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『図書』2022年2月号[試し読み]平松麻/篠原ともえ

◇目次◇
〈対談〉ドストエフスキーと現代日本……亀山郁夫 中村文則 
染師 吉岡幸雄先生へ……篠原ともえ 
和食文化を育む世界一の変動帯、日本列島……巽好幸 
カタリーナ・デ・サン・フアン、あるいはチーナ・ポブラーナの軌跡……安村直己 
石の履歴書……黒岩康博 
猫も杓子もブギウギ……片岡義男 
二人の同級生――後藤明生と李浩哲……斎藤真理子 
二月、活躍の場は銀世界……円満字二郎
碧の彼方……岡村幸宣
ヴァランティーヌ・グロス……青柳いづみこ
秒も積もれば……時枝正
平賀エテノアの虎杖丸……中川裕
戦時下の著作……四方田犬彦
 
二月の新刊案内
 (表紙=杉本博司) 
 
 
◇読む人・書く人・作る人◇
アコークローにさらわれる
平松 麻 
 
 「アコークロー」を見ていた。「明う暗う」は、夕と夜の間の黄昏をさす沖縄の方言で、この時間には魔物が出没すると言われている。夕陽の残照が西をピンクに、宵の口が東をブルーグレイに染めていく時の空を、屋我地島の海辺で見上げた。この時間のことを油絵で描きたいと思った。
 夕まぐれに移ろう色をつかまえたい。境目のない色が連なる空を絵にしたい。それなのに、日没がみるみる陽の色を浸蝕していく。ピンクだと思っていたところはあっさりブルーグレイに変わり、はやばや鉄紺になり、今にも夜の黒が訪れそうで、色をとらえようとしても視点が定まらない。視線を雲に引っ掛けてみたいとも思うのに、風に流される雲もサッサと散っていく。眼玉が置いてけぼりをくらって視線が宙ぶらりんになり、空が遠いのか近いのかもわからなくなった。アコークローに弄ばれる数十分間で、つかまえたい色はもう消えていた。
 それから夜が唐突に現れた。波が引くタイミングに合わせて夜がわたしをひっ掴み、一気に海の中へ連れて行こうとする。いっそ全てをほっぽり出してこのまま海に飛び込むのはどうだろう? そうすればわたしも景色の一部になれるだろうか。さっきまでつかまえたいと思っていたような景色の色に。憧れるモティーフに自分自身がなる恍惚をイメージした。
 でも、鞄の中の絵具がわたしを引き止める。
 もう帰らないと。砂浜から腰を上げると、夜がジッと見てきた。宿までのほんの短い帰り道が真黒で見えなかった。
 (ひらまつ あさ・画家) 
 
 
◇こぼればなし◇
 
●書籍『ベスト・エッセイ』(日本文藝家協会編)には、各紙誌に前年発表されたエッセイから選りすぐりの数十篇が一冊に収められます。昨夏に出たその二〇二一年版をまだゆっくり読めていなかったことを思いだし、手に取りました。
 
●編纂委員の作家、三浦しをんさんによる本の帯、裏面記載の一節「大きく変わった暮らしのなかで、それでも私たちは喜びや悲しみや笑いを胸に抱いて生きている」に深く頷きながら読み進めます。小誌からは、人類学者の藤田祐樹さん「南の島のよくウナギ釣る旧石器人」(二〇二〇年一月号)と、詩人・作家の小池昌代さん「抱擁」(同八月号)の二篇が収載されています。
 
●同じ二〇二〇年に発表されたエッセイといえば、小誌一月号に掲載された「僕らの孤独の住所は日本」を読んだときの強い印象は、いまでも鮮やかに蘇ってきます。著者はラッパーのMOMENT JOONさん。これをきっかけに小社のウェブマガジン「たねをまく」での連載が実現し、それに加筆・修正して、連載と同題の単行本『日本移民日記』が同氏初の著作として昨年一一月に出ました。
 
●MOMENTさんは、ソウル特別市出身で、大阪府池田市井口堂在住。移民として生きる経験に根ざしたラップ、日本語表現で多方面に影響を与え、徴兵経験をもとに小説も発表し、……。と、このように紹介しても、何かを取り逃している、あるいは無理にまとまりをつけようとしている、何か違う、そんなふうにそわそわしてくる本です。
 
●より大事なのは、どんな問いにどう答えるかというより、どんな問いをみつけるのか、その問いをどれだけ根気強く問い続けられるか、問いから生まれる問いの連鎖に倦まないことなのではないか。著者から呼びかけられる「あなた」の一人として気づきます。
 
●「あなたが〈何となく分かっている〉ものは、実はあなたが想像するよりもっと複雑で敏感です、と理解させるのが芸術家の仕事です」(同書一二九頁)。
 
●そして「あなたからもらったものを、また次の人へ」で綴られる、金時鐘さんとのコラボのこと(一三三―一三七頁)。MOMENTさんの曲「TENO HIRA」のために、詩人の一九五〇年の作品「夢みたいなこと」を詩人自身が朗読する場面は、何度も読んでしまいます。
 
●ここで受賞報告を。益田肇さん『人びとのなかの冷戦世界』が、第七五回毎日出版文化賞に続き、第二一回大佛次郎論壇賞も受けました。紀伊國屋じんぶん大賞2022には、小社から三点が選ばれました。一二位『「論理的思考」の社会的構築』(渡邉雅子著)、二一位『言葉をもみほぐす』(赤坂憲雄・藤原辰史著、新井卓写真、元は小誌連載)、二四位『囚われのいじめ問題』(北澤毅・間山広朗編)です。また、『紀元2600年の満州リーグ』(坂本邦夫著)が、第三回野球文化學會賞を受賞しました。
 
●青柳いづみこさんの連載「響きあう芸術 パリのサロンの物語」は本号が最終回。ご愛読ありがとうございました。

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