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『思想』2020年12 月号 【特集】南原繁

◇目次◇

思想の言葉………加藤 節 

南原繁の終戦工作と、その射程――詔書の言葉を構想する意味………加藤陽子
二つのカント平和論――朝永三十郎と南原繁………杉田孝夫
南原繁とカール・ヤスパース………村井 洋
南原繁における「宗教と政治」――ナチズム批判と価値並行論を中心に………千葉 眞
無教会キリスト教とナショナリズム――南原繁から考える………赤江達也
戦時期における和辻哲郎と南原繁の「共同体」論――宗教・人格・國體をめぐって………川口雄一
歌集『形相』から辿る南原繁………永田和宏

エンゲルスの未完の「自然弁証法」プロジェクト………佐々木 力
『思想』2020年総目次

 

◇思想の言葉◇

理念と現実ーー南原繁からの問い
加藤 節

 南原繁(一八八九―一九七四年)は、第二次世界大戦の戦前、戦中、戦後を通じて、きわめて多岐にわたる事績を残したスケールの大きな政治哲学者であった。彼が、その間に、日本における規範的政治哲学の伝統を築き、内外のファシズムへの原理的な批判を行い、オピニオン・リーダーとして日本の戦後改革に重要な役割を果たし、深い学識に立って東西冷戦による世界の危機への警鐘を鳴らし続けた事実が、それを示している。しかも、南原の業績は、知的世界におけるそれに限られなかった。彼の多面的な精神的営為には、もう一つ、例えば斎藤茂吉が「思想的抒情詩」の作品として高く評価した歌集『形相』一巻に代表される芸術の感性的な世界があったからである。

 しかし、そのように多様な姿を持つ南原について見失ってはならない点が二つある。彼には思想世界の多面性を統合する単一の原理があったことが一つであって、それは、内村鑑三の無教会主義に導かれて実存南原がアイデンティティの中核として身につけたキリスト教信仰であった。もう一つは、南原の場合、その多様な思想世界全体を貫く共通の問題関心があったことにほかならない。それは、宗教的神性に連なる超越的な理念=価値と、人間が営む現実世界=存在とを峻別した上で、両者をいかに結合するかという問題であった。その背景にあったのは、「価値はその本質上、存在から生じるものではない」が「存在を離れては有り得ない」という南原の確信であった。そうした背景の下、理念と現実との結合問題が南原の一貫した思想的関心であり続けたことを暗示する一つの事実がある。それは、南原が、自分自身を指して「イデアル・リアリスト」と呼んだことであった。この自己規定は、南原が、理念と現実との結合を図ることをいかに強く希求する思想家であったかを示唆するものであるからである。

 このように、南原は、宗教的神性に究極的な妥当性根拠を置く理念=価値と現実世界との結合を求め続けた思想家であった。事実、南原のこうした姿勢は、上述した彼の思想活動の全域にわたって貫かれた。例えば、南原の政治哲学は、「政治における最高善」としての「永久平和」を実質的内容とする「正義」を「政治的価値」とした上で、人類にその実現へのたゆまぬ努力を義務づけるものであった。南原による果敢なファシズム批判も、その強調点は、それが、価値と存在とを峻別することなく、超民族主義に立って現実の国家をただちに「神の国」とみなして神聖化する国家信仰に陥っている点に置かれていた。南原による日本の戦後体制構想も、戦後の日本が、「不法な戦争」に奔って「正義」の前に「過誤」を犯したことへの反省に立って、「正義」に適い、「真に高い道義」に仕える国家へと再生することを願う視点から展開されたものであった。戦後の南原が積極的に発した警世の言葉も、冷戦によって二つの陣営へと分裂した世界の現実に対して、「永久平和」=「正義」という普遍的な価値理念を共有する一つの世界への転成を求めるものであったのである。南原を著名にした「全面講和」論がその延長線上にあったことは、言うまでもない。

 このように、南原は、その生涯を通じて、所与の現実を理念の実現態と見なすことを拒否しつつ、しかも、現実を理念に近づけ、価値を存在化する途を絶えず探り続けた思想家であった。そうした南原の思想内容については、問題とすべき点がないわけではない。例えば、南原が、政治的価値としての「正義」の普遍性の最終的根拠をキリスト教の宗教的神性に求めたことが、宗教間の対立が激化する一方で、世俗化も進む現代において説得性を持ちうるか、あるいは、南原が暗黙の前提とする「一民族、一言語、一国家」という一九世紀的な国家モデルでは、多民族化に伴う「国民国家」の空洞化が深まる現代の政治社会を認識しえないのではないかといった問題は、その典型例をなしている。

 しかし、思想内容がこうした問題性をはらんでいるとしても、価値と存在とを結合しようとした南原の思考様式それ自体が、われわれの思索、とりわけわれわれの政治的思惟に対して問いかけているものにはきわめて大きなものがある。そうしたものとして、私は、批判精神を失わないこと、理念を現実化する努力を続けること、現実主義と理想主義との二元化を廃棄することの三つを特に挙げておきたいと思う。

 理念と現実、価値と存在とを峻別する南原の思考様式には、批判主義的要素が本来的に内在していた。それは、理念や価値、すなわち、政治的価値=「正義」に引照して、現実の「政治事象」に対する「意味批判」を行うことを「政治哲学当然の任務」とするものであったからである。しかも、ホッブスやロックやルソーが見抜いていたように、政治の動向は人間の生のあり方を左右する力を持っている。そうである限り、南原のように「正義」や「平和」、あるいはその他にも「自由」や「平等」や「公正」や「基本的人権」といった理念や価値を批判原理として政治的現実に対峙し、それによって政治の力を制御することには、何物にも代え難い人間の尊厳それ自体が賭けられていると言ってよい。われわれに対する南原からの第一の問いかけは、その点を認識して政治への批判精神を失わないことの重要性を自覚することに求められるであろう。

 南原からの問いかけとして第二に挙げておきたいのは、理念によって現実を変革しつつ、理念を現実化する努力をせよということである。先にもふれたように、南原は、政治的価値としての「正義」の実現に努めることを、国家にも、また国家を構成する国民にも要求した。それは、所与の存在としての現実の国家を、「正義」を実現するものへと絶えず組み換えて行くことの重要性を説くものであり、その点で、南原の視点は、国家にも、国民にも、所与の「政治事象」を真に価値に満ちたものへと不断に作り変えて行く現状変革的な態度を求めるものであった。この態度は、今を固定化したり、永遠化したりする伝統的な心性にも関連してこの国に根強い保守的で、現状維持的な政治風土の反対物であって、およそ政治に目的とすべき価値や理念を規範として課そうとする限り、当然のこととして引き継ぐべき態度であると言わなければならない。

 南原からの第三の問いは、理想主義と現実主義との二元化を廃棄せよということである。例えば、マキャベリ解釈をめぐる長い論争が示すように、政治学の世界においては、それら二つの主義はしばしば相容れないものとされてきた。多くの場合、理想主義は実現不可能な観念論をもてあそぶものとして揶揄され、現実主義は矛盾を含む現実をそのまま肯定し、容認するものとして非難されてきたからである。しかし、南原の思考様式は、二つの主義のこうした分岐を無意味なものとして退けることをわれわれに要請するものであった。理念や価値が「存在を離れては有り得ない」ものである以上、理念の実現には、現実の中に理念の実現を阻む要因を、あるいはその実現を可能にする条件を探るリアルな認識が不可欠であるからである。その意味で、理想主義に立って高い理念を掲げれば掲げるほど、その実現の可能性を探る冷徹な現実主義に徹することが要求されること、アイデアリストであったからこそ、自らをリアリストとも呼んだ南原の態度はそのことを教えてくれていると言ってよい。

 以上のように、南原繁は、生誕一三〇年、没後四五年を経てなお、われわれの思索に、とりわけ政治的思惟に生かすべき豊かな知見を秘めた存在であり続けている。意欲的な論稿群から成る本特集号が、読者にとって、南原の思想と行動とのうちにそうした知見を探り当てることに役立つものとなることを心から期待したい。

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