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『思想』2022年5月号 【特集】戦争社会学の可能性

◇目次◇

思想の言葉  青木秀男 
「わからない(DK)」という無責任,それとも希望?――戦争と平和に関する社会意識をめぐって  野上 元
戦時性暴力とジェンダー――男性被害者を包摂した議論のために  児玉谷レミ・佐藤文香
〈人間〉を取り戻す――立ち上がる原爆被害者たち  直野章子
「身体化された軍隊経験」を振り返る――「復員兵の子」というあるひとつの「戦争経験」のポストメモリー 蘭 信三
ある幹部自衛官の思想と行動  一ノ瀬俊也
歴史小説のなかの「戦争と社会」――司馬遼太郎とネガとしての「明るさ」  福間良明
戦没者慰霊と紀元節――三笠宮崇仁にとっての軍隊と学問  西村 明
島嶼戦と住民政策――日本帝国の総力戦と疎開・動員・援護の展開  石原 俊

情報社会の生成と構造――サイバネティックス運動の理路(完結)  大黒岳彦

 

◇思想の言葉◇

兵士の精神構造を読み解く
青木秀男
 
 戦争研究に、軍隊・作戦・戦闘の研究は多い。体験記も多く、その研究も多い。軍隊や戦場で、兵士は何を行い、どんな目にあったのか。しかしその時、兵士は何を感じ、何を思ったのか。その本格的な研究は少ない。この兵士の主観世界を精神構造(丸山眞男)と呼ぼう。その分析は、兵士の客観世界の分析に劣らず重要である。戦争をしたのは人間兵士である。行為には動機がある。動機は精神構造に発する。行為の意味は、精神構造をみないと分からない。そしてそこから、私たちが何を学ぶのか。これが私の関心である。アジア太平洋戦争期を中心に、特攻隊員、学徒兵、農民兵の精神構造を渉猟してきた。
 
 兵になり、兵に死す。男たちは兵士になった。しかし、すんなり兵士になったわけではない。生の未練と死の怯え。男たちは葛藤した。そして死を覚悟した。それは長い道程であった。戦場で死ぬ時、ある兵士は「天皇陛下万歳」と叫んだ。ある兵士は「お母さん」と呟いた。特攻隊員は出撃の前夜、わが命を惜しんで慟哭した。次の朝、凜々しく颯爽と飛び立った。どちらの兵士が多かったのか。これまでこう問われてきた。そうではない。一人ひとりの兵士は、どちらに近かったのか。兵士は死の意味を求めた。死を誇りと思った兵士、屈服と思った兵士、一切放下の兵士、最後まで迷った兵士。どの道も荊道であった。兵士の精神構造は、特定の鋳型に嵌まらない。私は兵士の荊道を一つひとつ歩む。そして彼らの苦悶を追体験する。

 兵士は戦争の時代を生き、忠君愛国を信じた。他方で、戦争は死であった。死は、父母や妻子との別離であった。国家と個人、信念と心情。しかしそれらは対立しなかった。信念は心情で染まり、心情は信念で固まった。家族は魂の古里、死んでそこへ還る場所。「生きて帰れば父母の国、死んで帰れば仏の国、いずれに帰るも親の里」(『きけわだつみのこえ』)。敵に負ければ、大事な家族が酷い目にあう。家族を守らねばならない。家族を守るのはムラである。ムラを守るのは祖国である。祖国を守るのは天皇である。だから天皇のために戦う。そして家族を守る。死は奉公であり、報恩である。これが兵士の本道であった。その傍に枝道があった。兵士は思い思いに、わが枝道を往来した。

 兵士は、学歴、職業、未・既婚、軍務・地位を異にした。その精神構造も多様であった。かつて学徒兵と農民兵の異同を問う「農民兵論争」があった。学徒兵は観念の苦闘をした。生と死の意味を問うた。死は生の彼岸にあった。死が生を呑み込んだ。農民兵は現世の苦闘をした。わが死よりも妻子の行末を案じた。死は生の延長にあった。生が死を呑み込んだ。しかし学徒兵と農民兵は、対照されるだけではない。彼らはみな、三つの価値世界に生きた。天皇と国家の〈忠義〉、父母の〈恩愛〉、わが命大切の〈自由〉。兵士の多くは、自由を封殺し、恩愛を忠義に重ねた。そこに死の意味をみた。学徒兵には自由主義者もいた。「学徒の魂は真実のない国家よりも、国家のない真実を求める」(『きけわだつみのこえ』)。そして自由日本よ一日も早く来たれと、わが命を未来へ投企した。しかし彼らも、孤独に耐えかね、最後は父母の懐へ帰った。

 兵士には道がもう一本あった。自己認識と対をなす他者(敵)認識である。戦地でぼろを(まと)って物乞いする幼な子に、わが子を重ねて涙する兵士がいた。敵を何人殺したと誇らしく語る兵士もいた。優しい父親と鬼畜の兵士。しかしそれは、二人の兵士の話ではない。兵士は妻への手紙で書いた。「今日は敵を、女も子どもも始末してきたぞ」。そして次の文でこう書いた。「坊主はしっかり勉強しているか。風邪をひかすなよ」。兵士は逃げ惑う民衆を憐んだ。そして思った。
 
 戦(いくさ)に敗ければわが家族がこうなる。兵士は、民衆の目に怨念をみた。その時憐憫は不安になった。敵襲を受けて、不安は恐怖になった。戦友が敵弾に斃れて、恐怖は憎悪になった。そして「戦いは聖戦なり」と信じた時、敵の殺戮が正義になった。こうして、憐憫の顔の先に鬼畜の顔があった。兵士よあなたは、どんな顔だったのか。ここにも、敵に向き合う兵士の多様な精神構造があった。

 現代の私たちも、三つの価値世界(国家、家族、自由)に生きている。古い革袋に新しい酒が盛られた。軍国主義は民主主義になった。自由の世になった。個人主義が花開いた。と、誰もがそう思っている。しかし国家は時どき荒れ狂う。その時私たちは、国家に抗い、それを諫める家族に抗って、自由を貫くことができるだろうか。兵士は荊道を歩んだ。それは死出の旅であった。戦争は兵士を鬼畜にもした。私たちは兵士にはなるまい。しかしその道を見つけただろうか。戦後民主化の嵐の中で丸山は喝破した。軍国主義から民主主義へ変ったが、国民の精神構造は変っていないと。今なおその言葉は重い。なにも変っていない。

 兵士の精神構造への旅は、遠い学びの旅である。しかし旅の終着点は、私自身である。私の父は七八年前に中国で戦死した。私は父の二倍を生きた。しかしまだ父と対話している。戦場から戻った元兵士が書いた。「私達は生き残つた。あの激しい戦争の中をとにもかくにも生き残つた。私達はこの「生き残つた」という真の意味を決して忘れてはならない」(『はるかなる山河に』)。彼の体験に及ばずとも、私も、私の「生きている」という真の意味を忘れまい。愛する息子と別れた父の無念を偲び、父を返せと言い続けたい。愛する家族を殺されたアジア民衆の無念を偲び、心で涙したい。それが、兵士の精神構造に学ぶ私の戒めである。時は忘却なり。しかし私は、時の忘却を許すまい。

 ロシアがウクライナに侵攻した。ロシアは戦争犯罪を犯した。言語道断である。他方で欧米は戦争を挑発した。挑発も犯罪ではないのか。それを問わない日本の言論に辟易する。戦争反対は貴重だが言うが易し。事実の全体的認識。自律の精神はここから始まる。兵士の悲劇はそのことを諭している。

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