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「そっと何かをめくる」 野矢茂樹さん×サンキュータツオさん

トークイベント 野矢茂樹さん×サンキュータツオさん(前編)

 2019.9.1. 神保町ブックセンター

野矢さんとタツオさんは朝日新聞の書評委員会での同期生。野矢さんは、それ以前から困ったときにはタツオさんに助けてもらっていたといいます。この日も、あんな話こんな話でおおいに盛り上がりました。 

野矢 今日のトークイベントは、『そっとページをめくる』という本を出したことの記念ということなのですが、読んだ本についての本なので、とくにみなさんに語れる蘊蓄がありません、トークイベントをやってくれと言われてたいへん困りました。それでこうしてサンキュータツオさんにお越しいただいて、2人で盛り上がろうというわけです。でも何やっていいのか分からないので、非常に投げやりに「そっと何かをめくる」というタイトルを言いましたら、それで通ってしまいました。え、それでいいの? みたいな感じです。
 そしてみなさんもよくこのタイトルでいらっしゃいましたね。他のトークイベントを見ると、世界文学についてとか書いてあって、興味がある人がいくんだろうなと。まさか何かをめくるらしいぞという興味でいらした方はいないでしょ。
 さて、私は2年間、朝日新聞で書評委員を担当したのですが、サンキュータツオさんとは同期なんですよ。
 
タツオ 同期? あはははは。
 
 一緒に2年間やらせていただきました。書評委員会では、忘年会やお別れ会なんかもします。タツオさんは2年目に朝日新聞の司会に不満があると言ってね、みずからノーギャラで司会をされたこともありましたね。
 
 不満があったわけじゃないんです。でも職業柄、他の人の司会を聞いてられない。どうせならぼくにやらせてもらえませんか、と。
 
 一人ひとりスピーチをしないとならないこともありましたね。わたしもマイクの前に出て行くんですが、柄谷行人とかいる前で何をしゃべればいいんだろうと(じつは、わたしは恐れ多くて柄谷さんとはあまりお話ができませんでした)。そのときも困ってしまって、タツオさんにきてもらったんですよ。しゃべることがないから何でもいいから質問して、と無理を頼みました。今日もそのパターンです。


「ボーイズラブ」イン『広辞苑』

 
 『そっとページをめくる』は岩波書店から出しました。タツオさんも岩波で仕事をされています。
 
 はい、『広辞苑』ですね。
 
 (ゴソゴソ、ゴソゴソ)
 
 あ、ぼくの情報をまとめてきましたね? ぼく、似たようなメモ帳を使っているんで、どきっとしました。
 
 そっとネタ帳をめくる……
 
 いきなりかかってる!
 
 広辞苑の「ボーイズラブ」ですね。これはタツオさんの作品です。
 
 作品!
 
 広辞苑は1項目1項目作品ですよ。で、なんて書かれているかというと「男性同士の恋愛を描く主に女性向けの小説、漫画などのジャンル」とある。ま、これなら私でも書けそうな気がするんですけどね。
 
 言い訳させてください! 『広辞苑』というのは担当が執筆してから編集部が文字を刈り込んで短くするんですよ。これだけは入れておきたいと言っても、採用されないことがあって、それは発売された『広辞苑』でどうなったかを確認するしかないんです。だからぼくは、「主に2次元」と入れたかったんですけど、入れていただけなかった。
 
 「ボーイズラブ」には「男性同士の恋愛を描く」と書いてあるでしょう。ところが「恋愛」の項をひくと、「男女が互いに恋い慕うこと」とある。これ、一冊の中で矛盾があるんだよね。
 
 あ、それはぼくの専門じゃないんで。最近の辞書ですと、「恋愛」の項でも「まれに同性同士」と注が入ったりするんですけど、『広辞苑』はそこはコンサバなんです。
 
 ま、『そっとページをめくる』でも書いたことだけど、そのごった煮感が『広辞苑』のいいところ。
 
 同じ書評委員だと、原武史先生も項目を書いていますね。
 
 電車の?
 
 皇室って書いてありました。電車というか、鉄道全般にもうるさいというのは書評委員だったらみんな聞いています(笑い)。


書評の文字数

 
 書評委員の2年間どうでしたか。苦しかったですか、楽しかったですか。
 
 両方ですよね。
 
 意外とぼくらは読むのが速いほうじゃなかったですよね。
 
 わかんない。速いってどれくらい?
 
 末國善己さんとか斎藤美奈子さんとかものすごく大量に持って帰って、1日1冊ぐらいのペースで読んでいた。
 
 1日1冊は無理だろうねえ。とくに難しい哲学書になると読むのに半年かかったりもするし。だいたい哲学書は書評しませんでしたね。
 
 自分の専門が近ければ近いほど紹介が難しい現象ってありませんでした?
 
 哲学だからね。
 
 でもけっこう哲学の本を取り上げていた。
 
 そうでもないよ。だから「今年の3点」とかでは、ベストスリーをあげなくてはならない。私はベストスリーとかを選ぶのが嫌い。
 
 それは、何でなんですか。
 
 3つだけ選べと言われても困る。すでに書評を書いたものから3本選べと言われても、やっぱり書評していないものから選びたいし、でもやりたいものは書評してしまっている。だから結局読んでいない3冊を……。
 
 読んでないんですか?
 
 ごめんなさいという懺悔の3冊を書いたことがあります。それは哲学の本だったりしますね。苦しかったか楽しかったかと言えば、私は書くのは好きなんですよね、書くのは本当に楽しかったですよね。速いほうだとも思います。あまり苦労しないで書いていた。
 
 先生は読みながら、こう書評してくれと声が聞こえてくるとおっしゃいます。
 
 聞こえなきゃだめですよ。
 
 聞こえなきゃだめ? 全然聞こえなかった……。(会場 あははは)
 
 白状してしまうと、あまり読書家ではないんですよ。読まないってことはないし、しょっちゅう読んでいるわけだけど、読書家ってほどのことはないんです。仕事では本を読んでるけど、じゃあ趣味の本を読もうかなとはあまりならない。書評をやっていると、恒常的に、時間があるときには本を読んでいないといけない。
 
 生活の中心でしたね、ぼくも。
 
 それがたいへんなんだけど、逆にそういうことがなければ読まないだろうという本を読ませてもらった。
 
 筋トレに近い何かがありましたね。
 
 ありました。だいたい辞める方が異口同音に「たいへんであった」と言いますよね。斎藤美奈子さんとか、専門にやっている方はまた別なんだろうけど。たいへんだったでしょう?
 
 ぼくはどっちかというと、すごくおもしろい本があったときにどうやって紹介しようかなと、1週間2週間考え込んでしまうことがよくありました。文字数制限に弱いんです。朝日新聞の書評は、800文字と1100文字、短い書評だと400文字のものがあるんですが、好きなものであればあるほどたくさん書きたくなってしまう。
 
 それはそうだろうけどね。じゃああなた、短歌とか俳句とか作れない人なの?
 
 作れない! 練習はしていますけどね。
 
 あそこに押し込めることはできない?
 
 できない。これも入れなきゃ、あれも入れなきゃと、いろんな情報を詰め込むことに精一杯になっちゃう。辞書でもそうですけど、その項目に意味が5つあるとしたら、その5つの意味をどう効率的に書くのかを考えちゃう。だから中心の意味だけでいいとはなかなか割り切れない。一番最初に書くと2000文字ぐらいあって、それを刈り込むという作業がたいへん。
 
 2000文字を800文字に刈り込むの?
 
 はい。
 
 それはたいへんでしょうね。
 
 苦しい苦しいってなって。一回書いてしまうと情が湧いてしまうんで、もう切れない。それで担当の編集者とやりとりして、ここをこうしましょうとか、話もしましたね。
 
 それは同じですけれどもね。私は最初に字数を気にしないで書くんですよ。それを800なら800、400なら400にする。でも私は、800にせよ400にせよ、字数制限があるのは嫌いじゃない。
 でも紙面になったときには、一文字だけぽこっと行頭に残ってしまったり、一行の下まで文字が詰まってしまったりするのが嫌いでね、それを避けようとする。人に伝わらない職人的努力なんだけど。
 
 みっちり言葉が入るのも嫌だし、すかすかも嫌ってことですか。
 
 そう。だいたい上3分の1、下3分の1、真ん中下ぐらいのところに収める。新聞を読んでいただけるとわかりますが、だいたいそうなっているんですよ。
 
 すごく自然な段落が並んでいるように見える不自然な文……。
 
 妙に数字にこだわるところがあるんですよ。以前書いた『大人のための国語ゼミ』という本の中には、要約に関する章があるんですが、字数を指定して「150文字程度で要約しなさい」と練習問題をつくります。そして答案として、要約例を出す。気付いた人は一人もいないと思うけど、あれは150文字程度と指定したら、全部その要約例は150文字ぴったりになっているんです。
 
 あはははは。変態ですね。
 
 そう。150ぴったりにならないときは問題文をいじる。倒錯してる。
 でも400に収める、800に収めるという窮屈な枠があるのは嫌いじゃないですね。


読んでいる人のほうへ

 
 毎回野矢さんの書評をたのしみに読んでいましたが、書評委員をしていた2年は、ぼくの言葉で言うと、しなやかな知性の人が集まっていたなという印象でした。
 
 それはいい加減ってこと?
 
 悪い言い方をするとそうなっちゃうかもしれないですけど、いい意味で軽い人たち。情報が濃すぎず、わかりやすく、それでいて芯を捉えている書評が多かったなと思うんです。野矢先生も口語みたいなものをいきなりぽんと出したり。
 
 「あのね」で始めた書評もありましたね。
 
 そうです。あれは元々のスタイルなんでしょうか。
 
 ちょっと脇から話しますけど、サンキューさんは早稲田の落語研究会ですよね。わたしは落研ではありませんが、落語は好きでよく聞くんです。
 
 鯉昇師匠がお好きですよね。
 
 最悪なのが、達者な二つ目が出てきたけれども、クソおもしろくないとき。かわいそうな言い方だけどね。
 
 なんとも、かわいそうな言い方です。
 
 前座、二つ目といって、それに比べれば前座が達者でおもしろくないのはかわいげがある。でも二つ目が達者でおもしろくないと言うとき、何がおもしろくないんだろう……。それはね、客席に向かっていく力がないから。
 それで、これは自慢話なんだけど(でもこの自慢話は伝わらないだろうなあ)先代の三平師匠を私は見ているんですけどね、袴でにじり出てくるんですよね、その善し悪しはいろいろあるだろうけど、でもあれはすごい。落語家でも、客席に向かって自分の声を届けようとしている人とモノローグになってしまう人といるんです。演目を語ることには達者なんだけど、モノローグになっていて声が届いていかない、向かっていかない。これは授業をやっていても同じで、独演会をしてしまう教師とへたくそでも学生に向かっていこうとする教師と分かれると思うんです。で、話を戻すとね、書評のときも先代の三平師匠のように読んでいる人の方に向かっていきたい。
 
 一瞬距離をつめる?
 
 にじり寄っていくような。
 
 なるほどね。
 
 それはサンキューさん自身がステージでやっていることだから。文章を書くときにもそういうところがあるんじゃない?


選書も、これ読んでほしいな、から

 
 みなさんが他の新聞の書評をどれくらいご覧になっているか分からないですけど、読売とか日経の書評はほんと堅いじゃないですか。めちゃくちゃ堅くて、なんて言うんだろう、一瞬の隙もない講談を聞いている感じというか。
 
 それは褒め言葉でもあります。
 
 格式高い文章で、本当に興味がある人に向けて書かれているような専門書も取り上げられている。それが、選書の時点で感じられるんですよ。そういった美しくまとめた書評もありますが、ぼくらがやっていた頃の朝日の書評は、大げさに言うと科学コミュニケーション。そこまではいかないかもしれないけど、読者が知らないことを前提としてどこまで紹介するか。そのことに、みなさん、頭をひねって考えていらっしゃった。
 
 そうかなあ。今日は朝日新聞の読書欄の編集長がいらっしゃっているので言いにくいんですが、朝日の書評こそ、選書も堅いし、誰に読ませたいんだと。
 
 でもそれはぼくらは選書もがんばったじゃないですか? 宮田珠己さんとか山室恭子先生とかいらっしゃいましたから、楽しい雰囲気で選書しましたし。
 
 選書もこれ読んで欲しいなと。書評欄というのは読書に対するコンシェルジュ的な役割を果たすんだと思うんだけど、読者にとってだけではなく、新聞社にとっての位置づけもあるんでしょうね。新聞社にとってみれば文化的な見栄をはる、見識を示す場でもある。「こんな本も!」というね。
 でも、ある編集者の方がね、「この2年間、朝日の書評がおもしろかったというのが奇跡かもしれない」とおっしゃいましたね。2年間われわれはおもしろい書評を書いていたんじゃないかなと思います。
 
 ぼくがいたということを抜きにしても、いろいろなところで朝日の書評がおもしろくなったねという声は聞きましたね。確かにぼくも読んでいておもしろいなーというのは感じていました。
 「あとがき」にも書かれていましたが、2週間に1回、ぼくらは朝日新聞に行って、100冊近い本が並んでいる中で選書をして、場合によっては取り合いがあって、入札して持って帰ります。その本は人によって3冊から5冊、また10冊くらい。そして2週間後にまた集まって、書評に値する本、そして書評できないと判断した本、書評できないんだったらなぜ書評できないのかという理由を述べて、こういういいところがあるから他の人読んでください、よかったら書評してくださいと申し開きをする。だから選んだ本は、途中で中途半端に投げ出すことはできないようになっています。最後の晩餐のように長机に書評委員が座るんですけど、野矢先生はお誕生日席です。お誕生日席に、椅子に胡座をかいて座っている。
 そしてこの本が欲しいという人がかぶってしまった場合、どうするかを話し合って決めるわけですけれども、野矢先生は話し合うより前に談合している。思いっきり内部取引をしているんですよ。話し合いの順番がきたときには「この方がこれを持ち帰るのでぼくはこれを持って帰ります」みたいな……。あの談合は、ぼく摘発したいです。なんとかしたいです。ありましたよね、談合?
 
 記憶にないなあ。(会場、笑い)
 でもさ、たとえばお弁当があるでしょう、卵焼きあげるからこの本ちょうだいって……。合意の上ですよ。
 
 政治家みたいなことを言って! ですけど、あの本を持って帰られて、どんな書評がでるのかなというのは、実際の紙面で答え合わせをするみたいな感じで楽しみでした。ああ、こうやって書評したんだなあと。


書評したかった、あの本この本。

 
 ところで、この4月以降、書評委員をやっていたらこの本は書評したなあという本はなんかありました?
 
 ありましたね。
 
 どういうの?
 
 ナイツの塙さんが書いている『言い訳――関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』はぼくが適任だなあと思いますね。これは他の人だと難しいかなと。
 
 
 それね、題名聞いただけでなぜ勝てないの? と聞きたくなりますね。
 
 ぼくは、ナイツの漫才はセンスからいって最強だと思っているんです、だから別に負けていないんじゃない? という立場で読み進めていますけれどもね。
 ぼくは書評委員の最初の1年ぐらい、ペースをつかむのにかけてしまったので、もうちょっと照れずに、専門の日本語の本であるとか、芸能に関する本を積極的に書評するべきだったかなという反省はあります。(編集部注――その後、タツオさんの書評は朝日新聞「売れている本」に掲載されました。)
 
 宮田珠己さんもそうおっしゃっていましたね。
 
 宮田さん、1年目は本当にゆっくりでしたからね。
 
 ルポライターの自分がなんで朝日の書評委員になったかわからないと首を傾げていて、堅い本を選ばなければいけないんじゃないかと悩んでいた。それが、あるときふとお笑い担当だったんだって気付いて、本領を発揮し始める。すごい選書でした。
 
 給水塔の写真集、ありましたね。
 
 あれは私も書評したかったんですよ。ぶつかってしまって、しょうがない、宮田さんにあげたんです。
 
 どうしても持って帰りたい本には1冊、花丸を付けてよい。これは読みたいなあというのには二重丸を付けることも許されている、これが2冊。給水塔の写真集は、野矢さんは花丸を付けていましたよね。でも後から分かったんですが、あれはそもそも宮田さんが推薦した本で、会議が始まる前にすでに談合は終わっていて、知らない間に宮田さんが持って帰ることになっていました。
 
 そりゃあ、まあそうでしょうね、書評も宮田さんでよかったなあと思いました。
 
 美術に関する本を横尾忠則さんと取り合った方もいらっしゃいました。リアルに戦いが繰り広げられるのがおもしろかったです。かなりしびれましたね。
 
 横尾忠則さんがやりたいとおっしゃっているのに!
 
タ 美術関係の本ですよ! あれはすごかったですね。かっこいい! 忖度という言葉を知らない。ぼくだったら責任感に押しつぶされて何も書けないと思いました。


上手く見せたい気持ちは克服してきたつもりだったのに――『へそまがり日本美術』

 
 ところで私にも聞いてくれる?
 
 書評委員をやっていたら書評したかったもの、どんなものがありましたか? ダンジョン飯以外でお願いします。(会場 あはははは。)
 
 だってあれ、好きだもの。
 でもね、これは書評したかったなあと思ったのは、府中市美術館が出した『へそまがり日本美術』。カタログでもありますが、単行本として売っています。
 私はそもそも府中市で思春期を過ごしていたんですけれども、米軍キャンプがあったところが公園になって、そこに府中市美術館ができた。前々からその美術館の企画がめちゃくちゃおもしろいと言われていたので注目はしていたんだけど、今住んでいるところからは遠くて、なかなか足が向かなかった。だけど、「へそまがり日本美術」という企画があって、これはおもしろいなと思って行ってみたら、展示もすごく充実している。突拍子もないことなんだけど、展覧会を見て、これは生き方を考えなくちゃいけないと思ったんです。
 そして本もめちゃくちゃおもしろい。金子信久さんという学芸員さんの書く解説の文章がいい。
 『へそまがり日本美術』にはゆるゆるの絵が載っています。たとえば白隠や仙崖なんかは有名で、どんな描き方をしててもほんとうは上手いんだろうという感じがある。でも、私が心底ほーっと思ってしまったのは、徳川家綱、四代将軍。家綱の鶏。こう表装があるところに、ちまっと、へたくそな鶏がこそっと書いてある。それはてらいも気負いもない。へたくそなものがぽんっとあって、あのこだわりのなさはなんと言ったらいいんだろう。
 
 
 限りなく落書きに近いような感じ? 力も抜けて?
 
 うん。限りなく落書きに近い。そういう絵ならば自分にも描けると思うんだけれど、それを描いて人に見せるかと言えば、見せらんない。見せられないから、描けもしないと思うんですよ。
 
 なるほど。
 
 これがおれに描けるだろうかと考えたとき、技術的にはそれは大丈夫。家綱という人は下手に見せている上手い人ではなく、本当に下手なんだから。でも、自分の中の上手く書こう、上手く見せたいという気持ちは、すこしは克服してきたつもりだったのに、その色気がまだどれほど残っているかを思い知らされた。家綱にはそういうのがない。たぶん殿様だから、周りが何もそういうことを言わない。政治に向かったときにはそれはいろいろあるんだろうけどね、絵に向かったときにはいいんだぼくは下手で、となる。
 
 どうや? っていう感じがない?
 
 ない。気負いもてらいもない。
 今日だってそうですよ、なんとかウケる話をしなくちゃと思う嫌らしい自分がいる。
 
 落語の極意ってそう言いますね。小さん師匠とか。笑わそうという気持ちがゼロの状態でやる。
 
 見せる芸と言うよりは見られる芸というかな。自ずと見られていく芸……。それを考えている時点でもうダメなんだ。そういう気負いやてらいが自分から抜けていく、本当に自由になっていく。うまくなくたっていいんだということが心底、腹の底にしみこんでいくにはどうしたらいいんだろう。ちょっと生き方を変えなくてはいけないなと思いました。
 
 そんな本もあるんですね。
 
 家綱からしりあがり寿まで、ずらーっと並んでいるすごい企画で、本でもその展示はきちんと再現されています。私、展覧会のカタログの文章を、一文字も残さずに全部読んだのははじめてです。おすすめいたします。
 
 そこまで絶賛されるのも珍しいですね。
 
 普通カタログを見ると、展覧会の思い出がよみがえって、ああもっとよかったのになって、悔しい思いをするんだけど、これは本自体が面白いです。


ファンタスティック!――『数の女王』

 
 最近読んで面白かったのは、川添愛さんの『数の女王』。川添さんは『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』という本でおととし話題になりました。この本はいきなりアクションから入るアクションファンタジーですが、その中の仕掛けが数論、自然数論、つまり数学です。そもそも数学というのがファンタスティックなんですよね。
 
 
 先生は理系ですものね。
 
 数学の教員免許も持っています。だから哲学をやっていなければ高校の数学の先生になっていたんですよ。
 
 あはははは。
 
 私は学部レベルで、大してやっていませんから、数学を語る資格はないんだけど、数学ってすごくファンタスティックです。
 
 整数論ですよね。
 
 はい、カプレカ数というのがあるのね。小説の中では二乗分割復元数というのだけど、これは何かといったら、45という数がどれほど不思議な数か……、まず45を2乗します。45×45=2025 それから2025を真ん中で二つに分けます。そうすると、20と25です。それらを足します。45になります。
 
 おーっ!
 
 だからなんだ!(会場 あははははは)
 
 でも数学には「だからなんだ!」がいっぱいありますよね。
 
 自然数論は「だからなんだ!」という世界なの。確かにきれいだけどさ、みたいな。これを仕掛けに使う。登場人物はすべて運命数という数を持っているんだけど、運命数が二乗分割復元数、つまりカプレカ数の人は特殊なことになる。四角形でくくられた平方の場でおまじないをしておくと、そこだったら死んでも復活できる!
 
 ファンタジー! あははははは。復活できるんだ。
 
 すごい世界だなと思って。文理融合の世界ですよ。
 
 ファンタジーの世界に数学を持ってくるってあまりないですよね。おもしろいですねー。(編集部注――その後、野矢さんは朝日新聞「ひもとく」で『数の女王』について書評されています。)
 
 もう一冊、最近手に入れたばかりだからちゃんと読んでいないけれども、一杯飲みながらめくる本が、東京書籍から出ている『FLORA』。東京書籍は教科書を出している会社ですが、単行本が自由なんですよね。
 
 
 遊び心がある出版社であると。
 
 この本はスミソニアン協会が監修しているものの翻訳なんだけど、植物の世界ってね、本当に美しいの。図鑑と言っても見開きで記事があって写真も美しいんだけど、細密画、もうボタニカルアートですよ。5800円もするんですよ。
 
 でも安いんじゃないんですか。
 
 そう。体重計に乗せてみたら、2.5キロなの。グラム単価安いでしょう? このあたりがウケ狙いのあざとさなんだけど、これ(『そっとページをめくる』)、267グラム。ほぼ10冊分で5800円ですからね。
 
 あはははは。『広辞苑』までは行かないけれど、それなりに厚いやつ。
 
 この3冊が4月以降の私の注目本!


普通の人がおもしろい――『市場界隈』

 
 3冊、見事にまとめてきましたね。
 ぼくは書評委員が終わって、せっかくだったらたっぷり時間をかけて読みたいなと思って、『市場界隈』という本を読んだんです。
 沖縄の第一牧志公設市場って、ずっと昔から普通の人が買い物する市場で、あやしげなアメ横の食品街を10×10倍ぐらいにしたような広さの場所です。もう本当に時間が止まっているような場所の本なんです。
 
 
 この本は、第一牧志公設市場にお店を出している一人ひとりにインタビューをしている本で、5月に出ました。橋本倫史さんは沖縄に行くたびに市場に立ち寄って写真を撮り、一人ひとり、どういう人生を送ってきて、いまここにお店を出しているのか話を聞き、その半生記みたいなものをだいたい一人4-5ページにまとめて、公設市場のマップ付きで本にしたんです。
 ぼく、橋本さんのことをずっと追いかけていました。この方は『ドライブイン探訪』という本を書いていて、日本全国のなくなりつつあるドライブインを全部回って、日記のようなエッセイのような探訪記をまとめています。とても味わい深い文章なんです。
 
 
 
 
 もともとは『ドライブイン探訪』という本が出る前に、知り合いが橋本さんを知っていて、『月刊ドライブイン』を勝手に送りつけてくるんだよ、という話を聞いて、『月刊ドライブイン』を読んでいたんです。8ページくらいかな。面白いことやってるな、これ誰のためにやってるんだろうと思って、橋本さんを追いかけていたら、今度『市場界隈』が出た。そして、どうやら6月の3週目に第一牧志公設市場がなくなるとわかったんです。
 市場は移設するんだけど、家賃を払えない人はそのタイミングでやめてしまう。この市場では一つのお店の役割が特化していて、鰹節しか売っていないとか、お茶しか売っていないおばあちゃんとかがいるんです、薬草だけを扱っているとか。そういう人たちは移設して3年後にここに戻るのはつらいからやめると言っているって。
 市場の2階には、例えば「道頓堀」というレストランというのか、大衆酒場がある。なんで沖縄なのに道頓堀なのか。店員のおばさんは蝶ネクタイしている。それでお話を聞いたら、沖縄が日本に返還される前までは大阪に移住していた人たちが結構いて、そして返還されてから沖縄に戻って食堂を作った。だから道頓堀という名前にした。でも、なんで蝶ネクタイしているんですかと聞いたら、大阪にいるときにフランス料理屋で働いていたんだと。全然道頓堀じゃないじゃないか! そういう話とか。
 喫茶スワンというところのお母さんは、まだ交通網も発達していないときに大阪で出会った宮古島の人と結婚することになって、実際に宮古島まで結婚式で行った。当時は水牛で移動して、宮古島では旦那さんの家族にあつい歓待を受けた。だけどまったく何しゃべっているかわからなくて、結婚式の夜に月を見て泣いた、とか。
 なんていうんだろう、人の半生記ってこんなに面白いんだっ。本当にその辺にいる人の半生記なんです。それもコミケのブースみたいなスペースでものを売っている。そういう人の半生を一望できる。こんな面白い本はないなと思ったんです。
 それで読み終わったのが6月の上旬だったんですけど、6月の3週目に終わるってことは、これはオレは沖縄に来いと言われてないか? とそれこそ本の声が聞こえてきたわけですよ。スケジュール帳をみたら2日空いている。そしてLCCで沖縄に行きました。市場が移設する前に、せっかくだから一人ひとりにサインをもらおうと、橋本さんが書いているこの人ってあなたですよね、よかったらサインくださいと、全部まわってサインをもらってきました。
  
 本当にやったの? 何人?
 
 えっと、35人くらいですかね。
 
 すごい。
 
 ひとりだけ昆布屋のおばさんだけが取材を受けていて全然対応してくれなかった。テレビで浮かれちゃったんですかね、翌日行っても休みで、昆布屋のおばちゃんだけはサインをもらえませんでした。
 
 その情熱は、どこから来るの?
 
 わかんないですけど、LCCのなかで一人読む『市場界隈』ってのも格別なんですよ。気持ちを高めて沖縄に降り立ち、牧志公設市場に行ったらもう、ここに出ているあの人、あ、いる! なんか、売ってるよ! と久しぶりにミーハー心が萌えました。人生ではじめてサインするわーっていうおばちゃんとか、沖縄関連の古本だけを扱っている古本屋の女性店主とかからお話を伺ったりとか、実際に橋本さんがどういう人でどういうインタビューを受けたかを逆にぼくが取材する。これで、この本を読んだってことにしようって思いました。だから『市場界隈』はどこかで紹介したかったなって思いますね。
 
 それだけ手間暇かけて、報酬というのは何もない?
 
 でもぼくが行かないと。6月の第3週を過ぎてこのあと読む人は第一公設市場には行けない。これは発売されて1週間ぐらいで読んだ人じゃないとできないミッションなんじゃないか、行けってことだなと思いました。読書して久しぶりに萌えた瞬間でした。誰にも話せなかったので、野矢先生に聞いてもらえてよかったです。
 
 今日来てる、朝日の読書欄の編集長に売り込んだら? 書評……。
 
 もう遅いかもしれないですけどもね。あれは熱かった、自分的には萌えました。
 先生の本に戻ると、自分で自分の本を書評しているっていうのも面白かったですね。
 
 それ、言ってくれる人がいないんだよね。
 
 これよくやったなと思って。でも最初、これは誰が書いているんだろうと思って、あ、本人かやっぱりって。
 
 それ言ってくれるとわたしはうれしい。私の書評を読んで売れ行きが上がったという話を聞いたんですよ。面白いので、書評が出る朝一番か、その前の夜にアマゾンのその本を見て、うんうん4万番台だね、とか確認しておくんですよ。それで私の書評が掲載されたその日のお昼頃に見る、そうすると3桁になっていたりする。うれしいよりも悔しくてね。うらやましいというか。
 
 あはははは。
 
 この本も、ここで取り上げられている本を何冊か買いたくなりましたという声を聞くんです。
 
 ああ、なるほど。
 
 だからね、日本全国の書店で、これをレジ脇に置いて!
 
 何を言っているんですか!
 
 いやいやだから、これをレジ脇に置いて、他の本の売上げも伸ばしていただきたい!(会場 あははははは)
 
 でもこれ本当に、たんなる書評集ではなくて、読むとは何かっていうことを考えさせてくれる本だなあと思いました。後半の書評以外でいうと、哲学者の回答をさらにかみ砕いて説明するとこういうことなのではないか、とか、宮澤賢治の短篇小説を独自の解釈をして、読むとはこういうことだと言われているような気がしました。専門用語でない、普通の語彙で書かれている文章であってもこれだけ深く読み込まないと、理解したとはなかなか言えないんだなあって実感しました。
 
後編へ続く
 


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著者略歴

  1. 野矢 茂樹

    1954年(昭和29 年)東京都に生まれる。85 年東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院教授などを経て、現在、立正大学文学部哲学科教授。専攻は哲学。
    著書に『そっとページをめくる』『まったくゼロからの論理学』(岩波書店)、『哲学の謎』『無限論の教室』(講談社現代新書)、『入門! 論理学』(中公新書)、『新版 論理トレーニング』『論理トレーニング101題』(産業図書)、『語りえぬものを語る』『哲学な日々』『心という難問──空間・身体・意味』(講談社)、『増補版 大人のための国語ゼミ』(筑摩書房)、『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』(ちくま学芸文庫)、『心と他者』『哲学・航海日誌』『ここにないもの──新哲学対話』(中公文庫)、『大森荘蔵──哲学の見本』(講談社学術文庫)などがある。訳書にウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)などがある。

  2. サンキュータツオ

    1976年(昭和51年)東京に生まれる。早稲田大学大学院博士 後期課程修了。「米粒写経」のツッコミ担当であり、 お笑い芸人にして日本語学者。一橋大学、早稲田大学、成蹊大学、 非常勤講師。著書に『ヘンな論文』『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』(ともに角川文庫)などがある。『広辞苑』第 7版ではサブカルチャー分野の単語の執筆をした。

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