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『図書』5月号 【試し読み】筒井康隆/さだまさし

 『図書』は大勢の知的好奇心あふれる読者に半世紀以上愛読されてきた「読書家の雑誌」です。
 古今東西の名著をめぐるとっておきの話やエピソード、心を打つヒューマン・ストーリー、旅のときめき体験、人生への思索などを綴る、滋味あふれるエッセイの数々。
 文学・芸術・学問の面白さを語る対談・座談・インタビュー。若手からベテランまで『図書』ならではの一流の執筆陣が書き下ろす文章の力と味わいは、日常生活にピリッと刺激を与えるスパイスの働きをするはずです。

 ・本誌は毎月 1日発売です。
 ・A5判,本文 64頁,定価(本体93円+税)
 ・年間購読料 1,000円(送料込み) お申し込み方法はこちら
 ・年間購読されている方で住所の変更がある場合はこちら
 ・バックナンバーのご注文について
 

〇目次〇

今、『君たちはどう生きるか』の周辺で……梨木香歩
訳者あとがきってノイズ?……くぼたのぞみ
ある拓本をめぐる奇縁……石川禎浩
〈ひとり出ていく ララ あすの旅〉……姜信子
笹に吹く風……川端知嘉子
誰も見たことのない利行……小林真結
霧の少年……田中亜美
未完のカーニバル……柳広司
中原中也(3)……加藤典洋
はぐれサフラジェット……ブレイディみかこ
在と不在……齋藤亜矢
取り違えられた覚悟……若松英輔
タフで陽気な旅人たちが、北の国からやって来た。……冨原眞弓
石神の涙……三浦佑之
こぼればなし
(表紙=司修)
(カット=佐々木ひとみ)
 

〇読む人・書く人・作る人〇

時をかけるエーコ
筒井康隆
 
 私より二歳年上のウンベルト・エーコはこの自伝的小説女王ロアーナ、神秘の炎の主人公ヤンボと同じく、そして私と同じく日本の同盟国だったイタリアで戦争と敗戦を体験していて、彼ら即ちエーコとヤンボが見聞きした多くの大衆文化も私と共通だ。のっけからジャンルを問わぬ多数の懐かしい書物名の頻出に驚くが、読み終えてみれば想像した通りこれは本についての本、小説や漫画や映画など虚構についての虚構だった。
 アメリカの新聞の日曜版に掲載されていた多色刷りの漫画ディック・トレイシーやリル・アブナーも、私の場合はサッド・サックやナンシーにより惹かれたのだがずいぶん愛読したものだ。その他ポスター、挿絵、装幀など当時のあらゆる図版がフルカラーで贅沢に満載され懐かしさと展開に奉仕している。
 複数のテーマ、いくつかのモチーフの中に記憶を覆い隠すものとしての「霧」が含まれているのも嬉しかった。まさに今書いているこちらは歴史を覆い隠すものとしての「蒙霧升降」という作品とのセレンディピティなのである。神学のくだりも書いたばかりの長篇のテーマに重なって好ましく懐かしい。事故によって「失われた時を求める」古書店主の主人公の記憶が、その顔を思い出せない青春時代の恋人リラとのエピソードを頂点に切なさを加える。横書きであり、文章は現実と記憶と虚構のあれこれが重複して書かれているため甚だ読みにくいが、そこにこそこの世界の深淵がありこの作品宇宙のただならぬ凄味と最後のクライマックスの感動がある。(つつい やすたか・作家) 
 

〇試し読み〇

三島・恩師・図書
さだまさし
 
 正月休みのこと、引退後は故郷の鹿児島県、知覧(ちらん)にお住まいの恩師、松山國治先生から電話が来た。
 御年八五歳。
 倫理社会科の先生で、國學院高等学校卒業時の担任だった。
 毎年鹿児島にコンサートに行く度にお誘いをすると、先生はいつも奥様と二人、わざわざ知覧から鹿児島市内までコンサートを聞きに来てくださる。
 しかし先生から電話が来ることは珍しく、僕は何があったか、と少し緊張した。
 「君は忙しいだろうし、うっかり電話をして迷惑を掛けるといけないと思い、いつ頃電話をすれば良いか迷っていたのですが、正月休みの頃であれば暇もあるかもしれないと思って電話をしたけれども今、少し話をしてもいいですか」
 謹厳実直を絵に描いたような人柄であった松山先生らしい生真面目な言葉に僕は思わず「はい」と背筋を伸ばした。
 「君はもしかしたら忘れているかもしれないが、昭和四五年一一月二五日、三島由紀夫の、あの日に、僕は君にそれを告げるために慌てて教室へ行った」
 正月早々奇妙なことを切り出した。
 勿論その日のことは忘れない。
 三島由紀夫が自ら主宰した〝民兵組織〟「楯の会」グループの有志と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地で現役自衛隊員に「憲法改正のための自衛隊によるクーデター」を呼びかけ、失敗した直後、庁舎内総監室で自決したとされ、世界にも衝撃を与えた「三島事件」或いは「楯の会事件」と呼ばれる事件が起きた日のことだ。
 その日、昼休みの教室に松山先生が青ざめた顔で駆け込んできて突然「佐田君、佐田君はいるか?」と叫んだ。
 そして震える声で「おい、佐田君、三島由紀夫が切腹した」と言った。
 僕が吹き出して「何馬鹿言ってんの」と言うやいなや、先生は僕の手首をつかんで、ぐいぐいと引っ張って職員室まで連れて行くと、先生方が群がって見つめているテレビの下で「見てごらん、本当だろう」と青ざめた顔で言った。
 テレビの画面では、しきりにヘリコプターのカメラが市ヶ谷駐屯地を映し、アナウンサーが興奮した声で「三島由紀夫の割腹自決」を報じていた。
 職員室が異様な熱気の中で、不気味に静まりかえっていたのを覚えている。
 後日、松山先生は三島の死をどう思うか、と僕に聞いた。
 それは「憲法改正のための自衛隊によるクーデターを扇動し、それに敗れ、失望して自死を選んだ」という浅薄な『額面』の話で無く、これを「個人的理由からの自殺」だと観るのか「戦後の利己主義的民主主義に対する諫死」と観るのか、或いは別の何かか、という問いであった。
 丁度『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』を読み、完全に打ちのめされた僕が一気に三島文学に傾倒していた頃だったので、この極めて官能的で絶望的で象徴的な「割腹自殺」は三島由紀夫の「重要なテーゼの一つ」であり「三島作品の結晶の一つ」の様な気がして、確か生意気にそんなことを言った記憶がある。
 まさに『そのとき刃は新らしい意味をもった。内部へ入らずに、内部へ出た』のを、この『死』に感じたからだ。
 しかしこの時以来ずっと不思議だったのは、松山先生は、何故わざわざ教室までやってきて、どうして僕を選んでそのことを告げたのか、ということだった。
 やがて高校三年時の進路相談の時のこと、先生は僕に、國學院大學の文学部に進学することを幾度も、強く薦めた。
 「君の成績であればどの学部であろうとも推薦入学は問題ない。しかし僕は君には是非とも國學院大學の文学部へ行ってほしい」と言った。
 僕は文学部なんて軟派で潰しの効かない所へ行くのは真っ平だと突っぱねた。
 「先生、俺は法律家になって、世間の弱者の味方になるんだ」と言った。
 「君の気持ちはわかるけれども、國學院大學で現役で司法試験に通った人は現在一人も居ないというのが現状なんだ」
 「先生、覚えておいてくれ、俺がその最初の一人なんだよ」
 生意気にもそう答えたものだ。
 先生は苦笑いをしながら念を押した。
 「おい。我が校から、君が文学部に行かずに誰が行くのかね?」と。
 僕は確かに「国語科」のみ異常に成績が良い生徒であったが「文学」とは無縁の「音楽」の世界を生きてきた。
 進路相談の頃には音大受験のことは諦め、國學院大學の推薦試験にすがるような立場であったけれども「文学部」で何かをする、というイメージは持てず、教師になるという選択肢も僕には無かった。
 従って名門國學院の文学部史学科を出て社会科の教師になるのも良いが、いっそ神道科を出て神主になる方がずっと面白い、などと思っていた頃だった。
 この時、最後には松山先生が折れた。
 そうして僕は國學院大學法学部法律学科へ推薦で進学して二年で学校を辞めた。
 松山先生は実直で生真面目な人だったけれども、意外に洒脱な面があった。
 卒業前の冬休みの間、僕は親友達との卒業旅行費用を捻出するために校則で禁じられていたアルバイトをしていた。
 「卒業式の予行日」に、ビルの天井の下地作りの現場が佳境に入っていて、偶然上京していた母に、万が一学校から電話があっても、熱を出して寝込んでいると誤魔化してくれ、と頼んで早朝から秋葉原の現場へ出かけた。
 案の定、松山先生から電話が入った。
 母が朝から熱を出して寝込んでいます、と言うと先生は吹き出し、「アルバイトも大事だろうけれども、卒業式の予行なので、午後だけでも学校に来るように伝えてください」と言ったという。
 母は恐れ入って僕に連絡を寄越し、僕は母に秋葉原まで制服を運んで貰い、駅の便所で着替えて学校へ出た。
 これが学校で公にされれば当然処分の対象で推薦権も剥奪されるところであったが、松山先生は「生徒のうちは学校の行事を大事にしなさい」と笑っただけで公にせず、お陰で処分にはならなかった。
 様々な思い出が頭の中をよぎる。
 先生と話すのは嬉しいことだが、先生はわざわざ僕を相手に三島由紀夫の話をするために正月に電話をしてきたのかしら、と訝(いぶか)しんでいると、先生が改まってふとこう言った。
 「岩波の『図書』において、一月号から君のエッセーが始まったでしょう」
 『あ』と、やっと思い経(いた)った。
 松山先生は三島由紀夫と岩波書店の崇拝者であった。
 すぐに「三島作品の○○を読みなさい」「岩波の○○によれば」とか「岩波書店の○○を読めば」などと言った。
 「あれはいつまで書きますか」と聞かれ、「問題が無いようでしたら二年ほどは書かせて頂けるようです」と答えると、先生は驚くほど元気な声になって「そうですか。僕は君が『図書』に書くのが、嬉しくて電話をしましたが、そうですか、以後楽しみにします」と言った。
 岩波書店の『図書』にエッセーを書くということは〝大偉業〟だぞ、と、高校時代の恩師が称えてくれた訳だ。
 電話を切ったあと、暫く考え込んだ。
 もしもあの時、僕が先生の指示に素直に従って國學院大學文学部へ進学していたならば果たして僕はどのような人生を歩んだのだろうか、と。
 あの頃決心すれば國學院の偉大な図書館の本を完全読破することが出来たかも知れない、と思うことは今までにもあったが、この歳ではもう叶わない。
 人生の大きな後悔の一つだがさて、あの頃、一体松山先生は僕に何を期待していたのだろうか、と思う。
 一度伺いたいと思いながら時は過ぎた。
 四月には東京へ行きますよ、という声の温もりと熱いエールが嬉しく、僕はこの晩、電話のあと独りワインを抜き、遠い鹿児島の恩師に献杯をした。
(さだ まさし・歌手)
 
〇こぼればなし〇
◎二月号の本欄でもご紹介しましたが、『君たちはどう生きるか』が多くの方々に迎えられています。本号では、八〇年もまえに刊行された書物が二一世紀を迎えたいま、ベストセラーとなっていることをどう捉えるか、ご自身もその愛読者である梨木香歩さんにご寄稿いただきました。一読三嘆、時を超えて読み継がれる書物のもつ意味、その力にあらためて思い至る次第です。
◎『君たちはどう生きるか』ほどではありませんが、いまネット上で話題となり熱いまなざしをあびている一冊の岩波文庫を紹介しましょう。平田篤胤「仙境異聞」(『仙境異聞・勝五郎再生記聞』所収)がそれです。
◎「仙境異聞」は、幼い頃に天狗に連れ去られ、そのもとで生活、修行していたという天狗小僧寅吉が、その異界についての様々な質問に応えた話を記録した、江戸時代後期の証言録です。それがいま衆目を集めるきっかけとなったのは、ツイッター。江戸時代に天狗にさらわれて帰ってきた子供の話をまとめた本がおもしろい、というある方のつぶやきからリツイートが広がってゆきました。
◎その段階では小社に在庫がなかったということもあって、Amazonの中古価格が一時六万三〇〇〇円まで高騰。それも話題に拍車をかけてしまったようです。
◎しかし、ネット上でいくら盛り上がってはいても、はたしてリアル書店での反応に結びつくだろうか? と、のんびり構えているうちに、ネットでの問い合わせだけでなく、書店からも連絡がいくつか入り始め、背中を押されて重版を再開。Amazonでもベストセラー一位を獲った本書は、小社販売部員の手による天狗のイラストと「緊急重版 twitterで話題沸騰!天狗にさらわれた子どもの証言!?」のコピーが躍る帯がついて、いま店頭を賑わしています。
◎こうした出来事に接すると、ネットの発信力、伝播してゆく力をあらためて感じます。読者のみなさんに情報を発信していくうえで、その力をどのように活かしてゆくか、また書籍との関係のなかでどう位置づけてゆくかということも、これからの出版社の大きな課題でしょう。その試みのひとつをご紹介します。
◎三月八日からWEBマガジン『web岩波 たねをまく』が始まりました。このタイトルはもちろん、小社のシンボルマークであるミレーの「種をまく人」から。これまでHPで展開していたWEB連載もこちらに引っ越しして、読みやすくなりました。これから出る注目本の紹介や話題のテーマなどをお伝えする特集、トークイベントや講演会をテキストで掲載するイベントレポートやインタビューのほか、コラムなどもご用意しました。もちろん本誌の紹介コーナーもございます。まさに「読むためのポータルサイト」ということでしょう。
◎アナログな紙媒体ではむずかしいことでも、デジタルなweb媒体なら可能なことは多くあります。今後は双方が連携する、新たな試みが生まれてくるかもしれません。どうぞご注目ください。

 

 

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