたの主人はあなた以外にはいない〉、と。これを裏づける思想の深淵がこのフレーズから窺われる。平凡を生きてなお、自由の洞察を忘れない。
(御子柴善之)
 
「自由の理念のもとで行為するしかないような存在者はだれでも、まさにそれだからこそ実践的には現に自由なのである」
 『人倫の形而上学の基礎づけ』第3章で、少しずつ言いかえられて何回も登場する言葉。「定言命法」も「目的の王国」も「尊敬感情」も重要でしょうが、私は、この言葉こそがカントの道徳論の核心だと思います。それはつまるところ、「自由な意志をもちますか、それとも人間やめますか」ということでしょう。
(大橋容一郎)

「「私は考える」ということは、あらゆる私の表象に伴いえなければならない。」
 ヴォルフラート論文にも登場する『純粋理性批判』第2版超越論的演繹論のあまりにも有名な一節ですが、この一節の解釈をめぐり、200年以上にわたって有名無名問わず世界中の哲学者がのたうち回ってきた(私もその一人です)ことを思うと、なんだかゾクゾクします。
(辻麻衣子)

 
こっそり教えたいトリビア

  ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデンの、州立オペラ座や旧プロイセン科学アカデミーのある辺りに、フリートリヒ二世(大王)の颯爽とした騎馬像がある。その台座にプロイセンの重臣たちの群像が刻まれているが、ちょうど馬の後脚の下の辺りに、レッシングと何やら熱心に語り合うカントの像がある。カントがベルリンでレッシングと会談したはずはないが、カントもプロイセンの臣民だったんだ、とあらためて思わされる。
(寺田俊郎)
 
 カントはすごく社交的であることは知られていますが、社交の場では結構下品な冗談も言ったりした(らしい)です。
(小谷英生)
 

ヘーゲルについて一言(*2019年1月号でヘーゲル特集を予定)

 ヘーゲルのカント批判の多くは不当なものだと思うけれど、しかしむしろそれだけに、両者は表面的な対立の下で、同じ思考の課題を抱えていたのではないだろうか。そうであるのなら、今日の読者は、カントかヘーゲルか、ではなくて、カントと共にヘーゲルを、でなくてはならない。
(山蔦真之)

 ヘーゲルはマルクスとの関係で、19世紀近代社会の理論的基礎を与えたという評価が一般的ですが、彼がいかなる意味で18世紀啓蒙を超えたのか、という点についても重要です。初期ヘーゲル研究の再興を期待しています。
(小谷英生)

 実は苦手意識を持っている哲学者の一人です。これまで『精神現象学』の読書会には何回か出席してきましたが、ポイントがよくわかりませんでした。ただ最近になってヘーゲル研究者と仕事をする機会ができたので、しっかりと勉強し直したいと思っています。
(増山浩人)
 
 

◇特別掲載 『思想』1924年4月号「カント特集」◇

 期間限定で、1924年4月の「カント生誕200年記念号」の一部を掲載します。ぜひご覧ください。
 
 
 
 

関連書籍

閉じる