『図書』1 月号 【試し読み】佐伯泰英
◇目次◇
◇読む人・書く人・作る人◇
惜櫟荘が文庫を
佐伯泰英
『図書』に連載した『惜櫟荘(せきれきそう)の四季』が岩波現代文庫として十一月に刊行された。私にとって『惜櫟荘だより』に続いて二冊目の文庫だ。私は時代小説を文庫書下ろしというスタイルで執筆(二十年余に二百六十余冊)してきた。不況の出版界に生き残るために書いていたら、この数になっただけの話だ。その結果、熱海の旧岩波別荘、惜櫟荘の番人まで務めることになった。多作と惜櫟荘を所有する二つに因果関係はない、なんとなく「縁」があってそうなった。本来書下ろし文庫作家が岩波現代文庫のラインナップに二冊も入るわけもない。『惜櫟荘だより』を『図書』に連載してみないかと編集者に乞われたとき、「冗談か」と思った。出版界に携わっているとはいえ、岩波書店と私の立場はいちばん遠くに離れていた。ところが惜櫟荘の所有者になったことで所縁ができた。
惜櫟荘を譲り受け、古びて傷んだ建物を完全修復した落成式の場で、私は、「惜櫟荘は岩波文庫が造り、書下ろし文庫が守った」と挨拶した。岩波現代文庫二十周年にあたる今回の『惜櫟荘の四季』は、いわば「おまけ」だ。前作は惜櫟荘が建築された来歴、岩波茂雄と設計者の吉田五十八のぶつかり合いを書けばなんとか「かたち」になった。だが、二作目となるとそうはいくまい、と思った。そこで惜櫟荘の番人が体験した建物に纏わる雑多な話を連ねつつ、読み物作家の日常や旅を認めた。この二十年余に出版界は大きな変革を迫られている。文庫のブランド感が薄れ、なんと私の書下ろし小説は「佐伯文庫」と呼ばれるようになった。嗚呼――。
(さえき やすひで・作家)
◇こぼればなし◇
〇あけましておめでとうございます。年頭にあたり、みなさまのご健康とご多幸を祈念いたします。本年も、よろしくお願いいたします。〇さて。巻頭、佐伯泰英さんの一文にもありますように、『惜櫟荘の四季』も収められている岩波現代文庫は、この一月で創刊二〇年となります。
〇まず、記念月の今月は、柄谷行人さん『哲学の起源』。夏目漱石原作による夢の世界をその独自の世界観で描いた、近藤ようこさんの『夢十夜』。単行本刊行時に大きな話題をさらったベストセラー、栗原康さんの『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』。サントリー学芸賞と日本出版学会賞のW受賞作、佐藤卓己さんの『「キング」の時代――国民大衆雑誌の公共性』。そして、昨年五月に急逝されたことが記憶にも新しい加藤典洋さんの『僕が批評家になったわけ』の五冊を刊行します。
〇また、新刊だけでなく、本叢書の魅力の一端を広く知っていただこうと、この機会にあわせ「もっとも読まれている現代文庫ベストセレクション」と題し、主要書店でフェアも企画しております。これは、という一冊に出会えるはず。ぜひ、お近くの書店までお運びください。
〇ようやく成人を迎えたこの叢書。一昨々年の岩波文庫の創刊九〇年、一昨年の岩波新書の創刊八〇年、そして昨年が岩波ジュニア新書の創刊四〇年――その年数はくらぶべくもありませんが、学術系から社会問題系、小説やエッセイ、ノンフィクションまで、収録作品は一〇〇〇冊を超えます。その個性にあわせて一新された装丁のもと、二月以降も強力なラインナップが予定されております。ひきつづきご期待いただくとともに、この叢書への変わらぬご支持を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
〇一〇月の本欄でご紹介した、佐藤正午さんの『岩波文庫的 月の満ち欠け』。発売後即重版を重ね、ふた月を俟たずして一〇万部を越え、単行本とあわせると累計二〇万部を突破しました。奇を衒った装丁が先行して各紙で話題にもなりましたが、それだけでは、これほどの読者の支持は得られないでしょう。
〇たとえば、お笑いコンビ・さまぁ~ずの三村マサカズさん。昨年、『岩波文庫的~』の書影に「本は面白いなぁ。出会いだな」と加えたツィート(一〇月三一日)が大きな反響を呼びました。ペーパーバック化による思いがけない読者への広がりと、その評判がSNSで拡散されたこととが相俟って、さらに新たな読者層に広がってゆくという、象徴的な出来事だったと思います。
〇ITのもたらした喜ばしい成果ではありますが、いずれにしても作品自体に力がなければ、多くの読者の心を動かすことはできません。その実質を忘れてはならないでしょう。
〇本号で三浦佑之さんの連載「風土記博物誌」が終了となります。ご愛読、ありがとうございました。新たに片岡義男さんの連載「CDを積み上げる」が始まります。ご期待ください。