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『思想』12月号

◇目次◇

思想の言葉………春日直樹

幸福の経済原理――自生的な善き生(ウェルビイング)の理論(上) ……………橋本 努
世界への導入としての教育――反自然主義の教育思想・序説(1) ……………今井康雄
ポスト世俗主義的政治神学の思想史的基礎――イギリスにおけるラディカル・オーソドクシー学派 ……………原田健二朗
戦後日本をデザインする――初期草稿から見た上山春平 ……………出口康夫
「小国」平和主義のすすめ――今日の憲法政治と政治思想史的展望 ……………千葉 眞
オットー・ブルンナーとナチズム――「時代を巧みにくぐり抜けて来ました」(上) ……………ハンス=ヘニング・コーテューム

『思想』2018年 総目次

◇思想の言葉◇

無限集合としての呪術

 春日直樹

 哲学者はそのひと特有の言語で世界を紡ぎ出すと思ってきた私は,「思弁的実在論」と称される最近の話題作にすくなからぬ違和感を覚える.仏語や独語で書かれたテクストが,邦訳で何の障害なしに理解できると思えるからだ.分析哲学に固有のレトリックとも無縁であり,まさに記号論理的に整然として無矛盾な言葉の束をなしている.南米先住民や芸術家などの逸脱してみえる思考も,難なくその束の中に収められていく.

 とはいえ,記号論理が万全でないことは数学者を中心にさまざまなかたちで提起されてきた.最たる例は,集合がそれ自身の元か否かというパラドクスであり,なかでも無限集合を対象に据える場合にはのっぴきならない状況に陥る.この点,記号論理に反する論理を無限集合の議論と巧みに結びつけて説きおこしたチリ人の精神分析家マテ=ブランコに,私たちはもっと脚光を浴びせてよかった.マテ=ブランコは数学の無限研究の開拓者であるカントールやデデキントがフロイトと同時代を生きたことに注目する(邦訳『無意識の思考』を参照).私なりに勝手な整理をすれば,彼らはいずれも全体集合と部分集合,または一つの部分集合と別の部分集合の間に対称性を設定する思考を,あらたな論理として呈示した.フロイトでいえば,男性とペニス,尖塔とペニスをそれぞれに代置可能とみる無意識であり,カントールたちにとっては,たとえば全自然数と全偶数,あるいは全偶数と5の全倍数の間に一対一の対応関係が成り立ってしまう無限である.

 マテ=ブランコはこの特有の論理を,私たちの思考や感情の多層的な性格によって説明する.記号論理は意識の表層では有効だが,感情と無意識の水準が上がるにつれて後退する.無意識が深まると,集合と元,元と元の間の差異が消えて矛盾そのものがなくなり,あらゆるものが他のあらゆるものとして経験可能になる.多層的な関係は,次元の転移として描くことができる.n次元で一つの幾何学図形としてかたちをなす実在は,より低い次元では数多くの異なる図形に変わる.たとえば三次元の直方体は,二次元では正方形にも長方形にも平行四辺形にもなるし,直線にも点にも姿を変える.二次元で別々にみえるものは,次元を上がれば同じ一つの実在になる.これと同様に,意識的な思考では別々の対象は,無意識まで水準を上げると一つの何かを形成する.無意識は私たちの認識を越える感情を,より高い次元で扱っているわけである.カントールたちの無限の議論は,こうした思考の構造を直観して部分的に表現した所産ではないか,とマテ=ブランコは考える.

 私はこの考察に触発されて,メラネシアの人々と彼らが強く意識する不可視な霊との関係に思いをはせる.意識・無意識として提起された次元差の観念は,可視と不可視の領域の差異へと適用できる.メラネシアの生者にとって,観察可能な世界は現実のほんの一部でしかない.彼らは不可視な霊の世界から決定的な関与をつねに受ける状態に置かれていて,霊の放浪,変身,攻撃,饗宴,性的享楽など目のくらむ諸行為の影響にさらされている.可視の人物・事物・動植物の間の諸関係は,霊たちとそのまわりの諸物という無数の不可視な要素によってさまざまに変化を遂げる.可視の次元の事象は,不可視を含めての一次元上の水準でこそ実在性を獲得する.可視の物ごとや言行は,一次元上での「現実」に照らして「真」であるかぎりで真正性を確保するのである.つまりは,不可視を含めた次元で一意的な実在を構成するから「真」となる.

 二次元の住人が三次元をみることができないように,生者は不可視を含む次元を直接に知ることはできない.ただ就眠時や昏睡状態や意識の極限において霊と交流し,そこから進行途上のみえない事象について予測をするだけである.そんな彼らが次元の差異を越えて関係をつくりだし再構築する行為は,私たちにとって非合理にみえるために,「信仰」や「表現」として理解される向きがある.私はマテ=ブランコが無意識との連関を示唆した無限集合に着目するときに,意外な地平が開けることを指摘したい.

 代表例として「呪術」をとりあげよう.人類学では隠喩や換喩という「喩え」の観点から理解するのがいまだに主流といえるが,当事者たちにとって呪術は現実に効力を発揮する実践である.では彼らの現実はと問い直せば,先に述べたように記号論理的で明瞭だが外部を捨て去る説明になるか,修辞に充ちたまだるっこしい分析に終わることが多い.呪術をただ操作だけでなく,目標とする事象やそのイメージを含めての一集合として捉えてはどうだろう.カントールの集合の定義では,「知覚的または精神的に明確な諸対象」はすべて元として一つの集合を構成できる.私はここで,見逃されがちな二点を強調したい.一つ目は,呪物や呪文が―たとえば,石であり幾何学的な球でもあり,既存の言葉に近くて擬態語にも似ている,というように―複数の実在を宿す点である.もう一つは,実践者であれ想像する者であれ,呪術の操作と達成される現実との間隔―時間でも距離でも範疇のズレでもよい―は意識から払拭できない,という点である.

 ここから,呪術を無限集合としてとらえることが少なくとも可能になる.不可欠な「数」については,私たちの観念の大半に付帯する量的なイメージを援用しよう.「よりよい」「より近い」など量の順序づけを一義的に決定する記号が序数であり,無限集合の基数は量的比較の対象として序数の機能をも担うから,量的な度合いの比較が延々とつづくかぎりにおいて無限は現れる.目標に達するまでの気の遠くなる状況,間隔を詰めることの途方もなさ,詰めの幅をどんどん削られて線を点で埋めなければならないほどの体験は,まさに無限のそれにほかならない.私たちは呪術の操作と達成目標を切り離して「喩え」で結びつけるが,実際は解析学のコーシー列のように,一定の関係に貫かれた点列が特定の値つまり目標へと収束する様子にずっと近いのではないか.「喩え」そっくりに非対称な並びをする元(集合の構成要素)は,「類似」「接触」「模倣」と表現されてきた一貫した関係で結ばれており,ちょうど特定の関数をなすがごとく並んでいる.

 呪術の実践(またはイメージ)は,目標との間隔を鮮烈に意識させるはずである.目標との間には詰めても詰め切れないほどの隔たりがあるが,諦めないかぎりで間違いなく目標を達成できる.延々とつづく量的な比較はカントールが念頭に置いた無限大ではなく,無限小に向かって元を作り出すのである.この集合の存在を否認して,無限に特有な性質を無視するならば,ゼノンの逆説に甘んじて到達を否認するしかない.反対に,収束する点列の集合に準じて呪術を理解すれば,目標への到達は基本的に保証される(対抗呪術やタブー侵犯などの不測の事態によって阻まれないかぎりで).

 元の無限性は呪術と目標の間にだけ認められるわけでない.呪術を構成するアイテムもまた,簡単に数え上げることができない.一つにみえる呪物は複数の実在を宿し,ある実在から別な実在へのグラデーションを包含する.「xからyへ」の過程にかぎりなく内在する量的な比較がここにも認められて,無数の元を構成する.

 紙数の制約上で端折りを余儀なくされたとはいえ,私の議論は奇異に響くに違いない.なぜ無限集合にこだわるのか?無限集合だけが次元を越えて同型写像を可能にするからである.無限集合では基数nをn倍してもnのままだから,n2=nのように一つ違う次元との間に一対一の対応が成り立つ.不可視を含む次元が具体的に理解できなくても,可視の次元の無限集合の元は上の次元で何らかの無限集合の元と確実に対応するのである.もう一つの理由は,部分と全体,特定の部分と別の部分について,無限集合に関してのみ同値性を認めることができる点だ.隠喩や換喩とみなされてきた部分集合どうしは,文字どおり対等な二物になる.「PはQであり,RもQである.ゆえにPはRである」という比喩の構造が,「真」を帰結させる論理へと変貌する.

 読者の多くにとって,私の議論は依然として奇異だろう.数学の論理を形式的に引っぱりだしたような,理屈のための理屈に響くであろう.具体の事例に丁寧に照らし合わせる余裕がないので,とりあえずは三つの点を指摘して結びとしたい.一つ.マテ=ブランコの主張に伺えるように,数学の議論はとくに公理や定義に相当する部分で,意識を越える感覚にのっとり導かれている可能性がある.二つ.呪術はその数学の無限集合に類比させるときに,ずっと簡潔で明瞭な分析を許す.三つ.「未開の思考」が高感覚的にして論理的だとすれば,数学とまったく無縁ではあるまい.いうまでもなく,私はレヴィ=ストローシアンである.

 

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