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『思想』2019年9月号 未完のフーコー

◆目次◆

思想の言葉………小泉義之
生命的-主権的複合体――フーコーの人文科学批判の射程………藤田公二郎
フーコーと表象のリミット――〈ラモーの甥〉から〈ルソー〉へ………佐藤淳二
ヘーゲルを模倣するフーコー――『狂気の歴史』のラモーの甥論をめぐって………王寺賢太
数学という例外………ダヴィド・ラブアン
まなざし,鏡,窓――フーコーとラカンの『侍女たち』(上)………立木康介
旅する理論――エドワード・サイードはフーコーをどう読んだか………中井亜佐子
告白とパレーシア――隷従化されない主体化を求めて………上田和彦
狂気と生権力――70年代フーコーの精神医学研究………上尾真道
人民の回帰?――フーコー戦争論のポテンシャリティ………箱田 徹
〈読解ノート〉「欲望する主体」の系譜学――『性の歴史』第4巻『肉の告白』について………慎改康之

◆思想の言葉◆

啓蒙と霊性
小泉義之

 一九六八年の学生運動は革命運動であった.それは七〇年を跨いで,労働運動へ波及する勢いを持っていたが,革命という出来事はついに起こらなかった.その原因は,運動内の自壊や転向に求められるのが常であるが,フーコーがそのコレージュ・ド・フランス講義録『刑罰の理論と制度』で強く示唆していたように,革命運動を阻止したのは,支配層による弾圧と抑圧であった.フーコーにとって,七〇年代初めは,革命運動に対する反動期であった.

 ただし,フーコーによるなら,反動期の支配の特質は,革命運動家を直接に弾圧するところにではなく,むしろ,強権的な弾圧を契機にして,革命運動周辺で蘇生していた反秩序的な有象無象,『狂気の歴史』で言うところの「非理性」の有象無象を一斉に抑圧するところにあった.まさにその抑圧を通して,司法的で刑法的なものは,道徳的な非難,道徳的な矯正,法と秩序の正義感覚と結び付いて,規律権力を全社会的に蔓延させていったのである.そのような歴史過程を分析したのが,講義録『処罰社会』,そして『監獄の誕生』である.

 では,反動期において,革命運動の志を幾らかでも引き継ぐような抵抗はどのような姿をとったのであろうか.同時期の日本について想起しておこう.六八年の革命運動とその余波で目覚めた活動家たちは,反動期を潜り抜けようとして,おおむね四つの道へと散開していった.

 第一に,差別を告発し糾弾する道である.活動家たちは,活動家自身に潜む差別意識の自覚を促されて強い自己批判を迫られた.その自己批判を継続しながら,活動家たちは,種々の反差別闘争へと向かった.この闘争の主体は,自己の内なる差別性を批判することを通して,他者の差別性を批判できる主体として,主体形成を図っていたのである.フーコー流に言いかえるなら,当時の運動体は司牧権力よろしく,自己の虚偽意識を点検させ自己の罪責性を告白させ,そのようにして,被支配者に奉仕し支配者を糾弾する主体を形成していたことになる.

 第二に,福祉や教育の領域へ転ずる道である.一般の就職を潔しとしなかった活動家たちは,民間の福祉事業や教育産業に生計の道を求めていった.そうした活動家たちは,国家と専門職による福祉や教育とは別に,宗教的慈善活動やセツルメント活動の伝統を引き継ぐ形で,最も貧困で悲惨であると目される民衆の中へ,国家と専門職によって打ち棄てられた民衆の中へ,資本主義の精神によって底辺へ追いやられた子どもの中へと向かった.フーコー流に言いかえるなら,この運動の主体は,国家と専門職による統治の過剰に抗して,別の統治を求めていた.そして,この運動の主体は,自己の内なる差別性を告白する主体ではあったが,むしろ,疚しき良心を抱えた美しき魂の状態を通り抜けて,自己の徳性の修練を積むことが,他者と共に新たな統治に参与することになると考え,まさにそのことによって自己の罪責性を贖罪できると考えていた.

 第三に,官公庁や企業に就職しながらも,そこで革新者として振る舞う道である.この活動家たちは,戦後民主主義と戦後資本主義の守旧性や限界性はよく弁えていたからこそ,いざ職に就いたなら,有能な革新者として振る舞うことができた.その能力は,生産性向上においても技術開発においても労働者管理においても,遺憾なく発揮された.フーコー流に言いかえるなら,活動家たちは,官公庁や企業における(ネオ)リベラルで企業家的なホモ・エコノミクスの供給源になったのである.

 第四に,反公害運動から環境運動へと進む道であった.この活動家たちは,革命運動の敗北後,資本主義批判の根拠を一時的に見失ったものの,今度はそれを環境破壊だけに見出すことになった.そのとき,資本主義は全般的危機に陥りつつある腐敗した社会として立ち現われ,そうであるからこそ,終末論的ヴィジョンを信仰し,別の清潔な世界を希求することになった.フーコー流に言いかえるなら,それは宗教的神秘主義や宗教的異端の系譜に連なる道である.

 このように七〇年代の反動期を振り返ると,七〇年代から八〇年代へかけてのフーコーの歩みが,たとえ近代以前の文献資料を分析するときでも,たとえ権力論から主体性化論へとか統治性論から自己配慮論へとか概括されるにせよ,まさに同時代の現在性を分析する歩みであったことが見えてくる.そして,私が仮説的に主張しておきたいことは,フーコーは,反動期の抵抗に対して異を唱えるようになっていたのではないかということである.とくに,最後の講義録『真理の勇気』のパレーシア論からフーコーの歩みを見直すとき,少なくとも私にとっては,フーコーは,反動期の抵抗運動の諸相のすべてから何としてでも身を引きがそうとしていたのではないかと思われてくるのである.その徴表を幾つか列挙してみたい.

 第一に,フーコーは,講義録『社会は防衛しなければならない』で,これまでの研究に「けり(terme)」をつけたいと語り出している.たしかに,これまでの仕事は「時代に適合」してきた.それは「従属化された知の蜂起」を促してもきた.言いかえるなら,種々の差別の告発の基礎となる知,主流派の言説に対抗する稗史でもあるような「歴史=政治的言説」を作り出してきた.しかし,とフーコーは続けて,そうした言説にしても「流通」し「再コード化」され「再植民地化」され,支配的な「知と権力」に「取り込まれている」と語るのである.つまり,それを新しい社会運動と呼んでもよいし市民運動と呼んでもよいが,反動期の(元)活動家たちの運動は,何ものかに取り込まれてしまっていると見なしているのである.

 第二に,フーコーは,「普遍的」知識人だけではなく「特定的(spcifique)」知識人にも批判を向けるようになる.「知識人の政治的機能」(一九七六年)では,「特定的知識人は諸々の障害に直面し,諸々の危険にさらされている」とし,とくに「局地的闘争」の「要求」に留まる危険にさらされており,そこから脱して,「新しい真理の政治」が可能かどうかを考えなければならないとしている.つまり,革命運動から反転してミクロなものに沈潜すれば済むという考え方が拒絶されているのである.

 第三に,決定的と思われるのは,一九七八年のイラン革命をめぐる一連の論評である.この時期,フーコーは,カンボジアでの虐殺を取り上げ,現存する社会主義が絶望しかもたらさなくなった状況は,それが虚妄であっても希望をかけることのできる別の体制が地上から消え失せたことを意味する点において,由々しき事態を招いていると論評していた.しかし,そのフーコーは,当時の(元)活動家の一部がそうであったように,イランの蜂起に希望を見出していく.そのとき,フーコーが,蜂起を主導する理念として提示したのは,驚くべきことであるが,「政治的霊性」であった.そして,フーコーは,まさに同年の「批判とは何か―批判と啓蒙」において,批判ないし啓蒙にも,これも驚くべきことであるが,「霊的な態度」を見出していく.つまり,反動期の種々の運動が反動期後の統治に繰り込まれて行く過程に抗して,フーコーは,啓蒙と霊性を押し立てているのである.

 このように振り返るなら,フーコーは,一九七〇年代の反動期に心身を擦り減らしながら,こんなものでは何かが違っている,こんなものは求めていた未来ではないと感じていた人々の,まさに同時代人であったことが見えてくる.フーコーは,かつての革命家たちが何よりも体制の「腐敗」に憤りを向けたように,過渡期である現在の「腐敗」を糾弾しながら,「歴史の濫造者たちについて」(一九八三年)では,「増大する砂漠を嘆いても無駄である」と語ってもいたのである.そして,最後のフーコーは,別の世界,別の人生を求めるパレーシアを打ち出したのであるが,そこから過去を振り返りながら,私たちの現在性を批判すること,それこそがフーコーの教えるところであろう.

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