《対談》<絵画の素>の味──岡﨑乾二郎 × 三輪健仁[『図書』2023年2月号より]
三輪 このたび刊行された岡﨑さんの新著『絵画の素』は、短いエッセイを七七篇集めたものとして構成されています。しかもそれぞれが必ず、書き下ろしのテクストと、《TOPICA PICTUS》という岡﨑さん自身の絵画シリーズからの作品と、さらに自作ではない絵画や彫刻等の「参照作品」の図版、その三つの要素から成っている。この形式は岡﨑さんの著書の中でも初めてのものです。
最初にこの形式で書かれたのは東京国立近代美術館で開催した特集展示(二〇二〇年十一月―二〇二一年二月)の時で、小さなリーフレットの形で数篇を作り、来場者に配付しました。この時からすでにテクスト・自作・参照作品という三つの要素で構成されていることが要になっていて、今回の本の「はじめに」では、三者の関係性を予測不可能なものとして、「三体問題」と表現されていますね。
岡﨑 展覧会の前、三輪さんが僕の絵を見に来てくれた時に、すべての絵に実は参照作品群のようなものがあるんだと話し、テクストを一本書いて送ったんですね。すると「自作と参照作品を同時に見るのは面白い経験だ」と言ってくれた。そこから他のものも書き始めたんです。
近美での展示以外にもう一つこの本には起源があって、ずいぶん前に、『哲学の素』という本の企画があったんです。まず絵があって、そこから考えられることを書こうと考えていた。僕がずっとやってきたのは、考えたり、ものを作ったりする「きっかけ」というか、本当の意味での「種」や「素」、エッセンスを集めていくことで、それらの「素」からいかに出来事のように創作物を生成させるかということなんですね。
でもそれは一回一回の試合のように実践して示すしかない。そのための形式が今回やっと見つかった、とは言い過ぎですが、意外と簡単な方法だったという気がしています。『ルネサンス 経験の条件』(二〇〇一)や『抽象の力』(二〇一八)のようなものを書くのは僕の性格としてはなかなか大変なんです(笑)。本当はもっと直接「こうではないか?」と気づいたこと、閃いたことを書き留めながら展開したい。けれど実証的に資料を調べて跡づけ、既存の関連する言説との相違を確認しつつ整理し構築していく作業は、大事だけれど、どうも創造的とはいえない面がある。
僕がほんとうに必要なのは「具体的に道具として使えるアイデア」なんですね。ダンス・ノーテーション(舞踊譜)に興味を持ったのもそうだけれど、「こうすると見方が変わる」「動きが変わる」という「変えてくれるきっかけ」「技を生成させる道具」を、なるべく増やしたいと思ってやってきました。
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三輪 「絵画の素」というタイトルはどう決まったんですか。
岡﨑 『哲学の素』とのつながりもあるけれど、「味の素」もヒントになっている(笑)。
三輪 なるほど(笑)。
岡﨑 イマイチのごはんがこれで美味しくなる、みたいなふりかけ、調味料ってことですね。画家はよく「絵になる」とか「絵になっていない」と言うんですが、いくら絵具を塗ってもそれだけでは絵にならない。絵としての手応え、核が感じられない。そこに何かが入ると「ああ、絵になった」ということがある。そういう「絵になる素」みたいなものがいかなる作用を起こしているのか、それを語ることができたらいいな、と。美術の解説というのは、本当はそういう「素」の働きこそが語られていないと面白くないですよね。
三輪 最初に送ってもらったテクストはジョット《ノリ・メ・タンゲレ》(一三〇三―〇五、図)についてのものでした。
岡﨑 この絵は、復活後のイエスがマグダラのマリアに「我に触れるな Noli me tangere」と言っている場面を描いている。でもその説明だけだったら、中世末期の絵でありながら、構図としては現代のスナップショットのように、あるいは写真に影響された近代のドガやロートレックの構図のように、なぜイエスが画面の端に描かれているのかがわからない。そもそも「ノリ・メ・タンゲレ」というのはどういう意味なのかを考えてみる。聖書を読めばわかることですが、マリアにはイエスの姿は見えておらず「そこにいる」ことだけを感じている状況なんですね。それで、あの絵が描こうとしていたことがわかる。つまり「見えない、だからこそ触れたくなる」のですね。それがあの絵の一番肝心なことですね。そして、ここからドガあるいは写真の特性ともなっている、フレームアウトの構図の持つ意味を考えることもできる。奇妙に見えるところにこそ「絵画の素」があるんですね。
そういうことは日本の作家でもあって、古賀春江(一八九五―一九三三)について最近話したんだけれど(Blum & Poeウェブサイトで映像公開中)、たとえば近美にある《海》(一九二九)、絵の右端に描かれている水着の女性はグロリア・スワンソンで、《汽笛のテディ Teddy at the Throttle》という一九一七年の映画のスチール写真を参照していました。けれど元の写真にはモーターボートを運転する主人公の犬テディも一緒に写っていた。大変な愛犬家である古賀がなぜそれを描かなかったのか? 僕は動物に関わる資料を調べていて、このスチール写真を探し出し興奮してツイートしたことがあります(笑)。あえて古賀は隠して、この絵を理解する核に替えたのではないか? つまり、運転(ドライブ)する犬=動物がこの絵の「絵画の素」ではないのか?
古賀の絵画の展開を見ていると容易に気づくことですが、彼の仕事には「動物」「機械」「死」という三つのキーワードがありました。《海》でいえば潜水艦の中に人間がいて、その外部に、人間の可感域を超えた海があり、魚たち、動物たち、生命が存在する。その動物界と人間は潜水艦のメカニズム=機械を通して交流しようとしている。潜水艦は人間を魚へ変換させるメカニズムである。デッサンでは水着の女性は潜水艦にかわる大きさで、海の中を魚とともに泳いでいる姿として描かれていました。古賀は、「死」とは潜水艦のように人間の精神を包んでいる自我の殻を破ることと考えたのではないか? 古賀にあったこうした考えは、同じく愛犬家だった親友、川端康成が、古賀の死後すぐの「末期の眼」、あるいは三十数年後のノーベル賞受賞講演でも指摘しています。「機械=機構」「動物」「死」という三つのキーワードが結びつくのは後期フロイトが唱えたエスという領域であり、「死の欲動」(デス・ドライブ)という概念です。《海》に描かれなかったモータボートを運転(ドライブ)する犬は、まさにこの絵を出来事として生成させるデス・ドライブの力として働いていたのではないか、つまり「絵画の素」として。ちなみに古賀たちが掴み取った後期フロイトの思想はむしろアンドレ・マッソン、バタイユなどの思考、たとえばアセファル(無頭人)の活動などに繋がっていくのですね。
こんな風に、なぜこんな奇妙な絵が描かれたのだろうというきっかけ、つまり「絵の素」が掴めればそれをヒントとして、さらに色々な作品に展開できます。複数の作品と作品を結びつけていく時にこそ創造性は現れる。絵を理解することは作品どうしの思いがけない繋がりを把握することなのです。一つ一つの作品はいわば跳び石みたいなものですね。
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三輪 岡﨑さんはこれまで、ご自身の作品を解説することはあまりなかったと思います。それは語りたくないというのではなくて、言語化の困難や危険をよくご存じだからで、学芸員や批評家もまた、岡﨑さんの作品を言葉にすることの困難を感じながらやってきた。それがこのエッセイでは、直接自作を説明しているわけではないんだけれど、読み手からすると、そのように読める部分もあるわけです。
ただ、ご自身の作品を一番小さく、控えめに扱うことにこだわられていますよね。それは、自作は「素」ではなくそこから実ったものだから、むしろ素のほうを示すんだということですか。
岡﨑 自分の絵が答えではないし「これが答えです」と示すのが目的でもない。とはいえ、読んだあとに、僕の絵になんとなく固有のヒント=「絵の素」があるのを感じてくれたら嬉しい、くらいの気持ちはあります(笑)。僕の絵の偶然の筆触のようなものが、別の作品と関係づけると、実はかなり具象的に見えるとか。ブロンズィーノが描いたメディチ家のまるまると太った少年(図)のカールした前髪とか、このカールもその絵だけだと小さな細部にすぎないけれど(笑)。
三輪 岡﨑さんのあの絵は近美でも展示させてもらったけれど、人気があって、皆、「カール」した絵具に反応してましたよね(笑)。やはり自作と並んで具体的な絵画が参照作品として挙げられている場合は、受け取る側は得てして、テクストで語られていることの答えのようなものを岡﨑さんの作品から探したくなってしまう。まさに「ここが前髪のカールか」という。
そういうことで言うと、岡﨑さんはいつも、抽象や具体という語や概念の用い方には相当注意を払われているし、表現においても実践されているけれど、今回のテクストや参照作品ではすごく具体的なものが提示されているという感じがしました。それは表面的には「素」じゃなくて「元ネタ」と見られかねない。そこへの懸念や、回避するための工夫というのはありましたか。
岡﨑 ネタをそのまま写せば絵になると思う人は、ネタというものを知らないし、絵の描き方をわかっていない(笑)。文章でも同じ。「ネタ」は種でそれを摘み取って、なにかに育てあげることが思考の働きだし、作品を作ることではないかな。たとえばあるエッセイではゴッホの《黄色い家(通り)》(一八八八頃)を参考図に掲げているけれど、方向としては逆で、「三車火宅」の逸話から類推が広がって、ゴッホの絵がひっかかったのですね。《黄色い家》が面白く新鮮に見えたのです。初めに参照している絵が決まってあったわけではない。この本にはゴッホの絵ともう一枚、絵本『ちいさいおうち』を挙げています。そして、またテクストを読むと、僕の絵の印象もゴッホの《黄色い家》の印象も変わってくるでしょう。人が生きる過程そのものを体現するかのような「移動する家」すなわち「大白牛車」こそが共通した「絵の素」だったということですね。ゴッホを「元ネタ」として僕がこの絵を描いたんだとしたら、それはそれでたいしたもんだと思いますけれど(笑)。
三輪 作られた時系列で言うと、どうしたって、ゴッホの絵、岡﨑さんの絵、テクスト、となりますよね。そこで過去のものが後のものに影響を与えるというのが普通なんだけれど、今の話でいえばむしろ逆になって、テクストが岡﨑さんの絵やゴッホの絵の在り様や、三者の関係性を変えていくということですね。
岡﨑 はい。たとえばダフィット・テニールスの《シナノキの下の宿》(一六四〇年代、図)に関するテクストでは、ハイデガーの批判をすこし入れています。オリジナルの元絵が必ずしもあるわけではない、思い違いの記憶で、ないはずの絵が想起されることがある。こういう揺らぎを書きたかった。存在しないはずの絵の記憶を元に、想起され発見されたのがこの絵でした。遠景の描写が不合理な不思議な絵です。この光景に示されている予感は現代美術作家が作品にしたくなるような質があります。この予感こそ、作品を作らせるマトリックスであり、「絵画の素」でしょう? 傑作ですね。
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三輪 今回生み出された形式では、エッセイの「短さ」というのも一つのポイントかと思います。
岡﨑 いちばん短いのは熊谷守一《陽の死んだ日》(一九二八)について書いたものですね。この絵は熊谷の亡くなった愛児・陽を描いているけれど、絵の左端に描かれているロウソクが謎だった。ロウソクの光が役に立っていないように見えるから。一方で亡くなった陽の顔もロウソクと同色で、いわばロウソクと陽の顔がこの絵の二つの光源のように描かれている。陽の顔は太陽みたいに明るく、自ら光を発するように描かれているのですね。誰もが気づく自明のことのはずですが「死んだはずの子がいちばん輝いている」と言ってみると、なるほどそうか、と見方が変わる。これがいちばん短い文章でこの指摘しかしていません。近美のリーフレットの時にはフォーマットがあったので、なるべく短くしようとしたけれどむずかしい(笑)。そのうちに文体も変化し、長くなってしまったものもあります。
三輪 《TOPICA PICTUS》もそうですが、岡﨑さんは「ゼロサムネイル」シリーズとして、サイズの小さな絵をずっと制作されています。形式が内容を決めるところは絵でも文章でもあると思いますが、テクストの短さも、そういう流れから出てきたということはあるんですか。
岡﨑 大きい絵を描くのは時間がかかり僕の頭の回転に合わないのかもしれません。描く時にさまざまなものを想起するのですが、それらは結構、瞬間的に同時に継起する。これとこれとこれ、あれが繋がるという無数の連なりがワッと瞬間的に沸き起こるんですね。するとゼロ号(約一八〇×一四〇ミリ)、文章だと短いエッセイ、映画でいえば昔の8ミリ映画の三分という長さが最適なんですね。また昨今、小さい大きいというサイズがかつてほど意味を持たなくなっている気もしますね。僕の個展を見に来てくれる人の多くが写真に撮ってインスタグラムにアップしていて、見る人もそれをスマートフォンで見ている。物理的大きさより、このように情報が連鎖する空間の広さ、大きさの方がリアルに感じるようになった。伝播するアイデアというのは、長い論文より短いエッセイ、フレーズくらいの方がいい。使えるアイデア、使われるシェーマとして、諺、アフォリズムのように誰が言ったともなく広まって使われていくものですね。何より、僕はずっと批評を書いてきたけれど、最近は批評によって批評の世界は全然変わらなくなってきた、互いに目配せしあっているだけの批評が多い。僕は「変えたい」(笑)のです。それでこの形式に行き着いた。
三輪 岡﨑さんがこの本で語られていることは、批評的な長い文章として書くこともできるものだと思います。でもそうはせず、今回のような形式で「素」を示すことで、もしかしたら長い論文を書くよりも、世界を変えるために機能するのかもしれない。実際に読み手として、すごくそう感じるところがありますね。
岡﨑 うれしいです。要するにモノを捉える手がかりを配したスケッチでありエッセイですね。批評の本質もエッセイでしょう。それは何かを見るための仮説の提示で、仮説を使ってみる実験でもある。スケッチからどんな作品が最終的にできるかわからない。そういう文章はかえって何度でも読める。その仮説はまだ使い古されず、新鮮さを保っているからですね。ボードレールでもヴァレリーでもベンヤミンでも小林秀雄でも坂口安吾でもいまだ人気が衰えない。僕もこうした人たちの仕事を愛してきたということです。
三輪 長い論文で、起承転結が揃っていて全部説明してもらえると、ありがたいんだけれど、読む側は鍛えられない。この本の場合は、ここから先は読む側がちゃんと考えるんだよと、受容する人たちを鍛えるようなところがあると思います。
岡﨑 美術作品を道具としての働き、機能で考えるとして、その機能はそれが属すゲーム全体、美術批評的にいえばコンテクストとの関係で決まると理解されますね。僕は、そういうコンテクスト全体、構造を別の構造に置き換えることができて、はじめて「作品」であり「批評」だと思うんですね。サッカーで言えば試合を変える力。美術作品から「使える」ヒント、道具を掴みたいのは作家のみならず一般の人も同じでしょう。課題を解くヒントとして機能する道具を誰でも読みたいし見たい。でも批評家でもそれを言う人は少ない。失敗をおそれずに仮説を立てないといけないから。そして道具として働くには、具体的な事物として文体から発明しないといけないし。
絵で「構造」とは、物語的な構造でもあるし、それに対応している絵の構成、構図と見なされるけれど、その見た目に捉えられた構造は絵を形成する核心となった構造と一致していないことが多い。ブロンズィーノの絵でも、小さなディテールを必然として理解しようとしたときに気づかなかった構造が現れる。それつまり「絵の素」が、これだ、と掴めていれば絵になる。ないと表面だけの効果で終わってしまう。
西洋美術に比して日本の美術は歴史が描けない、物語が描けないとずっと言われてきた。けれど描けなかったとすれば、こうした「構造」的対応が掴めなかったからではないかな。それは画家だけでなく、むしろ批評家を含めた見る人の問題だった。逆にいえば葉っぱが地面に落ちる出来事を描くだけでも深く広い物語を含む構造を作れるはずですね。
三輪 岡﨑さんは以前、「構造」という言葉じゃなくて、古賀春江にしても村山知義にしても、作品だけを見ていても分からないことがあると、それを「背後」「文脈」のように言われていましたね。そこを押さえてみると、彼らは案外いいところまでいってると。そこから岡﨑さんは日本近代の作家の様々な作品を評価された。そういう話と、今の「構造」というのは、同じことではないけれど、つながっているように感じます。
岡﨑 そうですね、そう見ると高橋由一なんか、かなりいいですね。
三輪 構造って表面に現れていないもの、その下にあるものですよね。これまでも言われてきたことかもしれませんが、そこが大事だというのが、今回の本のテクストでは、わりと端的に示されている。だからこそ、そのテクストと岡﨑さんの絵が一緒にあるのがいいと思うんですよね。
岡﨑 僕の絵は、あり得る一つの例にすぎないけれど。
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三輪 最後にちょっと岡﨑さんにうかがいたいことがあって。この前の展覧会のように岡﨑さんの絵だけ実物を展示するのではなくて、参照されている作品も実物、岡﨑さんの作品も実物、そこにさらにテクストがある、そういう場になったときに、三つの関係はどうなるのかなということなんです。そういうのはどうですか。
岡﨑 三体問題はやりたいですね。僕の絵である必要はないけど(笑)。
三輪 最初の展覧会では岡﨑さんの絵を展示するのが主で、やはり実物があると強いから、テクストや参照作品をいわば岡﨑さん自身による自作の解説として見てしまう部分がある。それが今回、本になってみると印象が変わって、三つの要素がどれも等価に感じられたんですね。たとえばロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》(一九七〇)なんかは、もちろん最初に作品と見なされるのはユタ州のグレートソルト湖にあるあの実物なんだけれど、テクストもあり、映像もあり、それらの集合として作品があるという見方もできますよね。この場合、三つの要素の関係には優劣や主従がないと思うんです。岡﨑さんの今回の本もまた、テクスト、自作、岡﨑さん以外の人が創造した作品、それには絵画だけではなくて島に伝わる昔話のようなものも入っていますが、それらの要素が、どれかを主にするために従としてある、という関係にはないように見えたんですね。
だから、岡﨑さんの絵と参照作品の実物どうしを等価に並べてみたときに、その距離というか関係性を知りたいなと思うんです。参照された作品から、自作へのジャンプというかね。そこに色々な人が関心を持ってくれるというのが、美術の未来なんじゃないか、と思ったり(笑)。
岡﨑 僕の希望は単純です。この本に出てくる作品、《シナノキの下の宿》とかラシュグロス《花の騎士》とかを日本の美術館で展示したい。これらの面白さ、素晴らしさを実物で見てもらいたい。
(二〇二二年十一月十二日、岡﨑氏自邸)
(おかざき けんじろう・造形作家)
(みわ けんじん・東京国立近代美術館)
三輪 健仁
東京国立近代美術館美術課長。主な企画(共同キュレーション含む) に「MOMATコレクション 特集展示 岡﨑乾二郎|TOPICA PICTUS たけばし」(2020-2021年)、「ゴードン・マッタ゠クラーク展」(2018年)、「Re: play 1972/2015―『映像表現 '72』展、再演」(2015年)、「14 の夕べ」(2012年)、「パウル・クレー展―おわらないアトリエ」(2011年)、「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年)など(いずれも東京国立近代美術館)。執筆に「《テレポーテーション》におけるテレポーテーションについて」『小林耕平 テレポーテーション』展図録(黒部市美術館、2022年)、「ロバート・スミッソンをめぐる三つの旅」(『Whenever Wherever Festival 2021』ウェブサイト、2021年、一般社団法人 Body Arts Laboratory)など。