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『思想』2021年11月号

◇目次◇

思想の言葉………菅原和孝

道徳性と人倫の関係についていまいちど………ユルゲン・ハーバーマス
ヒュームの人種差別主義の哲学的基礎………澤田和範
ヘイトスピーチと権威――従属化の条件をめぐって………金 慧
村上淳一のニクラス・ルーマン法理論受容について………守矢健一
南原繁の政治哲学における「世界秩序」構想と「立憲」主義――戦前・戦中・戦後における「正義」概念の位相………川口雄一
情報社会の生成と構造――サイバネティックス運動の理路(下の三)………大黒岳彦

 

◇思想の言葉◇

原野の思想を求めて

菅原和孝


 一〇年ぐらい前から「思想」という語がわたしの探索を導く糸になった。自己流の定義―「思想とは身体的なハビトゥスと情動に滲透された言語の潜勢力のことである。」マスメディアで栄枯盛衰する言葉の多くがあまりにもうつろに響くのとは対照的に、カラハリのフィールドで遭遇する、ときに訥々とした、ときに雄弁な言葉の連なりは、汲み尽くせない思想の受肉のように感じられる。狩猟採集民の「等身大の思想」をわかりたいという欲望にわたしは衝き動かされてきた。ただし、そんな欲望を独力で探りあてたわけではない。少年期から憧れてやまなかった学問分野に参入する幸運に恵まれたわたしは、真に畏敬すべき師に出会った。彼の教えの核心は「自然に埋没して生きる人びと」に徹底して同伴せよということだった。「[…]自然との接触は直接であるほどよく、荷物は軽いほどよい。[…]あの広大な大地を何よりも信頼のおける自分の足という輸送機関で、肩で風を切って歩くことができないのなら、私はアフリカに行くことをとっくに止めていただろう。」

 そんなわが師を筆頭として、エラぶらない謙虚な人が好きだ。最近になって(遅まきながら)フッサールを勝手に「先生」と呼んで崇拝するようになった。訳者解説で、七〇歳祝賀会の席上での彼の挨拶を知った。「私は哲学しなければならなかったのです。そうしなければ私はこの世界で生きることができなかったのです。」あるシンポジウムの後の飲み会でこの話をすると、一世代下の人類学者が言った。「スガワラさんも人類学しなければ、生きられなかったんじゃないですか。」思いがけなく感動した。というのも「自らの本性を全面的に肯定する」という主題をずっと考えていたからだ。この主題は、自閉症という障害をもち数限りなく問題行動を繰り返すわが長男と楽しく暮らすという、もっとも切実な生活実践と不思議なほど共振する。わたしは、多くの友人に恵まれおしゃべりで飲み会が大好きな自分と、交通の困難を障害の中核とする長男とが、異質な本性をもって生まれたという考えに馴染んでいた。けれど、「自然に埋没して生きる人びとに同伴せよ」という師の教えを愚直に受けとめ三〇年以上カラハリに通い続けたわたしも相当な変わり者であったことは否めない。社会への適応に困難をかかえた実存として、長男とわたしはやはりその本性を共有しているのである。

 冒頭の定義に戻ろう。「思想とは言語の潜勢力である」―潜勢態であるかぎりそれが聞き・読むことのできる言葉として現実化する保証はどこにもない。だが、無際限の思想が言葉の手前で埋もれ消滅してゆくことを嘆くことは、アタマでっかちな「認識の徒」が陥りがちな錯誤である。わたしが傾倒してきたフランスの哲学者の言いまわしを借りれば、生き=知覚し=行為することそのものが奇蹟であり祝福である。このいっさいの現実性(リアリティ)の根拠を、彼は〈身体〉と呼んだ。身体によって生きられる現実は汲めども尽きない豊かさに充溢している。わたしをカラハリへ導いてくれたもう一人の師は本格的な登山家である。彼の足もとにも及ばないにしても、わたしにとって山登りはかけがえのない歓びの源である。「下界」での日常は山の上で味わう輝きに比べると色褪せて感じられる。若い頃のわたしは、現在の充実が過去へと凝固することの不条理を「下山」の比喩で捉えていたふしがある。自らが愛用した「認識の徒」という旗印にひそむ悲愴感もこの点と関係している。認識の産物としての「書かれたもの」は豊かな現実の脱け殻にすぎない。そのような空しさにつきまとわれていたからこそ、わたしは、自然科学の徒として出発しながら、現実の匂いが濃く立ちのぼる表現形式、すなわち自然誌(ナチュラル・ヒストリー)や民族誌(エスノグラフィー)、そして小説に惹きつけられたのであろう。

 馬齢を重ねることの無視しえない効用は、自分がそのつど代替不可能と思いつめて選んだ方法論のざっくりした意味が改めて腑に落ちることだ。研究会の仲間たちから教えられてドイツの社会学者の著作に親しむようになった。そして自分の模索を射抜くような言葉に出会った。〈縮減〉である。英語にすれば“reduction”であり、現象学の枢要をなす「(形相的)還元」も同じ語で表される。だが、〈縮減〉はけだし名訳である。そこに訳者の万感の思いが籠められているとさえ思える。われわれは、環境に充溢する複雑性を縮減することによって、はじめて交通することができる。霊長類の観察から始まった半世紀近くにわたるわたしのフィールドワークのすべては、体験の複雑性をどうすれば可知的な言説(discourse)に縮減できるのかを問う旅であった。そして、最後にわたしがたどりついたのは、グイの人びとが体験したできごとに関する語りを記述することだった。この選択の理論的な正統性についてさしたる確信があったわけではない。むしろそれは言語の手前で働く実存の根源的な動機づけとしてわたしの背を押したのである。きっかけは多分あれだった…。ある大学の文学部に助手として勤めていたとき、学部生向けのゼミで、ブッシュマンの生態と社会を概説する英語論文を講読した。一人の男子学生が正直な感想を洩らした。「こういう所に生まれなくてよかった…」。彼の優秀さを高く評価していただけに、この言葉にわたしは自分でも思いがけないほどショックを受けた。異文化について知ることが、「自分の生まれおちた社会がいちばん安楽だ」という自己満足にしか結びつかないのだとしたら、「人類学をする」ことは偽善にしか終わらないのではなかろうか。

 グイの「等身大の思想」をわかろうと努めるかぎりにおいて、わたしは「グイとして生きたい」という憧れに取り憑かれている。わたしが調査を始めたとき、すでにグイは定住化に巻きこまれていた。初めてかれらのもとへたどり着いたときの幻滅感はけっして小さくなかった。それから三〇年以上が過ぎ、「自然に埋没した」狩猟採集生活は現実態としては失われて久しい。だが、過去への遡行をノスタルジアと侮り「サルベージ人類学」と嘲る風潮にわたしは共鳴しない。自分が〈同時代〉に食らいついていると自負する学徒は、ヒトという認知装置に課せられた根本的な制約を忘れている。ヒトは時間それ自体を知覚できない。同じことだが、「このいま」「瞬間」「持続」などを直接的には把持しえない。端的に言えば、〈現在〉を定義することも固定することも不可能である。もちろんこのことは、上に述べた「いつかは下山しなければならない」ことの不条理と同型である。他方で、過去への遡行という方法論の前にも罠が口を開けている。現代史を年代記へと編纂しなおすことである。年譜こそは、この社会を支配する独特な時間システムへの従属にほかならない。日の出と日没の反復を忠実に写しとる〈時制〉だけに依拠する原野の人生は資本主義的な時間システムの外部で息づいていた。それに接近しようとする探究者が紡ぎ出す時間もまた、支配的な時間への叛逆でなければならない。深南部(ディープ・サウス)の〈現在〉においてハイタワー牧師は南軍の兵士が疾走させる馬の蹄の轟きに包みこまれる。高天原からニニギが侵略してくる黎明と人類が滅亡する未来との両極に挟まれたいくつもの時代を貫いて「火の鳥」は翔ぶ。これらの虚構に心を揺さぶられた人ならばだれでも叛逆へのこの野望をわかってくれるだろう。

 大学という制度に順応しながら小禄を食んだことは、わたしの年譜の抹消しえない一頁である。教授会への出席は「執行部」にすべての重要な判断をあずけ「内職」に没頭する無責任なひとときだった。だが、そのなかで「思想の言葉」に触れて震撼したことがある。所属する組織で学部が新設され、新しい単位制度が議論されているとき、ある学科の単位認定が粗雑であることに対して激しい非難が浴びせられ、会議は紛糾した。そのとき往年の「造反教員」としてわたしが畏敬していたドイツ文学の教授が立って、トロツキーのような(聞いたことはないけれど)朗々と響きわたる声で言った。「ナチズムのように取り返しのつかないことはいくらでもあるが、この事案は取り返しのつく話にすぎない。」そのときわたしは「取り返しのつかないことを繰り返してきたこの社会でどんなふうに生きることができるのか」と青年期そのままの不安に襲われた。

 カラハリの原野で起きた過去のできごとを母国のあなたたちにおもしろがってもらえるよう、わたしは縮減の作業に悪戦苦闘する日々を重ねている。だが、ボツワナ政府が強行した「再定住化」(これによって動物保護区から追い出された)という転換点の後に起きたできごとのなかにはわたしを暗澹とさせる事件がいくつもある。古くからの友人はトラックの荷台に乗っていてその横転で即死した。わたしよりもずっと若い何人かの知り合いたちは密造酒による中毒で文字どおり狂死した。密猟取締官に手錠をかけられたまま暴行され死んだ男や、強姦殺人の被害者になった少女もいる。二七年にわたって会話と語りの分析を手伝ってくれた調査助手(わたしより一五歳ほど若い)は、HIVに感染し何年か投薬を受けていたが、首都の病院で死んだという知らせが数年前に舞いこんだ。アフリカ現代史は「取り返しのつかない」惨苦に覆い尽くされている。

 「取り返しのつかないこと」の前で認識は無力である。生き延びた人びとが存在するかぎり思想が根こそぎになることはないだろう。だが、それは可知的な言説としてではなく、呻きや叫びや鎮魂の身ぶりとして、多少とも運が良かった人びとのもとへ届く(こともある)。しかし、こんな慎ましい願いさえも希望的観測にすぎない。フランスの環境活動家二人が書いた『崩壊学』(草思社)を何年か前に読んで以来、わたしは「産業文明は遠からず崩壊する」という暗い未来予想に取り憑かれている。B級SF映画のように「明後日に人類は滅亡します」と大統領が布告するというのなら、苦しみは刹那で終わるだろう。だが、この本によれば、崩壊は緩慢に進み、自然災害、パンデミック、資源とエネルギーの枯渇、それを奪いあう局地戦、等々の惨禍が連鎖するのである(ちなみに原著刊行は二〇一五年)。自然への埋没を希求した師は、自然保護思想には冷淡だった。自然を人間が保護するというのは思いあがりだ、「自然の慈悲」にすべてを委ねよ―これが彼の思想の核心だった。けれど、どうやら人類は自然=地球に対してすでに取り返しのつかないことをしてしまったらしい。

 大の推理小説ファンであるわたしはここでどんでん返しを仕掛ける。文明が崩壊しても人類が滅亡するわけではない。そのときこそ、人類は疎外から解放され、狩猟採集民として輝かしい生を送ることができる。〈原野の人生〉は過去への郷愁などではなく、未来の思想なのである。もちろん、書くことを生活の中心に置いてきたわたしにとって無文字社会への回帰を夢想することは致命的な自己撞着である。そのことを認めたうえで結論を述べる。いまわたしが惹きつけられているもっとも奇怪な思想は、一九世紀末に一人のドイツ人が洞察したこと、すなわちニヒリズムを極限まで突きつめたその向こうに永遠回帰が訪れるということである。

 

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