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『思想』2020年4月号 フェミニズムⅡ

◇目次◇

思想の言葉………足立眞理子

ケアの倫理は,現代の政治的規範たりうるのか?――ジョアン・トロントのケア論を中心に………岡野八代
ジェンダーから見た貧困測定――世帯のなかに隠れた貧困をとらえるために………丸山里美
資本と労働力の社会的再生産――社会的再生産理論(SRT)を手がかりとして………森田成也
「慰安婦」問題の超国家性と記憶の「グローカル」化………申琪榮
日本軍「慰安婦」問題と沖縄基地問題の接点………髙良沙哉
ウーマンリブ・三里塚闘争・有機農業………小宮友根
現代日本における移住女性の配置の変容と社会的再生産の困難………髙谷 幸
「問題経験」としてのセクシュアル・ハラスメントの語りにおける〈抵抗〉の可能性――女子大学生がアルバイト先で体験するジェンダー差別………湯川やよい
男女の境界とスポーツ――規範・監視・消滅をめぐるボディ・ポリティクス………井谷聡子

 

◇思想の言葉◇

「資本主義社会はもはや異性愛主義を必要とはしないのか」という問いを再考する
足立眞理子
 

 社会構築主義は、フェミニズムにたいして、すべての「女性」を本質主義的に同定しうるという前提を疑うことを可能にした一方で、社会構築主義の「陥りやすい罠」ともいうべきものをも、同時にもたらすことになった。社会構築主義と本質主義は、しばしば二項対立的な思考枠組みのように考えられやすく、現代でも、セクシュアリティやアイデンティティに関わる言説は、この二つの枠組みで対立的に理解されがちである。しかしながら、現代の問題は、本質主義対構築主義ではなく、社会構築主義における言説作用の内部に潜む危うさであることは、認識されなければならない。言説作用を、継起的・引用的・非連続的なものとみなしながらも、構造における構築された個人を記述するに際して、しばしば構造的に拘束された結果の位相のみを言表するという陥穽にはまるのであれば、それは再度、「本質主義的言説」とみなされて、社会的に作用することになる。


 九〇年代後半において、ジュディス・バトラーとナンシー・フレイザーによって論争された、資本主義と異性愛主義にかかわる問題系も、異性愛主義の脱構築とともに社会構築主義的陥穽との両義的意味合いにおいて、今日、再考されねばならない。すなわち、フレイザーによる「資本主義はもはや異性愛主義を必要としていないのか」という問いの今日的意味合いである。要諦は、論争された九〇年代とは異なるグローバル金融危機以降の二〇一〇年代に入った資本主義の様相において、異性愛主義の脱構築という文脈の中での、新自由主義的エージェントの登場を、フェミニズムは再度どのように理解/批判していくのかという問題である。

 竹村和子は、二〇〇〇年代には既にバトラーとフレイザーの論争に対して、論争の前提に「現在の資本主義」に対する認識の違いがあることを的確に指摘した。そのうえで、竹村自身は、フレイザーの「資本主義はもはや異性愛を必要とはしていない」という回答に対して「異性愛主義が現在の(再)生産様式を変更させてなお存続しはしないという保証はどこにもない」と批判し、異性愛主義の残存可能性を述べている。しかしながら、この論争で争われた異性愛主義を必要としている資本主義とは、どのような資本主義なのかという問題は、実は背後におかれたまま最後まで前景化することはなかった。その端的な証拠は、この論争が「再分配と承認のジレンマ」をめぐってたたかわれており、ここに名指しされる「後期」資本主義が、実のところ、領域かつ領土的な、国民国家に集約され得る一国資本主義であること、その内部における、入り組んではいるが経済的不公平と文化的不公平の分析的対比として語られているという点からも明らかである。だが、現代の資本主義のグローバルな性格が、生命・労働力・「国民」の再生産という、排除と包摂の政治にどのような影響を与えつつあるのかという課題は、この論争当時も、その変調の兆しと暗示を受けてはいるが正面に出てくることはなかった。それ故、この問いはまさに、今日において、再度問われなければならないといえる。


 九〇年代から二〇〇〇年代初頭の資本主義のグローバルな展開は、ポスト冷戦期に入り、二〇〇一年におけるWTOへの中国の加盟を迎えるという、いわば、国際政治の変動期におけるグローバル資本主義の外延的拡張期にあったといえる。この時期に、生産の国際化、企業内国際分業を軸とする、資本と労働力の国際移動を常態とした、今日のグローバル資本主義体制が確立し、金融化▽〓△された資本主義の諸相が日常生活に浸透した。これ以降の局面で、資本主義と異性愛主義の関係が、明確に問われる方向へと変化が起きたのである。すなわち、「非異性愛者」への再分配による公正化ではなく、分配それ自体に対する不公正への異議申し立てであり、文化的承認をこえた政治的正当性の権利要求であり、これらは、脱ナショナルなレベルでの運動として顕在化した。

 ところで、異性愛主義は、通常、ヘテロセクシズムと同義に使用されている。ヘテロセクシズムという用語には、邦訳の異性愛主義にも含意されてはいるが、単なる異性愛よりも強い異性愛強制の側面、強制的異性愛主義・ヘテロ強制の性格が込められている。つまり、資本主義と異性愛主義に関する問いは、資本主義と異性愛強制の必要性として、より狭義かつ明確に問題化されなければならない。資本主義社会における労働力の再生産はいかにして行われるのかという、アルチュセールにはじまる問いかけは、イデオロギー装置としての国家による呼びかけへの応答が、「服従する主体」を生成し、それこそが構造的再生産の遂行可能性をもたらすことを可視化するものであった。しかし、そこに生成する「主体」は既に常にジェンダー化されており、異性愛主義が前提され、制度的装置としての異性愛強制が内包されていると批判されてもいたしかたない。すなわち、近代の社会科学が仮説してきた、資本主義と社会的再生産の構造的繰り返しは、国家による異性愛強制の暗黙の制度的装置化を前提としているのであり、この不可視の装置の駆動なしには、構造的再生産は不可能である。フェミニズムは、構造的再生産が自明の再生産として繰り返し遂行可能だとされる限り、そこには、暗黙に、あるいはあからさまに、ジェンダー非対称性による抑圧と暴力が潜むことを告発してきた。しかしながら、ここで再び、前述した社会構築主義による陥穽の問題は問われざるをえない。呼びかけられ、応答することによって、グローバルな資本主義における「服従する主体」として、能動的に生成するものは、いったい誰なのであろうか。新自由主義的なエージェントは、異性愛主義も脱構築しつつ、高度に蓄積された人的資本を身に帯び、ハイスペックな用具によって、越境的に稼働しうる「主体」なのであろうか。社会構築主義的な選択可能性が開かれているという結果の位相においてのみ個人が記述されるのであれば、越境的に移動するジェンダー化された個人の階級性とその尊厳は、再度構造化され不可視化される。新自由主義的選択可能性とは、与件され選択不可能な生の現実を生き切ることが可能であるとみなす/みなされる「合理的経済人」の所作であろう。


 資本と労働力の国際移動を資本主義の運動法則として組み込んでいるグローバル資本主義の局面においては、もはや、異性愛強制は必要ではない。ただ、異性愛主義は、グローバル資本主義が越境的に活動し、時に侵食し時に依存する国民国家に担わされた再生産の装置を機能させるために駆り出される。そのとき、異性愛主義は本質主義的な言説作用によって再度構築され、時に、「単に文化的な」政治的言説として権力によってもちいられるであろう。しかし、もはや、異性愛強制はその強制力を喪失している。構造化の亀裂に差し挟まれる個体のズレと予期せぬ行為の「結果」は、竹村和子の懸念を否定しうるであろうか。

 経済的異性愛主義は意味をなさなくなっても、政治的・文化的異性愛主義は機能し続けるという意味で、今日、ポスト・ヘテロセクシズムの時代に入っている。

 しかし、ここで生起していることは、グローバル金融危機への対処として本格化した、金融された資本主義の内在的矛盾として顕在化する、経済社会そのものの不安定化である。金融の不安定性は、金融・情報技術の「革新」を伴うがゆえに、そこでは、個々人のジェンダー・民族・人種・国籍などの社会的属性と名指されてきたものは、情報として全てクレジット・スコアと化す。生きていることそのものによって、債権債務という信用関係へ巻き込まれ、過剰に包摂される。金融された経済社会では、社会政策的な、したがって二項対立的にジェンダー化された「排除か包摂か」ではなく、サスキア・サッセンが指摘した「放逐」と「過剰包摂」のあいだを、生きている個人が絶え間なく揺れ動く。このような不安定性とリスクの様相において、国民国家と資本主義の共犯性は、いま新たな局面を見せ始めている。越境的な資本と人々のグローバルな移動が行きつく先で、「国家資本主義の効率性」が声高に語られるようになり、再度、人々の生の管理と隔離が立ち現れてきている。グローバル化が引き戻し不可能な閾を形作るなかで、近代国家の法治主義を超えた権力の恣意性が、人々の生に「不自由さの肯定」という刻印を穿つ。

 しかしながら、まさにこの地点においてこそ、再領域化・再領土化への熱情に煽られてはならないのである。

 

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