鷲谷いづみ 生態学者の「さとやまガーデン」づくり【『図書』2022年8月号より】
筑波大学で働いていた四〇年近く前のこと。サクラソウなどの絶滅リスクの高い植物保全のための生態学が主な研究テーマだった。種子発芽特性を調べる過程で芽生えが得られる。それを育てて「域外保全」(生育地外での保全)に役立てようと思い立った。栽培場所が必要だが、大学にはそれにふさわしい場所がなく、公務員住宅のベランダはあまりにも狭い。どこかに圃場をつくりたい。
そこで筑波山に登り、山頂から「国見」をした。目を向けたのは、「家々から煙が立ち上っているか」ではなく、樹林の広がりや水辺との近さなどからみた良好なさとやま(=里地・里山ランドスケープ)(拙著『さとやま――生物多様性と生態系模様』岩波ジュニア新書)がどこに残されているか。今なら、航空写真のマップで手軽に調べるのだろうが、当時はまだその手段は使えなかった。よく晴れた日に山頂から広々とした「絶景」を眺めるのも気持ちがよい。目にとまり心惹かれたのは、霞ヶ浦西浦に突き出している半島の「出島」だった。人工林だけでなく広葉樹の森もかなりありそうで、全体として樹林に覆われている比率が高い。当時、研究フィールドの一つとしていた霞ヶ浦の水辺も近い。大学からは車で一時間以内で行くことができそうだ。
そこで、当時の出島村(その後、霞ヶ浦町を経て現在は、かすみがうら市)を見分した。予想通り照葉樹や落葉樹の混ざる森が点在し、霞ヶ浦の沿岸や河川沿いには水田や蓮田が広がっていた。当時、大都市圏に広がった「ゴルフ場開発」をのぞけば、現代的な開発からは大方免れていた。主要道路沿いには全国チェーンの大型店舗がなく、昔ながらの風情のある集落が点在していた。しかし、どのようにすれば適当な土地を手に入れることができるだろうか。そう思い始めた頃、その地域の建て売り住宅つきの小規模な分譲地の広告を見つけた。半島の付け根に近い、土浦市との境界あたりには企業用地が造成されつつあったので、それと関連した住宅需要を見込んでの分譲だったのだろう。仲介した不動産屋は、JR土浦駅から一日に数本しかないバスで四〇分以上かかる出島村の「僻地」に、なぜ筑波大学の教員が住宅を購入しようとするのか、訝しんでいたようでもあった。
購入した土地は、霞ヶ浦に臨む丘の上にあった。南側は不自然な断崖絶壁になっていたが、後になって、その不自然な地形は、土地の持ち主が霞ヶ浦の堤防建設用の土を売却するために削った跡だとわかった。「首都の水瓶」にするという計画にもとづき、その頃、霞ヶ浦では、ほぼ全周を堤防で囲む工事が行われた。崖が崩れないように帯状に樹林地が残されており、そこには大きなエノキの木も一本立っていた。
教育と研究に多忙を極める年齢だったので、定期的に訪れることは難しかったが「守るべき植物」を絶やさないよう、隙あらば攻め入ってくるアズマネザサや、土地造成の際の法面(のりめん)緑化に使われた外来牧草などの外来植物を抑えるために鎌を振るった。サクラソウは、なるべく自然の姿で生育するよう維持管理した。発表した論文に記した研究材料の保存には学術的な責任もある。サクラソウが花を咲かせる季節には、できるだけ多くの時間を管理に割いた。
展葉しはじめたフジバカマ(左)に混生して花を咲かせるサクラソウ。右手前にはホトトギスの葉もみえる。
そのかいあって、昨年、人づてに英国の研究者から受けた依頼に応じることができた。四〇年近く前に私が国際誌に発表した論文に記載した等花柱花(おしべとめしべが同じ高さで自殖する花型)の株を、研究材料として入手したいとのことだったので、念のため、開花期に花型を確かめ、東京大学の植物園を介して株を提供した。その研究者の研究は首尾良く進んでいるらしい。
長年保存しているサクラソウ。数カ所に分かれて合計10倍ほどの面積にサクラソウ・ゾーンが広がる
私が土地を購入してからしばらくして、東京で土建業を営んでいたというHさんがUターンで近くに引っ越してきた。あたりの農地を次々に購入して、多様な野菜や自然薯などを手広く栽培し、農協の直売所にも売りに出していた。土地にしっかり根を下ろし、友人や知人の多い方だった。私の職場は二〇〇〇年に東京大学に移り、いっそう忙しくなって足が遠のいたが、霞ヶ浦周辺をフィールドにする学生が何人かいたので、その宿泊に使えるように家を増築した。増築工事が始まるにあたって挨拶に行ったことがきっかけになり、Hさんとは、顔を合わせれば立ち話をする間柄になった。
人口減少と高齢化が進む地域の、生物多様性豊かなさとやまの土地の活かし方を考えていた私は、栽培というよりは放任に近い「生態学的な植生管理」によって植物から多様な恵みをいただく「半栽培」を試みたいと思った。それは、縄文時代の人々の食料確保の方法に近いものだが、現代にふさわしく、西欧の植物利用の文化も参考にし、また、見た目にも生態的な調和がとれ、植物もそれを訪れる昆虫などの生物も豊かな生物多様性を実感できる「生態ガーデンづくり」をめざすこととした。
鎌を振るってがんばっている私が、さらに土地を拡げて果樹などの植物の多様性を高めたいと思っていることを知ったHさんは、その人脈を活かし、私の土地の隣の放棄農地とその隣の古くからの放棄地を「農地」として使えるようにしてくれた。完全に藪になっていた場所は、シルバー人材の方たちの力を借りての刈り払いをした。自由に使えるようになった土地には、何種類かの柑橘類と照葉樹林帯にふさわしいヤマモモの木を植えた。ウメやクリやビワは元からの敷地に生えてくる実生を移した。
放棄農地を開放地にすると、外来の牧草や農耕地雑草の天下となる。北側の斜面上に残っている放棄農地は厄介な植物の種子供給源だった。侵入してくる外来雑草を抑えるのに苦労したが、若干の試行錯誤の末、低木層をなすともいえる果樹の下にアップルミント、ペパーミント、レモンバームなど、旺盛に成長するハーブで密な草本層をつくらせることとした。これらのハーブの葉は、レモンバーベナも加えてブレンドして私が愛飲する特製ハーブティの材料にする。
柑橘の下の草本層を主に構成するアップルミント。混生するジャガイモ、手前にはカモミールが花をつけている。
自然に広がるミョウガやフキに覆われない場所は、土の露出ができるだけ少なくなるよう、イチゴ、品種は地域の主流「とちおとめ」をグランドカバーにすることにし、数株導入すると着実に栄養成長して広い範囲を覆ってくれた。季節風が吹き荒れる冬に葉をつけているので土を埃にしない効果がある。夏の暑さには弱いので、ドクダミに負けないよう、ワラビが侵入しないように管理する必要がある。
東京大学在職中はあまりに忙しく時間が十分にとれずに、南側から攻め入ってきたアズマネザサに広く占領された時期もある。めげずに管理を続け、定年退職して管理に時間をかけられるようになると、思い描く「さとやま生態ガーデン」が少しずつできてきた。
花をつけたホウチャクソウ。アズマネザサを刈り払うと所々で密生するようになった。
生態学をもとにした植生管理では、それぞれの植物の生活史や生物間相互作用に注目する。もっとも重要なポイントは、植物の地上の姿や競争の様子だけでなく、植物体の地下部や地表面に散らばるタネなどに配慮することである。
一年草であればタネ、多年草であれば地下に張り巡らされる地下茎、樹木であれば根が張っている範囲など、よく見えないものに思いを致しながら管理をする。抑制したい外来植物や農地雑草などは、タネをつけさせないように最大限注力する。増やしたくない多年草はできるだけ地下茎を取り除く。増やしたい植物は、適切な時期にタネや地下茎から再生させる。自然にこぼれたタネから野菜などを自生させるのは、放任栽培の醍醐味である。
私の「さとやまガーデン」はまだまだ整備途上だが、「薬も手もかけないで、多くの恵みをいただく」というコンセプトは実現しつつある。
あちこちに自生状態になったネギは、一年中採り放題。冬は「野良の」ダイコン、ハクサイ、ワサビナ、カラシナなどが随時利用できる。
サクラソウの咲く頃からは、場所によって足の踏み場もないほど密生するミツバやフキ、そしてウド、セリ、ワラビ、レタス、ビーツなどが食卓の主役・脇役となる。八十八夜が過ぎると、かつての茶畑から逸出して自生するようになったチャノキから新葉「一芯二葉」を摘んで新茶をつくる。
初夏には何品種かのブルーベリーとイチゴが、一年中冷凍しておくユズの生ジャムとともにヨーグルトを飾る。その後、ウメの実の加工に忙しい時期が過ぎるとヤマモモがとれる。これらを冷凍しておき、シロップとジャムにして利用。
ディル、ルッコラ、フラットパセリ、ローズマリー、セロリ、タイム、など南欧のさとやま植物も必要なときにいつでも使える。繁殖力の強いジャンボニンニクがそこら中に生えてくるので、花茎は野菜として利用し、地下茎は古い電気釜の保温機能をつかって健康に良いという「黒ニンニク」にする。
花盛りのニンジン。その下にはネギ、アオジソ、左の後にはカボチャとペパーミントの葉、手前右ではフラットパセリも花を咲かせている。あちこちに自生するネムノキの葉も上右側に見えている。
ネギが花(葱坊主)を咲かせる頃、タイムも花盛り。その右側に食べ頃のレタス(品種「美味タス」)。そのうしろに育ち始めたローズマリー。左側にはボルシチ用のビーツ。背後にアキタブキ。ミョウガも混ざり、セリもみえる。
夏は何種類かのシソとミョウガがいくらでもとれる。入眠前のハーブティにはカモミールの花。秋にはカキ(大秋と富有柿)とクリ、晩秋からは、キウイのほか、ユズ、何種類かのミカンやハッサクなど多様な柑橘類の実りが次々にバトンをつなぎ、最終の甘夏は五月末まで食後のフルーツとして活躍。イモ類は、あちこちに育っているジャガイモのほか、冬にはサトイモやサツマイモが採れる。
初夏の霞ヶ浦「さとやま生態ガーデン」の一角
大地と太陽に感謝しながら季節に応じた多様な恵みを味わえる「さとやまガーデン」。管理に応じて、ホウチャクソウなど、昔ながらの在来植物が復活してくることもうれしい。このほか、北海道日高の「私設サクラソウ保護区」ガーデン(拙著『にっぽん自然再生紀行』岩波科学ライブラリー)および、敷地の狭小な都市住宅の自宅での、蔓植物を主役とした「立体ガーデン」を加えた「三つの生態ガーデン」の世話が、二度目の定年退職後の私の暮らしと学びの中心になっている。
(わしたに いづみ・生態学)