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夜間中学生たちの学びから(盛口満)

夜間中学生たちの学びから
盛口満
 
 僕は理科教員をしている。この日、向かったのは沖縄県那覇市のビルの一角にある、夜間中学の教室だ。
 「化石って、見たことがありますか?」
 生徒たちに、そう聞いてみる。
 「テレビでしか見たことないねー」
 最初はそんな声。しかしやりとりをつづけていると、生徒たちは身近な所で化石を見たことがあったと思いいたる。
 「南部に畑があって、その脇の崖のところに貝が入っていたさー」
 「井戸を掘ったら、そこから砂と貝がでてきたよ。昔は海だったんだねーと話をしたよ」
 こんな発言が飛び出してくる。つづいて、僕が教室に持ち込んだ、化石標本を見てもらう。
 「怪獣のキバ?」
 「ワニのキバ?」
 サメの歯の化石を見せると、そんな声。さらに化石の正体を明かすと、生徒たちが口々にサメと関わる話をし始めた。
 「昔はサメ、食べてましたよ。おいしかったですよ」
 「サメを食べたら、そこでおしっこをするなーって、言われました。おしっこにサメの臭いが移るから。そこらですると臭くなるって。昔は、おしっこもあちこちでするさーね」
 「昔、おばさんが、サメは薬だから食べなさいって言ってね……」
 一度、生徒たちの発言スイッチが入ると、話を切り上げてもらうのが大変だ。

 もうお気づきだろうか。この夜間中学に通ってくる生徒の多くは、お年寄り。沖縄の言葉で「おばあ」たちだ。
 太平洋戦争末期、沖縄は激烈な地上戦に巻き込まれた。そのため、満足に義務教育を受けられなかった人々が、少なからずいる。
 二〇〇一年に開校したこのNPO法人珊瑚舎スコーレは、昼間は小学生~高校生が通うフリースクールだが、夜間中学を併設している。 通ってくる生徒たちは高齢化が進み、二〇一五年、夜間中学生の平均年齢は七七歳、そのほとんどが女性だった。生活が困難な終戦直後、就学機会が奪われたのは、女性のほうが多かったからだ。
 珊瑚舎スコーレでは、入学者から一人一人、聞き書きを行っている。そこでは、例えば「父は軍属で満州で亡くなりました。母は私を連れて再婚しました。その義父も沖縄戦で亡くなりました。(中略)二人の妹がいましたが、戦争が激しくなり、母は上の妹を他の所に預けることにし、その帰りに艦砲射撃の弾を胸に受けて亡くなりました。(中略)残されたのは生後三カ月の妹と私だけです(以下略)」といったような苦難の歴史が語られる(聞き書きは『まちかんてぃ! 動き始めた学びの時計』という本にまとめられている)。
 生徒には、こんなふうに過酷な過去を持つ人が少なくないけれど、普段の教室では発言が飛び交い、笑いが絶えない。
 
 さて、授業で生徒の一人が語ってくれたように、沖縄島南部では貝化石の入った地層を見ることができる。この貝化石の入っている泥岩を沖縄ではクチャと呼ぶが、これも生徒の一人が「昔は市場で売ってもいた」と話をしたことが、またみんなの発言スイッチを押すこととなった。
 「昔、クチャは売っていましたよ」
 Tさんがそう言うと、たちまち周囲の生徒が我も我もと横やりを入れ始める。
 「それで髪の毛を洗ったよ。あたしも使ったさ」
 「袋に入って、一〇パックいくらで売っていましたよ」
 「枡で量り売りをしてましたね」
 クチャは砕いていくと、粒子の細かな泥に戻る。この泥を水でとき、髪の毛に塗りつけた後、水洗いすれば、髪のよごれが泥と一緒に落ちる。これが、シャンプーのなかった時代の洗髪方法であったのだ。
 発言をしてくれるのはありがたいけれど、生徒たちは一般の小中学校へ通った経験がない。だから手を挙げて発言をするなんて習慣をもっていない。このときも、あちこちからの発言で、収拾不能な状態になってしまった。
 なんとか話を収めて、クチャ以外に、どんな土の種類を知っていますかと聞いてみた。この問いに返されたのが「マージ」という答えだ。
 沖縄島南部は広く石灰岩地が覆うが、その石灰岩の下に位置しているのが、灰色をしたクチャと呼ばれる泥岩で、石灰岩の上を覆うのが「島尻マージ」と呼ばれる赤土だ。
 「アカンチャは、マージと一緒ですか?」
 アカンチャは赤土という意味だから、これは一緒のものだ。
 「アカンチャの畑で作ったイモはおいしいさ」
 「ダイコンもおいしいさね」
 夜間中学の生徒たちは、みな、生活体験が豊富。だから発言スイッチが入るのは、そうした「生活体験と結びつくこと」という共通点がある。
 
 「ほかにまだ、土の名前で知っているものがありますか?」
 この問いに、一人の生徒から「ジャーガル」という答えが返されたため、また教室内が喧噪に包まれた。
 「ジャーガルは土の名前じゃなくて、地名じゃないの? ジャーガルイモっていったりするよ」
 「そういえば、北谷(ちゃたん)に謝苅(じゃがる)という地名あったはず」
 「ジャーガルとクチャは一緒じゃないですか?」
 「あたしの生まれた東風平(こちんだ)では、ジャーガルは柔らかくて、クチャは硬いものをいっていましたよ」
 「ジャーガルはイモとか野菜をつくるのにいいんです」
 じつは僕自身がクチャとジャーガルの区別についてはっきり理解ができていなかったのも、収拾がつかなくなった要因だった。調べてみると、泥岩のクチャ(つまり硬い)が風化した土壌(つまり柔らかい)をジャーガルと呼ぶ(もともとは謝苅という地名に由来した名かもしれない)ということがわかる。
 「ニービというのもありますね」
 Tさんはこんな発言もしてくれた。ニービとは、クチャのさらに下層に位置する砂岩のことだ。
 「これは硬くて、茶色。戦時中、防空壕を掘るときは、ここに掘るといいって言っていました」
 このTさんの発言を聞いて、別の生徒が教室の壁を指して、「こんな色ね」と僕に教えてくれた。配電盤の灰色の金属カバーを指して、「クチャはこんな色」と言う生徒もいる。
 それにしても、今の小中高校生、いや、僕がふだん授業をしている大学生に土の授業をしたとしても、整理が大変になるほどの発言が飛び出したりはしないだろう。
 
 「では、土の〝もと〟は何だと思いますか?」 この僕の質問には、最初、みなが首をかしげていた。そこで持ってきた食パンを取り出し、「食パンなら小麦粉が原料ですね」と付け加えてみる。するとようやく、「ああ」という顔をしてくれた。
 「土は岩が砕けてできています。腐った葉っぱなんかも、もとになっています。じゃあ、その岩はどうやってできますか?」
 「溶岩!」
 ……そんな声が返ってくるけれど、沖縄島では実際に火山を見ることがない。そこで火山の噴火のビデオを紹介し、溶岩の標本も見てもらう。
 「軽石に似てるね」
 ああ、なるほど。火山のない沖縄島でも、海岸には軽石が流れ着くことがあるのだ。
 「軽石とどこが違います?」
 「色」
 「あと、重さ」
 そこで再び、食パンを見てもらう。パンの中にたくさん穴が空いているように、溶岩にもガスの抜けた穴がいっぱいある。それが極端に多いと軽石になりますよ……という説明をした。
 もうひとつ、岩のでき方として、堆積岩の話もする。例えば火山灰が降り積もり長い年月がたつと凝灰岩になる。今度はおにぎりを取り出す。バラバラの米粒をぎゅっと握ると、形にまとまる。もっとぎゅっとすると?
 「もちになります」
 そんなふうにしてできたのが堆積岩で、凝灰岩のほかに、砂岩や泥岩もあるという話をした。
 「マーイシですね」
 生徒の発言に、また、なるほど。沖縄島南部で一番目にするのは、サンゴ礁の化石である石灰岩だ。それに対して砂岩など、ほかの石を「真石」と呼び分けているのだ。夜間中学では、授業者の僕も絶えず教えられつつ、授業が進む。

 この夜間中学での授業の様子を、僕は昨年、『めんそーれ! 化学――おばあと学んだ理科授業』(岩波ジュニア新書)として上梓した。本書でも、生徒たちと料理や実験をしながら、互いに学び合ったことを紹介している。執筆にあたり当時の授業を振り返って思ったのは、僕は生徒たちから、学ぶということの本質を教わった、ということだ。
 この夜間中学の卒業生たちの同窓会に行ったときのこと。前年に卒業したばかりのAさんが、戦争中に母親が亡くなって親戚でもない人に育てられたという話をしているのが耳に入ってきた。
 「弾にあたってしまったんだから、どうしようもないね」
 聞いていた周囲の卒業生が「壕の中に入らなかったの?」と聞くと、「戦闘が始まったら、日本軍がきて、壕からでていけと」。戦後はあれこれ苦労をして、かまぼこ売って……と、Aさん話はつづく。
 そんなAさんが、ある日ラジオを聞いていたら、夜間中学のことが紹介されていた。すぐに役所に飛んでいって、どこにあるのか調べてもらったのだそうだ。
 「そうして、今、高校生よ」
 そう、Aさんは笑う。彼女は夜間中学を卒業後、那覇市内の定時制高校に入学を果たしたのだ。
 彼女はなぜ高校に通うことにしたのか。
 「まだ新聞が読めないのよ。新聞読むために高校に入ったわけ。せっかく生まれてきたのに、新聞読み切れなかったら、親にすまないよ」
 そんなふうに彼女は語った。
 定時制高校のクラスには若者もいるけれど、目的意識が薄く、担任から「そんなんじゃ、卒業証書もらえんぞ」と叱責が飛ぶこともあるのだとか。
 「でも私たちは紙が欲しいんじゃなくて、教わっていることの内容がわかりたい」そして「授業内容で〝ああそうなんだ〟と思えることが欲しいよね」と、卒業生たちは互いにうなずきあっている。
 さらに、通っている高校についても、一緒に進学した同級生たちとの間で、鋭い批評が飛び交っていた。
 「少しわかりかけたら、もう次の内容にいくから、全部わからなくなる」 「ほんとうにうわすべり。五つのことを教えるより、一つのことをきちっと教えた方がいいよ」
 「カリキュラムが組まれてしまっているからね」
 近年、学校現場にはシラバスなるものが導入され、事前に授業計画が組み上げられ提示されるしくみとなっている。しかしそれは、本当に学び手のためのしくみになっているのだろうか。

 なんのために学ぶのか。 夜間中学生たちの学びから、教わることは多い。
(もりぐち みつる・理科教育) 
(『図書』2019年3月号掲載)
 

 

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著者略歴

  1. 盛口 満

    1962年生まれ.小学校時に突然,貝殻拾いにはまり,そこから「生き物屋」という病にとりつかれる.あだ名はゲッチョ.千葉大学理学部生物学科に進学するも,研究者にはむいていないことに気づき,教員を目指す.卒業後,私立自由の森学園・中高等学校の教諭に着任.2000年に同校を退職し,沖縄に移住.NPO珊瑚舎スコーレの活動に関わる(2005~11年に夜間中学で理科を担当).2007年より,沖縄大学人文学部こども文化学科の教員となり,理科教育を担当(現在,教授).生き物のイラストを描き,自然に関する普及書も多数執筆している.主な著書に『自然を楽しむ 見る・描く・伝える』『生き物の描き方 自然観察の技法』(ともに東京大学出版会)など.ブログ「ゲッチョのコラム」も公開中.

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