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『思想』2021年7月号【特集】フロイト・ルネッサンスI――思想編

◇目次◇

思想の言葉………石田英敬

痛みのフロイト的表象………佐藤朋子
フロイトにおける彫像の思想――精神分析と考古学………上尾真道
書簡をめぐる「ほのめかし」と「解釈」 ――フロイト-ユング-アーブラハム………藤井あゆみ
精神分析運動の政治史のために――ベルリン,リオ・デ・ジャネイロ,パリ………工藤顕太
ローティのフロイディズム………比嘉徹徳
ヒステリー的身体の二つの形象性――ドゥルーズとフロイト………小倉拓也
『差異と反復』第二章における無意識論の帰結――ドゥルーズによるフロイトの無意識系と死の欲動の再解釈について………鹿野祐嗣

 

◇思想の言葉◇

無意識はシネマトグラフィーのように構造化されている

石田英敬



 フロイトが人生で初めて映画を見たのは一九〇九年八月三〇日の夜、旅先のニューヨークでだった。新興のクラーク大学設立二〇周年の招聘を受けて、八月二〇日にドイツのブレーメン港を出航したフロイト、ユング、フェレンツィの一行は、八月二八日夕にニューヨークに到着した。「われわれがペストをもたらしに来たとはかれらは知らない」と船中でフロイトが語ったと伝えられる、生涯ただ一度のアメリカ講演旅行だった。
 八月三〇日火曜日に、ニューヨークを案内したアーネスト・ジョーンズは記している―

一同でハンメルシュタイン屋上公園で夕食をとり、それから映画館に行って当時よくあった途方もない追ったり追われたりの沢山でてくる原始的な映画を見た。フェレンツィは独特の子供っぽさで大いに興奮したが、フロイトは「静かな態度で面白がった」だけであった。彼らが映画をみたのはこれがはじめてであった(1)

 フロイトがこれ以後、映画に興味をもつようになった様子はない。そもそもかれは、新しい技術には後ろ向きの態度を取っていたし電話もラジオも嫌悪していた、と長男のマルティン・フロイトの回想は綴っている(2)。じっさい家族の想い出に映画についての記述は皆無である。フロイトは精神分析の記録を映画に残すことにも難色を示したし、自身の伝記の映画化も何度も拒絶している。新メディア嫌いで、映画嫌い、古典的教養の持ち主と考えるのが自然なのである。

 したがって、フリードリッヒ・キットラーが書いたように「フロイトの唯物論が思考したのは、彼の時代が情報マシンにビルド・インしたものにほかならず、それ以上でも以下でもなかった」(3)とまで言えるかとなると、どうなんだろう?と疑ってしまうのだ。

 しかし、それでも、私は、二〇世紀に拡がったメディア文明とフロイトの精神分析とは深い関係で結ばれていると考えている。とくに、映画と精神分析の間には、テクノロジックかつ、エピステモロジックかつ、グラマトロジックな特権的といってもよい結びつきがあると思うのだ。

 フロイトを丹念に読んでいけば、どうしても、メディア問題に突き当たる。『失語症の理解に向けて―批判的考察』における「言語装置」の議論、「心理学草稿」でのニューロン系についての神経学的考察、「フリースへの手紙」での記号の書き込み論、そして、『夢解釈』へと、フロイトはかれの局所論を練り上げていった。その局所論が、心はシネマトグラフのようなかたちをしている、と定式化していると読めるのだ。

 本稿の性格上、綿密な考証は割愛する(4)

 フロイトは、「心の装置」について、想起痕跡系を「望遠鏡の異なったレンズの系が、互いに重なり合っているような具合」(5)に光学装置のメタファーで捉えて、顕微鏡や望遠鏡、写真機のレンズによる組み立てと結像の喩えを使って、局所論をイラストレートする。『夢解釈』は、「心理学草稿」での神経学的考察を完全には消し去っていないから、それは、神経学的なニューロン装置でもある。「ψ系」は、「心理学草稿」の「ψニューロン」を継続した呼称であり、記憶を構成する心の装置の内部をかたちづくるニューロン系を総称している。それを仮想的な「トポグラフィー(書き込み装置)」として、理論化していくのである。

 第一次局所論の装置は、無意識の過程を通して、カメラのレンズの重なりが、次々とショットを撮るように、入力された刺激を「物表象」として記録していく。そして、それらの知覚と記憶の物表象のプロセスが「前意識系」に辿り着き、物表象は「語表象」と結びつけられる仕組みになっている。その記述はあたかも、断片的な映像を言語的なシナリオによって分節化=編集することによって合理化し、その残余として、言われざること、検閲内容、抑圧をつねにすでに言われぬままに留めておくことによって、「無意識」→「前意識」→「意識」を結ぶ心的プロセスが作用すると考えられているのである。

 この第一次局所論のフローをイラストレートするかのように、フロイトは「夢の過程」を記述する。睡眠において、運動性と切り離され、装置の働きが逆転すると、心の装置は「退行」を始めるのだ、とかれは言う。それを「夢の過程」と呼ぶのであり、心の装置は、夢のスクリーンのうえに「像」の幻覚的な投影を始める。

幻覚的な夢において発生している出来事は、次のような言い方をすることによってしか記述できない。すなわち、興奮が後ろ向きの道を取る、ということである。興奮は、装置の運動末端へと伝播する代わりに、感覚末端へと伝播して行き、とうとう知覚の系にまで達する。覚醒時において、心的過程が無意識から進行する際の方向性を前進的と呼ぶならば、われわれは夢について、退行的性格を持つと言ってよいであろう(6)


 リュミエール兄弟の発明したカメラが撮影と投影とをともに行ったのと同じように、フロイトの心的装置もまた、感覚末端から入力された興奮が想起痕跡系、無意識、前意識、意識、運動末端へと伝播する覚醒のプロセスに対して、睡眠においては、興奮は感覚末端へと向けて退行してゆき、幻覚的な夢の像の「投影」が引き起こされる。心はシネマトグラフのように構造化されている―フロイト局所論はそう述べているかのようなのである。

 フロイトは旅先のニューヨークで映画に興味を示さなかったが、当時ウィーンにももちろん映画も映画館も存在した。アメリカで映画を初めて観て「独特の子供っぽさで大いに興奮した」フェレンツィや、ヴィクトール・トウスクのような若い精神分析家たちは、当時すでに映画に強い興味を覚えていたようである。一九一一年にフロイトの知己を得た、ルー・アンドレアス・ザロメは、映画と精神分析の親近性について、一九一三年二月一五日、彼女の「フロイト日記」に書いている―

映画技術のみが、私たちのファンタスム能力に近い画像の高速な連続を可能にする。それは私たちのファンタスムの漂い方を模倣しているとさえいえる(7)

 フロイト本人の好みはどうあれ、ひとびとの空想には、すでに映画や電話の時代が侵入していたのである。

 それでは、心の装置をメディア論的に構想してしまうフロイトと、フロイト自身のメディア生活の落差はどう説明したらよいのか。なかなか難しい問題だと思うのだが、そのギャップを埋めるのは「患者の無意識」ではないのか。患者の「精神内的な知覚」を分析することによって、フロイトは時代の〈技術的無意識〉を聞き取っていたのではないのか。それが私の当面の仮説である。

 「可能なかぎり電話に応えることを忌避していた」と長男が証言しているフロイト本人は、それにもかかわらず、一九一三年に「精神分析治療に際して医師が注意すべきこと」を、次のように銘記している―

定式化して言うなら、患者が伝える無意識に向けて分析家は彼自身の無意識を受容器官のように差し向け、電話の受話器が発話器にぴったりと一致するのと同じく、彼自身を患者に合わせるのでなければならない。音波が引き起こした電話線の電気振動を受話器が再度音波に変換するように、医師の無意識も、彼に伝達された無意識の派生物から、患者の自由連想を決定したその無意識を復元することができるのである(8)

 

(1) E・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦・藤井治彦訳、紀伊國屋書店、一九八二年、二七〇頁。
(2) Martin Freud, Glory Reflected: Sigmund Freud: Man and Father, London, Angus and Robertson, 1957, p.121.
(3) F・キットラー『ドラキュラの遺言』原克訳、産業図書、一九九八年、七七頁。
(4) その考証に関しては、以下の文献を参照いただきたい。石田英敬「〈テクノロジーの文字〉と〈心の装置〉 ― フロイトへの回帰」、石田英敬・吉見俊哉・マイク・フェザーストーン編『デジタル・スタディーズ2 メディア表象』東京大学出版会、二〇一五年、九五―一三一頁;Hidetaka Ishida, 《 La grammatisation technologique et l´appareil psyhique: le sens du `retour à Freud´ 》 in La vérité du numérique, sous la direction de Bernard Stiegler, éditions FYP, 2018, pp.101-136;石田英敬・東浩紀『新記号論――脳とメディアが出会うとき』第二講義「フロイトへの回帰」ゲンロン、二〇一九年。
(5) 『フロイト全集5 1900年 夢解釈Ⅱ』新宮一成責任編集、岩波書店、二〇一一年、三二六頁。
(6) 同書、三三二頁。
(7) The Freud Journal ef Lou Andreas-Salomé, translated and introduced by Stanley A Leavy, New York Basic books ink Publishers, 1964, p.101.
(8) 「精神分析治療に際して医師が注意すべきことども」『フロイト全集12 1912―13年 トーテムとタブー』須藤訓任責任編集、岩波書店、二〇〇九年、二五二頁。

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