那須田 淳 エンデと『モモ』と遊びについて[『図書』2023年2月号より]
エンデと『モモ』と遊びについて
ちょっぴり個人的な話をしよう。僕がエンデに会ったのは二度である。もちろんブックフェアなどですれ違って挨拶をしたことは他にもあるが、いろいろ親しくお話を伺ったのはという意味で。
最初は一九八六年で、このときはまだ作家になる前だった。
実家が経営していた小さな出版社が、ミュンヘン国際児童図書館で、絵本原画展をすることになり、その手伝いで南ドイツへ出かけたのである。僕は大学を卒業し、小説や脚本を書きながら、イギリスにしばらく語学留学をしていた頃だ。
この原画展開催に尽力してくれたのが当時、図書館の日本部門の責任者でもあった佐藤真理子さんで、のちのエンデ夫人である。その彼女の紹介で、オープニングにエンデが顔を出してくれ、自宅まで呼んでくれたのだ。
ちょうど『はてしない物語』が『ネバーエンディング・ストーリー』として映画化され、日本でも公開されたあとで、面白かったと感想を言うと「ほんとうに?」と聞き返された。エンデ自身は、あの映画に不満を感じていて少しいらついているようでもあった。
僕としては、お愛想のつもりもあったので、なんだか見透かされた感じがして、けっこう焦ったのである。
実際、映画自体は作品の一部を切り取ったもので、それもかなり改変しているので、原作者としては不愉快だったのもわかる。
エンデは、それで当時、公開直前だった『モモ』の映画には仕方なく関わることにして、自分自身の役で出演もしたのだと苦笑した。
でも、映像作品と小説ではそもそも表現の仕方が違うのではないですか、というと、「表現が違ってもちゃんと本質が伝わっているならいいけれどね。大事なことは、物語で主人公がどんな体験をし、どうなったのかを描くことだ」というようなことを語ってくれたのを覚えている。これはもちろん創作の基本的なことだろう。それでも、当時の僕は映画の脚本を書くか、物書きになるかで揺れていたので、心に響いたのだ。
このときのエンデのアドバイスを、あとで自分なりに分析してみて、それはヘーゲルの弁証法に近いものでは、と思い至った。
簡単に言うと、主人公にはある命題(テーゼ)が課せられるが、それとは反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)が出現し、それに対処しながら、統合した命題(ジンテーゼ=合)を導き出す。大切なのはどちらも捨てずに何かを残したまま、アウフヘーベン、つまり「止揚する」(全部を否定せずに統合してより高い段階で生かすこと)ということだ。それが次の命題になる。物語とはその主人公の動きを辿っていくものなのだろう。
エンデ自身から直接ヘーゲルの哲学についてきいたわけではない。ただこれを強く意識して、その後、作品を書き、作家デビューを果たしたので、ある意味で、エンデは僕にとっては師匠みたいなものだと勝手に思っている。ちなみに僕にリアリティの重要性を教えてくれたのは「コロボックル」シリーズの佐藤さとる先生なので、僕にとっては二人のファンタジーの巨匠が心の師匠だと記しておきたい。
ところで、縁とは不思議なものだ。
僕は作家としてデビューして数年後にファンタジー『ボルピィ物語』を書いた。これは、ドイツのバイエルンの森に伝承として残る妖怪ボルパーティンガーをモチーフにしたものだ。エンデに会ったその夏の間、宿泊費が安いこともあって、オーバーバイエルンの湖沼地帯のホテルに滞在していたのだが、そのとき村の伝承でこの妖怪のことを知ったのだ。この妖怪を物語として扱ったのは僕が初めてということで、国際児童図書館にきませんかと誘われ、僕は再び渡独し、エンデに再会することになる。一九九二年の夏である。
ミュンヘン国際児童図書館に奨学研究員で滞在する者は、滞在中の研究として何かをしないといけない。僕は作家として呼ばれていたので、ドイツの作家たちとの交流がメインで、さらに佐藤さんのあと日本語部門の責任者となったガンツェンミュラー文子さんと一緒に、ドイツ語に訳された日本の子どもの本を調査して冊子に残すことにした。
ミュンヘン国際児童図書館は、戦災後のドイツの子どもたちに本を届けたいというイエラ・レップマンの活動をケストナーが手伝ってできた組織で、エンデとの再会も、ケストナーの遺品をしまった通称ケストナーの塔(今はない)であった。ちなみにレップマンは、ケストナーの『動物会議』へのアイデア提供者としても知られる。
エンデとの再会は、その図書館での作家との交流というプログラムと連動して実現したもので、その模様は、白泉社の雑誌「MOE」でインタビューとして掲載している。ドイツ文学者の田村都志夫さんが通訳と翻訳をしてくださったので内容の濃いものになったはずだ。『世界でいちばん愛される絵本たち』(白泉社、二〇〇〇年)の中にも転載されているので興味があれば読んで欲しい。
このときの主題は、文学は最高の「シュピール(Spiel)」つまり「遊び」だということだった。
その九二年は、エンデが創ったオペラ『ゴッゴローリ伝説』がドイツで話題になっていて、そこからさらに手掛けていた『ハーメルンの死の舞踏』から、エンデ文学の中に感じる演劇性についてまず尋ねることにした。
エンデは戦後にシュタイナー学校を退学したのち、演劇学校に進み、舞台に立った経験もある。その当時に出会った女優インゲボルク・ホフマンとのちに最初の結婚をしてイタリアに転居し、あの『モモ』が生まれるのだ。その意味では、彼の文学に演劇性が入り込むのは必然かもしれない。
ドイツ語で「シュピール(Spiel)」は「遊び」の他に「演劇」そのものもさす。
そこから僕は「遊び」に軸を移して、『モモ』の中で、自由奔放な生き方をするモモの影響のもと、子どもたちが段ボールを海賊船に見立てたり、石ころを宝物にして遊んだりするシーンが好きだというと、ああいうごっこ遊びこそが、文学の本質的な要素になるのではと指摘された。
ごっこ遊びで重要なのはルール(約束事)である。そのルールは、たとえば白黒善悪で決めつけられるものではない。泥棒と警察の鬼ごっこ、略して「ドロケイ(ケイドロとも)」の場合、泥棒と警察の役は、その人の本質ではなくただの約束事に基づくルールにすぎないので、いつでも入れ替わることができる。それはある意味、実社会もそうかもしれない。何かのきっかけで、人は犯罪に手を染め、向こう側に転がり落ちるのだ。
肝心なのは、そのルールをどうするか? である。
エンデは、『モモ』を書くとき、もっとも苦しんだのは「時間泥棒つまり灰色の男たちは、どうしてモモからは時間が盗めないのか」という問題が解けなかったからだという。
それが解決するまでに、エンデはなんと六年もの歳月を要したのだ。
「わかってしまうと簡単なことなのだけれど、灰色の男たちが時間を盗めるのは、時間を倹約したい人たちからだけだったんだね」
だからモモの時間は盗めなかった。その答えを見つけたら、完成はすぐだった。
『はてしない物語』でも、頭を悩ませたのは、岩喰い男や樹皮トロルの造形などでなく、「幼ごころの君」がもつ「アウリン」の機能だったそうだ。『はてしない物語』のファンタージエンでは、アウリンがなければ旅が続けられないが、同時にアウリンはゴールそのものをも奪ってしまう。その二律背反というルールをみつけることがもっとも大変だったと教えてくれた。
これはなにもファンタジーに限ることではないだろう。ミステリーやサスペンスはもちろん、どんなジャンルの小説であれ、主人公は、物語の展開の中で、どうしたらラストにたどり着くのかが問われるからだ。これも弁証法なのだ。
インタビューのあと、ミュンヘンでエンデと一緒に寿司を食べながら、そんなことを考えていると、ふいに「きみは、ファミコンはやるの?」と尋ねられた。
当時ファミコンに、ロールプレイングゲーム(RPG)が登場したばかりで、「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」が圧倒的な人気を博し、僕も暇なときは遊んでいた。けれども、エンデ文学の深さとファミコンが結びつかずに一瞬、戸惑っていると「今のゲームは大したことないが、可能性を感じるんだよね」とのことだった。
確かにRPGも、主人公が経験を積みながら成長していくので物語とベースは同じである。そういうことですか? と尋ねると、それもあるが興味があるのは、プレイヤーがゲーム世界に入り込むことだという。
ちなみに「シュピール(Spiel)」の「遊び」にはゲームも当然に含まれる。
でも残念ながら、そのときインタビューで頭を使いすぎたせいもあって、それ以上、突っ込んで話を伺えなかった。
僕がそのことを思い出したのは、この三年後、エンデが急逝し、しばらくしたあと、オールズバーグ原作の映画『ジュマンジ』で主人公の少年がゲームの中に取り込まれるのを観たときだった。
さらにはアバターや仮想空間(メタバース)時代が訪れた今、エンデだったらそれらを使い、どんな物語を展開させただろうか、それが気になってならない。
(なすだじゅん・作家)