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『科学』2021年8月号 【特集】つくりだされる〈安全〉

◇目次◇

原発審査の歴史と作られた「手続き上の安全」……鎭目宰司
「復興五輪」のかけ声のなか,支援の打ち切りが続く被災者たち……青木美希
伊達市民の被曝線量を過小評価した大規模住民データ解析論文
 ――科学の規範を成り立たせるための宮崎・早野論文への総合的批判……黒川眞一・島 明美
リニア中央新幹線は「第二の原発」――全ルートで工事の一旦停止を……石橋克彦
PCR検査義務化などの有効な水際対策を
 ――沖縄県の感染対策は「酒を飲む文化」ではなく旅行者に注目すべきだ……徳田安春・吉岡 茂
「瀬戸際」のコミュニケーション
 ――新型コロナウイルス感染症対策における科学と政治(4)……尾内隆之・調 麻佐志

巻頭エッセイ
政治とオリンピックの堕落――人の命よりも形骸化したオリンピックを優先するのか……広瀬弘忠 

[これからの科学のために]
自然を超えられるか人類? 新概念「ナノアーキテクトニクス」を携えて……有賀克彦

[新型コロナウイルス感染症]
3.11以後の科学リテラシー〈104〉……牧野淳一郎
ワクチン接種が進んでも消えない変異株への懸念:新型コロナウイルス感染症〈その17〉……小澤祥司

[連載]
絲綢之路遊学〈8〉サマルカンド……大村次郷
これは「復興」ですか?〈53〉「サヨナラ」の学び舎……豊田直巳
入試問題から広がる物理の世界〈3〉光が及ぼす力……吉田弘幸
廃炉への道をどう選ぶのか〈6〉素通りされたスリーマイルの教訓(4)
 ――「処理水処分」決定プロセスと住民参画(下)……尾松 亮

[科学通信]
「安全保障」をめぐる極論が日本の基礎研究の危機を覆い隠す
 ――読売新聞「千人計画」報道の問題から……榎木英介
〈リレーコラム〉教育・研究の現場から 中国の天文研究の現場から……稲吉恒平
〈コラム〉東京電力原発事故の情報公開  汚染スラリーの容器入れ替えさえ難題,はるかに遠いデブリ取り出し……木野龍逸

今月の表紙
次号予告

 

◇巻頭エッセイ◇

政治とオリンピックの堕落――人の命よりも形骸化したオリンピックを優先するのか

広瀬弘忠(ひろせ ひろただ 東京女子大学名誉教授)


 新型コロナウイルス感染症による死者数は,2011年の東日本大震災による死者・行方不明者数に迫り,今なお,増え続けている。日本は,新型コロナパンデミックの渦中にある。この新興感染症は,世界を燎原の火のように焼き,手をゆるめれば,火はいたるところで燃え上がる。さらに,新たな変異株は,ワクチンの効果を限定的にする恐れがあり,新型コロナ感染症を,完全にコントロール下に置いたと言える国は,未だほとんどない。世界中がカオスの中にある。

 そのような時に,なぜ,火に油を注ぐように東京オリンピックを開催するのだろうか。オリンピックの開催は,変異株の流入を許し,コロナ感染の新たな波を世界中に広げる巨大な攪拌・拡散装置となるだろう。数多のコロナ死を受容してまで,「コロナに打ち勝った証として」のオリンピックの開催を強行すれば,歴史的愚行として銘記されることになるだろう。「打ち勝つ」どころか,日本の没落を決定づける契機になるのではないか。そうした恐れを禁じえない。

 人々の営為がウイルスとの接点を作り出した。新興・再興感染症のパンデミックは,人類と未知なる病原体との遭遇の結果である。感染症対策に戦いの隠喩を用いるのは適切とは言えない。人類は,コロナウイルスと戦争をしているのではない。不幸にしてこの感染症で亡くなった人々は,戦死者ではない。

 「打ち勝った証」の発信者は,多くの死者が出ている日本の現状を,自らにとって責任のない,余所事と捉えているのである。そこで敢えて問いたい。コロナに「打ち勝つ」とは,どのような状態を達成することなのか,と。また,「証」を得るために払わなければならない犠牲について考えたことがあるのか,と。

 叡智と行動力を結集して,我々が出会うことになった病原体の正体を知り,感染を防御し,重症化や死亡を防ぐ手立てを見出すことが重要である。根拠なき楽観は禁物である。見せかけの勝利宣言を得ようとして,感染拡大を看過すれば,それは,大量殺人行為に等しい,と非難される覚悟が必要だろう。

 報道によれば,専門家の分科会の会長と有志は,政府に提言を行ったが,首相がG7サミットでオリンピック・パラリンピックの開催を表明したという理由で,提言の中では,開催の是非についての議論は削ぎ落されたという(6月19日毎日新聞朝刊)。しかし,ことの本質は開催の是非にあり,開催を前提とした観客の有無ではない。専門家がここまで政権に忖度しなければ提言も出せないというのは,科学者としての独立性と尊厳を傷つけることにならないのか。日本には,トランプ大統領に対抗して異を唱えたファウチ博士がいない。

 ニュージーランド政府のコロナ対策顧問は,パンデミック下でのオリンピック開催はばかげており,人命を犠牲にするおそれがあるため正当性がない,と指摘している(5月26日公開のロイターのビデオニュース)。「安全・安心」なオリンピックの実施というマントラは,ただ空虚に響くのみである。

 利権・金権にまみれたこの大会を開催するため,多くの国民の生命を危険にさらすとき,安全・安心に責任を持つと大見得を切った政府首脳に,一体どんな責任がとれるというのか。生命よりも営利や権力の維持を優先させるような政府は,民主主義社会には不要である。何にもまして,政治の刷新が,現下の課題解決には不可欠だ,と言わざるをえない。

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