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『科学』2022年3月 【特集】科学と政策:繰り返される“失敗”の力学

◇目次◇


感染症対策の不備と専門家の活用の失敗――日本のコロナ対策はなぜ欠陥だらけなのか……米村滋人
「定義欠如」維持を志向する政策決定は何をもたらすか――専門家に求められる言語チェック機能……尾松 亮
「様式化」した現状維持と責任転嫁――新型コロナウイルス感染症対策における科学と政治(7)……尾内隆之・調 麻佐志
[資料]第49回総選挙から「第6波」における1日感染者8万人超えまでのタイムライン(作成:尾内隆之・調 麻佐志)

[巻頭エッセイ]
幻の,核のごみ「文献調査段階」――問われぬ危うさ……本間照光

農薬の安全性とリスク評価――“見過ごさず,見落とさず,見誤らない”ために……遠山千春・木村–黒田純子・星 信彦

[ノーベル化学賞2021]
不斉有機触媒の開発と展開――医薬品の合成にも用いられる力量と環境調和性……林 雄二郎

[シリーズ放射性微粒子の追究]
海洋で発見された不溶性Cs粒子とその特徴……三浦 輝・栗原雄一・高橋嘉夫

[新型コロナウイルス感染症]
3.11以後の科学リテラシー<111>……牧野淳一郎
オミクロン変異株とパンデミックのゆくえ:新型コロナウイルス感染症〈その24〉……小澤祥司

[新連載]
海底火山と大地誕生の豆知識<1>富士火山帯に巨大海底火山が並ぶ理由……巽 好幸
[連載]
利他の惑星・地球[追創編]<28>(最終回)文明の位相差……大橋 力
これは「復興」ですか?<60>新天地を求めて……豊田直巳

[科学通信]
〈リレーエッセイ〉海辺の自然を見つめる
陸と海のつながりを分断した諫早湾調整池……髙橋 徹

〈コラム〉東京電力原発事故の情報公開
私企業の「壁」――高線量下作業・被ばく線量評価への懸念……木野龍逸

次号予告/編集後記
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表紙デザイン=佐藤篤司
連載「利他の惑星・地球」タイトル・デザイン=木下勝弘

 

◇巻頭エッセイ◇

幻の、核のごみ「文献調査段階」――問われぬ危うさ

本間照光(ほんま てるみつ 青山学院大学名誉教授)


 公文書や統計の改ざんが,あいついで明るみに出ている。問題を隠すために改ざんし,検証もしない。改ざんを認めることで問題を閉じる。結果は,いのちとくらしの危機,国も社会も成り立たないし,科学も科学たりえない。原発やコロナ禍でも同じだ。

 原発事故の汚染水放出や核のごみ(高レベル放射性廃棄物,死の灰)の地下埋設では,情報操作で地球規模,地球史的破局がもたらされかねない。核のごみ最終処分は,電気料金に上乗せして集めた資金での,広報(実は会社案内),調査,処分地決定,そして地下300mへ向かう「バベルの塔」(核のごみの「地下塔」)の建設と続く。その主体は「機構」と称する,業界がつくったごみ処分会社だ(原子力発電環境整備機構NUMO)。

 処分地を選ぶ調査には,①文献調査段階(机上調査),②概要調査段階(ボーリング調査),③精密調査段階がある。各段階から次の段階へ進むときには,「地域の意見を聴く(反対の場合は先へ進まない)」,途中で手を下ろすことができる――と,機構と経済産業省がいい,そのまま報道されている。しかし,「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律(最終処分法)」には,「文献調査段階」すなわち机上調査段階なるものはない。

 「この法律において「概要調査地区」とは,精密調査地区を選定するため,文献その他の資料により……地層内の地下水の状況その他の事項を調査する地区をいう」(2条10項,傍点筆者)。つまり,文献調査とは概要調査段階に組み込まれた入り口の部分で,そのままボーリングなどに直結し,最終段階の精密調査につながっているのである。また,途中で手を下ろすこともできなくなる。自治体には決定権がなく,意見を聞かれるだけだ(本誌電子版および2021年1月号,『週刊エコノミスト』オンラインで公開の本間稿)。

 この肝心かなめが伝えられず,報道もされない。市民運動や研究者からの発言もない。なぜか。「文献調査段階」なる幻の舞台がこしらえられ,「次」と思っているうちに,実は今すでに概要調査段階に入っているのである。

 核のごみが無害化するには,10万年を要するとされる。人間(――人の世)を超えた時空のはてまでだ。それでいて,「科学的特性マップ」(経産省資源エネルギー庁,2017年)は,埋設に「好ましい特性が確認できる可能性」は国土の65%にあり,10万年を保証できるという。

 安全か危険か,等分で刻んでいっては,どこまで行っても10万年にたどり着けない。そこで「対数グラフ」を使うことで,1枚の方眼紙に10万年を描くことはできる。しかし,そのグラフでは遠くに行くほどに圧縮され,到達までの経路ばかりか,その間のできごとやリスクもみえなくなる。裏を返せば,入り口の今ここが10万年の全体とみまがうほどに肥大化している。事故は起きないとしたい今ここの自画像をみて,全体と誤認する。全体観が失われていればこそだ。

 原発事故による死を怖れるのは,隕石にあたるのを怖れるのと同じ杞憂だとされていた。その自画像では,原発運転からわずか数十年で起こる事故も見通せなかったではないか。

 ふたつの道がある。「分からないことを分からない」とする。「分からないことを分かった」とする。分かったことにして,天まで届く塔をつくろうとして塔もろとも崩れ落ちる「バベルの塔」は,人間の愚かさのたとえだ。そのばあい,人類は生き残ってやり直しができる。他方,核のごみ(死の灰)の「地下塔」崩落が起きれば,人間が夢まぼろしと消え去る。天地そのものの崩落,杞憂が現実のものとなる。

 どちらの道に,人間――人類生存,科学的精神と希望が残されているのか。幻の舞台がこしらえられ,それが問われることもないのでは,10万年の約束も成り立ちようがない。

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