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菅谷明子『未来をつくる図書館』× 映画『ニューヨーク公共図書館』

菅谷明子さんトークイベント「未来をつくるニューヨーク公共図書館」

 
 
2019年4月19日
紀伊國屋書店新宿本店
 
 

 観る人と読む人を〈観察者〉に

 実は『未来をつくる図書館』を2003年に出版した時に、この図書館を映像化したらさぞや魅力的になるだろうと思っていました。いろいろな方に、 企画として話してみたのですが、結果的には結実しませんでした。ですから、この映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』のことを知った時には、これはもう絶対見なければいけないと楽しみにしていました。 私とワイズマン監督を同列にするのは失礼すぎますが、ニューヨーク公共図書館という素晴らしい素材を深く理解してもらう手法として最良なのは、観る人を〈観察者〉にすることに尽きると思っていました。実際、私がこの本を書いた時にも、私が解釈して消化したものを読んで頂くと言うよりは、むしろ読者の方に、私が見て新鮮に思ったり、感銘を受けたような「図書館の景色」をそのまま再現し、それを直接感じていただけるようなスタイルで執筆しました。
 
 この映画にはナレーションや解説、インタビューもありませんし、背景説明もない。素材が次々に提示されていく3時間を超える大作です。図書館のイメージが良い意味で次々と壊されていく新鮮な驚きに満ちたシーンの連続ですから、長くても飽きることはありません。ただし、各自の感性が問われる、頭を使って見ていくタイプの知的な映画ではないかと思います。映画の醍醐味は、皆さんが「透明人間」になって図書館に忍び込み、どんなサービスが展開され、それをどうニューヨーカーが使いこなしているかを目撃する。あるいは、スタッフが何を考えながら運営しているのかをスタッフミーティング に忍び込んで観察していく――そんな臨場感に溢れています。
 
 また、この映画の長さにも、私なりに意味を感じています。とにかく昨今は短いものや、考えなくても良いように過剰に説明されたものが氾濫している中で、これはワイズマン監督から我々に対する挑戦状ではないかとさえ思えます。世の中は非常に複雑ですし、一つの組織を理解することも大変難しいのですが、あえて膨大な素材を投げ付けてきている。まさに我々の知性が問われ、それこそが今の時代に一番必要とされていることだと思ってこの映画を見ました。


 なぜこの図書館について書こうと思ったのか

 私自身はニューヨークに1995年から丸2年住んでいまして、当時は大学院生だったので、ニューヨーク公共図書館で資料をチェックしたり、美しい建物なので別に目的はなくてもふらりと行くといった感じの軽い付き合いでした。 その後、アメリカでフリーランスのジャーナリストになったのですが、それまで企業や大学で使えていたデータベースが使えなくなり、その時初めて組織から離れるとこれほど情報アクセスが大変になるのだと痛感しました。インターネットで調べればいいと思われるかもしれませんが、有料データベースはネットにはない情報を網羅しているのでリサーチには不可欠です。年間購読が数百万円するものもの多く、かつ、法人契約でないと難しい。
 
 そこで途方に暮れてしまったのですが、「そういえばアメリカの公共図書館ではデータベースがただで使える」と思い出したのです。当時、毎日のように図書館に通っていたのですがとても面白いことを発見したのです。それは、自らの課題を解決するために情報を積極的に使いこなしている姿でした。
 医療情報のコーナーにいる人はどうやら病気になったようで治療法をリサーチしているみたいだとか、法律を調べている人は、何かトラブルがあってそれを解決するために来ているようだとか。他にも起業準備をしている人、外国語の勉強をしている人など。目的は千差万別ですが、多様なニーズに応える図書館のサービスが充実していて、一方でそれを使い倒す市民がいる。図書館って面白ところだと思い始めました。
 
 もちろん日本の図書館とアメリカの図書館は目的も歴史的経緯も異なりますが、アメリカの図書館サービスのあり方には、日本の図書館を充実させるヒントがあるのではないか思い、1999年8月号の雑誌『中央公論』にレポートを寄せました。 調査中には、関連の本や文献を読んだり関係者にインタビューもしましたが、図書館に連日通って、見知らぬ利用者にも突撃インタビューしています。朝一番で図書館に乗り込んで、まわりを見ていると、毎日通ってくる人がいることがわかります。見知らぬ人に話し掛けるまでには恥ずかしくて15分ぐらい迷うこともありましたが、思い切って近づいて「すみません、何を調べているんですか?」と聞いてみると、その答えが実に面白く予想を大きく裏切られることばかり。
 それぞれが全く違う理由で図書館を使っていて、記事にした後に反響も大きく、これはやはり本にすべきだと確信し、めでたく『未来をつくる図書館』が出版されました。
 
 ですから、本を書く動機になったのは、やはり図書館を使う人たちの「面白さ」です。え、こんなふうに使うの? というような驚きといいますか。私はこの本の前には同じ岩波新書で『メディア・リテラシー』という本を出していますが、もともとの関心は情報社会における公共性、あるいは、メディアに媒介された社会に生きている私たちがメディアを理解する必要性にあり、この本の着眼点も、単に図書館ではなく、図書館が持つ公共的な情報インフラとしての役割でしたので、それが恐らくこれまで図書館関係者によって書かれて来た本とは少し違ったアプローチになっているのだと思います。 当時は、まさか出版から16年後経っても紀伊國屋書店さんでお話させていいただける日が来るとは全く思わずに、「とにかくこれは面白い、自分が伝えなきゃ」という若さゆえのパッションに導かれて書き上げたという経緯があります。


 え?これが図書館?

 皆さんが映画をご覧になられたら「え?これが図書館?」と思われると思いますが、まさにこれが私の取材当時の驚きであり、本を書こうと思ったモチベーションです。初版の帯は「え、これが図書館?」でしたが、これがこの本の底流にある問題意識です。
 特に日本の図書館との比較で面白いと思ったのは、今や情報過多と言われて久しく、我々の周りには情報が溢れていると思いがちですが、この図書館に来てみると、実は情報は全然足りていないかと思わされます。日本の公共図書館はすでに出版されているものを保管し貸出していますが、それは情報のほんの一部です。
 
 たとえば、ニューヨーク公共図書館には、ピクチャーコレクションというものがありますが、これはいろいろな雑誌から写真イメージなどを切り抜いてカテゴリーに分けてフォルダーに入れたものです。
 それを目当てにアーティストやグラフィックデザイナーがやってきますが、アンディ・ホールもよく通っていたようです。ここでは、「猫」のファイルを取り出して、実際に何十枚もテーブルに並べ、インスピレーションを得ている光景にも出くわしました。それを見た時に、この図書館は、単に流通されたものを貸すだけでなく、自分たちで新しい情報や知の素材を作り出していることや、そうした資料の価値を理解しました。
 
 ニューヨーク公共図書館の多様な面については私の本にも書きましたし、映画でも多角的に取り上げられていますが、いずれにしても 「これが図書館?」というところに行き着くかと思います。日本の図書館も頑張っていますし、実際に新しい取り組みも出てきていますが、映画を通して、図書館には実はもっと潜在性がある、もっと社会的に認められ、予算もたくさん付き、スタッフもたくさん雇い入れなければならない程の、社会的に価値ある場所だとお感じになられると思います。


 ニューヨーク公共図書館とは

 この映画ポスターで使われている美しい写真はローズ読書室で、五番街本館のメインの自習室です。ここに座っているだけでも気持ちが高まる、 荘厳さや静寂さが漂いつつもエネルギーがみなぎる場所です。誰でも入館できますので、もしニューヨークに行かれる機会があればぜひ。
 
 私が本を出す時にもう一つ考えたのは、New York Public Libraryを日本語でどう訳すかでした。調べてみると過去には「ニューヨーク市立図書館」「ニューヨーク公立図書館」と訳したものも多い。私はやはりここは「公共」だと思いました。日本で公共というと政府や自治体によるものという担い手を示すイメージがありますが、米国では 「みんなのためのもの」といった意味あいになります。
 そしてアメリカですから民主主義。情報は民主主義に不可欠との認識は、ニューヨーク公共図書館の理念でも謳われています。情報を持つ人と持たない人では大きな格差が出てくる。図書館はそのギャップを埋める役割を果たすというものです。
 さらに、米国でも稀ですが、この図書館の運営は非営利組織によって行われています。だから「みんなのためのニューヨーク公共図書館」と認識されていますし、基本的な存在意義というのもそこにあると思うんです。 
 
 ニューヨーク公共図書館の特色で、とりわけ日本との違いが際立つものを挙げてみます。
 まず図書館と言うと、アカデミック、教養といった知的なものと関わる印象があると思います。ニューヨーク公共図書館には4つの研究図書館がありますが、それに加えて88の地域分館から成っています。こちらは多分皆さんのご近所にある図書館の感じに近いと思います。この二つの異なる性質を持つ図書館の複合体がニューヨーク公共図書館です。
 ニューヨーク市は地域で所得や教育レベルに格差が大きく、市民のニーズも異なるので、分館は館内の雰囲気からサービスの種類まで各館でかなり異なります。 私にとってアメリカの公共図書館が興味深かったのが、市民が日々の暮らしに必要な情報を得るためにやってくることです。
 
 医療情報も充実していて、自分が病気になったと分かった時に図書館に来る方も多いのです。確かにインターネットのサイトで調べる方法もありますが、図書館の強みは科学的な根拠に基づいて専門家がチェックした資料や有料データベースを無料提供し、また、司書の人に相談すると、ネットであれ紙であれ、必要な情報を探し出す手伝いをしてくれます。
 病気になると家計や子育てにも影響することもありますが、経済的なこと、税金相談、確定申告の手伝い、また、自治体が提供するサービスや地元の支援団体なども教えてくれます。地域密着情報は意外にも探すのが大変ですが、図書館はそうした情報にもアクセスしやすいのです。まさにネット時代でも人々が図書館を頼りにするのは、ネットも紙もデータベースも、そして分野を飛び越えた情報が豊富に揃い、また調べ方の相談にも乗ってくれるからでしょう。
 
 さらに、図書館自ら情報も積極的に発信します。例えば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の時にも、ニューヨーク公共図書館では2日ほどでウェブサイトを立ち上げ情報提供を始めています。
 ニュースは今何が起こっているかを刻々と伝えてくれますが、地元の人が知りたいのは知人の安否、インフラの状況、精神的に塞ぎ込んだ人をどう元気付けるか、気持ちを落ち着かせたい時にどんな本を読んだらいいか、カウンセリングを受けたいけれどどんな窓口があるのかなど、より実践的な情報を求めていました。
 それらをWebサイトを通して提供したり、プリントしたものを館内で配布したりしましたが、図書館が発信するものは、情報の信頼性を大事にしていることや、広告がなくより独立した情報を提供できることにあり、かつ日々更新していましたから、貴重なサービスでした。
 
 こうしたことが即可能になるのは、地域分館では担当者が日々地元の様々な個人や組織と交流し、幅広いネットワークを築いているのです。だから突発的なことが起こっても、過去から蓄積した独自のデータベースや関係者からすぐに情報を集められるのです。


 映画監督や俳優も図書館を使う!

 ここからはあえて日本ではあまりなじみのないタイプのサービスを紹介していきたいと思います。
 先ほど4つの研究図書館があると申しましたが、そのうちの一つは「科学産業ビジネス図書館」です。まさに「え、これが図書館?」です 。図書館でビジネスや起業支援というのは、相容れないようにも思えますが、実はビジネスサービスは非常に大事な位置付けにあります。ニューヨークには世界的な大企業がありますが、一方で中小企業も非常に多いです。中小企業や起業をする人にとっては、私が独立した時のように、情報アクセスの壁があり、特にビジネスは刻々と変化するので、随時更新されるデータベースがとても大事になるのです。
 電子情報が豊富な他に、起業家に無料のビジネスコンサルティングを行ったり、ネットワークイベントがあったりと、たった1人で起業するのは大変でも、そこで仲間を見つけて情報交換したり励ましあったりもできます。ここに毎日通ってきて起業をされた方も多々いらっしゃいます。
 
 またニューヨークにはファッションや建築、アート関係の小さい会社も多いですが、そうした人たちも利用します。まさに日本にあったらいいなと思えるような図書館ではないでしょうか。
 「舞台芸術図書館」は個人的にとても好きなところですが、ニューヨークは舞台芸術の中心地であり、脚本家、映画監督、俳優、歌手、ダンサーなどもたくさんいます。 俳優の方が、オーディションの準備に、方言の音声メディアで勉強することもあるそうです。レコード会社が自社では抱えきれない音源を寄付し、保管してもらっている例もあります。「本のない図書館」と言われているだけに舞台コスチュームのスケッチなどもありますが、資料価値があるものを持っていそうな方が亡くなる場合には、その家族と交渉し資料を寄贈してもらうよう働きかけることもあります。
 
 先ほど図書館は自らがコンテンツを作ることもあると言いましたが、舞台芸術は文字では掴みきれず、そのエッセンスが失われてしまうだけに、図書館自らが舞台の模様を撮影し、コレクションにすることもあります。図書館はこうしてニューヨークの芸術の下支えをしているので。ウッディ・アレン、スパイク・リーといった著名人も図書館を利用していますから、有名人に会いたかったら、この図書館に行ってみるのも一案かもしれません(笑)。


 いまニューヨーク公共図書館で起きていること

 私がニューヨークに住み始めたのは1995年ですが、Amazonが創業したのが1994年で、この時期はインターネットが大衆に急速に広まっていく頃でした。当時はネットの登場で図書館がいらなくなる、書店はなくなる、など喧伝されていました。
 ニューヨークの公共図書館はその頃からデジタルサービスに力を入れていました。その理由は、彼らの存在意義はいかに市民に対する情報アクセスを向上されるかですから、インターネットを使った方が利便性が向上するのであれば、積極的に取り入れようということです。
 
 現在のニューヨーク図書館では、多くのデータベースはウェブサイトで図書館カード番号を入れれば自宅から使えますし、スマートフォンのアプリを使って30万冊の電子図書から好きなものが借りられます。 自宅にインターネットがない家庭向けには、接続機器の貸出しもあります。
 本の読み方の指導や、デジタル情報リテラシーの育成講座もあります。無料電子メールアドレスの取得法もありますが、アメリカでは随分前から履歴書も手書きではなく、また、書類もは全てメールで送り、採用の状況、合否回答もメールであるため、メールアドレスがないことには、高齢者でもコンピュータが苦手な人でも就職活動はできません。
 このように仕事を得るための第一歩からをサポートするレベルから、もう少し進んで、インターネットの情報の信憑性をどう評価するか、自分が欲しい情報源をどう見つけるのかといった講座もあります。さらに上級者向けには、専門的で見つけにくい情報をどう探し出すかなど、かなり広範に情報リテラシー講座が行われています。
 
 ところで、アメリカでは小学生でも宿題をオンライン経由で提出するものが多いです。利点として、子どもがいつ宿題にアクセスしたのか、どれくらい時間を使って問題を解いた、何ができなかったのかそのパターンなどが履歴から分かり、先生にとっては各生徒の学びをよりサポートがしやすい環境になっています。
 作文やレポートの執筆過程も興味深いです。作文は書いたものを共有、クラスの生徒とシェアします。そこにクラスメートがコメントを加えていきます。これまでですと、レポートを書いて先生に提出し、先生ひとりが良し悪しを判断するだけですが、クラスまで広げると同じものでも、いろいろと違ったコメントが入り、視点がより多角的になります。また、コメントをもらったり、する側になると、また違った学びや発見があります。
 
 もちろん、ネットを使った学習の問題もたくさんありますけれども、こうした動きは一般化しています。これらをすすめていくためには、家庭にコンピュータやネット接続があることが不可欠になりまし、そうしたインフラがない家庭に対して、図書館が支援をしているのです。
 

 来館する価値を高める

 近年はネット経由の情報提供などを受けて、来館者が少し減ってきていますが、新しい動きとしては、物理的な空間に人々が足を運ぶ付加価値をつけ、人が集うベントがさらに多くなっています。
 
 ブックディスカッションといって、1冊の本をそれぞれが読んで、集まって議論をするというイベントも人気です。 自分の意見を直接他人と闘わせるのは難しいですが、本について自分がどう解釈するかというクッションがあると、腹を割って話しやすい環境ができあがります。
 全く同じ本を読んでも解釈は人によって大きく違います。私たちはともすれば同じように解釈していると考えがちですが、ブックディスカッションを通すことで、たとえ全く同じ本でも読み方や感じ方は人によって大きく異なることに気付きます。それを手掛かりに、人間の多様性や思考の違いに触れることもできます。
 
 読書グループも病気になった人たちだけを対象にしたもの、子どもだけのもありますし、子育てをしている人、リタイアした人向けなどもあり、似た境遇の人たちと対話を重ねて自分の考えを微調整し、友達を作ることにも繋がります。図書館は単に本を借りに来る場所ではなく、自分の思考を広げる場にもなっているのです。
 
 トークイベントも盛んです。皆さんも今日ここに来てくださったのでお分かりかと思いますが、やはり講演者から直に話を聞ける楽しみもあると思います。また、研究員制度もあり、各方面で業績を上げた方々を招き、研究の機会を与える代わりに、図書館のプログラムで講演してもらうような制度もあります。
 
 市民の図書館利用法が変わり来館者が減ってくると、今度は図書館に来るインセンティブを強化するなど、時代に応じてサービスを変化させているのです。
 

  図書館に投資する

 資金獲得にも積極的です。とりわけ研究図書館は財源の多くを寄付金に頼っているので、コミュニケーションやブランディングの部署もあります。街を歩いていると図書館のバナーによく出くわしますが、非常に緻密に考えられたデザインで、とても目立ちますし、また 館内や出版物を始め全てのロゴやイメージも統一もされています。ギフトショップにある商品もどれもスタイリッシュなものが多いです。
 
 ニューヨーク公共図書館といえば、本館正面の二頭のライオン像が有名ですが、クリスマスシーズンになると、ライオン像にも蝶ネクタイをつけておめかしさせるお茶目ぶりです。彼らは日頃から図書館をニュースに取り上げてもらおうと知恵を絞っていますが、ライオン像との関わりでは、同じニューヨークの野球球団メッツとヤンキースが対決することになった時に、ライオン像にメッツとヤンキースの帽子をそれぞれかぶせましたが、これが大当たりで、CNNを始め多くのメディアに取り上げられました。
 
 こうした部署には、広告代をいかに抑えてニュースに取り上げてもらえるかを専門に考えている方もいらっしゃいます。また、図書館の出来事や高額寄付をされた方が ニューヨークタイムズの記事に掲載されるよう働き掛けるなど。そうした日々の積み重ねを通じて、ニューヨーク公共図書館のイメージができあがっていきます。これは非常に大事なプロセスとして捉えられていて、そのための専門スタッフをたくさん抱えているのも、日本から見ると興味深いところだと思います。
 
 アメリカ全般に言えることかもしれませんが、投資に対するリターンを見ていくのも大事な要素です。私の本にも出てきますが、取材したなかで面白いと思った事例があります。
 私が図書館で定点観測をしてきた中で、ビジネス図書館によくやってきてはパソコンの前で集中して作業している50代半ばぐらいの男性がいました。外に出たところをつかまえて声をかけ聞いてみると、その人は大学にも行っておらず、得意分野もなく、今は仕事もないとのこと。でも、ものすごく競馬が好きだし、競馬のことだったら誰にも負けない。図書館に毎日通ってくるうちに、自分も何かできるのではと思うようになり、図書館のネットやデータベースで競馬情報を集めて分析し、有料のニューズレターを作り、図書館から送っているというのです。
 それを聞いた時は、ちょっとやりすぎだと思って、図書館のスタッフに話してみました。批判的な言葉が返ってくるのかと思ったら、全く予想外で、「それは素晴らしい。その方が失業して福利厚生の世話になるよりは、図書館を使って自分の特技を生かして自立しているなら、彼にとっても我々にとっても素晴らしいことだ 」と言うのです。その頃はまだ取材を始めた初期でもあり、ただただ図書館の懐の広さに感銘を受ける一方で、自分はまだまだ心が狭いと反省しました。
 
 印象深いのは、ビジネス図書館がオープンした時、当時の市長のジュリアーニさんが、「図書館建設には膨大な資金がかかったが、図書館がもたらすものは、投資をはるかに上回る」とおっしゃっていて、まさにその通りだと感じました。
 今後日本の図書館を考える時には、例えば冒頭で病気になり図書館に来た方の話をしましたが、医療情報を提供することで未然に病気にを防いだり、検査について理解を深めたり、様々な治療法を探ったりと、いろいろなことが可能になります。医療情報に限らず、図書館の固定観念を打ち砕いてみれば、今の日本が抱える社会問題を解決する上で、実は公共図書館ができることは非常に多いと思うのです。
 
 終身雇用が崩壊し、また、出産を機会に仕事を辞め復職を探る人などが多いいま、確かにハローワークも大事です。加えて、週末も開館し、誰もがいつでも好きな時にやって来られる開かれた場だけに、図書館に就職やスキルアップの情報提供をし、関連講座を開くなども意義がありそうですし、そのために図書館に資金がもっと投入されてもいいと思うようになりました。
 日本では、これまでの終身雇用も手伝って、転職やキャリアを変える、起業を広くサポートする場に乏しいところがあります。そこに、最近は情報テクノロジーを使いこなす力も必要になり、生涯、いつでも、自分を高めるために使える場がますます必要になってきていると思います。実は今の日本の社会問題を解決する上でも図書館は非常に大きな役割を果たすことができるのではないかと思っています。


 変わり続ける強い図書館

 ニューヨーク公共図書館は125年の歴史を誇っていますが 、時代に合わせてどんどん変化できることが強さの秘訣だと思います。 先ほどご紹介をしたように、インターネットが広まる初期からデジタルサービスを積極的に取り入れ「そんなことをしたら図書館は存続できないよ」と言った揶揄する声もありましたが、今となってはニューヨーク図書館の判断が正しかったと証明できます。
 
 大事なことは、市民に対するサービスを向上させることで、それが物理的なものか、ネットか、と媒体別には考えない。そして今では、それぞれの特性を生かしたサービスを総合的に展開し、ネット時代でもそれが図書館の大きな強みになっています。
 ダーウィンが言ったとされる言葉に「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である」 がありますが、ニューヨーク公共図書館が輝き続けていられるのは、この変化に対応できる柔軟性にあると思いますし、日本の図書館もニューヨーク公共図書館のサービスから学ぶところがたくさんあると思います。
 
 今日は、映画『ニューヨーク公共図書館』を観る上での、予習といいますか、枠組になるようなことについてお話しさせていただきました。映像と活字で表現されたものには、それぞれ特徴があり、補完し合うものでもあると思いますので、皆さんには映画を観ていただきつつ、『未来をつくる図書館』も読んで頂き、この素晴らしい図書館についてより深く知っていただけましたら嬉しいです。皆様、ご静聴ありがとうございました。 

 

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著者略歴

  1. 菅谷明子

    在米ジャーナリスト。
    米ニュース雑誌「Newsweek」日本版スタッフ、経済産業研究所(RIETI)研究員などを経て独立。
    2011ー12年ハーバード大学フェロー(特別研究員)としてメディア・イノベーションとジャーナリズム、創作文芸における新しい表現の可能性等を研究。
    2014年ハーバード大学ニーマンジャーナリズム財団役員就任。
    ニューヨークのコロンビア大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程満期退学。
    関心領域は、情報社会におけるパブリック、知や学びのあり方、本や読書をめぐる多様な取り組みなど。
    主著に「メディア・リテラシー 世界の現場から」「未来をつくる図書館 ニューヨークからの報告」(いずれも岩波新書)。

    email: AkikoJournal@gmail.com
    twitter: @AkikoSugaya
    blog: https://blog.goo.ne.jp/akikojournal

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