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『思想』「ヘーゲル」特集記念 特別ページ*アンケート

 
 分析哲学から近年話題の新実在論まで、ヘーゲルの影響は今もなお広がり続けています。2019年1月号では、この巨大な思想圏へと足を踏み入れ、その可能性を追求します。新訳も続々と続くヘーゲルですが、弊誌では1931年、1970年に続いて3回目、ほぼ半世紀ぶりの特集です。研究の最先端をぜひご覧下さい。
 マルクス・ガブリエルの来日講演(2018年6月@明治大学)も収載。


◇著訳者アンケート◇

ヘーゲルの好きなところ・嫌いなところはどこですか?
 
 「好きなところ・嫌いなところ」は裏腹の関係にあるのがふつうだろう。たとえば『精神現象学』「序文」が典型だが、ヘーゲルはときに相手を当てこすって嫌味な書きかたをする。けれども、その悪口がときにまた痛快なのだ。その難解な書きぶりも、苦労して謎を解くことに独特な愉しみがないことはない。
(熊野純彦)

 そろそろもうヘーゲルはいいかなあと何度も思うのですが、それでもやはりヘーゲルに戻ってしまいます。逃げたいけど逃げられない、それが好きなところであり嫌いなところでもあります。おこがましい言い方をすれば、それはもしかしたらヘーゲル以降の哲学全体の悩みなのではないかと。
(大河内泰樹)
 
 ヘーゲルは、現代の分析哲学者のように緻密に議論をするタイプとは言えないが(ここが嫌いなところ)、ものを考えるときの着眼点や発想には目を見張るものがあり、その点で現代でも我々に様々なインスピレーションを引き起こしてくれる哲学者だと思う(ここが好きなところ)。
(硲智樹)
 
 ヘーゲルは常に、対立する概念の根底にある基盤を探求していて、その態度が思考の力強さと説得力を感じさせる。しかもこれが哲学史上の非常に多岐にわたるテーマのなかで展開されるので、ヘーゲルを読み進めると、他の哲学とその位置づけ方についても同時に理解が進む。ただその分の読みづらさがある。
(真田美沙・マルクス・ガブリエル論文訳者)

イチオシのフレーズとその理由を教えて下さい

 「世界史は自由の意識における進歩である。われわれはこの進歩をその必然性において認識しなくてはならない。」(『歴史哲学講義』)
 私の、というよりも、私の師匠であるアンドレアス・アルントの一押し。ヘーゲル哲学は自由の実現ではなく、自由の認識として哲学の到達点なのである。この点はマルクスによるヘーゲルの「誤読」を考える上で重要である。
(斎藤幸平)
 
 「死を避け、荒廃からきれいに身を守る生ではなく、死に耐えて、死の中で自らを保つ生こそ、精神の生である。精神が自らの真理を獲得するのは、絶対的な分裂のうちに自分自身を見出すことによってのみである。」(『精神現象学』序説)
 真を求めれば偽に転じ、善を為せば悪が顕れる。苦痛に満ちたこの逆説的な歩みから逃避してはならないという、力強くも高邁なヘーゲルの言葉は、哲学探究のためのみならず、善く生きるための勇気を与えてくれる気がします。
(飯泉佑介)
 
 「ミネルヴァのフクロウは黄昏とともにはじめて飛び立つ。」(『法の哲学要綱』序文)
 学問(知恵の女神の化身であるフクロウ)は世界で起きたことの認識を通してはじめて(黄昏)、人間の精神をより自由なものにするという、ヘーゲルの学問観をよく象徴した言葉だと思うからです。
(濱良祐)
 
こっそり教えたいヘーゲルのトリビア

 ベルリン・フンボルト大学の理系のキャンパスの近くに、ヘーゲルの墓があります。同じ墓地のなかにはフィヒテやマルクーゼの墓も並んでいます。墓地の中のカフェは、スイーツや軽食にも定評があり、ヘーゲルが聞き耳を立てているかも、と思いながら読書会をすることもできます。
(岡崎 龍)
 
カントについて一言(2018年11月号は特集「カントという衝撃」)
 
 カントはヘーゲルの偉大な先輩であり、永遠のライバルです。カントは自ら立てた問いに、人間の認識に限界を定めることで答えました。ヘーゲルはこれに満足できず、別の仕方で問いに答えようとしました。私も、カントの答えに満足できなかったことがヘーゲルを読むモチベーションになっています。
(川瀬和也)


◇1931年『思想』「百年祭記念 ヘーゲル研究」より◇

 
 

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