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『思想』2021年12月号 追悼 ジャン=リュック・ナンシー

◇目次◇

思想の言葉………西谷 修

「哲学の終焉と思考の課題」………ジャン=リュック・ナンシー
無主物………ジャン=リュック・ナンシー

ジャン=リュック・ナンシーへの別れの言葉(アデュー)………ジャコブ・ロゴザンスキー
ジャン=リュック・ナンシー,世界の終わり?………ジャン=クレ・マルタン
シリウスの星を見上げて――ジャン=リュック・ナンシーをおくる………小林康夫+ボヤン・マンチェフ
終わりなき響き――ジャン=リュック・ナンシーの声の永遠の若さ………鵜飼 哲

「われわれ」とは誰か?――ジャン=リュック・ナンシーと私たち………澤田 直
ジャン=リュック・ナンシーの「不死性」………市川 崇
出発間際の私たち――ジャン=リュック・ナンシーの出立………西山雄二
身振りの追憶――Transir, transition………柿並良佑
ミモントロジー――ジャン=リュック・ナンシーによる『ソフィスト』読解………西山達也
乳房の思考――ナンシーと女性的なもの………横田祐美子
身体の奥底で――場としての自己と二人称………伊藤潤一郎

ナンシー先生の想い出,そしてその哲学についての断片的覚書………黒田昭信
〓tre-avec-Nancy(pour ma part) ナンシーと-共に-あること(私の場合)………メランベルジェ眞紀
ナンシーの黒い手帳………吉田はるみ
最後のことば………オーギュスタン・ナンシー

略年譜………柿並良佑+西山雄二
文献目録………柿並良佑+西山雄二

『思想』2021年総目次

 

◇思想の言葉◇

〈共〉を生きるということ――J.-L.ナンシーのために

西谷 修


 ジャン=リュック・ナンシーには明確な哲学史上の位置がある。

 ロベルト・エスポジトが最近指摘したように、ヘーゲルによる「哲学の完成」以来、哲学者たちは「終り」を意識してギリシアに立ち戻り、遠い過去のその地域的な起源を、世界化した現在のうちにアクチュアライズしようとしてきた。その最たるものがハイデガーである。ハイデガーは「存在への問い」を洗い出し、形而上学の歴史を「存在忘却」の「頽落」の過程として批判的に分析し、隠れつつ顕れる「真理」の解釈にいそしみながら、技術的存在に「急き立て」られた「忘却」の成就そのものに―サイバネティクスの制覇―「哲学の終り」を再確認することになった(講演「哲学の終りと思索の使命」)。

 ハイデガーの思索の深いモチーフが近代の「主体の形而上学」の克服だったとすれば、『存在と時間』における「共-存在」のテーマは、副次的なものではなく根本的課題だったはずだ。「現存在」とは、主体が目覚める以前の、「世界のなかに投げ入れられている」という受動的な意識であり、「ダス・マン」と言われるように非人称的でさえある。それはヘーゲルの言う「世界の終り」つまり変容なしの「日常性」のルーティンの中で誰にも属さず誰でもあるという「公共性」に埋もれている。そして日々の配慮や顧慮にかまけ、要するに同じような他者たちとの関係のうちにある。それをまず相互依存的な「共-存在」として洗い出す。そこで「現存在」はおのれを揺さぶる一般的な「不安」の奥底に、絶対的な「無」である「死」に直面し、その「本来性」に目覚めて「存在」の呼びかけに応じる「歴史的主体」の列に伍することになる。つまり「無」を定められてあることの受け止めが、個的存在を「本来的現存在」に「覚醒」させるというのである。そのとき同時に、「数と凡庸」に特徴づけられた「公共性」は、民族の共同性という「本来的共存在」として立ち現れる。

 これは言ってみれば、テンニース以来の近代化論、古い共同体(ゲマインシャフト)の解体から個人主義的な近代社会(ゲゼルシャフト)が生まれるという、個人-社会の進化論的図式に対する根本的な異論である。だが、そこでハイデガーは「公共性(開け)」を頽落とみなし、「共」を民族のつながりに重ねることで、近代化批判を袋小路に落とし込むことになった。ハイデガーはその後、問いを別の形でたどり直し、近代の主客の関係構造に技術を通しての存在の「急き立て」を見て、やがて上記の「放下」に身を委ねることになる。

 その結果、「共存在」の問いはタブーとなり、テンニース的図式は問われることなく、現象学の間主観性に紛れたり、個体化を「先に逃げる」ポスト・モダンの「差異の戯れ」などに流されてゆくが、そのタブーを破って、「共」の問いを近代的思考の盲点として洗い出したのがナンシーだった。『無為の共同体』を初めとするナンシーの思考の核心は、意味と世界の産出(生産)プロセスとしての知的・組織的把握の外に、人間の共同性は存する、あるいは個的主体を成立させる契機そのものが、個別化を不可避ならしめる「分割」として、「在る」の生起の場に蝶番として刻まれており、その「分有」なしには有為の個的主体の単独性はない、ということであり、ナンシーはそれを、ジョルジュ・バタイユの知的ならざる「共同体の不可能」の体験から引き出したのである。まさに形而上学が「錯乱」に崩れ落ちる「臨界」点を見据えることで。

 それによってハイデガーの共存在(Mit-Sein)は、意志に回収されない「共に在る」という出来事(etre-avec, being-with)に変容し、複数化とその独自の分有の方がかえって「個」を可能にする、従って存在とはつねにetre-singulier-plurielとしてそのつど生起するのだという視野が開かれる。それによって「共同性」のタームで語られてきたあらゆることが、「共」のありようが、近代の「企て」の論理に回収されることなく語りうるようになる。そして「公共性」も、共存在の頽落様態としてではなく、「複数にして単独の存在」の解き放たれる場、「開かれ」の境位としての積極性を取り戻す。それ以来「共」は、近代の布置を超えて人間の思考の足元にいつも見出されるものになったのだ。

 
 そのナンシーは、さまざまな偶然から五〇を越えたころ心臓移植手術を受けることになった。これを彼は、病気を克服するための特別な治療として受け流すことはなかった。われわれは身体という表象を介してその現実と付き合っているが、この「分有」は理念のレヴェルでではなく「現実」のレヴェルで「私」の意識とは無関係に(というよりむしろ関係を制御させないかたちで)起こることになる。一言で「他者の心臓と共に生きる」と言わざるをえないわけだが、ナンシーは(その名で示される人格の同一性云々といった問いも含めて)『侵入者』に語られたように、この「経験」ならざる出来事を通して、「分有」の思考を現代的な人間の生存事情(科学技術、行政統治、移民の生存etc.)の試練にかけながら展開してゆくことになる。ラテン系の言語ではそうであるように、意味を論理より感覚の方に開き、ロゴスに従いながらもアエステーシスにより身を寄せて、その営みに応答しようとする、メタ・フィジカルというよりトランス・フィジカルな思考と言ってもよいのかもしれない。

 それが三〇年にわたって、「術後」の名状しがたい困難を生きながら続けられてきた。ナンシーが「きつい」と言いもしたその生は、文字どおり「分有」の生である。他者の心臓を接ぎ木され、つねに医療技術にサポートされ、周囲の人びとの願いと意志に―それを人は「愛」と言うだろうか―支えられ、まさにその生はさまざまに「分有」されていた。有無を言わせぬ無媒介の分離と接触でもあるその「分有」、錯綜し絡み合いさえするその「分有」を、みずからのあり様としてそのただなかで生きながら、「火口に佇む子供のように」(内的体験を語り出す「主体」のありようをバタイユはこう例えた)ナンシーは思考し、書き続けたのである。
 だからまたこのグローバル化した世界の各方面から起こるさまざまな課題の呼びかけにも答えようとした。哲学が世界に広がったのは、ここ五〇〇年の西洋による世界化運動の必然でもあり、そこで哲学は(科学も含めて)その「普遍性」を実現することになった。そのため、思想の課題はどこでも共通化したと見なされていて(現代の知的共同性?)、グローバルな流通消費システムのなかで知的情報も避けがたく商品化され、新しい西洋思想はすぐに世界の各地に広がる。だが、ナンシーの場合は「分有」の構えがこの風潮にも楔をさしている。

 「分有」の相方は「同」に還元できない。「分割」は超越ではなく、向こう側には到達できない。ただ「触れる」、その媒介なしの「接触」を共有させるだけだ。しかしそれがじつはコミュニケーション(通わせること)の端緒であり、「共同作業」の出発点である。その意味では「分有」の思考は「有限性」のあらかじめの受容であり、知の神学化(全体化・普遍化)の断念を含んでいる。それがナンシーの「開け」や「自由の経験」についての考えにつながっている。このようなナンシーの思考はポスト・コロニアルとも形容される西洋以外のさまざまな場所で、自立的に思考することを触発している。ここで念頭に置いているのはディヴヤ・ドウィヴェディの主宰する哲学サイト“Philosophy World Democracy”だが、そこに寄せられた、ハイデガー的自閉を克服しながら「西洋の他者」を触発し、そこに哲学を開こうとする呼びかけがナンシーの遺稿となった。

 
 個人的な話になるが、たしか二〇〇九年にナント高等研究所(IEA-Nantes)にしばらく滞在していたとき、ナンシーの伴侶エレーヌから、ジャン=リュックに会いたければ数日中だと知らせを受けた。翌日直行のTGVでストラスブールの病院に駆けつけて、見つけたのは身を起こしてベッドに座るナンシーだった。危篤とのことだったが、前日から急速に回復し始め、今は座って話すこともできるという。心臓が持ちこたえたのだろう。「あなたはいろいろな意味で死ぬことができないね」と、私たちは年来の共通テーマだった「死の不可能性」についてしばし話し合った。そんなとき、私はたわいない雑談のつもりでいても、ナンシーは度し難く「哲学者」になる。つまり厳密に考えを巡らそうとするのだ。

 その帰り、駅まで車で送ってもらう道すがら、安堵した様子でハンドルを握るエレーヌが、これを知っているかと見せたのが出版されたばかりのジャン=ピエール・デュピュイ編・ギュンター・アンダースの『ヒロシマは至るところに』だった。忘れがたい「蘇り」の日のひとつのエピソードだ。

 

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