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『アカデミアを離れてみたら』トークイベント

『アカデミアを離れてみたら』トークイベント・ 前編 私たちのきた道

 

 
 2021年12月5日、『アカデミアを離れてみたら――博士、道なき道をゆく』の著者の方々より7名をお迎えして、オンライントークイベントが開催されました(主催:大学生協事業連合、協力:岩波書店)。題して「『アカデミアを離れてみたら』、どうなった……?――バラバラな博士たちの本音トーク」。当日は約160名もの方にご参加いただきました。イベントに先立ち、参加者のみなさまからは事前に質問もお寄せいただきました。
 
 この「前編」では、イベント前半の自己紹介のもようをお伝えします。なお、個人宛の質問が寄せられた登壇者の方々には、自己紹介とともにそちらへの回答もしていただきました。『アカデミアを離れてみたら』の著者略歴や本書の内容と多少の重複がありますので、ここでは著者略歴を先に記し、内容上の重複をできるだけ避ける形でレポートします。また、お寄せいただいた質問は、主旨をそこねない程度に編集を加えている場合があります。
 
【登壇者(敬称略、順不同)】
今出完(エンジニア)
岸茂樹(研究者→広告業→研究者)
高山正行(官僚)
坪子理美 (フリーランス翻訳者)
原田慧(データサイエンティスト)
森本行人(URA(学術研究支援))
榎木英介(フリーランス病理医)
司会進行:射場敏明(大学生協事業連合書籍商品課)
 

自己紹介――私たちのきた道

司会:それでは、今出さんから、自己紹介をお願いいたします。
 
 
今出 完(いまで・まもる)
1980年生。2007年、大阪大学大学院博士課程を修了。ポスドク、助教を経て2016年、大阪大学大学院准教授に着任。次世代半導体材料の実用化を目指して、多くの国家プロジェクト、民間企業との共同研究に従事。2018年2月、ラムリサーチジャパンに転職。約半年にわたる海外研修を経て、2019年7月、ラムリサーチのアメリカ本社に転籍。
 
今出:大学3年生までは、授業はきちんと受けていましたが、とにかくずーっとバレーボールをしていました。大学4年生の研究室配属以降は、2018年に大学を離れるまで、15年間、ずーっと研究していました。もちろん、最初からここまで行くぞと決めてやってきたわけではなくて、キャリアの節目のたびに、アカデミアに残るかどうか迷いましたが、結局迷っても決まらないので、「この日までに決めないとだめだ」という日を自分で設定して、その日に自分のやりたい方を選んできました。
 私の場合は運がよく、准教授までポジションをいただきました。そしてなんと37歳で、初めての転職活動です。産業界、特に海外にフォーカスして就職活動をしました。
 現在はアメリカで働いています。アメリカ西海岸のサンフランシスコの近くに、有名なシリコンバレーがありますが、実はここではなく、シリコンフォレストといって、テック企業が集まっているもう一つの領域があり、そこで最先端の量産技術開発に携わっています。周囲には、世界中から集まる博士エンジニアがとにかくたくさんいます。
 
 
岸 茂樹(きし・しげき)
1977年生まれ。農業・食品産業技術総合研究機構主任研究員。2007年、食糞性コガネムシ類の行動生態学の研究で学位取得(博士(農学)、京都大学)。2009~2011年に広告代理店、三晃社勤務。繁殖干渉、花と昆虫のネットワークなどの研究を経て、2019年から現職。現在は農作物の送粉を担う昆虫の研究を行っている。
 
:高校のときに昆虫の研究をやりたいと言っていたら、先生から「金出してくれるの、東大しかないから、東大に行け」と言われて、東大に行きました。大学でどんな研究をやろうかなと思っていたころ、生態学の授業で、先生が「すみません、フィールドに行ってまして」と言って講義室に入ってこられた。そのセーターがすごく汚れていて、かっこいいなと思ったんですよね。こういうことを仕事としてできるのっていいなと思って、生態学に進みました。大学、大学院まで行くんですけれども、その後、簡単に言えば行き詰まりを感じて、民間の広告代理店に就職します。その後、大学のポスドクに応募して拾ってもらって、しばらくポスドクを転々としていたのですが、最近になって、農研機構という研究機関に採用いただいて、いまは虫の研究をやっています。
 参加者の方から、「就職か進学かで迷っています。アカデミアに戻るうえで大変だったことなどを教えてください」「一度完全にアカデミアから離れた後、どのようにして研究職へ戻ることができたのか、またその際に工夫されていたことなどありましたら、教えていただきたいです」というご質問をいただいています。本でも書きましたが、いまでも、私のような研究の世界への「出戻り」は難しいと思います。アカデミアでは現状、研究業績の量的な成果主義になっていますので、民間で仕事をしながら論文を書き、しかもアカデミアの人たちと同等かそれ以上の成果を出すというのはかなり困難です。「また戻ってくればいいよ」とは簡単には言えません。自分がアカデミアに戻れたのは、運がよかったと思っています。覚悟を決めてやっていく必要があると思います。
 民間からアカデミアへ戻るのに一番大事なのは、論文をコツコツ書いて、業績をためることだと思います。私は広告代理店にいたとき、残業が週に50時間を超えていて、かなり難しかったのですが、それでもコツコツ書きました。書かないと始まらないので。
 もう一つ、これは民間からアカデミアへのルートに限らないのですが、大事なのは人脈をつくることです。若いのは、それだけで武器なんですよね。空気を読まずに偉い人のところに話を聞きに行っても、むしろ喜ばれるわけです。なので、面白い研究をしている人とか、この人すごいなと思う人のところには、勇気をもって積極的に話しかけに行くのがいいと思います。
 
 
高山正行(たかやま・まさゆき)
東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学)。2019年4月、文部科学省入省。2020年9月からは科学技術・学術政策研究所研究官も併任し、博士人材の流動性に関する定量的研究に着手。文部科学省の「ガツガツ若手ワーキンググループ"AirBridge”」でも活動。
 
高山:学生時代は、レーザーの光を使って、半導体の電子の振る舞いを(特に低温で)見ていくという「光物性物理学実験」をずっとやってきまして、2019年の3月に博士号を取得したところです。その後、文科省に入省しました。国家公務員試験の試験区分は「院卒 数・物・地区分」です。「行政・法律・経済」で受ける方も非常に多くいらっしゃいますが、理系の方々にも、門戸は広く開かれているのかなと思います。
 いまは文部科学省にいて、最初は科学技術・イノベーションの基本法の改正や、あるいは予算全体のとりまとめといった仕事をしてきましたが、去年からはAI開発に関連するプロジェクトや、それに関する研究開発戦略の策定にも携わっています。その一方で、行政官だけでなく政策研究者としても活動を始めて、さまざまな数値シミュレーションや、因果探索という手法を、政策研究に試行的に取り入れたりしています。最近、自分の名前で検索をかけたら、「日本の研究.com」にページができていて、私の推定分野はなんと「人文科学」になっていました。
 
 
坪子理美(つぼこ・さとみ)
1986年生まれ。東京大学大学院理学系研究科にてメダカを用いた行動遺伝学研究を行い、博士号を取得。翻訳業の傍ら、2015年から2020年まで米国カリフォルニア州サンディエゴにてシオダマリミジンコ属の生殖行動を研究。2020年夏に帰国し、引き続き翻訳業に取り組むとともに、専門学校の非常勤講師などを兼任。
 
坪子: 2015年に博士課程を終えて、兼業・フリーランスで、翻訳・教育・研究に関わることをしています。本によせた文章に「アカデミアを『半歩』離れてみたら」という題をつけたように、私はアカデミアを完全に「離れた」という感覚はあまりないまま、複数の仕事・職場を組み合わせて、今はこういうかたちになっています。
 個人宛に質問をいただきました。まずは「高校時代に翻訳家を目指すか迷った末に、研究の道を進んできた」とおっしゃる方から、「翻訳家としてデビューする前に、どのような準備をされてきたのですか」。あと、「翻訳の仕事をする上で、博士での経験や学んだことが役に立った場面があれば教えていただきたいです」という質問も。
 私自身は最初から翻訳者になろうとしてこういう道を歩んできたわけではないんですが、振り返ってみると役に立ったことは三つあるかなと。まず技術面。これは、日本語の文章の読解や表現に興味をもって、ある程度練習してきたことです。論文や学会発表も関係するかもしれませんし、研究以外でも、本や小説に興味をもっていたことがよかったかなと思います。
 二つ目は、知識の面です。生物学、特に行動遺伝学という専門性をもてたことは翻訳者としてよかったですし、あとは実地で研究する感覚を知っていることによって、研究者が書いた話とか、ちょっと複雑な話が出てくるところに、解説を加えつつ翻訳できたりします。語学だけ見ると、本当にそれを専門にやってきた方に比べれば強みがないというところからのスタートでしたが、科学の面と言葉の面を組み合わせられる人は少なかったのが、よかったと思います。
 三つ目が心理面です。一から始めた研究プロジェクトを一つ成し遂げた、という経験が、その後の支えになったと思います。本の翻訳は、一度始めてしまったら、途中で苦しくなっても、何があっても工夫して乗り越えないといけません。博士課程を修了するのは必須ではないと思うんですが、研究なり論文なり、何か乗り越えて、柱を一つつくったというのがよかったように思います。
 
 
原田 慧(はらだ・けい)
1983年生まれ。京都大学理学部理学科を卒業後、同大学院情報学研究科修士課程を経て、名古屋大学大学院で数理学の博士号取得。学生時代の研究テーマは無限次元空間の解析。2011年4月から株式会社金融エンジニアリング・グループ(FEG)にて、データ分析とその活用のコンサルティングに従事。2018年2月、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)入社、現在はマネージャーとして多くのプロジェクトに関わりながら個性的なメンバーを率いる。
 
原田: 2002年に京都大学に入って、名古屋大学で博士課程の3年間を過ごして、あとはずっと民間で過ごしています。いまは、DeNAのデータサイエンス部門で部長をやっています。たぶん、今回の登壇者のなかでは一番スパッとアカデミアを離れちゃった人間です。たまたまデータサイエンティストとして有名人になれてしまったところもあって、現在は電気通信大学の客員准教授でもあるんですが、これは、アカデミアに戻ったというよりも、産学官の「産」の人間としてアカデミアにちょっと関わりがあるというくらいです。
 学生時代、もともと数学がすごく得意で、でも数学だけじゃ生きていけないなと思って、いろいろやっていろいろ挫折して、地球物理をやろうかと思っていたところに、やっぱりニューラルネットやろうぜと言ってくる面白い先生がいて、その先生に誘われて、修士課程は情報学系に進みました。でもそこでもなんやかやあって、純粋数学の研究をやることになって、修士が終わるときに大学を変わる必要が出てきて、名古屋大に行きました。名古屋大の3年間は本当に楽しかったんですけど、学振※1に3回落ちて、これはもうあかんなと思って、しぶしぶ就職活動を始めました。
 これまでの転機を思い返すと、まず、地球物理の研究をするか、ニューラルネットをやるかというところで迷いました。ただそのとき、このまま地球物理に行くと自分はこうなるんだろうな、というのが、なんとなく見えちゃったんですよね。当時は二十歳そこそこの若者ですから、それが嫌になって、衝動的に出て行ってしまいました。でも、正直どちらを選んでも、いまの人生に影響はなかったんじゃないかと思います。結局いまはデータ分析とかをやっていますし、就職して一番生きているのは、地球物理にいた頃の経験かもしれません。
 学振に落ちて就職活動を始めたわけですが、いま思えば、学振については傾向と対策が足りていなかったなと思います。文章って読み手がいるんですよね。社会人をやっていると、それが当たり前なんです。でも、学生の頃の生意気な自分にはそんなことはわからなくて、自分の成果を、自分から見て良いように書いてしまった。これは本当にダメだったなと思います。就職活動をしていたときも、普通にリクナビやマイナビで探したのですが、ああいうのに登録すると、「〇〇様をスカウト!」とか、「〇〇様の実績を評価して」とか、メッセージが来るんですよ。で、行けるんじゃないかと調子に乗ってしまった。これも失敗でした。
 結局、博士を採用する気がある会社の求人票が、大学の掲示板に貼ってあって、たまたまそこに受かりました。そうしてたまたま選んだのが、データサイエンスの仕事だったわけです。
 私の場合は、過去の研究内容と現在の仕事の内容に直接の関係はありません。でも、やることは変わったんですが、私は私で本当に変わらないなと、就職してみて思いました。私の場合、過去の研究経験で役に立ったことはいっぱいあるんですが、結局、出身がどの分野でも関係ないかなと。微積分や線形代数は、理系であれば当然やりますし、論文を読む力も、理論的に物事を考えることも、ちゃんと相手を説得することも、どれも、ベースが何学でも変わらないのかなと、いまのところ私は思っています。
 
 
森本行人(もりもと・ゆきひと)
京都生まれ。関西大学大学院経済学研究科にて博士(経済学)の学位を取得。関西大学URAを経て、2013年度より筑波大学本部URA。2018年にURA業務の一環として、科研費の奨励研究獲得。2022年1月に人文社会分野から特許取得(特許第7004997号)
 
森本:経済学、なかでも経済史を専攻していました。いまは筑波大学で、URA(学術研究支援)という仕事をやっています。
 今回ご参加の方はほとんどが理系の方かと思いますので、文系の研究ってどのようなスタイルなのか、そのあたりをまずはご紹介したいと思います。
 私の大学院時代の研究のモチベーションは、なぜアメリカが世界第一位の経済大国になったのか、その理由は何だったのだろう、というものです。イギリスは七つの海を支配していたのに、なぜいまは経済大国から転落したのか。このことを解き明かすために研究していました。修士課程の時に指導教員からよく言われていたのは、「進学するのだったら、博士課程では、どのようなアプローチで何をやるのかを明らかにしなさい」ということです。あなたはどういう人になりたいのか、何がやりたいのか、毎回のゼミで聞かれ、そこの問題提起にすごく時間をかけました。一生かけて明らかにしたいこと、ビッククエスチョンみたいなやつを明確にして、バックキャスティングしていって、50代だったらここを明らかにしないと間に合わないし、40代でここを明らかにしないと間に合わない、じゃあ後期課程ではここをやっておかないとだめだね、ということを説明できるようにしました。
 私は、情報が経済に与える影響を調べていたのですが、ならば一番古いところから研究をと思って、指導教員に「先生、狼煙(のろし)からやりたいです」と言ったら、「森本くん、せめて文字のある時代からにしなさい」というふうに言われまして、次に古い郵便にしました。博士課程ともなると一次史料に当たらないといけませんが、中身がスキャンされていないし、目次もざっくりとしている。特に19世紀の文献は、現地に行ってひも解いてみないと、何が書いてあるかわかりません。そのため何度もアメリカやイギリスの公文書館へ行って、史料にあたりそれを読み込み、必要なものは写真を撮ってくる、というようなことをやって、データを揃えます。最終的にそのデータを使って「19世紀アメリカ合衆国における郵便制度発達史の研究」というタイトルで博士号を取りました。
 さて、自分が持っている能力をどういうことに転換できるのか、という意味を表す「トランスファラブル・スキル」という言葉があります。私は研究生活を通じて、自分がどういう人になりたいのか、いま何がやりたいのか、ということを、常に考えて行動できるようになりました。また思いついたり閃いたりした解決策にすぐに飛びつくことなく、答えを保留できるようになるというのも、文系の研究ならではかもしれません。
 
 
榎木英介(えのき・えいすけ)
1971年横浜生まれ。1995年東京大学理学部生物学科(動物学)卒。同大学院に進学したが、博士課程中退。神戸大学医学部に学士編入学した。2004年に医師免許取得。2006年に博士(医学)。近畿大学医学部講師、兵庫県赤穂市民病院の一人病理医などを経て、2020年4月よりフリーランス病理医として独立。病理専門医、細胞診専門医。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表。
 
榎木:自己紹介ということですが、私の場合は「事故」みたいなこともたくさんありました。
 理系を目指して理学部に入って、そのまま大学院に進みましたが、そこで立花隆さんにお会いして、「情報発信が重要だよ」と言われて、ホームページなどを作ったんです。そんなこともあって――それだけじゃないんですが――研究室から、博士課程2年の秋に追い出されてしまいました。それが、一回目のアカデミアのさよならです。
 でも、ちょっとそれじゃ悔しかったので、もう一度復帰しようと、医学部に入り直しました。医学部に行ったころ、「日本育英会がなくなって学生支援機構になるときに、返還免除制度がなくなる」という話があって、それではいかんだろうということで、雑誌や新聞に投書したんです。ちょうど20年前のNature誌に出たんですが、それが出た数日後には「研究室出てってください」と言われてしまって。医学部とはいえ、研究しないと卒業できないコースだったので、非常にピンチに陥りました。このときも、アカデミアを去ろうと決意しました。
 でもめげずに、NPOを立ち上げ、新聞に投書し、本に協力し、あるいは自分自身も本を書いて、といろいろやりました。私は1971年生まれで、この本の他の多くの方々よりちょっと年上です。ちょうど大学院に進学した時期が、大学院重点化の開始と重なっていたし、国立大学法人化もあって、任期付き研究者が増加して、先ほどの奨学金の問題もあって、ちょっと辛い世代でした。「若手研究者をなんとかしてください」と訴えていると、若手研究者優遇になったんですが、そのころには同世代はもう「若手」ではなくなってしまった。同世代の人が自死してしまう事件もあって、こりゃいかんな、なんとかしようと。私自身その当時は大学の教員だったのですが――アカデミアというよりは医者としての教員だったんですけれども――、それをやめて、いまは在野の人間になろうとしています。
 ご質問をいただきました。「現在ハラスメントで苦しむアカデミアの現役学生や教職員、ハラスメントを苦にアカデミアを去った元アカデミアの人たちに対して、何かアドバイス、メッセージをいただけませんか。また、この問題を解決するために、アカデミアや非アカデミアに必要なことは何でしょうか。」
 私自身の経験がハラスメントかというと、いろいろな見方があると思いますが、突然辞めさせられてしまうというのはやっぱりハラスメントだと思うし、二度もそれがあったのは、辛かったです。メッセージとしては、「優雅な生活が最高の復讐(である)」。要は、いま充実することによって、当時起きたさまざまなことを上書きできるのではないか、と思います。
 ハラスメントの問題を解決するためには、やはりこの問題に正面から取り組むことだと思います。いろいろ問題があって、非常に苦しい思いをしている人もたくさんいる。PI(研究室主宰者)の裁量権の問題もあると思いますが、自分としても何とかしていきたいなと思っています。
 詳細はツイッターでときどき呟いていますので、フォローしていただければ。どうぞよろしくお願いします。
 
司会:では、ここでいったん休憩を取りまして、10分後に再開したいと思います。よろしくお願いします。
 
後編は白熱の(?)Q&Aです。
 
 
※1 日本学術振興会特別研究員のこと。採用されると、研究費および研究奨励金(給与)が支給される。DC1(採用年の4月1日現在、博士課程1年次相当に在学する者が対象)、DC2(採用年の4月1日現在、博士課程2年次以上の年次相当に在学する者が対象)といった区分がある。

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