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『図書』1 月号 【試し読み】佐伯泰英/さだまさし・立川志の輔

 ◇目次◇

追剥ぎとハクビシンの山月記 影浦峡
僕らの孤独の住所は日本 MOMENT JOON
何を今さら『方丈記』、されど今こそ『方丈記私記』(上) 鹿子裕文
84歳 わたしの「道の駅」 沼野正子
南の島のよくウナギ釣る旧石器人 藤田祐樹
汚れた土のゆくえ 赤坂憲雄
はじまりのCD 片岡義男
浦島子の異界往還 三浦佑之
聖なる奇観としての供花神饌 橋本麻里
夢で聴く人、早坂文雄 片山杜秀
悩める漱石 長谷川櫂
モダンを超え、その先へ 山室信一
 
(表紙解説=司修) (カット=高橋好文)

 

◇読む人・書く人・作る人◇

惜櫟荘が文庫を

佐伯泰英

 『図書』に連載した『惜櫟荘(せきれきそう)の四季』が岩波現代文庫として十一月に刊行された。私にとって『惜櫟荘だより』に続いて二冊目の文庫だ。私は時代小説を文庫書下ろしというスタイルで執筆(二十年余に二百六十余冊)してきた。不況の出版界に生き残るために書いていたら、この数になっただけの話だ。その結果、熱海の旧岩波別荘、惜櫟荘の番人まで務めることになった。多作と惜櫟荘を所有する二つに因果関係はない、なんとなく「縁」があってそうなった。本来書下ろし文庫作家が岩波現代文庫のラインナップに二冊も入るわけもない。『惜櫟荘だより』を『図書』に連載してみないかと編集者に乞われたとき、「冗談か」と思った。出版界に携わっているとはいえ、岩波書店と私の立場はいちばん遠くに離れていた。ところが惜櫟荘の所有者になったことで所縁ができた。

 惜櫟荘を譲り受け、古びて傷んだ建物を完全修復した落成式の場で、私は、「惜櫟荘は岩波文庫が造り、書下ろし文庫が守った」と挨拶した。岩波現代文庫二十周年にあたる今回の『惜櫟荘の四季』は、いわば「おまけ」だ。前作は惜櫟荘が建築された来歴、岩波茂雄と設計者の吉田五十八のぶつかり合いを書けばなんとか「かたち」になった。だが、二作目となるとそうはいくまい、と思った。そこで惜櫟荘の番人が体験した建物に纏わる雑多な話を連ねつつ、読み物作家の日常や旅を認めた。この二十年余に出版界は大きな変革を迫られている。文庫のブランド感が薄れ、なんと私の書下ろし小説は「佐伯文庫」と呼ばれるようになった。嗚呼――。

(さえき やすひで・作家) 

◇試し読み◇ 2020/2/29までの限定公開です

〈対談〉「笑い」というインフラ

さだまさし
立川志の輔

武道館で初コラボ!?

さだ 高校の恩師で岩波書店と三島由紀夫の熱狂的ファンだった倫理の先生が、説教するときには必ず「岩波新書の何々を読め」と言っていました。三島は言われるままにせっせと読んでいましたが、岩波書店の本はなかなか歯が立たなくてね。でもその先生や国語の先生の影響もあって「精霊流し」がヒットしたとき自分のために最初に買ったのは、岩波書店の「日本古典文学大系」でした。「カネに余裕ができたら、古典文学大系を持っておけ」と言われていたのです。

志の輔 岩波文庫は、昔は半透明のパラフィン紙に包まれていました。あれが本棚に数冊あると、自分がとても知的になった気がして。その岩波書店の『図書』にさださんは二年も連載され(「さだの辞書」)、本当にお忙しいのに、どうやって時間をやりくりしてるんですか。

さだ 大袈裟に言うと寝る間も惜しんで、と言いたいけれど、ライブもあるので、寝ないとね。

志の輔 そのさださんと、二〇一九年二月には、なんと武道館でご一緒させていただきました。武道館で落語ですよ、びっくりです。

さだ 東京神保町にある落語ライブハウス「らくごカフェ」の一〇周年の記念イベントで、連載(第19回)にも書きましたが、オーナーの青木は僕の高校の落研の後輩です。そいつが、志の輔さんと立川談春と僕とで三人会をやるって言いだしたんです。五〇人で満席のカフェのオーナーが、八〇〇〇人の武道館でイベント。ちょっと、どうかしてるでしょう?「武道館おさえましたから、先輩、お願いします」と電話がかかってきたから、「お前、気は確かか?」と。でも僕は、「らくごカフェを始めたとき程度の借金でできるなら、やるだけやってみたら?」と言ったんです。ところが志の輔さんは真面目だから、最後までそいつのことを心配して。

志の輔 最初、僕は断ったんですよ。だって、さださんが受けるはずがない。そうしたら「さださんが受けてくださいました」って(笑)。青木のことは前から知っていたけど、さださんと先輩後輩の関係だったことは知らなかった。

さだ それから、しぶる志の輔さんを、談春と僕とでくどいたわけです。

 大学生だった青木が志の輔さんのところに行ったとき、あまりに生意気な口をきくので、横にいた談春が青筋立てて怒ったそうです。でもその頃から、青木は二人にかわいがられている。

 志の輔さんは、「武道館でやる以上は、最後はさだまさし。そうでないと人は集まらんぞ」とおっしゃった。僕は「いや、らくごカフェの会だから、落語がメインじゃないとおかしい」と。形が決まったのは、公演の三日前です。

志の輔 はい、そうでした。

さだ 第一部では若手落語家のあと春風亭一之輔さんが一席やって、第二部はアンサーソングとしての「さだまさしオンステージ」。第三部ではいきなり談春が高座に上がって一席やる。下げた瞬間に、トン、と僕が歌い出す。第四部が志の輔さんの「新・八五郎出世」という妹の結婚の噺。アンサーソングとして「親父の一番長い日」。終わったら志の輔さんと談春を呼んで、全員出て来てカーテンコール。

志の輔 「親父の一番長い日」は「新・八五郎出世」のあとに聞くと、そのための曲のように聞こえました。長屋で生まれ育った妹が殿様に見初められて側室になり、お世取りを生んだので兄もお城で引き立てられるけれど……という噺です。

さだ あれはプロデュースの青木がえらかった。

志の輔 青木はあのとき、実は命に関わるような病をこじらせながら、自分の人生のそれこそ最後、これさえ叶えば、というくらいの気持ちで臨んでいましたね。命がけで構成を考え、気迫がもうすごかった……。

さだ そのあと気が抜けて、いったんは悪くなったんですが、いまは立ち直ってまたウロウロし始めています。

伊能忠敬との時を超えた遭遇

さだ 志の輔さんがすごいのは、ライブ一筋だということです。そりゃ、NHKのテレビ番組「ガッテン!」の司会も長くされておられますよ。でもメディアにこびることがない。新作は素晴らしいし、古典はもちろんきちんとなさる。新作を書かれるときは、やはりしっかり勉強なさるんですか?

志の輔 古典落語の「中村仲蔵」や新作落語の「伊能忠敬」はかなり大変でしたね、いろいろ調べたり構成を変えたりと。「中村仲蔵」は、実際歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の五段目を再現しました。「大河への道――伊能忠敬物語」は、初めて日本地図を歩測でつくった伊能忠敬を主人公に、地元の県庁が大河ドラマの実現を目指す噺です。

 作品誕生のきっかけは、千葉県佐原の観光に行ったことなんです。のどかないい街だな、もうほとんど観たね、じゃ帰ろうかってとき、同行したコピーライターから「伊能忠敬って人の記念館に寄りますか?」と誘われたんです。「入場料も安いだろうし」と。チケット買っていざ入ろうというときに、一八二一年に伊能忠敬がつくった地図と、平成の衛星からの地図が重なる! って、ほぼずれがないのを見た瞬間の驚きがきっかけ。佐原で酒造業を営んで、隠居後五〇歳で江戸に移住。時の幕府天文方で一九歳年下の高橋至時(よしとき)に弟子入りして、五五歳から七三歳まで一七年間歩測で日本全国を測量して歩いたんですよ。天才奇人です。

さだ 思い出したのでついでに言うけど、伊能忠敬、詩島(うたじま)に来てた!

志の輔 えっ! 詩島に!? どうしてそんなことがわかったんですか?

さだ 伊能忠敬の描いた地図には歩いたところに、全部、赤い線が引いてあるんですよ。詩島は、むかし寺島と言ってたんですが、そこに赤い線が引かれてた!

志の輔 うわぁ~! すごいですねぇ。屋久島、種子島にも行ってるって言うけど、さださん所有の詩島にもねぇ。

さだ 詩島には志の輔さんも来てくださいましたが、船着き場に「伊能忠敬上陸地」という石碑を建てようかなと思っています。

志の輔 伊能忠敬がどこに寄ったかを考えただけで、ワクワクしますよね。僕の実家のあるのは富山県新湊(しんみなと)。いまは射水(いみず)市ですが、ここにももちろん、測量に来ています。地元出身の石黒信由(のぶよし)は伊能忠敬に同行して測量法を学んで、あとからもう一度、富山湾を測り直しています。射水市新湊博物館には、伊能忠敬が泊まった宿の朝食のメニューまである。伊能忠敬が来たことは町の自慢なのです。詩島にもぜひ碑を建ててください。詩島には杭もなければ赤いラインが引かれているわけでもないし。さだ それが、地図はちゃあんと、いまの詩島の形なんですよ。

「さだまさし」の使い方

志の輔 さださんが長崎県大村湾に浮かぶ詩島を買ったときには、電気・水道・ガスのインフラは何もなかったんですよね。法的には人が住んでいれば公共サービスとして行政が整備してくれるところ、それを全部自費で整備したんでしょう。驚きましたよ。

さだ 言ってみれば歌手の道楽で、そのために税金を使うわけにはいきません。まず取り付けたのが浄化槽。大村湾では真珠を養殖していて、さだが来たために海が汚れたと言われるのが一番つらい。

志の輔 さださんはそういうふうに、一つの島に関わるすべてについて考え、把握しているじゃないですか。単に建物を建てて、そこに好きな仲間を呼んで飲んで、それでよしとするのではない。人に対してもそうです。人との付き合いに、すごく大きな宇宙の輪郭のようなものがあるのを感じます。どうしたらそんなにいろんなことができるんでしょう。人を魅きつける天性のタレント性と多くの人との出会い、そこから得られた豊富な経験ゆえの「気配り」なんでしょうけど。

さだ お陰様で「さだまさし」は、有名にしていただきました。思うに、「僕」と「さだまさし」は別人格なんですよ。たとえば自然災害の被災地に行く。「何か足りないものありますか?」とやっていると、「あれ、さだまさしじゃないの?」「さだまさしだよ」というやり取りになる。「なんか歌ってよ」と言われたら「ちゃんと歌いに来るから、それまで何とか耐えてがんばって」と約束をして、後日ギターを持って歌いに行ったら、みんな泣いたり笑ったりものすごく喜んでくださる。それを見て、あぁ、「さだまさし」って、こういうときに使わないとだめだなと思います。これは「僕」じゃなくて「さだまさし」がやるべきだ、という開き直りができました。そりゃ、疲れます。疲れるけれど、被災した人はもっと疲れてる。

志の輔 「さだまさし」という存在を、少し距離をおいて客観的に見られる状況だってことですね。「さだまさし」という名前で歌をつくってステージで唄ってを繰り返した若き日から、今は自分の中のプロデューサー「さだまさし」が自分を動かしているんですね。

さだ 「さだまさし」は、僕一人でつくってるんじゃないんです。スタッフ全員でつくっているわけです。そうなると「さだまさし」だったらどうするのかな、と俯瞰して考えるほうがいいように思うんです。僕自身はそんなにきれいに世の中生きていけると思っていないし、「自分は善人です」と馬鹿なことを言う気はない。池波正太郎の小説を読めば「善人がうっかり悪をなし、悪人がうっかり善をなす」と書いてある。善悪という二種類のものが、人間の心の中に交互に渦巻いているとか、お金はよいことに使う奴も悪いことに使う奴もいる、使い方によって二つの色があるなんていうのを読んでいると、みんながつくった「さだまさし」をどうしたいですかって、逆にみんなに聞きたい思いがありますね。

 「さだまさし」というロボットを操縦しているみたいなもので、腕の振り方一つ間違えても、ものすごく人を傷つけるし、歩く場所にも細心の注意を払わなくてはいけない。それを世間に教わってきました。どんなにがんばってもクレームは来ます。お叱りは甘んじて受けようと、最近は開き直っています。

笑顔というインフラ

志の輔 私いま、もっともっとフレキシブルに動ける自分が欲しいなと思っています。東日本大震災の後、岩手県北上市のホールの方が、「うちは幸い被災を免れ劇場が使えるのでぜひ落語の公演を」と言われたときに、「せっかくですから、被災地八カ所くらいからバスを仕立てて、この公演に参加していただくというのは?」と提案して、「笑いで応援! 志の輔らくご」を二〇一一年から毎年続けています。終演後はそれぞれの来ていただいたブロックごとにステージで記念写真を撮るのが楽しみなんです。

さだ すごいと思ったのは、志の輔さんが東京のお客さんを連れて来てることです。すると町が活性化するんですよね。

志の輔 気仙沼の公演は糸井重里さんのアイデアなんです。

さだ 僕は気仙沼でつくったNHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」の曲を「里帰り」させたいと思い、東日本大震災後、気仙沼に行きました。気仙沼は火災に遭い市民会館が避難所になっていたので、向かいの大島で歌ったのですが、そのとき、志の輔さんも気仙沼で支援していると知り、相乗りして一緒に何かできたらいいなって、ずっと思っているんです。志の輔さんは落語、僕は歌。一時間ずつのサービスをして、東京から来る人からはちょっとお金をいただき、地元の人にはお安く、みたいな。

 僕は自分は芸人だと自負していて、芸人が人びとの生活のなかでどれくらい役に立てるかわかりませんが、もしもそこで役に立てるとすればやる意味がある。笑顔はある意味、インフラですよね。芸人としては、笑顔のインフラを守っていくということだと思うんです。志の輔 ぜひご一緒させてください。災害のたびに、笑いの力って何なんだ、落語をやる状況なのか、などと頭でっかちに考えちゃうんですよね。

有名人にこそできること

さだ 南こうせつさんに「こういうときのために有名にしてもらった」という素晴らしい言葉があります。失礼ながら無名芸人には無理なんです。東北の方は優しいから「歌いに来たらしいよ。聞きにいってあげなきゃ」と動員がかかったりする。「さだまさしが来たよ」なら「じゃ、いくわ」と言ってくれる方がいる。ジャニーズなども頑張っています。「心のインフラ」っていうのかな。有名にしていただいた理由を考えると、災害のときの「有名インフラ」は活用すべきです。

志の輔 芸名がインフラになるときがある。

さだ 一人ひとりの芸人って湧水みたいなもので、現場まで来て水を汲んでくれる人にしかそのおいしさはわからない。でも僕らは移動できますから、よかったら飲んでみて、と持っていける。最近はギターがなくても、とりあえず現場に行きます。落ち着いたらまた歌いにくるから、と。そして必ず歌いに行けばいいし、事実、二年前の西日本豪雨災害のとき、愛媛県野村町でした約束は、この春にようやく果たしに行く予定です。

 マスコミが取材に来るならどうぞ、どうぞ。僕が有名になりたいんじゃなくて、ここに支援をお願いしますと、地元の人の代わりに言うのと同じですから。

志の輔 ギターがなくても。

さだ 「さだまさしだよぉ~!」って行こうって。悪口を言われるのは慣れちゃったので、批判はともかく、誰かが元気になるなら行こうと思います。

 テレビカメラが向いていると、東北の方は「助かります。みなさんのおかげです。ボランティアの人、来てくださってうれしいです」って言うんです。でもカメラスタッフがいなくなったとき、僕はあるおじいさんからぎゅーっと手を握り締められ泣かれたことがあります。「お袋を亡くしたんだ。カミさんも亡くした、孫も二人亡くした。車は見つかったけど、津波で本人はその傍にいなくて、早く見つけてやりたい」って泣かれると、自分の正体を知りますよね。一緒に泣く以外に何にもできない。でも、それでもいいんだって思うんです。一緒に泣くことしかできなくても、その人にとってどうしようもない孤独を耐える何かになるかもしれない。人間同士のこの心のインフラは早く届けないとダメだ、と思うようになりました。

志の輔 「芸名」がインフラ。すごい言葉ですね。よくよく考えれば私も「立川志の輔」の名前じゃパスポートも取れなきゃ、健康保険証もつくれない。立川談志がつけてくれた落語をやるときの名前なわけで、常に「全身志の輔」でいようと思ってはいるんですが。

さだ 僕だって、漢字でなきゃパスポートは取れません。「さだまさし」は別人格だと意識するようになってからは、学生時代からの友だちに手紙を書くときは、署名は漢字で「佐田」と書くようになりました。志の輔さんも、「志の輔」にはできるけど、志の輔の弟子にはできない仕事があるんですよね。

志の輔 言い訳がましく聞こえるのは承知の上ですが、いまの被災地に笑いはまだ早いんじゃないか、とか、いま行ったらかえって迷惑になるんじゃないか、良い時期はいつなんだろう、と。それぞれの職業立場でいろいろ考えがあるとは思いますが、正直、笑える時が来るのを待とうという自分の感覚優先になってしまいます。

さだ いま僕が台風で屋根を飛ばされた、例えば千葉県鋸南(きょなん)町に行ったところで、二階の屋根にブルーシートをかけられません。そんなときに歌っても邪魔でしょう。一人では大変だと、仲間が「公益財団法人 風に立つライオン基金」を立ち上げてくれたんですが、いろいろなボランティア団体と協力関係ができ、だから、いまボランティア仲間と連絡を取って必死で様子を聞いています。

志の輔 それはすごいことですし、ニュースだけでは伝わらないことが、いっぱいありますもんね。いやーどうしても、ニュースなどの映像のすごさに驚き、笑ってる場合じゃないぞ、とただただ悲惨な思いの方向だけになってしまいます。

さだ でも、「志の輔が来ましたよ。よかったら集まりませんか?」って言われて集まったら、それは聞きたい人なんですよね。もっと言うと、志の輔に会いたい人なんですよ。会うだけでいい、握手するだけでいいっていう人が必ずいますから。それから、あっちの惨状、こっちの惨状を見聞きして「あの地域の人はこんなことを言っていた」と別の被災地で伝えると、それだけで人と人とがつながっていく感じがします。

行政の役割と高校生への期待

さだ これからは、都市型災害への対応が課題ですね。二〇一九年九月の台風一五号で被害が大きかった千葉のケースで勉強させられています。

志の輔 都市型では、被災者は避難所には行かず、それぞれの家でじっとしながら情報を集めている。そういう人への支援の仕方という新しいタイプの支援というのも必要なわけですね。

さだ 一〇月の台風一九号で河川が氾濫した、長野、福島、宮城の被害もひどかった。都市の被災者をつなぐのは、本来、行政の役目だと思うんですが。僕らのは古い形のボランティア。これだけ災害が多いとどこへ行けばいいのか。どこで何が足りていないのか、すぐわかるプラットホームみたいなものができればと思いますが、行政では無理で、やはりお勝手連がやるしかないですかね。

志の輔 うーん、そうは言っても、過密なスケジュールの間で、行くタイミングを決めるのは大変でしょう。

さだ 何の情報・根拠もなく、被災地へは行けないですものね。でも西日本豪雨の際は、岡山県総社(そうじゃ)市のある高校生がSNSで市長に連絡し、その情報を拡散して集まった高校生たちが、泥かきや支援物資の仕分け、小学生の勉強のサポートなど、大活躍しました。まさに「総社革命」と言っていい。今後の社会は変わってきます、他人事ではないですもん。高校生、すごい。大事にしなくちゃ。

志の輔 政治家は、当選する前と後で名前は同じですけど、当選後はみんなの票が集まってできた新しい名前だと思ってほしいですね。

さだ その通りです。長崎市長は「心構えが違う」と言っていました。平和宣言を世界に向けて発信する、その責任と権利を与えられている。もちろん、市政はきちんとやらないといけませんが。特に広島市長と長崎市長は、私人であったときと市長になったときとでは、やらなきゃいけないことが違うんだそうです。

志の輔 全国の首長さんもみんな同じですよね。

正月を迎えることへの感謝

志の輔 年々、無事に正月を迎えたっていうのが貴重になっていきますね。

さだ 私が子どもの頃は家が貧乏だったので、年の瀬には借金取りが来て、年が明けると子ども心にホッとしていました。それがいまは、あと何回正月が迎えられるか、になっていく(笑)。

志の輔 でも、僕たちに世間でいう「まともな正月」はないですよね。サービス業の方も同じだと思いますけど、私は毎年「横浜にぎわい座」で「新年カウントダウン寄席」をやり、明けて東京・渋谷のパルコで一カ月公演を一〇年以上続けています。本名の竹内としては、元日は新しい湯をはった湯船に浸かり、お屠蘇(とそ)とおせちの正月を過ごしたい。芸名の志の輔の方は「来たのか、また正月!」と思いながらも、いかにお客様に笑っていただくかに悪戦苦闘。さださんは、といえば「カウントダウンin 国技館」、年が明けてNHKのテレビ番組「生さだ(「年の初めはさだまさし」)」でしょ。それこそ、ぼくらは「お客さんがたくさん来るような人にしてもらいました、ありがとう」という感謝の意味で、年末年始のイベントを毎年、やらせてもらっているんですね。これからは無事に普通にお正月を迎えられたことは、本当に本当にありがたいと思う気持ちを大切に、ですね。

さだ 正月というのは、ある意味、感謝の月間です。家族がみんなで顔を合わせたり、挨拶まわりをしたり。しかし、それはいつまでも保証されているわけではない。病気であれ、事故であれ、災害であれ、その恐怖心の中に立って、この春を迎えられた感激とか感謝を大切にしたいですね。

(二〇一九年一〇月二五日) (さだ まさし・歌手) (たてかわ しのすけ・落語家) 

 

◇こぼればなし◇

〇あけましておめでとうございます。年頭にあたり、みなさまのご健康とご多幸を祈念いたします。本年も、よろしくお願いいたします。〇さて。巻頭、佐伯泰英さんの一文にもありますように、『惜櫟荘の四季』も収められている岩波現代文庫は、この一月で創刊二〇年となります。

〇まず、記念月の今月は、柄谷行人さん『哲学の起源』。夏目漱石原作による夢の世界をその独自の世界観で描いた、近藤ようこさんの『夢十夜』。単行本刊行時に大きな話題をさらったベストセラー、栗原康さんの『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』。サントリー学芸賞と日本出版学会賞のW受賞作、佐藤卓己さんの『「キング」の時代――国民大衆雑誌の公共性』。そして、昨年五月に急逝されたことが記憶にも新しい加藤典洋さんの『僕が批評家になったわけ』の五冊を刊行します。

〇また、新刊だけでなく、本叢書の魅力の一端を広く知っていただこうと、この機会にあわせ「もっとも読まれている現代文庫ベストセレクション」と題し、主要書店でフェアも企画しております。これは、という一冊に出会えるはず。ぜひ、お近くの書店までお運びください。

〇ようやく成人を迎えたこの叢書。一昨々年の岩波文庫の創刊九〇年、一昨年の岩波新書の創刊八〇年、そして昨年が岩波ジュニア新書の創刊四〇年――その年数はくらぶべくもありませんが、学術系から社会問題系、小説やエッセイ、ノンフィクションまで、収録作品は一〇〇〇冊を超えます。その個性にあわせて一新された装丁のもと、二月以降も強力なラインナップが予定されております。ひきつづきご期待いただくとともに、この叢書への変わらぬご支持を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

〇一〇月の本欄でご紹介した、佐藤正午さんの『岩波文庫的 月の満ち欠け』。発売後即重版を重ね、ふた月を俟たずして一〇万部を越え、単行本とあわせると累計二〇万部を突破しました。奇を衒った装丁が先行して各紙で話題にもなりましたが、それだけでは、これほどの読者の支持は得られないでしょう。

〇たとえば、お笑いコンビ・さまぁ~ずの三村マサカズさん。昨年、『岩波文庫的~』の書影に「本は面白いなぁ。出会いだな」と加えたツィート(一〇月三一日)が大きな反響を呼びました。ペーパーバック化による思いがけない読者への広がりと、その評判がSNSで拡散されたこととが相俟って、さらに新たな読者層に広がってゆくという、象徴的な出来事だったと思います。

〇ITのもたらした喜ばしい成果ではありますが、いずれにしても作品自体に力がなければ、多くの読者の心を動かすことはできません。その実質を忘れてはならないでしょう。

〇本号で三浦佑之さんの連載「風土記博物誌」が終了となります。ご愛読、ありがとうございました。新たに片岡義男さんの連載「CDを積み上げる」が始まります。ご期待ください。

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