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『図書』8月号 【試し読み】佐藤秀明/森元斎

◆目次◆

三島由紀夫を「三島」と呼ぶとき  佐藤秀明
丸山真男とボンヘッファー     宮田光雄
土肥原賢二の美女工作       山本武利
全日本歌謡選手権         青柳いづみこ
公共図書館という存在       松岡享子
百年たって耳にとどく       森 元斎
それでもなお言葉の力を      藤原辰史
私の「二都物語」(下)      亀淵 迪
幽霊・UFO・存在理由      さだまさし
パリからヘルシンキまで、ミンネのかけらをつないでみる。  冨原眞弓
八月十五日のトマトジュース    辰巳芳子
八月、命みなぎる植物たち     円満字二郎
『聞かせてよ愛の言葉を』     片山杜秀
神が遺したもの          三浦佑之
国語と漢語が行き交う中で     山室信一
こぼればなし
八月の新刊案内

(表紙=司修) 
(カット=西沢貴子)

 

◆読む人・書く人・作る人◆
 
三島由紀夫を「三島」と呼ぶとき
佐藤秀明
 
 夏目漱石は一九六六年、森鷗外は一九七二年、芥川龍之介は一九七七年である。何と幸田露伴は一九九七年。何かというと没後五十年の年である。すでに静かに文学史の中に落ち着き、作品は近代古典となっていた。
 来年二〇二〇年は、三島由紀夫の没後五十年である。しかし、どうも違う。静けさがない。十代で読み始めて、昔の若さが反照しているのか。ある世代以上の人が「三島」と言うと、ふっとその人の若さが見えることがある。そのせいか。続々と資料が見つかり、輪郭が鮮明になってきたからか。
 岩波文庫の『三島由紀夫紀行文集』『若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇』『三島由紀夫スポーツ論集』の編集に携わってきて、超越的観念に向けての大胆な発想と表現に惹かれていたのが、次第に旨みといったものを感じるようになってきた。
 東京オリンピックの重量挙げ金メダリスト三宅義信の観戦記にこう書く。「研究室の中の科学者みたいな内向的な長い努力がいったはずだ」。栄光の背後にある、地味な練習と精神集中の積み重ねを思いやる敬意と共感がにじみ出ている。水泳の田中聡子が四着に終わったあとの描写は、晴れやかで哀しい。
 熟成魚の寿司というのがある。新鮮な魚より何日間か締めて寝かせた魚の方が酢飯に合い旨いという。和食らしい絶妙な味わい方である。
 若々しく生きのよい三島の美文に五十年の歳月が被さり、枯れず、静けさもなく、えもいわれぬ味わいが出てきた。
(さとう ひであき・日本近代文学)
 
 

◆試し読み◆

 
百年たって耳にとどく――鶴見俊輔と金子文子
森 元斎

 「あれは何だったのかな、と思うことがある」(『鶴見俊輔集12 読書回想』筑摩書房)。鶴見俊輔は、「四十年たって耳にとどく」というエッセイをこう書き始めている。人は、訳がわからない事態を「出来事」として捉え、それを自らの経験のまるごととして「抱握」していく。抱握とは理性的なだけでなく、感性的な領野においても、モノゴトを取り入れるあり方だ。全てを丸ごと取り入れるあり方だ。
 自分が経験したことは、自分にしかわからない。しかしながら、自分ですら、全てを理解しているわけではない。とはいえ、実のところ、全てを知っている。頭で分からずとも、体では分かっている。頭で分かることは、全てのうちのごくわずかでしかない。鶴見が述べる「あれ」が「何だった」のか、それを紐解くことで、私たちが実のところ、自らの経験に裏打ちされた仕方で、思想なるものを組み上げていくこともあるのだ、ということを書いてみたい。私は私自身を生きることしかできない。
 鶴見は「あれ」の状況をこう記している。
 一九四一年四月二十二日に、ハーヴァード大学神学校の講義で、一度だけ、A・N・ホワイトヘッド(一八六一―一九四七)が話すのをきいた。その時ホワイトヘッドは八十歳で、ゆっくりした足どりに大きな頭をささえて、壇の上にのぼった。場所は、教会だったと思う。ふだんは牧師のあがる壇の上にたって弱々しい声で話しがはじまった。蒼白い大きい顔。いつたえるかわからないほどに細いやさしい声。それでも一時間ほど、話しつづけて、またゆっくりと説教壇からおりた。
 何度も微妙な保留をつけて、ある仕方で、不滅なるものを信じることを主張したと、おぼえている。しかし、どういう仕方でだったのか? うっかりすると、はっきりわからないまま、私は死んでしまいそうな気がする。その時の講演を、私は、その後どこで読んだということもない。プリンストン大学で講義していた姉に頼んでさがしてもらって、ようやく、講演のテキストを手にいれることができた。 (前掲書)
 よく知られているように、鶴見は、ハーヴァード出身の「不良」である。厳密には、決して品行方正ではなかった小学生時代があり、そうした状況を見かねて、政治一家だった家族のはからいでアメリカに留学させられ、そのアメリカで勉学に目覚め、ハーヴァードで哲学を学んだ。その彼が、当時存命していたホワイトヘッドの講演を聞いたおりに、何か思い出の中に残ったものがあったようだ。それが「あれ」だ。その「あれ」を求めて、後に、アメリカにいた彼の姉である鶴見和子にその当時のホワイトヘッドの講演の内容が書かれたテキストを送ってもらい、ようやくその「あれ」を感じることができるようになってきた。それが「四十年たって耳にとどいた」。このエッセイの初出は、ちなみに、本誌『図書』一九七八年八月号である。このエッセイが書かれた時、鶴見は五十六歳であった。後に、二〇〇九年四月十二日に放映されたNHK「ETV特集 鶴見俊輔――戦後日本 人民の記憶」に出演した際にも、この話を聞き手の黒川創に話している。この時鶴見の年齢は八十六歳。「生きているという感覚の中に永遠がある」という話をする。「もうろく」した老人でありながらも、幼い子どもであろうとも、青年であろうとも、中年であろうとも、「価値」は「不滅」のものとして輝き続ける。虹を見れば、老人だろうが子どもだろうが、心が跳ね上がるように。「ホワイトヘッドは、今の私くらいヨタヨタしてた」にも関わらず、あるいはだからこそ、この「不滅性(immortality)」について議論を展開した。死期が近づくにつれて、「不滅」をより抱握する。可滅的な存在である人間であるからこそ、私たちは、不滅を考える。その不滅は可滅的な存在がいるからこそ、それが前提となるし、可滅的な存在は不滅的な価値なくして存在することはできない。時代によってそれが忘却されることもあるかもしれない。
 実際に「あれ」のオチがある。ホワイトヘッドが壇上を降りる際に、最後に喋った言葉がある。その言葉がよく聞き取れなかったがゆえに、とりわけ「あれ」になっていた。その厳密な意味での「あれ」とはどんな言葉だったのかというと、こうだ。「精密さなんて、いつわりのものである(The exactness is a fake)」。

 鶴見はこのように述べて「あれ」を抱握していた。このホワイトヘッドの文言を語りながら、「あれ」を語り終える最後に金子文子を召喚する。「ホワイトヘッドの講演は、今読みかえすと、金子ふみ子の獄中手記の最後の部分を思わせる」。金子はどういった文言を残していたのだろうか。次のようなものである。
間もなく私は、この世から私の存在をかき消されるであろう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思っている。 (『何が私をこうさせたか』岩波文庫)
 金子は、おそらく死期を悟っていた。やはり死期が近づくにつれて、「不滅」をより抱握していたのではないか。自らの存在は天皇の名の下に滅されるだろう。しかし金子はそういったことに対して、恐れを抱かない。むろん、彼女の心の中には私の想像を超えるような葛藤があったに違いない。しかしながら、自らの生をもって、天皇と、政府と、この日本社会と、差別と、対峙した。
 この「あれ」は、百年前であろうと、そこから四十年経とうと、そして百年経とうと、変わることなく、永遠だ。金子という可滅的な存在は、あらゆるヒエラルキーに抗う不滅の理念を体現していた。私たちは死ぬ。しかし死なない。金子は死んだが、しかし生きているのだ。鶴見に依拠しながら、簡潔に金子についておさらいする。
大震災直後に大逆罪のうたがいで朴烈とともにとらえられた金子ふみ子は、籍をいれてもらえない子として育ち、やがて朝鮮で女中としての苦しい生活をした上で、朝鮮人との結婚にふみきったと言う。ここには、日本の社会の中での疎外が朝鮮人への結びつきに導き、それがさらに日本の社会体制にたいする反逆の意志を育てると言う生き方がある。金子ふみ子は一九二六年三月に死刑の判決をうけ、一カ月後に天皇の特赦によって死一等を減ぜられ、さらに三カ月の後にかぞえ年二十三歳で首をつって死んだ。彼女は、『何が私をこうさせたか』(春秋社、一九二六年)という手記を残した。(「朝鮮人の登場する小説」『鶴見俊輔集11 外からのまなざし』)
 無籍者として金子は生きた。両親からも見捨てられ、親戚をたらい回しにされ、生きた。途中、朝鮮半島に暮らした際に、そこでも疎外された。「日本で〈はずれ者〉であったことと、朝鮮で日本人集団のなかで〈はずれ者〉であったことが連動して文子の朝鮮人への共感を生み出したと見るべきであろう」(山田昭次『金子文子――自己・天皇制国家・朝鮮人』影書房)。だから、日本で活動していたアナキスト、あるいはニヒリストであった朴烈と出会い、互いにパートナーとして日本社会に抵抗して生きた。両者ともに、でっち上げに近い言いがかりから検挙され、死刑判決が下された。
 朝鮮にいた頃、金子は、一度、死を決意した。「一九一六年夏。いまからおよそ百年前のことである。/朝鮮の芙江に死のうとしている日本人の少女がいた」(ブレイディみかこ『女たちのテロル』岩波書店)。あらゆる社会から疎外され、もはや生きる価値がないのではないか。そう金子は思った。しかしながら、突如、蝉の鳴き声にそそのかされて、生きてみることになる。その後の半生は、イ・ジュンイク監督作品である『金子文子と朴烈』のなかで美しくも悲しみに満ちた仕方で描かれている。滅することを知る人は、不滅を知る。虹の色、蝉の鳴き声、自然の美しさ。そこに美しさという価値を見出すことは、人の人生において、偶然の産物でしかないかもしれない。しかし、その偶然のなかに、永遠が宿る。いわく言いがたい出来事を経験し、それを抱握し、それを「あれ」として豊かに実らせていく。金子は日本に帰り、烈火のごとく生きた。むろん、実生活で激しい抗日活動家として、あるいはテロリストとして生きたわけではない。しかしながら、裁判の過程で、彼女は、自らが生きてきた経験から、思想を作り上げていく。「あれ」が思想として練り上げられていくのである。その思想の矛先には、何があるのか。思想は価値を生み出し、それが生き残る。存続する。

 鶴見が影響を受けてきたホワイトヘッドの文言を引こう。
哲学は驚きにはじまる。哲学的思考が最善を尽くして驚きに解を与えてもなお、驚きは依然としたまま残る。(中略)存在とは未来へとどこまでも合流していこうとする活動だ。哲学の向かう先は、活動の超越的な機能に対して活動の盲目具合を見抜くことにある。 (Modes of Thought)
 自らの体験という可滅的な領野に定位しながら、そこに不滅の相を見出す。この時可滅的な領野に生きる私たちは出来事を経験する。その出来事はなんてことのない日々のあれこれだ。虹を見て心が跳ね上がることかもしれない。死を決して蝉の鳴き声を聞くことであるかもしれない。自然の崇高さにただひたすら圧倒されることかもしれない。その時に、「あれ」が体の中に残存する。それは残存し続ける。私たち可滅的な存在は、どこまでいっても未来へと流れていく。仮に時代に忘れ去られたとしても、それは突如として、出来事として誰かに必ず経験される。金子はともすれば忘却されていた存在だ。しかしながら、突如として、あるいは脈々と、金子の思想は「永遠の実在のなかに存続する」。金子の生き様は、百年たって、再び、私たちの耳にとどいている。
(もり もとなお・哲学者)
 
◆こぼればなし◆
 
 ◎ 先日『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観てまいりました.これまでも〈ゴジラ〉は幾度となく内外でリメイクされ,一六年には『シン・ゴジラ』が大反響を呼んだのは記憶に新しいところです.敗戦国の戦後が産んだ,この特異なキャラクターが,戦勝国は映画の中心地であるハリウッドで甦った本作での姿に,『さようなら,ゴジラたち』(小社刊)の著書もある加藤典洋さんなら,どのような感想をもたれたことでしょう.

◎ 先月号まで「大きな字で書くこと」を連載いただいていた加藤さんが,五月一六日に急逝されました.七一歳でした.

◎ 遺された自筆の年譜によりますと昨年の一一月から体調を崩され,ことしの一月にはかなり厳しい病状であったことが記されています.

◎ 回復されてのち,退院が近づいた三月下旬に病室でお会いした加藤さんは普段と変わらず,とても深刻な病状を抱えている方とは思えないほどお元気でした.

◎ ご病気の経過や療養中に考えておられたこと.そのあいだに仕上げられたお原稿のこと.これからのお仕事をどのようにまとめていくべきか.――そういったお話をいつもとおなじように笑顔で,ときに厳しく語っておられました.

◎ これからは根を詰めるような仕事は抑えて,「大きな字で書くこと」のような仕事をしっかりとやっていきたい,うちの奥さんには「小さな字で,薄く書いている」と酷評されているからね,と笑っていらっしゃったのが忘れられません.

◎ 完治も射程に入り,ご自宅で療養をつづけておられましたが,しかし,ふたたび病状が進行することになりました.四半世紀を超えるおつきあいでした.これからのお仕事に伴走することは,もはやかなわないのです.一時であれ,お元気になられた姿を知っているだけに,それが本当に無念でなりません.

◎ 生前の加藤さんは多くの著作を物されましたが,訃報にあたってほとんどの紙誌が代表作として挙げていたのは『敗戦後論』でした.たしかに発表当時の,左右両派を巻き込んだ大論争を思えば,そう位置づけられるのは当然でしょうか.

◎ その陰で密かに読み継がれてきた,もっとも加藤さんらしさが光る名著があります.第一〇回新潮学芸賞を受賞した『言語表現法講義』(小社刊)――九六年の刊行から二三年.途絶えることなく読み継がれてきた本書は,版を重ね現在二二刷.ロングセラーとなっています.

◎ 最近,ある中学の先生が本書の感想を寄せてくださいました.この本を知ることなく,これまで国語を教えてきた自分が恥ずかしいです,もっと早く出会っていたら私の授業は違ったものになっていました――お伝えできていたなら,加藤さんはどれほど喜ばれたことでしょう.

◎ 編集者として,またひとりの人としても教え,育てていただきました.義理は返せても恩は返せない――お返しできない御恩を思い,心からのご冥福をお祈りいたします.ありがとうございました.

◎ 冨原眞弓さんの連載が本号で終了です.ご愛読,ありがとうございました.

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